第6話 緻密な計画(Nervous Plan)

「よし、具体的な話に移ろう」


 ピザを食べ終えたマルヴォは、また煙草を吸い始めた。

 食後の一服は格別だというが、常に煙草を吸い続ける男にとってはいつもと変わらぬ味わいだ。


「今一度確認するぞ。日時は今夜。場所は、新宿の高級ホテル『シカゴ』だ。パーティーが終了する午後八時以降に潜入し、『有賀モネ』の部屋を訪問して直接説得を試みる」


「ホテルの規模は?」

 箱から一本抜きながら紫村が訊く。


「24階建て。レストラン以外はほとんどのフロアが客室で埋まっているわ」

 スマホを見ながらアイコが答える。


「かなりでかいな。警備は甘いのか?」

 煙草を咥える紫村。


「ホテルは一般に開放されている。客を装えば中へ入るのは容易いだろう」

 煙を吐いたマルヴォが続ける。

「ただ、俺たちは言わずもがな喫煙者――身分がバレたら即終了ゲームオーバーだ。まずは、俺たちに染み付いたこの‶におい〟を何とかしなければならない」


 三人の身体や衣服には、言うまでもなく煙草の‶におい〟がこびり付いていた。

 喫煙者の存在が消えた現代社会では、人々は煙草の臭いに敏感だ。少しでも違和感を覚えたら即座に通報――そんな風潮が根付いている。

 つまり、臭いの問題を解決しない限り、街に出た段階で計画は困難を極める。そもそもホテルに辿り着くことすら出来ないだろう。


「そこでこいつの出番だ」


 にやけたマルヴォが、胸ポケットから三本の小さなスプレーを取り出した。

 手のひらサイズのコンパクトなそれが、テーブルの上に淡々と置かれる。


「こいつは……?」


 紫村がそう尋ねると、マルヴォは自慢げにこう答えた。



「除菌成分配合の超強力消臭剤‶ファフニール〟だ。こいつを身体に吹き付ければ、オレたちが喫煙者であることはまずばれやしねぇ」



「――これ、きのう発売されたばかりの新製品じゃん。こんな貴重なもの、よく手に入れられたわね」

 手に取ったアイコが感心している。


「ああ。地上のドラッグストアに朝一から並んで買ってきた。この夏話題の新商品だけあって店員の警備がかなり厳しく、盗人ハンターのオレですらもレジに並ばざるを得なかったほどの代物しろものだ。一本938円もしたが、それに見合うだけの性能は確実にある」


 少ない貯金を切り崩して消臭剤を購入していたマルヴォ。

 この計画にかける気持ちは本物のようだ。


「一人一本ずつ持っていってくれ。ワンプッシュで匂いの原因を長時間・広範囲カバーすることができる強力な防具だ。しかも、持ち運びに便利なコンパクトサイズだから邪魔になることもないだろう」



「お前の覚悟……確かに受け取ったぜ」

‶ファフニール〟を手に取り、右ポケットに忍ばせる紫村。


「お手柄ね。これで香水を持っていく手間が省けたわ」

 ネックレスに通して胸元にぶら下げるアイコ。

 


「よし。これで匂いの問題は解決したな」

 満足そうに頷くマルヴォ。

「さて、次はどうやって有賀の部屋に入るかだが……」


「部屋番号は割れているのか?」

 ようやく火を点けた紫村が訊いた。


「わからないわ。現地調達よ」

 アイコが答える。

「どうせ国会議員おえらいさんだから、上階うえのほうだとは思うけどね」


「部屋の位置に関しては、オレがうまいことやって炙り出すから心配するな」

 マルヴォが威勢よく口にする。

「外国人が日本人に場所を尋ねるのはごく自然的な光景だ。ちょっと尖った質問をしても怪しまれることはないだろう。現地での情報収集はオレに任せてくれ」

 アメリカ生まれである自分の見た目を最大限に活用する算段のようだ。


「問題は、‶どうやって部屋に入るか〟だ」

 険しい顔で話を続けるマルヴォ。

「十中八九、部屋にはオートロックが掛かっている。ルームサービスなどを装って無理やり侵入することも考えたが、今回の目的は飽くまでも‶話し合い〟だ。相手の信用を損なうような手段は出来るだけ控えたい」


「事前に約束アポを取り付けることはできないのか?」

 咥え煙草で紫村が訊く。


「きのう事務所に電話してみたけど無理だったわ。秘書のガードが固くて顔見知りじゃないと通してもらえそうになかった」

 アイコがスマホをいじりながら返した。

「仮に彼女の電話番号を手に入れられたとしても、まず出ることはないだろうし、切られたら終わりよ」


「そう。直接押し掛けて話を付けるほうが確実だ」

 マルヴォが調子を合わせる。

「だから、秘書が不在になる今夜こそが狙い目なんだ。今夜開催されるパーティーは、有賀が卒業した大学の同窓会――つまり、奴の完全なプライベートだ。単独で宿泊している可能性が高く、限りなくガードが薄いと考えられる」


「じゃあ、そもそもパーティーに紛れ込むとか、有賀が部屋に入る前に話しかければいいんじゃないのか?」


「いや、会場や廊下での接触は危険だ。周りに人がたくさんいるだろうし、断られたら引き下がるしかない。内容的にも話かけるのは中じゃないと駄目だ。逃げ場のない密室が一番好ましい」


「じゃあどうする?」


「部屋をノックして入れてもらう他ないだろうな……。あまりに単純だが、これが一番ローリスクだ」


「開けてもらえなかった場合はどうする?」

 執拗に質問をぶつける紫村。

 するとマルヴォは面倒になったのか、やけくそになって冗談を飛ばした。


「ハッ! そんときゃもう、扉をぶっ壊すしかねぇだろうな」



「フフッ。扉を壊す……か。なるほど、そいつは名案だな」


 対する紫村は皮肉を漏らし、おもむろに笑みを浮かべ始めた。

 煙草を触らず、左ポケットに手を入れてまさぐっている。



「シムラ、何だその意味深な笑いは? 何か秘策でもあるのか?」


「いや、なんでもねぇよ」

 ポケットから手を戻し、口元の煙草を持ち直す紫村。



「…………」


 紫村の不気味な態度に、マルヴォは一瞬あっけにとられた。

(何だ、こいつ……何を隠してやがる?)



が来ればどうせわかるでしょ。今は、ほっといておきましょう)

 マルヴォの心中を読み取り、心で返答するアイコ。

 無論、鈍感なマルヴォには届いていない。




「さてと。もう話は十分うんざりだ」


 唐突に立ち上がった紫村は、咥えていた煙草を灰皿へと放り投げた。

 頬を上げ、強い目付きで二人に告げる。


「さっさと現場ホテルに行こうぜ。話はそれからだ」

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