第27話 火の無いところに煙は(Gun Shot)

「……おれは、喫煙者だった父親のせいで人生をめちゃくちゃにされたんだ」

 落ち着きを取り戻した華吹は、仰向けのままゆっくりと語り始めた。

 真っ暗な空を見つめ、思い出すように自分の頬を撫でている。


「あいつの煙草が原因で、おれの家と母親は灰になった。もちろんあいつ自身もな。本当に馬鹿な親父オヤジだったよ」

 どこか笑いながら華吹は言った。

 あまりにも壮絶なその過去に、三人はただじっと耳を傾ける。


「おれの頭の中にはあのときの惨劇きおくがまだ残ってやがる。だから、煙草を見ると苦しくなっちまうんだ……」

 言いながら華吹は目を閉じた。

喫煙者スモーカーが憎い……喫煙者スモーカーなんてこの世から消えればいい……もう煙草なんて見たくない……煙草なんてこの世から消えて無くなればいい……ずっとそう思っていた」

 そして目を開いた。

「その矢先に『禁煙法』が発表された。清宗院和正――おれにとっての神が現れたんだ。奇跡だと思った。啓示だと思った。テレビでそれを目にしたおれは、すぐにこの屋敷を訪れて使用人の面接を受けた。おれは清宗院ダンナに一生を捧げることを決めたのさ」


「よく採用されたわね……」

 真顔で相槌を打つアイコ。


「たしかにおれは柄が悪いが、煙草は大嫌いだ。それに清宗院ダンナを崇拝しているし、庭師としての技術も高い。そのことを面接でアピールしたら簡単に受かった」


(煙草に対する圧倒的な嫌悪と、総理に対する狂信的な忠誠心――使用人の採用基準はそれだったのね……)


「まさか、清宗院はお前の殺人を許容しているのか?」

 アイコの隣で紫村が訊いた。


「……殺人? 清宗院ダンナは、喫煙者を人間として見なしていない。おれはただの清掃人――庭の掃除をしているだけさ」

 そう答えると、華吹は醜く笑い始めた。

「つまりおれは殺人なんかしちゃいねぇんだ。いずれ法的にも整備されるだろうぜ…………クハハハハハ!」


Oh My Goodnessなんてこったい......」

 マルヴォは首を振った。喫煙者の人権が本格的になくなり始めている。

「いよいよなりふり構わずだな。奴はこの国から徹底的に喫煙者を排除しようとしているらしい。このままだとまずいぞシムラ」


「ああ、俺たちの目的は間違っていないみたいだな。それがわかっただけでもスッキリしたよ」

 紫村は屋敷の奥を見た。視線の先には大きな建物が闇を纏っている。

 その顔付きはもはや暗殺者ではなく、巨悪に立ち向かう英雄のそれだった。


 その表情を塗りつぶすかの如く、足元の男がわめき始めた。

「喫煙者は悪だ! 喫煙者は滅べばいい! てめぇらは周りに悪影響を与える害虫なんだよ! さっさと燃え死んで灰になりやがれ! おれの馬鹿な親父みてぇにな!」


 そんなことを喚かれ、たまらなくなったアイコが、反逆の狼煙を上げた。


「一緒にしないでちょうだい! あたしたちはちゃんとマナーを守るわ」


 華吹は激昂した。

「てめぇらだけがマナーを守ってもしょうがねぇだろうがあ!! 全ての人間がマナーを守らねぇと何の意味もねぇんだよ!!」

 唾を撒き散らして反論を続ける。

「だからダンナは禁煙社会を創ったんだ!! 災厄の原因であるてめぇら喫煙者スモーカーと、煙草そのものを排除するためにな!!」

 そして立ち上がり、勢い余って言い放つ。

「火の無いところに煙は立たねぇんだよ!!」



 華吹の激しい誤用クレームに対し、アイコは力強い屁理屈いいわけを返した。


「そんなことないわ! 電子煙草なら大丈夫よ!」



「は……? 電子煙草……?」


「そう、電子煙草。火を使わずに吸える煙草よ。知らないの?」


「火を使わずに煙草が吸えるだと? デタラメ言ってんじゃねぇ!」


「いいえ、デタラメなんかじゃないわ。これが現物よ」

 アイコはそう言うと、ポケットから携帯電話サイズのケースを取り出した。

 数年前に購入した電子煙草‶ニコラス〟――ニコチン入りの専用カートリッジを電動でいぶして使い、火を使わずに煙草を吸うことができる電子機器。

 何を隠そう、アイコは、紙巻き煙草と電子煙草の兼用喫煙者スイッチスモーカーであったのだ。

 

「お前、二刀流だったのか?」

 希少な電子煙草の登場に、隣の紫村も驚いた。


「ええ。でも充電が切れてるし、専用のカートリッジも切らしてるから今は使いものにならないわ。外だと何かと不便なのよね」


「じゃあなんで持ってきたんだよ……」


習慣クセでなんとなくね」

 アイコはそう言うと、電子煙草を華吹に差し出した。

「もう持ってても邪魔なだけだし、これ、あなたにあげるわ」


「え……?」

 物珍しいのか、華吹は思わずそれを手に取った。

「火を使わずに……? 火を使わずに、煙草が吸える……? いつの間にかこんなモンが発明されていたのか……?」

 革新的な事実に唖然としている。


「禁煙法が発案される前までは、煙草業界も日々進化を続けていたんだ」

 その隙を突くように、マルヴォが補足を付けた。

「わるいものなりにも少しでも改善しようと努力が為されていた。しかし、お前のご主人……清宗院和正は、その芽を摘んだんだ……」


「悪しきものは徹底的に排除する――そのやり方って、本当に正しいのかしら?」

 かぶせてアイコが言いのけた。


「ああん? 何が言いてぇんだよ!」


 咎め続ける華吹に対し、アイコはついに本腰を入れた。

「善悪を判断するのはひとつの価値観よ。ひとつの価値観が悪を消していけば、そこに残るのはたったひとつの価値観だけ……それって悲しいことだと思わない?」


「けっ、草木の命を刈り取ってきたおれにはわからねぇ感情だな!」

 華吹も負けじと哲学的に返した。

「煙草は害、てめぇらは害虫――駆除の対象だ! それ以外の事実はいらねぇ!」

 

 華吹がそう叫んだ瞬間、周りで寝ていた犬たちが、まるでそれを否定するかの如く寝返りを打ち始めた。


『くうううん』




(ポチ……?)




 その機に乗じてアイコが言った。

「じゃあ例えば、その仔たちが過ちを犯したらどうする? 病原菌に感染したらどうする? みんなまとめて殺しちゃう?」

 

「いや、治そうとする」

 反射的に華吹は答えた。

 愛する仲間を例えに出され、とっさに本音が漏れてしまった。


「つまりそういうことなのよ!」

 全部ひっくるめてアイコは畳み掛けた。

「あたしたち喫煙者にもやり直す機会を恵んでちょうだい! 煙草が復活しても、周りに迷惑が及ばないように努めるし、全力で呼び掛けるわ!」

 


「…………」


 華吹は言葉を失い、考え込んだ。

 相手の言い分はよくわからなかったが、ただひとつ感じ取れたことがある。


(過ちから学習し、正しくあろうとする姿勢……)


 早くから両親を失った華吹にとって、それは初めての感覚であった。

 無意識のうちに、幼い頃から飢えていた感覚――‶おしえ〟。

 嵐のようなアイコの態度に、自分の親を重ねてしまう。


(とうちゃん、かあちゃん……)


 華吹の中で何かが変わり始めようとしていた、その刹那だった。






 ガーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン。






 銃声が鳴った。

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