第92話 EDEN

 歌が聞こえ始めると、曲がりくねっていた谷が直線へと変わり、ワイルドスワンの進む先では、薄暗い谷の岸壁に挟まれて光が見えてきた。


「出口が見えた!!」

「本当!?」

「さすがに、この状況で嘘なんざ言わねえよ。それで、後ろは?」


 振り返って正面の光を見ていたフルートが、視線を後に戻して目を凝らす。

 ワイルドスワンの背後は土煙に覆われていて、煙からムカデが出てくる様子はなかった。


「土煙で見えないけど、大丈夫みたい」

「追って来なけりゃ上等だ。このまま谷を抜けるぞ」

「うん!」


 ……ララー…………ラララー……


 ワイルドスワンが谷の出口へと近づくにつれて、歌の声が次第に大きくなった。


「奇麗な歌声……」


 透き通るような歌声にフルートがうっとりする。


「俺としては、この声で奏でる喘ぎ声を是非とも拝聴してえな」

「……あらゆる芸術を全てエロく否定するのは、ロックの精神? それともパンク?」

「うんにゃ、下ネタが大好きなだけ♪」


 アークの冗談に、フルートが呆れた様子で首を横に振る。

 2人を乗せたワイルドスワンは、谷を一気に抜けると、広く明るい場所へと飛び出た。




 谷から出た瞬間、2人が太陽の眩しさに目が眩む。

 そして、視力が少しずつ回復して元に戻ると、2人の視界には青空の下、自然豊かな美しい世界が広がっていた。

 手前の若草色の草原は美しい花を咲かせて風に揺られ、奥に広がる広葉樹林は太陽の光を浴びて緑に輝く。

 森の中央の湖は青く輝き、その湖の中心には、天まで届きそうな塔が立っていた。

 2人は名画の様な緑の楽園を、声を出すのも忘れて見惚れていた。


「奇麗……」


 美しい風景に感動したフルートが、目じりに涙を浮かべて呟く。


「あり得ねえ……」


 フルートと同じく感動していたアークが、風景の違和感に気付いて顔を顰めた。


「何が?」

「……あの森を見ろよ。黒の森と同じように魔素が濃いから、普通の木に比べてデケエだろ」


 アークに言われて森を見れば、ルークヘブンの黒の森と同じように300mを超える木々が青く茂っていた。


「うん」

「って事は、あの森は本来なら空獣が多く潜んでいる」

「……そうだね」

「だけど、あの空を見ろ」


 アークが顎をしゃくって空を指せば、森の上空で渡り鳥らしき鳥が空を飛んでいた。


「鳥が飛んでいるけど、それがどうしたの?」

「まだ分からねえか? 空獣が居る森に鳥は居ねえ」

「……あ!」


 アークの考えを理解したフルートが驚いて声を上げる。


「やっと理解したか。俺が知る限り、渡り鳥は空獣の居る場所に寄り付かねえ。つまり、あの森は魔素があるのに空獣が居ないって事だ」

「魔素が強いのに空獣が居ないなんて……」

「それと、谷で散々聞こえていた歌も何時の間にか聞こえなくなってるぜ」


 アークに言われてフルートが耳を澄ませば、いつの間にか歌声が聞こえなくなっていた。


「本当だ。何時の間に……」

「訳の分からねえ場所だけど、そろそろ酒乱モードが切れて調子が悪くなる。ついでに、俺の排泄物が強引に検問を突破しようとしている。森の手前の草原で着陸出来そうな場所を探すぞ」


 緯度が高い為、まだ空は明るいが、ワイルドスワンがコンティリーブを発ってから8時間は経過しており、現在の時刻は午後の4時を回っていた。


「……ゲロ袋ならあるよ」

「残念ながら、大きい方だ」


 その返答にフルートが頭を抱える。

 アークは草原を探して平らな場所を見つけると、ワイルドスワンを着陸させる事にした。




 アークはワイルドスワンを平地に着陸させると、備えていたアサルトライフルを手にして窓を開けた。


「フルートはここで待ってろ」

「どこに行くの?」


 突然の行動にフルートが驚いて呼び止める。


「だから、クソだって。俺はムカつく野郎にクソ咬ますのと同じぐらい、奇麗な場所でクソを垂れるのが好きなんだよ」


 アークはそう言い返すと、コックピットを飛び降りて草の中へと消えて行った。


「……最低。本当に最低。少しでも心配して損した」


 フルートはアークが消えた草むらを睨むと、視線を外して辺りを見回す。

 そして、空から見えていた森の湖の塔に視線を合わせると、その塔をジッと見つめた。


「あれって、人工物? だとしたら人が居るかもしれないって事?」


 考えても謎が深まるばかりで、彼女は双眼鏡を手にすると塔を観察していた。




 草むらでズボンを脱いだアークがしゃがんでいると、前の茂みから音がした。


「フルート、覗き見か?」


 返事がない事から、近づいて来るのは別の何かだと、アークがしゃがんだままアサルトライフルを構えた。


「誰だか知らねえが、素晴らしい性癖の持ち主だな。だけど、ひとつ聞きてえ、人がクソしてるとこを見て何が面白……」


 アークが喋っている途中で、茂みの中から美しい女性が現れた。

 女性の身長は高く、腰の中ぐらいまで伸ばした髪は銀色で光り輝いていた。

 顔つきは、切れ長の目に細い鼻筋をして、一目見てアークは知的な美人という印象を受ける。

 その彼女は、膝上まである白いワンピースを着て。下は黒いデニム素材の様なズボンを履いていた。


 アークが絶世の美女に見惚れている一方、女性は下半身をさらけ出しているアークを見下ろしていた。


「「…………」」


 無言の2人の間を、一陣の風が駆け抜ける。


「お前、何をしている」


 無表情で質問してきた女性に、アークが眉を顰める。


「……見て分からねえか? クソだ、クソ。気が散るから、あっち行ってろ」


 そう言って、女性に向かってしっしっと払い追い払った。


「……そうか。向こうで待ってる」


 女性はそう言うと、現れた草むらの中へと消えていった。

 一方、アークは女性が消えた方を見ながら、今の女性との出会いについて考える。


(……世の中、最悪な出会いは色々あるけど、今のは結構えぐいぞ)


 アークは溜息を吐いて頭を左右に振ると、今の事を忘れて下半身に集中した。




 フルートがワイルドスワンの内で待っていると、用を済ませたアークが草むらから現れた。

 無事に戻って来たアークに安堵したフルートだったが、彼の後ろから見知らぬ女性が居るのに気付いて目を丸くする。


「アーク、その人は誰!?」

「アントニオロッキーさんだ」

「アンドロイドだ」


 アークが紹介すると、すぐに女性が訂正した。


「知り合い?」

「いや、クソしようとしたら突然現れた。マジで後10秒遅く現れたら、捻り出している最中だったぜ」

「うわぁーー…………うわぁーー」


 アークの話に、フルートがドン引きする。


「あと、このアントニーロックさんは、俺が下半身丸出しなのを見ても何も反応せず羞恥すらしねえ、凄ごいお人だ」

「人じゃない。アンドロイドだ」


 フルートは、アンドロイドと名乗る女性から危険を感じず警戒を解くと、ワイルドスワンから降りて2人の前に立った。


「アンドロイドさん、初めまして。フルートと言います。その……アークが失礼な事をして申し訳ありませんでした」


 フルートの謝罪に、アンドロイドが首を左右に振る。


「人類が排泄物を出すのは自然の行為だ、別に気にしていない。それとアンドロイドは人造人間の名称であって、私の名前ではない」

「人造人間?」


 人造人間の意味が分からず2人が首を傾げると、その様子にアンドロイドが顔を顰めた。


「ふむ。人間が作った、人間に似せた機械と言えば通じるか?」

「喋るダッチワイフみたいなものか?」

「アーク!!」

「痛てっ!!」


 アークの例えに、フルートが怒鳴って彼の尻を蹴っ飛ばす。


「ごめんなさい!!」


 尻を摩るアークを尻目に、フルートが慌ててアンドロイドに謝るが、彼女は平然とした様子で2人のやり取りをジッと観察していた。


「私も性行為に必要な生殖器を持っている。しかし、子を宿す事は出来ないので、行為自体は無意味だ」

「「…………」」


 アンドロイドの返答に、フルートが何も言い返せず考える。

 そして、フルートはアークの下品な冗談を真面目に答えるアンドロイドを、倫理と一般常識が通じない人だと理解した。





「それで、結局、名前は何て言うんだ?」

「HA-L07型-シリアル002だ」


 アンドロイドの返答にアークが顔を顰めた。


「それは名前じゃなくて型番って言うんだよ」

「だったら好きなように呼べばいい」

「じゃあビクトリアで」


 好きなように呼べと言われて、アークがアンドロイドの名前を即答で決めた。


「名前の由来は?」


 アークにしては真面な名前を付けたと思ったフルートが質問すると、アークが軽く肩を竦める。


「昔、俺ん家の近所で飼ってた雌ヤギの名前だ。あのヤギは畜生の癖に凄げえ色気があって、雄ヤギだけじゃなく、人間の男でもあのヤギのケツを見て発情してたぞ」

「そんなの知らないよ。アンドロイドさんスミマセン……」


 フルートが溜息を吐いて、アンドロイドに謝る。


「別にその名称で構わない」

「じゃあ、ビクトリアって事で。それとフルート、お前はいちいち気にし過ぎなんだよ。神経質はハゲるぞ」


 ムッとするフルートを尻目に、アークはアンドロイド、改め、ビクトリアに質問を続ける。


「それでビクトリアは何でここに居るんだ?」

「お前達が乗って来たワイルドスワンが見えたからだ」


 その返答にアークとフルートが驚き、2人揃って彼女の顔をジッと見つめる。


「……何であの戦闘機がワイルドスワンだと知っている?」

「21年前にも見たからだ。形は少し違うが、フォーム自体はそれほど変わっていないから、すぐに分かった」

「って事は、親父もここに来たって事か?」

「シャガンがお前の父親なら正解だ。21年前も谷が騒めいて確認しに行ったら、ジャイアントセントピ-ドに襲われているワイルドスワンを見つけて、保護をした」

「ジャイアントセントピ-ドって大きなムカデの事?」


 フルートの質問に、ビクトリアが「そうだ」と頷いて話を続ける。


「ワイルドスワンは、ジャイアントセントピ-ドに壊されて、私が修理したから覚えている」

「……親父やギーブはそんな事を一言も言って、チョイ待て。シャガンの他にも、デブのドワーフが乗っていなかったか?」


 ビクトリアの話に、アークがギーブの事を思い出して質問する。


「確かにギーブというドワーフは乗っていた。私が見つけた時、彼は腹を撃たれて死んでいた」

「はぁ!? 死んでいたって……アイツ、もしかしてゾンビか何かなのか?」


 驚くアークに、ビクトリアが首を左右に振る。


「いや、死んで直ぐだったから、私が生き返らせた」


 アークの冗談を無視して予想外の返答をしたビクトリアに2人が驚くが、それも無視して話を続ける。


「ドワーフを蘇生薬で生き返らせた後、眠ったままだったから、シャガンにどうするか尋ねたら、「このまま眠らせとけ」と言うから、彼はこの場所から離れるまで寝ていたが?」

「あのクソ親父……」


 今の話にアークが頭を抱える。


「えっと、ギーブさんが寝ていたとしても、帰ってからシャガンさんと話をしたんじゃないの?」

「フルート。そこは俺が説明してやる。あの親父は戦闘機に乗っている時はベラベラ喋るが、地面に足がついた途端、無口になるんだ」

「うむ」


 アークの説明にビクトリアも頷く。


「それでも、命がけで来た場所についての話ぐらい、普通はすると思うけど」


 アークが首を左右に振って否定する。


「俺の親父を一般常識で考えたらダメだ。地上に居る時は、頭を左右に振るか、頷くかのどっちかしかしねえ。俺は一緒に暮らして、1年以上親父の声を聞かなかった事もある」

「そんなに!!」


 アークの説明にフルートが驚く。


「極端な面倒くさがりなんだよ」

「いや、それは違う」

「ん?」


 アークの話にビクトリアが訂正して、シャガンについて話し始めた。


「あの男は面倒くさがって話さないのではなく、普通に話せないだけだ」

「どういう事だ?」

「彼は物を考える思考が他者と比べて数十倍速かった。脳内では話す内容が一度に何十と浮かぶが、全てを処理出来ず言葉として話せなかった」

「チョット待て、俺の親父はサヴァン症候群だったのか?」


 ビクトリアの説明にアークが眉を顰める。


「それに近い症状で合っている。恐らく空を飛んでいる時は、思考の一部が操縦に向いているため、喋る事が出来たのだろう」

「何でそんなに詳しいんですか?」


 やけに詳しいビクトリアを不思議に思ったフルートが質問する。


「会った時、まともに会話が出来なかったから、彼の思考を読み取った。今、お前達と話せるのもそのおかげだ」

「思考を読み取る?」

「うむ。こうやってだ」


 ビクトリアがしゃがんでフルートの額に自分の額を合わせると、目を瞑った。


「え?」

「危害はない、安心しろ」


 ビクトリアは逃げようとするフルートを落ち着かせると、30秒ほどしてから額を離した。


「……今のは?」

「記憶から必要な情報を読み取った。今のでお前達がここに来た目的を理解した」

「……はぁ」


 ビクトリアの行動が理解できず、フルートが首を傾げる。


「それで、そろそろ聞きたいんだが、アンタ、一体何者だ?」


 アークの質問に、ビクトリアが頷く。


「私はこの森の管理者だ」

「森林保護団体か?」


 ビクトリアが首を横に振る。


「ここは、お前達が神と呼ぶ者達が暮らしていた場所、エデンの森と言う」

「エデン?」

「エデン!!」


 ビクトリアの話に、アークは首を傾げ、フルートは話を信じられずに驚いていた。

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