第91話 ハイスピードサーカス

「こんにゃろぉぉぉぉ!!」


 アークが雄叫びを上げて、強引に操縦桿を左へ倒す。

 ワイルドスワンは巨獣に捕食されるのを寸前で回避すると、巨獣と崖の僅かな間を高速ですり抜けた。

 左側からは迫り来る崖岩、右側からは巨獣の長い胴体が通り過ぎて、アークが肝を冷やす。


「え? 何? って……イャァァァァーー!!」


 座席を後ろに向けていて気付いていなかったフルートが、突然背後から現れた空獣に悲鳴を上げた。


「ゲ、ゲジゲジ!?」


 フルートが見たことのないムカデ姿の巨獣に、口をポカンと開けてその容姿を見る。

 ムカデの巨獣は全長200m以上。甲殻は赤く、横側には黄色いヒダが気持ち悪くうねっていた。

 ムカデはワイルドスワンの捕食に失敗すると、ワイルドスワンの周りを飛び跳ねるトカゲの空獣に噛みつき、音を立てて食べ始めた。


「あんなの俺達だけじゃ倒せねえ! 谷の上に出るぞ!!」

「りょ、了解!!」


 ムカデがトカゲを捕食している隙に、ワイルドスワンが全速力で上昇。

 一気に谷を出ると、太陽の光でアークの目が眩んだ。

 アークの視界が戻ると、先ほどと同じ3匹のムカデが空を飛び、ワイルドスワンを狙っていた。


「マジか!!」


 口を開けて迫り来るムカデにアークが叫ぶ。

 喰われる前にワイルドスワンが急旋回して回避。ロール回転しながら、3匹のムカデの間をすり抜けて上空へと舞い上がった。

 3匹のムカデは捕食に失敗すると、大きな体くねらせて再びワイルドスワンに襲い掛かる。

 高度8000m上空。3匹と1機の追走が5分以上続くが、次第に2人の呼吸が荒くなった。


「アーク、空気が薄い!」


 フルートが威嚇射撃しながら、苦しそうに話し掛ける。

 この世界では、まだ酸素ボンベの開発がなされてない為、長時間の高硬度の飛行は無理だった。


「分かってる!! このままだと息が続かねえ。谷に戻るぞ」


 アークは、左右から来たムカデの捕食を速度を上げて躱すと、ワイルドスワンを180度旋回させて、再び谷へ降下した。




 再びワイルドスワンが谷に入ると、それを追って1匹のムカデが谷へと突入した。


「1匹、追って来てる!!」

「ああ、クソ、クソ、クソ、クソ!! 谷に入ってから碌な事しか起こらねえ!!」


 ワイルドスワンが強風が吹き荒れる谷の中を、500km/hを超えて駆け抜ける。

 アークが天賦の才で目の前に迫り来る断崖を避け、谷を吹き抜ける風の方向から、直感だけで道先を判断すると匠に操縦を続けた。

 それは、21年前に父親のシャガンが、ワイルドスワンで谷の中を疾走していた時と同じ光景だった。


 後ろを向いているフルートが、迫って来るムカデを気持ち悪いと思いながら、ガトリングのグリップを握りしめる。

 彼女は先ほどの戦闘でムカデの甲羅を撃っても弾が貫通せず、無駄弾を撃つのを避けて、ムカデの口が開くのを待ち構えていた。

 ワイルドスワンとムカデとの距離が離れる。

 フルートがムカデを見れば、胴体の真ん中が浮いて今にも飛び掛かろうとしていた。


「アーク、来る!!」

「うにゃあぁぁぁぁぁ!!」


 フルートの警告に、操縦で一杯一杯なアークが奇声を上げる。

 その直後、ムカデが胴体を伸ばしてワイルドスワンに齧りついて来た。

 フルートがガトリングを発射。同時にワイルドスワンは右の壁ギリギリまでロール回転して攻撃を回避。

 ムカデは20mmガトリングの弾を口の中に浴びて、悲鳴を上げた。


「虫が悲鳴を上げるって初めて聞いた!?」

「知らんわ!!」


 驚くフルートに、アークが必死にワイルドスワンを操縦しながらツッコミを入れた。




 谷は奥に行けば行くほど次第に細くなって、300mあった横幅は150mまで狭くなっていた。

 ムカデは諦める事なく、執拗にワイルドスワンを追い続ける。

 アークが目の前の急カーブにワイルドスワンの速度を落とすと、ムカデがチャンスと飛び掛かってきた。


「アーク!!」

「うおりゃぁぁ!!」


 ワイルドスワンが、ヘアピンカーブを曲がる。

 翼の先端と崖の間、僅か12cm。激突をギリギリの速度で回避して通り抜けると、その直後、後方から激しい音と振動が谷全体に走った。


「どうした!?」

「ムカデが壁に激突した」


 アークが前を見据えたままフルートに尋ねて、即座に彼女が答える。


「ヨッシャ……って、岩、岩、岩!!」


 喜ぶや否や、アークが叫び声を出す。

 座席を後ろに回していたフルートが振り向くと、ムカデの衝突で崖の上から石が落ちて来た。


「アーク!!」

「安心しろ。俺は同時に複数の仕事をこなせる性格なんだ! いや、俺の診断結果を見て逃げた心理学者によると、性格自体が同時に複数存在している人格破綻者らしい!!」

「人格破綻者だけは知ってる!!」

サック・ユー最低のベリーマッチクソ女!!」


 落石を見てアークが安全なルートを予測していると、再び谷に振動が走った。


「今度は何だ? もう何が起っても動じねえぞ!」


 フルートが言い辛そうに話し掛ける。


「えっと、アーク」

「ごめん、今のは嘘。やっぱり聞きたくねえ!!」

「じゃあ言う。さっきのムカデが復活して、また追って来てる」

「しつけえんだよ、クソが!! ケツを蹴っ飛ばすぞ!!」


 そう怒鳴って、アークがワイルドスワンの速度を上げる。

 ワイルドスワンがムカデの捕食から逃れるためには、できるだけ地表ギリギリを速く飛ぶしか方法がなかった。


「ムカデにお尻はないと思う……」


 フルートが呟いてムカデを見れば、敵は落石を物ともせずワイルドスワンを追っていた。

 速度を上げたせいで先ほどの予測ルートが狂い、アークが直感だけを頼りに落石を回避する。

 すると、今度は前方から別のムカデが谷に降りてきて、ワイルドスワンに向かって来た。


「前立腺が悲鳴をあげそうだぜ……」


 アークはムカデを見て呟くと、胸ポケットからウィスキーの入った鉄瓶を取り出した。


「フルート、酒乱モード行くぞ!!」

「わ、分かった!!」


 アークに言われて、フルートが記憶装置を操作する。


『アイツハヨッパラッテイルカ?y/n(アイツは酔っぱらっているか?y/n)』


 その質問にフルートが迷うことなく、キーボードの「y」ボタンを押す。それと同時に、アークがウィスキーを一気に煽った。


『ワイルドスワンシュランモード 20:00(ワイルドスワン酒乱モード 20:00)』


「行くぞ!!」


 システムの機動と同時に、可変翼の角度が変わる。

 ワイルドスワンは前後にムカデ、上空からは落石が降ってくる中、酒乱モードを発動して谷を駆け抜けた。




 前のムカデがワイルドスワンに襲い掛かる。

 同時に後方のムカデは胴体を持ち上げると、胴体を伸ばして襲い掛かった。


「うおぉぉぉぉぉ!!」


 落石が降る中、アークは瞬きせずに叫び、アクセルペダルを踏んで速度を最大まで上げる。

 敢えて巨大な岩石が落下する地点に進路を変更すると、前後のムカデを誘導。

 そして、エルロンロールで機体を180度回転させると、落下する岩石の下を目掛けて突入した。


 一瞬の差でワイルドスワンが岩石の下を腹ばいで通り過ぎる。

 その直後、大きく口を開けていた2匹のムカデが岩に衝突して、激しい音を立てた。

 衝突の衝撃でムカデの胴体が波打つと、尾に向かって胴体を浮き上がらせる。

 ワイルドスワンは浮き上がったムカデ胴体の直下を、腹ばいのまま最後尾に向かって飛び続けた。


「死ぬ! 死ぬ! 死んじゃう!!」


 後部座席でフルートが叫ぶ中、地表から僅か1m上をワイルドスワンが飛ぶ。

 アークの目の前では波打つ前のムカデの胴体。フルートの直ぐ後ろでは、跳ね返ったムカデ胴体が地表を叩いて、地面が砕け散る。

 上から降り続く落石は、ワイルドスワンに触れる前にムカデの胴体がガードして打ち砕く。

 ワイルドスワンは一気にムカデの最後尾を抜けると、再び180度のエルロンロールで機体を元に戻し、絡み合うムカデを残して奥へと飛び去った。




「ぶはっ!! 死んだかと思った!!」


 アクロバット飛行中、ずっと息を止めていたアークが、思いっきり息を吐く。

 彼の後ろでは、フルートが信じられないといった様子で、後ろの土煙を呆然と見ていた。


「空を飛びたいと言ったけど、こんな空は……二度と飛びたくない……」

「安心しろ。俺だって二度と飛びたくねえ」


 アークはフルートに言い返すと、再びワイルドスワンの操縦に集中する。


 ……ラーー……ラーー


「ん? 今何か言ったか?」

「え? 何も言ってないよ?」


 アークの問いかけに、フルートが首を横に振って否定する。


「「ん?」」


 2人は同時に訝しむと、聞き耳を立てた。


 ……ララーー……ラーー


「「……歌が聞こえる!!」」


 谷の奥から美しい声が聞こえてきて、アークとフルートが同時に叫んだ。

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