第29話 幕間(Smoking Time)

 三人が戦いを終えると、遥か前方に見える建物に、パッと明かりが灯された。

 深夜の叫びや派手な銃声――流石にその存在に気付いたのか。

 敵の襲撃こそ何とか凌げたが、事態は悪化の一途を辿っているようだ。


「やはりばれたか……」

 抱えた男を地面に寝かせ、建物の明かりを見据える紫村。

 散々騒いでしまったんだ、当然の結果だろう。


「どうする……? 逃げる?」

 アイコが提案した。

 犬小屋には気絶した女、池の前には男の遺体――もはや言い逃れは不可能だ。


 しかしマルヴォが否定する。

「秘書がここへ来たことも踏まえると、敵側はおそらくこちらに気付いている。例え逃げ切れたとしても捕まるのは時間の問題だろうな」


「ああ、俺たちには後がない。進むだけだ」

 紫村も前を向いた。今更引くつもりはない。


「しかし焦りは禁物だ。ここは一旦身を潜めて相手の出方を窺ったほうがいい」

 冷静に口を紡ぐマルヴォ。


「たしかにそうだな……」

 紫村は男の遺体を犬小屋に隠し、後ずさんだ。

 中には女と犬たちが深々と眠っている。窮屈そうだが、今はこうするしかない。


「よし、あそこの茂みに隠れるぞ」

 木々のあいだへマルヴォが急いだ。


 その背中に紫村も続く。

「ほら、アイコも早くこっちへ来い」

 


「ええ……」


 アイコは返事をしたが、そのまま立ち止まっている。


「……うっ?」



「どうした? 今の戦いで傷を負ったのか?」

 紫村も合わせて立ち止まった。


 アイコは首を横に振ったが、明らかに様子がおかしい。

「はっ……はっ……はっ……はっ……」

 胸を押さえて迫真の表情をしている。



「まさか、ニコチンが切れたのか!?」



 紫村の問いかけは図星だった。

 喫煙者であるがゆえに、逃れられぬ運命。

 ニコチンの困窮――アイコに死神が訪れたのだ。


「ああああ……助けて……助けて……」


 アイコはいきなり膝を付いた。

 瞳から光を失い、両手で髪を掻きむしっている。



「くそっ! もうそんな時間かよ!」

 腫れ物に触るように目を伏せる紫村。

 時刻は1時を回っていた。最後に煙草を吸ってから、既に一時間以上が経過している。

 幸い自分はまだ無事だが、数分後にはわからない。


「グオオオオオオオッ!?」


 先の茂みからマルヴォの悲鳴が聞こえた。



「どうしたマルヴォ!?」



 紫村が駆け付けると、マルヴォは、胸を押さえて倒れ込んでいた。


「シムラ……オレも、もう無理だ……お迎えが来た……」


 アイコと同様の症状だった。


「オレにかまわず……先に行け……日本の未来は、お前に任せる……」


 マルヴォは目を閉じた。



「くそっ! 止むを得ないっ!」

 紫村は目を瞑り、右ポケットに手を突っ込んだ。


「みんな集まれ! ここで一旦、喫煙タイムだ!」


 煙草を掲げる紫村。

 それは苦渋の決断だった。

 当然のことながら、ここで煙草を吸うことには何のメリットもない。

 臭いを発し、煙を巻き上げ、時間すらも消費する。

 敵に存在を感づかれているこの状況では、まさにあり得ないほどの愚行。

 しかしここで喫煙を怠れば、二人の仲間を失うことになる。

 それは今の紫村にとって、もはや‶苦行〟。


(これ以上、誰かが死ぬのは見たくない――)


 ここでの喫煙は、生き伸びるための通過儀礼――

 そう判断しての、提案であった。

 



‶煙草を吸わねば、前に進めぬ、ならば吸うのみ――栄光の勝利の為に〟

               

『紫村京平 格言集』第一頁より抜粋。




「あう……ああう……」

 ゾンビのように這い寄るアイコ。

 紫村の指示に従い、何とか茂みに身を隠した。

 そして――

「はっ、はっ、はっ、はっ、はっ」

 餌を求める仔犬の如く、煙草を口にセットする。


「グオ……グオオッ……! アッ! っがッ! があ……ぐっ! ああ……あっ! ぐっ! オオッ……アアッ!! グオアアアアアアッーーーー!!!!」

 最後の力を振り絞り、ポケットから煙草を取り出すマルヴォ。

‶吸ってはいけない、しかし吸いたい〟

 相反する二つの感情に苦しめられている。その姿はまるで野獣だった。

 欲求への抵抗。

 自己との対話。

 逸脱への躊躇。

 自制心の解放。

 それらの過程を経て、結局は口に咥えた。


「いいか? 一口……いや、二口だけだぞ? それ以上は危険だ! いいな? わかったな?」

 自身も煙草を咥え、自分にも言い聞かせるように念を押す紫村。

「やっぱ‶三〟で!」

 ライターの火を灯し、それぞれの口元へと近付ける。

 

「あうう……」

「グオオ……」


 三人は煙草を吸った。


 あろうことか、敵地での喫煙。

 自殺行為? 

 自傷行為? 

 自爆行為? ――否。

 それは彼らにとって、勝利への架け橋となり得る――――








 Now Smoking......

(※しばらくお待ちください)








 やがて何事もなく灰は落ちた。

 速やかに煙草をふかした三人は、惜しみながらも携帯灰皿へそれを押し込んだ。

 人を憎んで、罪を憎まず――でもポイ捨てはしない――それが喫煙者スモーカー流儀マナーだ。


「どうだアイコ? 落ち着いたか……?」



「ええ。バッチリよ」

 アイコは復活した。

 瞳を煌めかせ、消臭剤を優雅に振り撒く。

「先を急ぎましょう。時間がもったいないわ」

 そして黒髪を払い、素敵な笑顔を見せた。

 元気百倍、勇気凛々、もう誰もあたしを止められない――。


「こうなったら正面突破だ」

 我に返ったマルヴォが言った。

「敵に存在を感づかれたうえに喫煙まで犯した。もはや‶暗殺〟は不可能だ。作戦を変更する。‶立ち塞がる奴は全て薙ぎ払い、真正面から清宗院を討ち取る〟。それで異論はないな?」


「ああ、賛成だ。この際派手にやらかそう」

 ライターをしまう紫村。

 不敵な笑みを浮かべ――社会に歯向かう虎の目だ。

「さっさと行こうぜ。また煙草を吸いたくなる前にな」


「おう!」

「ええ!」

 

 三人は茂みを抜け、北側に走り出した。

 向かう先は、敵の本丸――‶清宗院邸・住居エリア〟――。




《Go to the 5th》

(第五章へつづく)

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