第2話 アジト(Basement Base)


「ついてきな」


 渋谷区・マンホール下。

 紫村は、下水まじりの地下道を歩いていた。

 言われるがまま、大柄な外国人の後ろをひたひたとなぞっている。

 道は見渡す限り薄暗く、蜘蛛やネズミが辺りをちょろちょろとしている。


(一体どこに向かっているんだ……?)


 前を歩く男の服装は、白のポロシャツに青のジーパン……ごく普通の恰好だ。しかしさっき見た限り表情は渋く、声もずしりと重かった。敵か味方かわからない。


「着いたぞ、ここだ。詳しいことは中で話す」


 しばらく歩いていると、道の脇に現れた鉄扉の前で男が足を止めた。

 男がノブを下ろして扉を開けると、目の前にランプの灯りがちらついた。


(なんだ、この部屋……)


 中を見ると、そこは薄暗い部屋だった。

 狭くて汚いが、まるでアパートの一室だ。部屋全体にぼろい生活用品が乱雑に置かれている。

 手前にキッチン、奥にテーブル、右手にソファーが見える。

 中でも一際目に付くのが、テーブルの奥にそびえる煙草の山。さまざまな銘柄の箱が綺麗に積まれている。100箱以上はありそうだ。


「どうしたんだよあの煙草……海外から密輸したのか?」


 紫村は驚いた。

 現状、正規品を手に入れる方法は海外から持ってくる他ないからだ。

 もしくは自分と同様、法律施行前に全国のコンビニを駆け回って大量の買いだめを行っていたのならば話は別だが、相手は強面の外国人――おそらく前者だろうと紫村は踏んだ。

 そんな紫村の推測とは裏腹に、男は答えた。

 

「オレは母国を捨てた人間だ。あいにくそんなツテはない。この煙草たちは、法が張られる前に全国のコンビニから買い漁ってきた宝の山さ」


「…………」

 紫村はゆっくり部屋の中へと踏み込んだ。

 この外人は自分と同類――紛れもなく生粋のヘビースモーカー。

 とりあえずは敵ではないと判断したのだ。



「オレの名前は、マルヴォ=ロッシ。年齢は31。8年前から日本に住んでる」


 表情を緩めたマルヴォが名乗った。

 マルヴォは在日アメリカ人。8年前に観光で日本を訪れた際、ふと立ち寄った煙草屋で馴染みの銘柄を注文したところ、あまりの価格の安さに衝撃を受け、その理由だけで日本への移住を決意したつわものである。

 仕事はミリタリーショップの接客アルバイトを住み込みでしていたが、禁煙法が施行されてからも煙草をやめることが出来ずに店長オーナーからクビを宣告され、どうしようもなくここに宿を持つようになったらしい。


「そうか。俺の名前は紫村京平。ヘビースモーカーだ」


 紫村も同様に名前を返した。

 本来ならば名前の後に職業を名乗るのが自己紹介の常ではあるが、現代においては喫煙者=無職であるということが浸透しているので、代わりに「自分がどういったタイプのスモーカーであるのか」を伝えるのが紫村なりの礼儀であった。


「シムラか……いい名前だな。さっそくハナシに移りたいところだが、もう一人だけ紹介させてくれ」


「何?」


 外から見たときは気付けなかったが、オンボロソファーの裏に一人、背の高い日本人女性の姿があった。



「…………」

 

 女は突っ立ったまま、静かに煙草をくゆらせている。

 黒いカーディガンに白のインナー、黒のパンツ。どれもブランド物っぽく、首や手首に高そうなアクセサリーもしている。

 紫村のほうを見てはいるが、大した興味はなさそうだ。


「名前は?」

 女が名乗る気配がないので、紫村が先に口を開いた。

 

水上みずかみ アイコ」


 問われた女は、不愛想に名前だけを投げ捨てた。

 長い黒髪に、薄い口紅。シャープなアイラインと、整い過ぎた高い鼻筋。

 ナイフのような二つの眼は、既に紫村から視線を外している。


「へぇ……」

 相槌を打つ紫村。

 女は美人だった。年齢はおそらく自分よりやや下。

 スレンダーなモデル体型。胸や尻は小さいが、非常にバランス良くまとまっている。一般成人男性であれば2、3秒で虜になるほどの妖艶エロさが魅力ではあるだろう。

 しかし紫村は、女の顔や身体よりもその口に挟まれた煙草のほうに大きな関心を寄せていた。女が吸っている‶フォルテッシモ〟は、女性用煙草の代表でありながらもガツンとくる口当たり、紫村の好きな銘柄のひとつだったからだ。


「彼女も、喫煙者であり続けたことによって表の世界から追放された一人だ。まあ、仲良くやってくれ」

 マルヴォは、アイコのあまりの口数の少なさに思わず補足を付け足した。アイコも紫村と同じ手口でここに連れてきたばかりなので、まだその性格を把握しきれていない。

「とりあえず座れや。表の奴らから逃げるの、疲れただろ?」

 続けざま、紫村をソファーに催促するマルヴォ。



「お前は何が目的なんだ?」


 しかし紫村は、それに従うことなく立ったまま口を動かした。

 自分を逃がした見返りを何で支払わされるのか、少し不安になったからだ。

 ひとつ思い付くならば、やはり自分の煙草だろうか。販売が中止されている現代においては、煙草一箱の価値が非常に高い。特に‶ライトニングブラスト〟は人気の高い銘柄だ。裏社会では数十万円で取引されているというウワサも聞いたことがある。確実に需要はあるだろう。


「あいにく今はこれしか持ってないぜ。悪いな」


 紫村は、大切に握り締めていた煙草の箱を、投げ捨てるようにテーブルの上へぽしゃっと置いた。

(どうせ残りはたったの2本だ。それくらいくれてやるさ)

 実はズボンの右ポケットに予備である未開封の新箱を隠し持ってはいるが、今のところ口にする必要はないと判断し、「今はこれしか持ってないですアピール」を全力で行使した。

(木を見せて、森を隠す――)

 自作のことわざだ。隠れて煙草を吸うようになってから、こういったハッタリが妙に上手くなってしまった自分をカッコ悪いとは思わない。


「フフ……」

 マルヴォは紫村のハッタリを見抜いていた。

(右は間違いなく、煙草の箱だな)

 相手のポケットの膨らみを見れば煙草の有無はだいたいわかる。スモーカーの目利きを舐めてはいけない。

(左にも微かな膨らみがあるが……まぁライターか何かだろう)


 しかし、紫村が煙草を隠していようがいまいが、マルヴォにとってはどうでもよかった。逆に、「そういう性格の男を釣れた」ということが、マルヴォにとっては僥倖だった。



「オレたちが欲しいのは煙草じゃねぇ。煙草が吸える‶環境〟だ」



「…………」

 その言葉を聞いた紫村は、ようやく腰を下ろし、耳を傾けた。

 他人の話に興味を持つのは何時ぶりだろうか――

「面白いな、聞かせろ」



「ああ。その言葉、待ってたぜ」

 こうしてマルヴォは、ようやく本題へと移れるのであった。

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