第4話 思案の一服(Thinking About)

「げほっ、げほっ! 総理大臣せいそういん暗殺さつがい……だと? 本気か?」


 むせながら紫村が訊いた。あまりに突拍子も無い計画だ。


「ああ。煙草を吸っている時点でオレたちは既に犯罪者だ。今さら法律に縛られる理由はない。そうだろ?」


 顔色変えずにマルヴォが答える。本気のようだ。


「……ちょっと待て。清宗院やつを殺しても法が解かれるとは限らないだろ?」


 灰皿で火を潰し、紫村は冷静な質問をぶつけた。

 マルヴォも同様に火を潰し、計画の糸口をペラペラと喋り出す。


「現役の国会議員に『有賀ありがモネ』という女がいる。年齢は29歳。元愛煙家で、多くの派閥を敵に回しながらもたった一人で清宗院の立案に最後まで反対意見をぶつけていた女だ。その影響で今はかなり弱い立場にあるが、この女に覇権を取らせれば禁煙法の撤廃を働いてくれる可能性が高い。もちろん接触コンタクトは必須だがな。法の撤廃の確約の取り付けは前提条件だ」


 海外育ちであるにもかかわらず、難しい日本語を連発するマルヴォ。東京に住み始めてから神田の古書店街に通い詰めた成果が良く出ている。

 やや強引な使い方をしているが、その答弁には熱がこもっていた。


「ぶっとびすぎててよくわからないが、だいたいの理屈はわかった」

 勢いあるマルヴォの解説に押され、大雑把な返事をする紫村。

 要は、元愛煙家の女に権力を持たせて法を取り崩していく作戦のようだ。その為に嫌煙派閥の長である清宗院を殺してしまおうという算段のようである。

「だが、本当に殺しまでする必要があるのか? 総理大臣の職を降ろさせるだけで十分じゃないのか?」

 手を添えながら、紫村はまたも疑問をぶつけた。


「そこが一番厄介な部分でな」

 マルヴォは、胸ポケットから自作の手巻き煙草を取り出し、几帳面に炙りながら話を続けた。

「オレたちがこうしてくすぶっているあいだも奴の人気はうなぎ登りだ。政界の頂点に君臨する奴を失脚させることは不可能と言っていいだろう。喫煙者に対する信用がゼロに近い現状から議員や一般国民の意志を操作するのは骨が折れるし、同志を募ってクーデターを起こしても数の暴力で押しつぶされる。オレが調べた限り、清宗院は公私共に清廉潔白なパーフェクトヒューマンだ。政治に対するバイタリティやモチベーションも非常に高い。スキャンダルなんかまずあり得ないし、自ら職を辞す可能性もないだろう。つまり、暗殺するのが一番手っ取り早い方法なんだ」


 強引な理論を展開するマルヴォ。

 フゥと煙を吐き、話の風呂敷をさらに広げる。


「『禁煙社会』は清宗院のアイデンティティそのものだ。奴をこの世から消さない限り、固定化された国民の意識を塗り変えることはできない。奴の政治的地位はもはや神の領域だ。仮に奴を失脚させられたとしても、信者たちの根強い支援によって何度でも蘇ってくるだろう。オレたちに残された唯一の手段は、清宗院の存在そのものをうち砕き、洗脳された国民の目を覚まさせてやることだ」


「なるほど……な」


 紫村は、反論することを諦めた。

 あまりにも暑苦しいマルヴォの説得に飲み込まれ、もはや頭を働かせていない。


「要は、道徳きもちの問題さ。大切なのは、世の中を変える覚悟があるかないかだけだ。……鬼になってみないか? オレたちと一緒に」


 マルヴォが紫村に詰め寄った。

 どうやら本気で総理大臣を殺すつもりのようだ。



「煙草への愛を誓い、ともに悪魔になりましょう」


 ソファー裏のアイコも同調した。

 なんだか恐ろしいことを口走っているが、冗談で言っている様子はない。

 マルヴォはともかく、アイコはまだ若い女性で、しかも美人だ。今から煙草をやめれば社会復帰も難しくはないだろう。


「水上アイコ……お前も本当にやるつもりなのか?」


 紫村は、確かめるようにアイコに尋ねた。

 するとアイコは、即答する。


「それで過去ムカシに戻れるのなら、あたしは何の迷いもないわ」


 煙草が吸える環境を取り戻すためならば、何の躊躇も厭わない。

 アイコの冷たい目の奥には、既に殺意が宿っていた。

 その恐ろしき覚悟に怯み、紫村が思わず口にする。


「……お前、一体何者なんだ?」


「人間」


「……年は?」


「25さい」


(……見た目は年相応だが、中身は立派な悪魔だな)


「いまなにか言った?」


「いや……」



「シムラ、返答しろ。オレたちには時間がない。この煙草の山も、もってせいぜいあと一週間だ。早く煙草の流通を復活させないとお前のような犠牲者が増える一方だぞ」


 鬼気迫る表情で催促するマルヴォ。

 その睨みから逃げるように、紫村はまたしても火を点けた。



(さて、と……)


 この話に乗るべきか、否か。

 思案の一服。紫村は考えを巡らせた。

 確かに清宗院は憎むべき存在だ。

 奴が異常な法律を作ったせいで、俺は社会から殺された。

 俺が奴に仕返す理由は十二分にあるはずだ。

 しかし、本当に殺してしまうというのは、ちょっとやりすぎなんじゃないか?

 確かに計画コトが上手く運べば、また煙草を吸いながら外の空気を吸うことが出来るのかもしれない。また自由に、堂々と、生きていくことが出来るのかもしれない。


 しかしだ。


 この‶煙草〟とやらに、他人ヒトを傷付けてまで吸い続ける‶価値〟が、果たして本当にあるのだろうか――――。



「――――」


 確かめるように味わう一本。

 煙を吸い込み、脳に思考を巡らせる。


 人とは何か。

 煙草とは何か。

 害とは? 社会とは?

 道徳? 犯罪? 人間?

 何を選び、何を信じ、何処へ進むのが正解か。

 自分とは一体、何のなのか。

 生きるとは一体、何なのか。


 思案を終えた紫村は、答えをスパッと弾き出した。











「乗るぜ、その暗殺ハナシ


 紫村にとって、煙草はやっぱり美味うますぎた。

 煙草社会を、取り戻す。

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