第33話 撃てない標的(Chosen Love)
「エリカ……お前、なんでこんなところに……」
紫村はたじろいだ。
一年前に別れた恋人との突然の再会――まったく予期せぬ出来事だ。
その容姿は以前と変わらぬ黒髪ロング、地味ではあるが清楚な顔立ち――別れた今となっては、ごく普通の一般女性と形容するのが妥当であった。
「私はここに
紫村の目を見てエリカは言った。
その顔は無表情だ。
「私はあなたと別れたあと、メイド――家事手伝いとしてここで働き始めたのよ」
「な、なんでよりによって総理大臣の家で働いてんだよ!? もっとほかに手軽な仕事があっただろ!?」
「ぜんぶあなたのせいよ」
「は……?」
「あなたのせいで、私は煙草が‶大嫌い〟になった。だからこういった形で総理のお手伝いをさせていただいているの」
淡々とエリカは述べた。
まるで鉄仮面を被っているようだ。
「お、お前が煙草嫌いなのは、前から知ってる……けど、だからって、わざわざ清宗院家に加担する必要はないだろ……?」
たどたどしくも紫村が訊いた。
「……はあ……」
ため息をついたエリカは、その理由を細かく説明し始めた。
「私はあなたのことが好きだったけど、どうしてもあなたの趣味――煙草だけが苦手だった。それでも私は我慢して交際を続けた。だってあなたのことが、好きだったから――」
「エリカ……」
「でもあなたは、法律が変わってからも煙草を吸い続けた」
そこで一旦言葉を止めると、エリカは次に檄を飛ばした。
「この男は、私よりも煙草を選んだのよ!!」
「それは違うぞエリカ! 俺はお前と別れるつもりなんかじゃ――」
「黙れっ!! 犯罪者と婚約なんかできるわけないだろーがっ! 馬鹿じゃないのっ!?」
「ぐっ……!」
エリカの正論に押され、紫村は言葉を失った。
自分の胸を掴んで苦しみ始めている。
「はあ……はあ……はあ……」
「私はあなたのせいで、よりいっそう煙草が嫌いになった。だから禁煙法には大賛成――おかげで次の仕事を決めるキッカケになったわ。どうもありがとう」
緩急つけずにエリカは言った。
二人が別れた原因は、言うまでもなく煙草であった。
彼女は、自分から恋人を奪った煙草への憎しみから、禁煙法発案者である清宗院家のメイドとして働くことを決意した――それが、資金の少ないエリカなりの支援の仕方であったのだ。
「あ、相変わらず直情的な性格だな……」
「あなたもね。法律に抗って総理を襲いに来るなんて、相変わらずの分からず屋……いや、バカね。バカの中のバカ! バカ者中の大バカ者よ!」
「ぐわああああっ!」
紫村は床に倒れ込んだ。
エリカの繰り出した精神攻撃を返せなくなり、あえなく撃沈したのである。
「シムラッ!! 大丈夫か!?」
見兼ねたマルヴォも腰を落とした。
「……なんなのこの話?」
一方でアイコは呆然と立ち続けた。
あんぐりと口を開けている。
「マ、マルヴォ……その銃を、貸してくれ……」
倒れた紫村が手を伸ばした。
「んん?」
「あ、あいつは、俺が倒す……二人は、後ろで待っていてくれ……」
「お、おう……わかった」
マルヴォは、紫村に銃を握らせた。
切羽の詰まったその声に思わず従う。
「だがお前、拳銃には頼らないんじゃなかったのか……?」
「……じ、事情が変わった……こんな強敵が出てくるなんて想定外だ」
言いながら紫村は立ち上がった。
ふらつき、胸を掴んで押さえている。
「こいつに小手先は通用しない……手を抜いたら、ここで計画は終わる……」
そして紫村は、エリカに銃を構えた。
「あなた、まさか私を撃つつもりなの?」
対するエリカは、凛とした顔で立ち続けた。
向けられた銃を恐れる様子はない。
「……俺は清宗院を討ち取りに来たんだ……邪魔者は全て薙ぎ払う……それがたとえ、恋人であってもな……」
「あなた、どこまで最低な男なの?」
「エリカ……本質を見誤るな……悪いのは、煙草じゃない。煙草を……喫煙者を一方的に排除した清宗院こそが悪なんだ……。どうしてわかってくれないんだ?」
「わかるわけないでしょ! 煙草なんて百害あって一利なし! 総理のお考えのほうが正しいわ! 目を覚ませバカ男!」
「……俺が馬鹿なのは、お前が一番よく知っているだろ?」
「う……」
エリカは言葉を詰まらせた。
紫村と過ごしたその日々が、頭を横切ったのである。
「目が覚めたからこそ、俺はここにいる。俺は、清宗院――社会と戦いに来たんだ」
紫村はじわりと距離を詰めた。
その銃口を、相手の口元へと向ける。
「…………」
エリカは立ったまま、ただじっとそれを見つめている。
微動だにしない。
「エリカ、お前がどういう人生を歩もうがお前の自由だ。だからお前も、俺に戦うチャンスをくれ……そこをどいて、部屋に戻って眠りに就くんだ。俺はお前を、撃ちたくはない……」
「……あなたのそういうところ、嫌いじゃないわ」
「エリカ……」
「煙草さえこの世になければ、私たちはうまくいっていたのかもね」
「……そうかもしれねぇな」
紫村は、引き金に指を掛けた。
「もうやり直すつもりはないの?」
悲しい瞳でエリカが言った。
「な、なんだと?」
紫村は指先を緩めた。
「どういうことだ?」
「今からでも煙草をやめると言うのなら、私が総理に頼み込んであげてもいいわ。……全てなかったことにするの」
「…………」
「それでもあなたは、煙草をやめないと言うの?」
エリカは訊いた。
「…………」
受けた紫村は、考え込んだ。
ここで銃を下ろせば、社会を変えることはできない。
しかしそうすれば、また彼女と歩んでいくことが、できるのかもしれない。
自分が目指した先ではないが、また違う結末へと向かって行けるのかもしれない。
(俺が守るべきは……己のプライド? それって、違うんじゃないか……?)
自分が望む結末とは何か。
自分が愛するものとは何か。
否。
自分とって大切な者とは、誰?
そして答えた。
「やめない」
エリカは言った。
「あなたのそういう一途なところ、好きよ」
「うわああああああああっーーーー!!」
紫村は目を瞑り、エリカの唇を撃った。
エリカの唇は、悲しいくらいに隙だらけ。
(なんて脆い、なんて儚い標的なんだ……)
辺りには粉が舞い散った。
撃たれたエリカは静かに仰け反り、中央のソファーへと倒れ込む。
(京平…………)
紫村がその目を開けたとき、エリカは目を閉じていた。
何か物言いたげな顔ではあるが、すやすやと寝息を立てている。
まるで、その耳へと聴こえるように。
(…………)
表情を整えた紫村は、そっと後ろを振り向いた。
「あんた、本当にそれでよかったの?」
社交辞令でアイコが訊いた。
「ああ。もういいんだ」
「恋人を撃ってまで自分を曲げないなんて……とんでもない頑固者を連れてきちまった……」
マルヴォは驚いている。
「だって、仕方ないだろう……」
紫村は言った。
「俺がここで心を折ったら、お前らを裏切ることになる。それだけはどうしても、できなかったんだ……」
「シムラ……」「…………」
紫村は二度も恋人を捨て、また煙草を選んだ。
否。今回に限っては、仲間を選んだのである。
「これで手下は消えた。残るは執事、お前だけだぜ」
そんな紫村であった。
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