第97話 2人のシード

 アークが塔に戻ると、落ち込んだ様子のフルートが彼を待っていた。


「なんだ? 妊娠したと思って病院に行ったら、性病って言われたような顔をしてるぞ。その様子だと、ダメだったか」


 アークが声を掛けると、フルートがコクリと頷いた。


「やっぱり手伝ってくれないって……」

「仕方がないって。俺の印象からして、ビクトリアはガチガチの保守派だからな。誰にでも股を開くリベラル派と違って、身持ちが固てえんだよ」

「もうちょっと違う言い方があると思う……それと性病の例えは酷すぎると思う」

「俺は正直なだけだ、偽善者め。それで、ここで待っていたのは、俺を連れてもう1度ビクトリアに頼もうとか考えているわけ?」

「……うん」


 フルートが頷くと、アークは呆れた様子で肩を竦めた。


「それはどう考えても最悪の手段だな。俺の営業方法は恐喝か詐欺か、もしくは両方か……」


 アークが顎に手を添えて首を傾げる。


「……それは営業じゃない」

「仕事は取るんじゃなくて、奪うものだ」

「それで一緒に頼んでくれるの?」

「残念だな。俺は無駄な営業はせずに、サボってスッキリするタイプなんだ。それよりも、昼にクソ不味いスティックバーを食べただけだし、何か飯でも食おうぜ。スティックバーしかないけどな」

「あ、ビクトリアさんが、夕ご飯を御馳走してくれるって言ってた」


 それを聞いてアークが顔を顰める。


「……その料理の材料は、何千年前の化石だ?」

「さっき湖で捕まえた魚料理だって」

「それなら食えるのか? 一抹の不安があるが、鱗から腕とか生えていたら食わなきゃ良いだけか」

「多分、大丈夫だと思う。確信はないけど……」


 2人はビクトリアが出そうとしている料理に不安を抱えながら、塔の中へと入った。

 ちなみに、ビクトリアが出した料理は普通の焼き魚で、不味くも美味くもない普通の味だった。




 翌朝。

 2人はビクトリアの案内で、軌道エレベーターの地下にある格納庫に向かっていた。

 昨日はビクトリアから「今日は泊まれ」と言われて、2人は透明なアクリルグラスに覆われたベッドで眠ったのだが、朝起きるとスッキリしているけど何処かぼーっとする妙な感じだった。


「あの棺桶みたいなベッドはよく眠れるけど、死人の気持ちになるな」


 前を歩くビクトリアにアークが話し掛けると、フルートも相槌を打つ。


「あのベッドは睡眠者を、ノンレム睡眠のステージⅢからⅣにする効果がある」


 ビクトリアが説明すると、アークが首を左右に振った。


「その技術がどれだけ凄いか分からねえけど、快眠のために金と技術を掛け過ぎだろ」

「技術は必要に応じて発明され発展する。あのベッドが作られたという事は、人類にとって必要だったのだろう」

「作ったヤツがただサボりたかっただけだろ。それに、あのベッドには1つ欠点があるぜ」


 ビクトリアが立ち止まると、後ろを振り返ってアークを見つめる。


「欠点?」

「あんなガラスに覆われてたら、ベッドの上で激しく運動ができねえだろ」

「お前はベッドの上で運動をするのか?」

「知らねえのか? 人類はベッドの上で運動する事で子孫を増やすんだぞ。別にベッドの上じゃなくても、キッチン、風呂場、公衆便所、どこでも子孫を増やそうとしたら増やせるけどな」

「……性行為を運動と例えた冗談か?」

「そういう事だ」


 ビクトリアの質問にアークが頷く。

 横で話を聞いていたフルートは、昨日会ったばかりの人間? に下ネタを言うなと呆れていた。


「理解した」


 ビクトリアは一言答えると、再び正面を向いて歩きだす。

 その様子にアークは肩を竦め、フルートは1つ溜息を吐くと、彼女の後を追った。




 ワイルドスワンが駐機している格納庫の中へ入ると、中は2人が見たことのない戦闘機がずらりと並んでいて、アークとフルートは並ぶ戦闘機を見て驚いていた。


「戦闘機にペラがねえけど、全部パクられたのか?」


 アークの質問にビクトリアが首を左右に振る。


「プロペラは不要だ。ここにある戦闘機は、反重力とジェット噴射で空を飛ぶ」

「それがどれだけ凄いか分からねえ。ワイルドスワンとの性能差を5文字以内で頼む」

「……次元が違う」

「そいつは、凄げえな!!」

「……本当に分かってるのかな?」


 驚くアークの横で、フルートが訝し気な様子で首を傾げていた。


 格納庫内を歩き、3人がワイルドスワンの前に立つ。


「燃料と弾丸は補充してある」


 他の戦闘機を面白そうに見ている2人にビクトリアが報告すると、アークが眉を顰めた。


「20mmの弾丸なんて、ここにあったのか?」

「いや、無い。だが、サンプルがあれば問題無い。昨日の内にワイルドスワンを調べて、必要なものを作成しておいた」

「そりゃどうも。それで、支払いはどうする? 現金はあまり持ってないぞ」


 アークがそう言うと、ビクトリアが首を左右に振った。


「この場所では、お前達が持っている紙幣に価値はない。代価は昨日のフルートの記憶で十分だ」

「なるほど。フルートの人生は、燃料1回分の価値しかないって事だな」

「ミジンコ以下の価値しかないアークに言われる筋はない」


 アークの冗談に、フルートが殺意のある目で睨んだ。


「ただの冗談だから気にするな。だけど、人の記憶にそこまでの価値があるのか?」

「社会情勢、風習、化学、文化……現在の文明度が分かっただけでも価値がある」


 その質問にビクトリアが答えると、アークが首を傾げた。


「田舎者が都会の情報雑誌を見て、欲情するようなものか?」

「欲情はしないが、その考えで概ね正しい」

「だったら、ついでに俺の記憶も持ってけよ。タダだしな」


 アークが自分のおでこを人差し指で叩くと、ビクトリアが頷いた。


「分かった。入手させてもらおう」

「オーケー。ウェルカム」


 アークが手招きしてビクトリアを招くと、彼女はアークの額と自分の額を合わせた。

 アークが目の前のビクトリアの顔を見てニヤリと笑う。


「美人が目の前に立つと、俺も立ってくるな」

「……気が散る。静かにしろ」

「こりゃ失礼」


 ビクトリアに叱られて、アークは軽く両肩を竦めると静かになった。




「……うっ」


 目を閉じていたビクトリアがくぐもった声を出すと、後ろに倒れそうになる。


「おいっ!」

「ビクトリアさん!!」


 アークがとっさにビクトリアの腰を抱えて、2人の様子を見ていたフルートが慌てて近づいた。

 アークに抱えられたビクトリアは意識を取り戻すと、右手で頭を押さえながら立ち上がる。


「……もう大丈夫だ」


 彼女は頭を左右に振って頭痛を払い、疲れた様子で溜息を吐く。


「一体何が起きたの?」


 心配そうなフルートが尋ねると、ビクトリアは彼女を見つめて口を開く。


「私が記憶を読む時は、対象者のシードに語り掛けて情報を入手する。その時にシードが開花しているかも分かる。昨日、フルートの記憶を入手した時、お前のシードは開花していた」

「え?」


 自分のシードが開いていると聞いて、フルートが目を開いて驚く。


「そう驚くことはない。お前のシードは戦闘時の射撃の技術向上に特化して、成長するようになっていた。自分でも自覚はある筈だ」


 フルートはルークヘブンでワイバーンと戦った時から、集中力と射撃の命中率が上昇しているのを自覚していて、今の話に納得する。


「そして、アーク。お前のシードは3つ開花している」

「3つ? それで、お前が倒れた理由が分からん。そいつがどれだけ凄いのか、5文字で説明してくれ」

「……何故生きてる?」


 ビクトリアの返答に、アークの顔が引き攣った。


「……6文字だが、それよりも内容が怖えぇ」

「普通シードは1つしか開花しない。2つも開花すれば精神に負担が掛かり、脳が破壊される危険がある。それが3つも開花していれば、確実に脳は破壊され、植物状態か死ぬ筈だ」


 ビクトリアの説明に、アークが真顔になった。


「……何で俺、生きてるの?」

「それは私が聞きたい。それと、お前の中のシードは全て飛行に関わっていた。恐らく生まれて直ぐに戦闘機に乗った事で、シードが同時に3つ開花したのだろう」

「クソ親父のせいか……」


 アークは、生後半年でシャガンが戦闘機に乗せていたのを思い出すと、こめかみを押さえた。


「……あっ」


 そして、今の話を聞いていたフルートが声を上げる。


「そう言えば……アーク、自分で言ってたよね」

「どのエロ話だ?」

「エロい話じゃなくて、自分は同時に複数の仕事をこなせる性格だって。性格自体が同時に複数存在している人格破綻者だとか……」

「ああ、あの藪医者が言ってたことか。確かにそんな話をしたな」


 それを聞いたビクトリアが納得して頷く。


「なるほど……それが無事な理由だ。そして、私が倒れたのは複数の精神からの記憶を同時に受け取った事が原因か……それにしても、まさかこんなに酷いとは……」

「酷い?」


 酷いと聞いてフルートが首を傾げる。


「低風俗が常識の範囲を超えていた。文明の発達と同時に、モラルの低下はある程度懸念されているが、アークとミッキーという男の行動は、人類の常識を超越している」

「……酷い」


 ビクトリアの話にフルートが呟くが、その顔はどこか納得している様子だった。


「いや、そのセリフは俺が言うべきじゃね?」


 低風俗と言われたアークは納得せず、眉を顰めていた。




 アークとフルートがワイルドスワンに乗り込むと、ビクトリアが機上の2人に話し掛ける。


「このまま滑走路を走れば地上へと出る。軌道シャトルの入口は開けといたから、そこから帰るといい」

「ビクトリアさん……やっぱりダメですか?」


 フルートが一緒にR・E・Dを倒すように頼むが、ビクトリアの返答は否定だった。


「返答は昨日と同じだ。私はこのエデンの森に被害がない限り、空獣と戦う事を禁止されている」


 それを聞いて落ち込むフルートとは逆に、何故かアークが笑っていた。


「もちろん分かってる。なあ、ビクトリア。俺の記憶を読んだんだから、今の俺が何を考えているかも、分かっているんだろ?」

「……あまり賛成できないが、事故として処理する」


 その返答に、アークがサムズアップを返した。


「んじゃ、準備よろしくな!」

「……え? 何?」

「分かった」


 話が分かっていないフルートを置いてきぼりにして、2人が会話を終わらせた。


「一体、何の話だったの?」

「後で説明してやるよ」


 アークはフルートに答えると、離陸の準備を始める。

 そして、ビクトリアが見守る中、ワイルドスワンは滑走路を走ると、速度を上げて外へと続くトンネルを走り去った。




「面白い2人だ。感情の無い私でも、そう思うぐらいにな……」


 ワイルドスワンを見送ったビクトリアは呟くと、自分の愛機の発進準備をドローンに指示していた。

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