第五章 潔癖の牙城

第30話 邸宅の執事(Clean House Butler)

 息を切らせた三人は、明かりの点いた建物の前に辿り着いていた。

 その入口となる扉の前で、もはや隠れることなく息を整えている。


「ここが奴の根城か……」

「物凄い家だな」

「正直ちょっと羨ましいわ」


 三人の目の前に佇ずむのは、気品漂う三階建ての邸宅だった。

 西洋風のお洒落な外観は、真夜中にもかかわらずキラキラと輝いて見える。大きさは一般住宅の四倍くらいはあるだろうか。各階の両側には対照的に窓が並んでおり、上階は暗いままだが一階からは明かりが窺える。

 景観を重視しているのか、相変わらず監視カメラの類は見当たらない。ライオンの取っ手が付いた大きな扉が、来るもの拒まずと言わんばかりにどっしりと構えている。


「どうぞ、中へとお入りください」


「!?」


 その扉は、紫村たちが手を掛けるまでもなく、内側の住人によって開かれた。

 現れたのは、黒いタキシード姿の男。中の暖かい光を背にしてにこやかに立っている。


「いらっしゃいませ三名様。わたくし、当邸の執事を務めさせて頂いております『桐山きりやま 敬潤けいじゅん』29歳と申します。以後お見知りおきを」


 年齢までをも告げた男が頭を下げた。

 やや年増ではあるが、その風貌はまさに‶執事〟――検索結果のトップに躍り出てきそうなイケメンフェイスに、スラリとした背格好、清潔感のある髪型・服装・笑顔・態度――すべてがパーフェクトなまでに輝いている。


「…………」

「…………」

「…………」

 馬鹿丁寧な敵の対応に、三人は立ち尽くした。

 自分たちは侵入者だ。歓迎される理由はない。


 三人が唖然としていると、間を埋めるように男が再び喋り出す。

「深夜の騒音は近隣の国民の方々にご迷惑が掛かりますので、どうか中へとお入りください。お話は中で承ります。中には暖かいお紅茶もご用意しておりますので、どうぞ中へ」

 そう言ってまた頭を下げた。


(……どうするシムラ? この男、明らかに怪しいぞ)

 左に視線を向けるマルヴォ。


(ああ……しかし、侵入する手間が省けているのは事実だ)

 右に視線を向ける紫村。


(向こうから中に入れてくれるって言うんだから、乗らない手はないわ。ここは思い切ってお言葉に甘えましょう)

 右に視線を向けるアイコ。


(……そうだな。だが、いつ何を仕掛けてくるかはわからない。絶対に気を抜くなよ)

 左に視線を向ける紫村。


(了解)

 前を向く三人。

 目だけで会話を終えた三人は、覚悟を決めて足を進めた。

「では、お言葉に甘えて」

 

 小さな階段を上がり、扉の前へと移動する。


「ご理解ありがとうございます」

 執事は手を添えて頭を下げている。

 ちらりと中を覗いてみると、室内に玄関の敷居が見当たらない。

「お手数ですが、お足元のシートで泥を落としてくださいますよう、お願い申し上げます」

 なんと、土足で中へと上がれるようだ。

 日本を代表する総理大臣の私邸でありながらもヨーロッパスタイルを採用している辺り、いかに性格が歪んでいるかが玄関の時点でよくわかる。

 言いたいことを飲み込みながら、三人は言われるがままにブラシのようなマットで靴の土汚れをごしごしと落とした。

「はい、オッケーです。どうぞお入りくださいませ」


「……お邪魔します」


 執事がバタンとドアを閉める。三人はついに標的の牙城へと足を踏み入れた。

 室内は案の定、豪華な内装――高級家具のオンパレードだ。天井にはシャンデリア、奥には螺旋階段、両サイドにはいくつかのドアーが見える。

 部屋の中央には大きなソファーと綺麗なテーブル。アイコが仕入れた情報に間違いはなく、一階は応接間のようだった。


「どうぞお好きな席へお座りください。今、お紅茶をお持ちいたします」

 手を添えて執事が促した。


「いや、結構だ。それよりも総理の部屋に通して貰いたい」

 丁重に断りを入れるマルヴォ。


 しかし執事は引き下がらない。

「まあまあそう言わずに。当邸の紅茶は本場イギリスから原料を仕入れた最高級品でございます。ご挨拶として、ぜひご賞味いただきたいのです」


 執事はそう言うと、パチンと指を鳴らした。


一葉かずはッ! おもてなしの時間だッ! お紅茶を用意せよッ!」



「はあ~い」

 すると左のドアーから、可愛いメイドが現れた。

 なんと子供だ。

 小学校低学年くらいだろうか、白い制服を着た背の小さな女の子。

 お盆に三つのティーカップを乗せている。


(子供だと……?)

(こんな深夜に……?)

 紫村とマルヴォが視線を尖らせる。


(あら、可愛らしいメイドさん)

 アイコは左に身体を向けた。子供は好きだ。

 小さなメイドがぎこちない足取りで、せっせとこちらに向かってきている。


「お待たせしましたあ~」

 アイコの手前でメイドが止まる。

 小さなメイドがお盆を差し出した。

 顔を伏せ、飲んでくださいと言わんばかりの仕草である。


「ありがとう!」

 カップに手を伸ばすアイコ。

 ちょうどノドが渇いていたのよね~。



(やめろアイコ! それに触るな!)

 隣にいた紫村が、とっさにアイコの尻を触った。


(ちょっと! 何してんの?)

 アイコは機敏に動きを止めた。

 今のってセクハラじゃないの?

 

(気を抜くなって言っただろ! 出されたモノは口にするな!)

 鋭い目付きで訴える紫村。

 その真剣さは、尻を触る以外に術がなかったことを主張していた。


(ええ……でも……)

 戸惑うアイコ。忍び寄っている危険がいまいちわからない。

 小さなメイドの健気な仕草に心を奪われてしまっている。


「お紅茶、飲んでください!」

 メイドが元気よく顔を見上げた。

 瞳をうるわせ、アイコに訴えかけている。


 しかしアイコは、仲間を信じた。


「ごめんなさい。今私たち、喉が渇いていないの」

 アイコは泣く泣く嘘を付いた。

 不本意だが、しかたない。

(くっ……つらい……)



「…………」

 断られてしまった。

 やり場に困ったメイドは、ぱっと執事の顔を見た。


 受けた執事は、三人に向かって強くお願い申し上げます。

「どうかお紅茶をお飲みください。そのお紅茶は、我々からのご挨拶――言わば通過儀礼でございます。お飲みいただけないのならば、総理へお通しすることは叶いません。どうか、どうか一口だけでもお召しくださいませ」


 深々と頭を下げる執事。

 対する紫村は、痺れを切らして大胆にも指摘した。


「毒入りだな。露骨すぎるぜ」


「…………」


「そうやって俺たちを処理するためにここに招き入れたのか?」


 紫村は思い切り、核心を突いた。



「どうやら聡明なお方のようですね」

 対する執事は、黒い表情を上げた。

「困るんですよね、外で騒ぎを起こされては。深夜の騒音は近隣の国民の方々に不信感を与えてしまいます。従って室内で穏便に処理をしようと試みましたが、やはり曲者のようですね」


「穏便……? さっきはハサミで襲われたし、猟銃ライフルを持った女も来たぞ。お前らのやっていることはチグハグだな」


「庭師の華吹と秘書のルチアですね……彼らは優秀ですが、何でも先走る癖がございます。通常業務の場合は迅速で結構なのですが、こういった非常時においては正直使い物になりません。貴方たちが無事にここへたどり着いて来られたところを見ると、どうやら彼らを処理していただけたようですね。逆に感謝せねばなりません」


「ずいぶんと仲のわるい家だな……」


「多少の価値観の違いはあれど、我々は皆総理を崇拝しております。当邸においてはそのことだけが重要なのですよ」


「もろい集団ファミリーだな。総理陣営のくせに協調性の欠片もない」

 マルヴォも口を開いた。

「お前のご主人はただの独裁者だ。この国を指揮する器じゃない」

 そしてポケットから拳銃を取り出し、事を急いだ。

「そこを通してもらおうか」


「やはり総理の御命が目的ですか……。止むを得ませんね、出来るだけお静かに願いたいところです」

 執事はあっさり両手を上げた。向けられた銃に対してスマートな対応だ。

「一葉は部屋に戻りなさい。そして、二葉ふたばを呼んでくるのです。そのあと電気を消してベッドで寝なさい。わかりましたね?」


「はあ~い」

 小さなメイドは、てくてくと部屋へ戻っていった。

 お仕事終了。お疲れさまでした。



「まだ手下メイドがいるのか? 深夜に子供を働かせるなんて法律違反だぞ」

 拳銃を向けながらマルヴォが言った。


「侵入者に言われる筋合いはございません。それに、彼女たちにとっては遊びごっこです。法律上は何の問題もございません。彼女たちはわたくしの言い付けをいつも楽しんでおります」


「お前が洗脳しているだけだろうが! ふざけんじゃねぇ!」

 紫村が怒鳴り散らした。

「アイコも何か言ってやれ!」


 受けたアイコも、執事を睨みつけた。

「……あんな小さい子に、毒入りの紅茶を運ばせるなんて許せない……」

 ようやく状況を理解し、握った拳を震わせている。

「あなた……自分の手を汚さずに、あたしたちを殺そうとしたわけね……」


 執事は白状した。

「子供は泥遊びが大好きですからね。わたくしはその手を洗うのみ……スマートでしょう?」


「てめぇッ!!!!」

「ふざけないでッ!!!!」


 二人が怒号をあげた瞬間、左のドアから二人目のメイドが顔を出した。


 執事が笑顔で呼びかける。

二葉ふたばッ! この三人と遊んで差し上げろッ!」

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