第90話 ヨトゥンの谷
ワイルドスワンはコンティリーブの町を離れると、アルセムと戦った白夜の円卓の南側を通りぬけ、東の山脈に向かって飛んでいた。
「あれがマクマホルン山脈……」
目の前の天まで聳える山脈の凄さに、フルートがゴクリと喉を鳴らす。
マクマホルン山脈。
人類生存圏最北の壁と呼ばれ、標高8000m以上の山々が北西から南東にかけて軒並び、天まで届く壁を作っている。
この山脈は、空獣が現れる以前から人類が1度も足を踏み入れた事のない地域と言われ、白夜の円卓に現れる空獣の大半が、この山脈から現れる事から、最大の危険地域に指定されていた。
「うーん。こりゃ駄目か?」
「何が?」
呟くアークにフルートが話し掛けると、彼は目の前の山脈を眺めて溜息を吐いた。
「ぶっちゃけ、谷なんて危険な場所を飛ばずに、上から行こうと思っていたんだけど、標高が高くて無理っぽいな」
「多分、8000mは超えている。山の上を飛んでも10分もしない内に酸欠になって苦しくなると思う。だけど、最初から正攻法で行こうとしないのは、考え方が卑怯じゃない?」
「卑怯か……。そう言えば、前にもミッキーから「何で空賊にならないんだ?」って、真顔で言われた事があるな」
「ミッキーってヴァナ村の?」
「そうそう。自分自身に自分は異常者だと言い聞かせて、異常な行動を取っているだけで、本当は普通の思考をしている人間だと思っている、異常なクソ野郎だ。何時か会ったら、紹介してやるよ」
「んーー。アークみたいな性格が2人も居たら、精神的に病む気がする。うん、お断り」
フルートの返答に、アークがムキになって声を荒らげる。
「あんな腐った性根が溶け出して、歩くだけで公然わいせつ罪の奴と一緒にするんじゃねえ!!」
反発するアークだが、フルートの心の中では、2人は同じ類の人種という認識で確定していた。
しばらく飛んでいると森が途切れ始めて、地表の岩肌が露になっていた。
「ハーレムおやじとションベンデブの話だと、そろそろ谷の入り口が見えてくる筈なんだけどな」
アークが話し掛けると、双眼鏡を覗いていたフルートが眉間にシワを寄せた。
ちなみに、アークの言うハーレムおやじはダイロット、ションベンデブはギーブの事を言っている。
「まだそれらしい谷は見当たらない。ところで、何時も変なあだ名を付けるアークは、ヴァナ村では何て呼ばれていたの?」
「俺のあだ名か? 別に変なあだ名を付けられた記憶はないな。何時もクソ野郎とは呼ばれていたけど……」
フルートは今の話から、「クソ野郎」がただの揶揄ではなく、彼のあだ名だと解釈した。
2人がヨトゥンの谷を探していると、前方の山影がおかしい事にフルートが気付いた。
「アーク。正面、2時の方向! 山で隠れているけど、凄く大きな崖が奥の方に見えるよ」
「んーー。肉眼じゃ分からねえな。他にありそうなところもねえし、行ってみるか」
「了解」
アークがフルートが示した場所へワイルドスワンを飛ばすと、彼の肉眼でも山を越えた先に、地表から標高7000m以上はある、切り立った断崖が見えてきた。
「すげえ絶壁だな。貧乳女もビックリだ!! そう思わないか?」
「……何で私に尋ねるの?」
「絶壁」というワードがアウトだったらしい。
後ろから迫るフルートの殺気に、アークが身震いをする。
「あーうん、スマン」
アークをジト目で見ていたフルートだったが、再び双眼鏡を覗いて崖を見れば、崖の手前の地面が太陽の光で明るい事に気が付いた。
「ねえ、崖の手前を見て。地面が日光に当たってる。ひょっとしたら大きい谷間があるのかも」
「でっけえボインを見つけたか? 人類史上最大の発見をしたぞ。これからの俺達は、ボインの真実を伝えるプロパガンダだ!!」
アークの冗談に、フルートが身を乗り出して、持っていた双眼鏡で彼の頭を殴った。
「痛ってぇ!! ただの冗談じゃないか。鈍器はやめろ、鈍器は!」
「今のは条件反射で思わず殴った。だけどスマンと言った1分後に、同じ胸のネタを言うのはどうかと思う」
「フルート、それは仕方がないんだ」
頭を擦って文句を言うアークに、フルートが眉を顰める。
「何が?」
「俺がエロい事を言うのはな。1つ目は俺がサイテーだから、2つ目は子孫繁栄の為に下ネタの必要性を理解してるから、3つめにして最も重要なのは、俺がその手の話が好きだからだ」
アークが右手の指を1本づつ立てながら説明する。
「実にアークらしくてなによりです」
「……で、今の話だと、あそこがヨトゥンの谷なのか?」
「いきなり話を戻さないで……」
フルートは溜息を吐くと、崖以外の周辺を双眼鏡を使って見回した。
「他にそれらしき場所は見つからない……」
「それじゃ、他を探すのも面倒くせえから、あそこをヨトゥンの谷だと暫定しよう」
アークの返答にフルートが天を仰ぐ。
「そんな適当な考えで良いのか、すっごく悩む……」
「気にすんなって、どうせあそこが目的の谷なら、ファナティックスがロックと言いながらクソみたいなバラードを歌っているだろ。とっとと行くぞ」
アークは空になった外部燃料タンクを切り離すと、手前の山を迂回しつつ、ヨトゥンの谷へとワイルドスワンを突入させた。
ワイルドスワンがヨトゥンの谷に入ると、手前の山の反対側斜面も切り立った崖になっていて、左右を断崖に挟まれた。
谷の間の幅は約300m。大きく旋回すれば、あっという間に崖に激突するぐらい狭かった。
そして、崖の上から吹き下ろす強風が、飛行中のワイルドスワンを叩きつけ機体を揺らしていた。
「あーー、あーー。今日は絶好のフライト日和。左手にありますのは崖、右手にありますのも崖。上空からは強烈な風。チョット操縦をミスればあっという間に地獄行き。天気は晴れのちクソ、ところにより空獣が来るでしょう。ああ、最高だ。涙が止まらない」
冗談を言っているアークだが、彼の目は真剣で、強風に煽られるワイルドスワンを丁寧に操縦していた。
「大丈夫?」
「まあ、このまま飛ばすだけならな」
アークの冗談に騙されず心配しているフルートが声を掛けると、彼は操縦桿を握りしめたまま肩を竦めて答えた。
「だけど、どこまで続いてるんだろう」
フルートが前方を見ても、谷は入りくねっていて、出口は見えなかった。
「さあな。だけど気を付けろ。谷に入ってから体がムズムズしてやがる……俺達を空飛ぶハンバーガーと勘違いした空獣が、涎を垂らして見ているぞ」
「そうは言っても……」
フルートが左右の崖を見ても岩壁しか見えず、腰を上げて地表を覗くが、空獣が隠れていそうな場所は何処にも見当たらなかった。
「やっぱりどこにもい……」
「居たぞ、左の崖だ!!」
フルートの話を遮って、アークが叫ぶ。
慌ててフルートが左の崖を見れば、岩壁の擬態を解いたトカゲの空獣が姿を現していた。
「見た事がない空獣。新種かも」
「新種か……ギルドに持っていけば金になるんだよな……」
「今回はファナティックス優先だから、持って帰らないよ」
「分かってるって……」
2人が崖に張り付いている空獣を見ていると、その空獣は崖を蹴って、ワイルドスワンに襲い掛かって来た。
「抱きついてくるんじゃねえ。キメエんだよ!!」
アークがいつもの調子でワイルドスワンを旋回させて攻撃を躱すと、右の壁に衝突しそうになった。
「っと、危ねえ!!」
衝突する寸前に左へロール旋回。危うく衝突を避けた。
一方、空獣は反対側の壁に張り付くのと、ワイルドスワンと同じ速度で壁を走り、再び飛び掛かろうとする。
「まだ狙ってる……」
フルートがガトリングの照準を空獣に合わせてトリガーを引く。
谷に1発の弾丸の音が鳴り響いた。
放たれた弾丸は、吹き荒れる強風に煽られて左へ進路を変ると、空獣に当たらず崖に弾かれた。
「この距離で外す!?」
「フルート! どうせ、こいつらは倒しても持って帰れねえんだ。無駄弾は抑えろ」
近距離を外して落ち込むフルートに、アークが操縦桿を握りしめながら怒鳴る。
谷の奥へ行けば行くほど強風が激しくなり、ワイルドスワンは柳の葉の様に煽られていた。
「わ、分かった!」
「それと周りを警戒しろ。どうやら、今の音がモーニングコールだったらしい。全身が痒くなって堪らねえ」
複数の空獣からの視線を体全体で感じたアークが、フルートに警告する。
フルートが左右の崖を見渡すと、擬態を解いたトカゲの空獣が何十匹と姿を現した。
「アーク、囲まれてる!!」
「逃げるぞ!!」
ワイルドスワンが速度を上げるのと同時に、左右の崖から空獣が次々と襲い掛かってきた。
ワイルドスワンは狭い崖の中を、細かい旋回を繰り返して攻撃を躱す。
トカゲの空獣はジャンプ中は方向を変える事が出来ず、攻撃に失敗すると反対側の壁に張り付いて、再びワイルドスワンに向かって飛び掛かった。
「クソ! このトカゲ軍団は人間に替わって新世界秩序を狙っているっぽいぞ!」
「馬鹿な事を言ってないで、逃げるのに集中して!!」
アークの冗談にフルートが怒鳴り返して、空獣に向かってガトリングを撃つ。
撃たれた空獣は空中で体を剃り返らせると、そのまま地面へと落下して息絶えた。
「高度を上げる!」
「了解」
アークが高度を上げようとワイルドスワンの機首を上に向ける。
それと同時に、ワイルドスワンに影が差した。
「……は!?」
アークが空を見上げると、上空から細長い巨獣が口を開けて、急降下している最中だった。
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