プロローグ⑤『戻れない』

憂鬱。実に憂鬱だ。理由は家の中の二人の人物にある。何故俺は自分で手に入れた家を侵害された挙句、床で寝なければならないのか。このやろう。

 俺は目を少しうるわせながらベッドで寝ている二人を睨む。すると、まるで俺の視線に気付いたのかのようにユーリが目を覚ました。気持ちよさそうに背筋を伸ばして欠伸している。全く、俺は全身を痛めているというのに。

 ここで俺は考えた。今俺は家の中にいる。そして、家の中に邪魔な二人の少女がいる。なら、俺が家を出れば良いのだ。

 俺は顔を洗ったりうがいしたりと朝の雑務を済ませた後着替えて、財布を手に取る。

おっと、忘れ物をしていた。ゲーセンと言ったら必要な物があるだろう。

俺はゲームするためのグローブを手に取るためタンスを開ける。と、床に二つのグローブがあった。・・・こんなの買ったっけか、まあいいや。

そして俺は支度を済ませ、ベッドで眠る妹を見送り、扉を開いて外に出た。そして、家の鍵を閉めようとした時だ。鍵穴が見えない。厳密には、赤茶の髪の少女の頭が邪魔で見えないのだ。そう、ユーリが出てきている。

 俺は何度か鍵穴を見ようと左右に振れるが、ユーリも同様に動いて鍵穴は依然として見えない。ムカッとするのを感じるのと同時に、


「って!何でお前がいるんだよ!」


 と一喝。ユーリは俺の言葉を聞いて少し眉を寄せ、怒り口調で言った。


「なんでって、あんたが家から出るからでしょ?」


 なるほど、俺と遊びに行きたいのか。だが断る。俺は一人でゲームセンターに行く予定だったのだ。邪魔されてたまるか。もっとも、ユーリ達から遠ざかるために家に閉じ込めようとしたのだ。一緒に行ってやらないぞ。

 俺はすかさず扉を開けた。ユーリを家に突っ込んで鍵を閉め、時間稼ぎをした後逃げようという寸法だ。が、ユーリの謎の腕力によってその作戦は無残に散った。扉を閉められたのだ。


「ぐっ・・・」


 俺は少し怯んだが、もう一度扉を開いて、扉を閉めるより先にユーリを家の中に入れてしまおうと考えた。

 例の通りユーリは足で扉を蹴ることで対応。扉が音を立てて閉まる。そして俺はそこにユーリを押した。


「痛っ・・・何すんのよ!」


いや閉めるのが悪いんだろ。


 少し涙目で額を抑える少女の姿にときめくが即座に理性を奮起させて中和させる。微妙に本能が勝っているがまあ問題ない。


「ふっははははは!悪いが俺は一人で出かけたいんだ!ガキはお家で牛乳でも飲んでろ!」


 言った直後、扉を開く俺の脛をユーリが蹴って来やがった。脛を抑えて床に転がる俺を見下ろしながらユーリは言った。


「何がガキよ!」


そこ?


「と、とにかく!俺は一人で行く!」


 そう言い放って俺は渡り廊下を歩く。エレベーターに乗って一階に降り、マンションを出る。そんな俺の背後には例の少女。どうやら断固として意見を変えるつもりは無いみたいだ。

 俺はそんな少女を無視してゲームセンターへ向かう。

 かくして俺はゲームセンターに辿り着いたのだが・・・どうやらユーリはゲームセンターの雰囲気に怯えているようで、俺の服の端を摘んでキョロキョロと周りを見渡している。暗い所が怖いのだろうか。

 こんな弱々しいユーリの姿を見ていると本当に守りたいという気持ちに駆られる。

 そんなユーリの姿を吟味しながら両替機に向かい、何枚かの百円玉を作ってポケットへしまう。それから奥へ進み、よく遊ぶファイティングゲーム機の椅子に座り百円玉を挿入。ゲームが始まる。


――――――


「ふぅ、疲れた」


 ファイティングゲームは割と疲れる。一プレイやそこらじゃそこまで疲れないが、何回も続けてやると疲れるのだ。手は動かすし頭は使うし目は痛いし。

 満足するまでゲームに没頭した俺は、他の何かをやろうと、財布を取るために手元を見る。・・・無い。無い 無い無い!財布が無い!そしてユーリの姿も無い!あいつ財布パクって逃げるのが目的だったのか!

 俺は右拳でゲーム機を殴って思い切り立ち上がり振り返る。その先にはユーリと彼女を囲うように立って見下ろす複数人の不良グループがいた。そして俺はその光景を見て驚いた。なんと財布を持っていたのはユーリではなく不良の内の一人だった。

 恐らく状況はこうだ。まず、ユーリが俺の財布を奪うためにここへ来た。そして隙を見て財布を奪って逃げてみれば、不良に絡まれてしまった。そして持っていた財布を取り上げられたのだ。俺は罰ってのは当たるもんだと考えつつ、不良グループの集団の元へと向かった。

 ユーリは高い所へ上げられている財布を取ろうとぴょんぴょんしている。不良グループはそんな姿を「ばか」だ「だせえ」だで嘲笑っている。

 カチンときた。ユーリが可愛そうとかそういうのではない。だが、こう言った少女が健気に頑張る姿を貶すことが許せないのだ。

 しばらくしてユーリは跳ぶのをやめた。それから下を向いて、ブツブツと何か言い始めた。不良は「何言ってんだ?」と笑いながら煽るが、ユーリはそんな彼らの姿は眼中に無いようで、ただひたすら何かを唱えるかのように口を動かしている。

 そこで、


「おい」


 俺は取り敢えずその集団に声をかけた。ユーリも含めて。


「それ俺の財布なんだが・・・返してくんないかな?」


 右の掌を差し出しながら、出来るだけ優しく、人相よく言った。

 なんか差し出した手が熱い。緊張だろうか、機械を殴ったからだろうか、それとも気のせいだろうか。

 しかしながら、そんな俺の穏便な対応に対し、案の定不良グループは俺を囲み出す。標的が変わったわけだ。そして俺。全く動じない。何故ならこんなタバコ吸ったりしてる雑魚高校生に日頃から筋トレをしている俺が負けるはずないからだ。

 ちょっとした昔のトラウマ故に欠かさず筋トレをしていた。発揮する機会はなかったのだが。

 しかし今、そんな俺の努力が、その成果が発揮される時が来たのだ。

 不良その一が俺に襲いかかってきた。すっごいベタに、「うぉおおおお」と叫びながら拳を浮かせ走ってくる。こんなの華麗な勝ちフラグに見えてくる。俺は難無く拳をかわし、“その一”の腹にグーパンを決めた。すると、“その一”は吹っ飛んで壁に穴を開け、壁にはまって少ししてから地面に倒れ込んだ。

 不良は飛ばされた男を見てざわめき始める。


「やべえって、あいつ人間じゃねえって!」


「プロボクサーでもあんなパンチできねえよ!」


 筋トレの効果すっげぇ!!

 満面の笑みを堪えながら、俺は拳から不良に視線を移して告げた。


「あんまゲーセンで暴れると許さねぇぞ?」


 口元が緩むがまあ決まった。彼らはまたもベタに「ひぃぃ」と言いながら走って逃げていった。俺は最後まで格好よくしめることができた・・・と思う。

 そして俺が目を向けた先はユーリだ。


「お前!いい加減にしろ!せっかく家に置いてやってんのに財布にまで手を出してんじゃねぇよ!」


 久しぶりに怒った。だが流石にこれは許せない。家に置いてやってるのに、それだけでは飽き足らず俺の財布を盗んだのだ。許せるはずがない。

 ユーリは肩をぴくりと動かしそれから俯いた。何も言わず、ただ俯く。俺はそんな姿をイライラしながら眺めていると、ユーリの顔から雫がこぼれ落ちるのが見えた。泣いているのだろうか、だが今までの態度を見る限りこの程度の事で泣くなど有り得ない。

 どうせヨダレとかって言う落ち・・・。そう思った直後だ、ユーリは顔を上げて俺に財布を押し付け、それからゲームセンターを出ていった。

――泣いていた。彼女は泣いていたのだ。恐らく演技などではないだろう。しっかりと憂いを持った顔で涙を流していた。

 それからしばらくの間俺の耳は機能しなかった。目も口を体もだ。頭が真っ白になった。視界も絶たれた。何故泣いていたのだろうか、何故出ていってしまったのだろうか。俺は一人その場に立ち尽くし、ボケーッとしていた。

 と、


「うっ・・・」


 右手が熱い。人を殴ったのは初めてだったからか、やっぱりものを殴るもんじゃないな。そしてやっと我に返る。

 その後俺は床に落ちた財布を拾い上げ、ゲームセンターを出た。

 外には雨が降っていた。だがそんな雨を気にせず俺は一人走り始めた。ユーリを探すためだ。 何故だか分からない。分からないが、彼女の気持ちが分かってくる。伝わるのだ。悲しんでいると、分かるのだ。そして、何処にいるかも分かる気がする。ただ、それは凄く遠い所で。


 俺は時間をかけてやっと吸い寄せられるようにその場所へたどり着いた。そこは川を跨ぐように架けられた一本の橋の上。勢いをつけた濁流を見下ろしていたのはユーリだった。俺は水溜りを踏みながらユーリに歩み寄る。その音に気づいたのか、ユーリはこちらを見た。俺と合った目はすぐに敵意を示すものに変わり、


「何で来たのよ」


と暗い声で言ってきた。


「何で悲しんでるんだ」


 ユーリの言葉を無視して、俺は聞きたいことを一言で、端的に伝えた。


「悔やむならわかる。計画が失敗に終わったとな。怒りという感情もあるだろう。だが、お前は悲しんでいる。何でだ」


 立て続けに質問を重ねた。ユーリはその赤黒い目を逸らし、また勢いの強くなっている川を見下ろし、


「違う」


 ぼそっと、呟いた。


「え?」


 雨や川の音でうまく聞き取れなかったその声を、もう一度求める。


「違うのに・・・」


 今度はしっかりと聞き取れた。「違う」という声が。何が違うんだ、どう違うんだ。

 と、俺はここで気づいた。自分の、引籠りの人間の大きな欠点とそれによるミスに。


「まさかお前・・・財布を取り返そうとしていたのか?」


 言った途端、ユーリは俺をみながら堪えるように涙袋に溜めていた涙をボロボロとこぼし始めた。

 そして、俺に抱きついて泣き始めた。ここまであんなに喧嘩売ってた彼女が泣いたのだ。この、今の気持ちも伝わってきた。嬉しさと悲しさの入り混じった気持ちの悪い感情だ。

 そんな気持ち悪い感情が破裂するのを感じると同時に、小さな少女の弱々しく泣き叫ぶ高い声が暗い雨の降る空に響き渡った。


――直後、俺はそれを見た。


「――!?」


 地面に真っ黒の円がある。俺を中心に展開されているその円は周りからは黒い煙のようなものが出ている。それはブラック・ホールを彷彿とさせる代物で。

 小さな砂埃や雨を吸い込むそれから逃れる術はなく、俺はただ片手でユーリを抱きしめていた。瞬く間に自身は吸い込まれていき、既に今は暗い世界の中。身体が浮遊する世界の中、ユーリを抱きしめている俺はその恐怖に押しつぶされそうになり、より力強く抱きしめる。「痛い・・・」と言うユーリの声が微かに耳に届くが、今の身体中汗でビショビショの俺は力をコントロール出来るほど自我が保てておらず、力の強さを変えない。そして祈る様に力強く目を閉じて、数秒後だ。

暖かい?

 チクリと痛くなる目。正面に明かりがあることを感じる。首の角度を変え、その明かりの方を向く。薄く目を開き、それの明るさに少し怯む。手を眼前に出し、光を遮る。光の他に見えたものは青と白の二色。まるで青色のキャンバスに煙を書いたような光景だ。思い当たるもので例えるとそれは空に浮かぶ雲で・・・。雨が降っていたはずの空が晴れているわけだ。

 さらに、俺は起きた二つの現象に驚いていて気付かなかったが、もう一つ驚くべき事があったのだ。

 焦り、勢いよく首を回して周囲を見渡す。そして、そこに広がっていたのは見た事のない町並み。犬や猫などの獣が人形で二足歩行していたり、地面にはレンガが敷き詰められていたりと、その場所は俺の住んでいた地域には確実にない光景だった。

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