第32話 修羅場(Dirty Adlut)

「やれやれ……」

 戦いを終えたマルヴォがようやく一息をついた。

 マルヴォは見事、一度も手を出すことなく敵を撒いたのだ。

(総理大臣を殺しに来た手前、まさか女の子に腹を殴られ続けることになろうとはな……)


「あんた、大丈夫なの?」

 アイコがいちおう心配した。

 マルヴォの白いポロシャツの下腹部には、じんわりと血が滲んでいる。


「ん? ああ。傷はまったく問題ない。所詮はまち針、所詮は子供だ」

 マルヴォは軽く腹をさすった。

 そして右を向き、重たい睨みを利かせる。

「それに、あまり強力な毒ではないようだ。所詮は表の人間だな」

 執事に対して言い放った。


「はてさて、何のことでしょうか」

 執事はとぼけて斜めを向いた。

 飽くまでも毒を盛っていない体裁を保つようだ。


「あんたねぇ……そんなふうに子供を利用して恥ずかしくないわけ?」

 冷ややかな目でアイコが訊いた。

 呆れながらも怒りを込めている。


「利用だなんてとんでもございません。彼女たちには早くから社会貢献を学ばせているだけでございます」


「社会貢献……?」

 その言葉は紫村の癇に障った。

「お前のやっていることは、未必の故意――子供に殺人を委託しているだけだ。よほど自分の手を汚したくないのかはしらねぇが、やってることが汚すぎるぜ」

 

「いいえ。汚くなどございません」

 執事が即座に否定した。

「汚いのは貴方たちのほうですよ。貴方、先ほど『自らは喫煙者である』と口走りましたね」

 間髪入れず、マルヴォへ指を向ける。


「ん? それがどうした?」


「煙草はれっきとした犯罪ですよ。なぜ貴方がたは平然と罪を犯せるのです?」

 自信ありげに執事は問いただした。


「煙草を愛しているからだ。他に理由はない」

 ためらうことなくマルヴォが返す。

「清宗院が作ったルールにオレたちは従うつもりはない。そんなことよりもお前、これ以上減らず口を叩いてオレたちの邪魔をするのならば本当に消すぞ?」

 マルヴォは拳銃を取り出し、脅しを掛けた。


 しかし逆効果。

 その台詞が逆鱗に触れたのか、執事は、両手を上げることなく猛反発を繰り返した。

「禁煙法は国民の総意です! 国会で定められたルールなのです! 従う他に選択肢はあり得ません! 貴方たちは反逆者、我が国の汚点なのです! 速やかに罪を認めてその銃で自害しなさいッ!」


「ふざけるな!」

 がっつりと距離を詰めるマルヴォ。

 滑らかに動く相手の口元に、なかなか狙いが定まらない。

(誰かあいつの喋りを止めてくれ!)

 一発でもタマを外せば、銃が本物でないことがばれてしまう。

(奴の思考は支離滅裂だ。奴の出方がわからない以上冒険はしたくない)


 執事もその雰囲気を察してか、足を引きながらに口を動かす。

「喫煙者は汚れを生み出す廃棄物――掃除機で吸い取ることのできない大きな大きな塵芥ちりあくた――土に埋めるべき存在ですよお! なぜあんなに煙臭いものを好んでいるのですか??? 大変理解に苦しみますねえ!」


「子供を利用するほうがよっぽど悪趣味だ!」

 弓を引くように紫村が言った。


「自分の行動に責任を負えないなんて大人の恥よ!」

 アイコも加勢する。


「喫煙者は人間ではありません! ハエの撃退など子供たちに任せておけばいいのです!」


 休みなく暴言を繰り返す執事。

 その絶え間なく動く標的に、マルヴォはついに痺れを切らした。


喫煙者スモーカーは人間だ!!!! オレたちは損なうことを恐れない!! オレたちは常にリスクを冒している!! それが生きるということだ!!!!」

 暴論を振りかざすマルヴォ。

 堪忍袋の緒が切れたのか、その勢いは止まらなかった。

「だがお前はなんだ!? お前は、あらゆるリスク――汚れることを恐れている! だから権力者に従事しているんだろうなあこの小心者チキン野郎めがあああああっーーーー! もっと大きく口を開けえっーーーーーーーーー!!!!」

 そして、勢い余って本音を暴露した。


「――――」

 言われた執事は口を閉じた。

 話す価値すら見限ったのか、これではタマを打ち込めない。


「お、お前の趣味は何だ? 総理大臣の犬か?」

 苦し紛れにマルヴォが続けた。内容はこの際なんでもいい。


「わたくしの趣味……?」

 執事は口を開いて考え込んだ。


(よし!)


(今だマルヴォ! 撃て!)


 しかしその口元は、突然思い出したかのように笑みを溢した。

「わたくしの趣味、見たいですか?」


「ああん!?」


 マルヴォは引きかけた指を止めた。

 そのわずかな隙を突き、執事は声を投げ上げる。


「エリカッ! 入りなさいッ!」



(……エリカ?)

 その名前を聞いた紫村も、ひやりと表情を変えた。



「わたくしの趣味は、修羅場でございます」


 執事はそう告げると、後ろのほうへ下がっていった。

 その手前――右前方のドアからは、赤いメイド服を着た三人目さいごの手下が現れた。



「京平……」


 現れたのは、桜田エリカ(27)。

 紫村の別れた恋人だった。

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