第12話 はじめての脅迫(Hold Up)
パーティー会場から廊下へ出たマルヴォは、足音を殺しながら脇にある男子トイレへと忍び込んだ。
高級ホテルの上層階だけあって、トイレの中は綺麗で広い。折りたたまれた通路を抜けると、案の定、奴はいた。
「いや~シャンパン飲みすぎたな~」
舞網だ。
他に人は見当たらない。個室にも誰かが入っている気配はない。
舞網は用を足しながら独り言を漏らしている。かなり酔っぱらっているようだ。
壁と向き合っているためこちらには気付いていない。ただ単に放尿している。
マルヴォはその無防備な背中を目掛け、素早く足を近付けた。
「
マルヴォ、脅迫する。
舞網のこめかみに
あえて英語で脅すことにより、相手への恐怖感をより一層高めている。
「はっ!?」
動揺する舞網。小便をこぼしてしまった。
両手を尿で濡らし、更なるパニック状態へ陥る。
「有賀モネの部屋番号を教えろ」
渋い声で畳み掛けるマルヴォ。銃口を強く押し付ける。
対する舞網は、恐る恐る言葉を返した。
「なっ……何だお前は……?」
「お前が知る必要はない。早く有賀の部屋番号を吐け。言わなけば殺す。知らなくても殺す。言えば、命だけは勘弁してやる」
海外ドラマで学んだ台詞を引用するマルヴォ。
脅迫なんて初めての経験だ。脅していながら自らも若干緊張している。
「くっ……
無論、舞網はそれ以上に震えていた。
相手の顔は見えないが、聴こえてきた発音は本場海外のものだ。逆らえば本当に死ぬだろう。
「早くしろ。知らないなら知らないと言え。とにかく早くしろ」
執拗に急かすマルヴォ。
誰かが入って来る前にさっさとコトを済ませたい。
(くそっ……。幸か不幸か……私は、彼女の部屋番号を知ってしまっている……)
舞網は、有賀モネの部屋番号を知っていた。
しかしそれは、本人から直接聞いたものではない。パーティーの終了後、密かに彼女の後を付けて勝手に手に入れた情報であった。
(モネ……)
三年前まで、有賀と舞網は恋人関係にあった。
大学時代に出会い、同じ政治家の道を進んだ二人の交際は順調だった。そんな仲睦まじい二人の破局の原因となったのは、その当時に議題に上がった『禁煙法』に関する意見の食い違いである。
当時愛煙家であった有賀モネは、この法案に猛反発を示した。対する舞網も元々は喫煙者であったが、総理大臣となった清宗院和正が『たばこゼロ社会』を掲げ始めたと同時にすぐさま禁煙に取り組み成功している。反対派であった有賀の主張にも難色を示してすぐに交際を断ち切った。結果として舞網の政治的地位は上がっていき、現在も総理派の議員として比較的高い位を保っている。
切り替え上手で、世渡り上手。
舞網光太郎は‶出世〟を選び、女と煙草を捨てたのだ。
「おい、早く答えろ!」
にもかかわらず今日、舞網が未練がましく彼女の後を付けたのは、同窓会の席で見掛けた彼女に、どこか得体の知れない違和感を覚えてしまったからだ。『禁煙法』が施行されてからの彼女は何かが違っている。真っ直ぐな以前の彼女からは見られなかった不気味で不思議な魅力がある。彼女の中で一体どんな変化があったのだろうか――いま改めて、もう一度彼女と話をしてみたいと思った。終わった恋を、再び始めたいとも思っていた。
「おい、早くしろ!! 死にたいのか!?」
その矢先にこれだ。
会場でシャンパンを飲み直し、いざ彼女の部屋へ行こうと思った矢先にこれだ。
この
否、簡単ではない。
舞網光太郎が生まれた家庭は、あまり裕福ではなかった。幼き頃から貧困を覚え、世の中に対する不平等をいつも感じてきた。早くから政治家を志したのは、そんな社会を少しでも変えたいと思ったからだ。そんな内なるコンプレックスを糧に幼少期から勉学に励んだ舞網は、見事一流大学の政治学部に進学。その後ストレートに政治家を志して出馬するも、何度も何度も落選を経験し、さんざん煮え湯を飲んできた。しかしこの春、長年積み重ねてきた努力が功を奏してか、晴れて国会議員に当選。コツコツと築き上げてきたコネクションによって総理大臣の派閥にも加えられ、世の中を変えていくためのスタートラインにようやく立てた。
そんな積み重ね続けてきた人生を、『政治家のプライド』や『別れた恋人の為』などという曖昧な名目で簡単に棒に振ることなんて、そう、出来るはずがない!
「……『2122号室』だ。‶ニイヅマ〟って覚えてくれ」
舞網は、真実を述べた。
嘘偽りなく答えることが、生存への近道であると知っているからだ。
言われた通りに自分を曲げれば、行き止まりには当たらない。
舞網光太郎は、生きることを選んだ。
「
ついにマルヴォは部屋番号を入手した。
目的地は21階の最北端、壁際の一室だ。
「いきなり脅してわるかったな……」
やがてマルヴォは、拳銃を下ろした。
対する舞網も、ほっと胸を撫で下ろす。
しかし……
「だけど引き金は引かせてくれ。オレは心配性なんだ」
マルヴォは下ろしたはずの銃口を、舞網の口に突っ込んだ。
「!?」
そして、躊躇いなく引き金を引いた。
けれど中身は、
「
粉末だ。
撃ち出されたのは粉だった。
地下道にいる生物を配合して作った、
「――――」
粉末を撃ち込まれた舞網は、瞬間的に気絶した。
味の不味さに衝撃を受け、意識を失い力が抜ける。
命に別状はないだろうが、いつ目覚めるかはわからない。
「
ばつが悪そうに呟くマルヴォ。
その後、気絶した舞網を抱きかかえ、トイレの個室の便器に座らせ、中から鍵を掛けたあと、壁を上って外に出た。
「
こうしてマルヴォはトイレを去った。
エレベーターで2階に戻る。仲間の元へ、土産を持って。
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