第93話 神の詩

「エデン? 何処かで聞いたような……」


 アークが首を傾げる横で、驚愕から戻ったフルートが呆れて彼を見上げる。


「神話に出て来る神の住む森だけど。昔、学校で習わなかった?」

「うーーん。もしかしたら、習ったかもしれないけど、俺を教えた教師ってのが暴力的なクソ野郎でね。卒業と同時にアイツから教わった事は全て忘れたんだ」


 フルートはアークに向かって溜息を吐くと、神話の一節を語り始めた。




 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 神に見守られしこの大地は、人類を中心に長きにわたる平和な時代が続いていた。

 しかし千年前、人の心から生まれた新たな神の出現に危機感を覚えた古代の神は、悪魔の誘いに惑わされ平和の時代を捨て去り、剣と魔法の時代を作った。


 剣と魔法の時代。

 別名、古代神と新たな神の代理戦争と言われたこの時代。突如訪れた神々の戦争により多くの血がミッドガルズに流れた。

 300年続いた戦争は、ラグナログと呼ばれる最終戦の結果、古代の神は死に絶え、わずかに生き残った新たな神は遠くの大地に封印される。

 神を煽った悪魔は世界から去り、古代より生きた悪霊も今は遥か空の彼方へと消え去った。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




「その話に出てくる、新たな神が遠くの大地に封印された場所が、エデンの森という名前だった筈……」


 フルートの語りを聞いたアークが肩を竦める。


「ああ、そういう事か。だったら暴力教師のせいじゃないな。実は俺って悪魔寄りの無神論者だから、この手の話は一切受け付けないんだ」

「アークの宗教観は知らないけど、歴史の授業は過去の悲惨な出来事を知る事で平和への道を模索するって、学校の先生が言ってたよ」

「そうなのか? 俺の解釈だと、過去の戦いからもっと簡単に相手をぶっ殺す方法を模索する授業だと思っていたぜ。アンタもそう思うだろ」


 突然、アークから話を振られて、ビクトリアが無表情のまま考える。


「……どちらも正解だろう。人類は学習する生き物だが、欲望の前では学習した事を忘れて殺し合う。それは、野生の生存本能ともいえる」


 ビクトリアの持論を聞いたアークが、フルートに向かって「だろ」と笑みを浮かべた。


「平和だ反戦だって叫んでいるアホは、人間を動物と別の生物だと考えている驕り高ぶった連中だって事だ」

「その考えは暴力的だが、間違ってはない」


 ビクトリアとアークの会話に、フルートだけは納得していない様子だった。




「それで、ここは本当にエデンの森なんですか?」


 フルートが改めてビクトリアに尋ねると、彼女が頷いて肯定する。


「先ほどの話は色々と間違っているが、その神話に出て来るエデンの森で合っている」


 ビクトリアの返答を聞いても、フルートは未だに信じられず、奥に広がるエデンの森を眺めた。


「だったらビクトリ……」

「まあ、待て」


 フルートが色々と質問しようとするが、その前にビクトリアが彼女の質問を遮った。


「全部話そうとすれば長くなる。今から私の家に来るといい。そこで全てを話そう」


 そう言うと、ビクトリアは踵を返して森へと歩き出した。


「チョイ待ち。美人から家に誘われるのは、今すぐこの場で顔にぶっ掛けたくなるぐらい嬉しいんだが、ワイルドスワンをこのまま放置するわけにはいかねえ」


 アークが呼び止めると、ビクトリアが振り返る。

 その顔は、アークの冗談を聞いても嫌な顔一つせず、無表情のままだった。


「安心しろ。ワイルドスワンは後で運んでおく。それとひとつ尋ねるが、私の顔に何を掛けたいんだ?」

「……ただの冗談だから気にするな」

「分かった」


 ビクトリアは会話が済むと正面を向いて再び歩き始めた。


「……真面目に答えられると、どうも調子が出ねえな」

「……良い薬」


 そう言うとフルートがビクトリアの後を追い駆ける。

 アークは肩を竦めると、2人の後を付いて行った。




 3人は森の入り口まで歩くと、タイヤの無いバイクの様な乗り物が置いてあった。


「これに乗って行く」

「タイヤがないけど、パクられたか?」


 珍しい乗り物に興味が沸いたアークが、ジロジロとバイクを観察する。


「エアロバイクだ。タイヤは元から付いていない」

「ん? タイヤもなしに、どうやって地上を走る?」

「地上から数メートル浮かんで空を飛ぶ」

「へぇ、面白いな。それに酔いもなさそうだ。これも魔法とかいう得体の知れない何かか?」

「魔法も多少使われているが、基本は科学だ。反重力で宙に浮く」

「反重力? 聞いたことねえ魔法だな。マイキーが知ったら興奮して、その場で下半身をしごきそうだ」

「そのマイキーという人物は人間としての論理思考に異常性があるかもしれない。一度、精神科医で治療を受ける事を推奨する」

「そりゃ良いな。面白れえ!!」


 アークの冗談にビクトリアが真面目に答えると、それが受けたアークが大笑いをする。

 笑うアークを尻目に、ビクトリアはエアロバイクに乗ると、フルートを軽々と持ち上げて前にチョコンと乗せた。

 アークもビクトリアの後ろのタンデムシートに跨ると、席の前後を掴んでバランスを取った。


「行くぞ」


 ビクトリアがエンジンを掛けて、エアロバイクがふわっと宙に浮かぶ。


「わあーー!」

「おっ、おっ?」


 フルートとアークが歓声を上げていると、宙に浮いたエアロバイクは200km/hを超えたスピードで森の中へと入った。




 森の中を3人を乗せたエアロバイクが颯爽と走る。

 魔素が濃く、高さ300m以上ある木々が生い茂る森の中は、木と木の間が広がり、その中をエアロバイクが走り抜けていた。

 薄暗い森の中は、ブナやヒノキの葉から篭れる黄金の光明が差し込み、幻想的な雰囲気を作り出す。

 露に濡れた地表の苔は緑に光り輝き、見る者の心を落ち着かせた。


「凄い奇麗……」


 フルートがエデンの森の美しい自然に顔を輝かせる。


「そう言ってくれると、私も嬉しいらしい」

「らしい?」


 フルートが後ろを向いてビクトリアの顔を見れば、彼女は無表情のままエアロバイクの操縦を続けていた。


「私には感情という機能が備わっていない」

「何でまた?」


 風になびくビクトリアの髪が顔に纏わりつくのを払いながら、アークが質問する。


「アンドロイドが感情を露にすると、人間の女性が嫉妬するという理由で規制されている」

「なるほど。嫉妬に狂ったブスってのは、自分が被害者だと勘違いして、陰湿な嫌がらせとヒステリーを喚き散らす、狂気の化け物だからな」

「…………」


 フルートが再びビクトリアの顔を見れば、彼女は相変わらず無表情のままだったが、アークの冗談に心なしか笑っている様子だった。




 ラー……ラー……ララーラー


「あ?」

「お?」


 森の中を駆けていると、谷で聞こえた歌声が聞こえてきて、アークとフルートが声を上げた。


「どうした?」

「今、歌が聞こえた」

「あれは魔獣避けの歌だ」


 ビクトリアの問いかけにフルートが応えると、彼女が至極当然といった様子で答える。


「魔獣避け?」

「魔獣はあの声を苦手にしている。だから、定期的に塔から流して、エデンの森に魔獣が入らないようにしている」

「魔獣って空獣の事?」

「そうだ」


 フルートの質問にビクトリアが頷く。


「俺はギーブに神の詩を聴きに行けって言われた時、谷底に美しい空獣が居て、そいつが歌ってると聞いたんだけどな」

「おそらくそれは、私の戦闘機を言っているのだろう」


 アークが首を傾げていると、ビクトリアがその疑問に答えた。


「そうなのか?」

「私が乗る戦闘機の見た目は動物に似た形状をしている。そして、21年前にワイルドスワンを保護した時、今の音を利用した音波砲を放ったから、それと勘違いしたのだろう」

「音波砲? 何だそりゃ? 何か色々と知らねえ単語ばかり出てくるから、原始人になった気がする」


 アークの冗談を無視して、ビクトリアが音波砲について説明する。


「魔獣用の音を使った砲弾だ。弾を放つと今流れている音が前方2Kmに広がって、それを聞いた魔獣は逃げていく。シャガンにも音波砲を教えたが、どうやら彼はあのドワーフに説明していなかったらしい」

「あの親父に説明させろってのが、そもそもの間違いだからな。それと、その音波砲ってヤツは便利なように聞こえるが、使い所の難しい攻撃方法だな」

「だけど逃げる時とか、スタンピード対策には良いかも」


 ビクトリアとアークの会話にフルートが割り込む。


「フルート。逃げる時とか、スタンピードの時ってのは最悪の場合だ。腕の良い空獣狩りってのは、その状態を如何に回避するかをまず考えるべきじゃね」

「……確かにそうかも」

「シャガンも似た事を考えていた」

本当マジ?」


 ビクトリアの話にアークが驚く。


「シャガンの思考を読んだ時、あの男は常に空を飛ぶ事を考えていた。そして、自由に空を飛ぶために必要な事を常に考えていた。その中にスタンピード対策も含まれていた」

「あの親父がねぇ……。確かに空を飛んでいる時は、俺から見てもガキみたいなツラしてたけど、ただの高い所が好きな馬鹿だとばかり思ってた」

「いや、それは間違いない」

「やっぱりね……」


 肯定するビクトリアにアークが肩を竦めていた。




 3人が乗るエアロバイクは森の中心近くまで行くと、大きなトンネルへと入る。

 トンネルの壁はコンクリートで囲まれ、地面には車線が引かれていた。


「このトンネルはどこに通じてんだ?」

「湖の下を通って、塔に繋がっている」

「水が漏れないのか!?」


 アーク達が居る世界では、水の下にトンネルを掘るという技術がなく、ビクトリアの話にアークが驚いて質問する。


「定期的に点検をしているから、1000年経っても漏れたという報告は聞いてない」

「1000年って……ビクトリア、お前、歳いくつだよ」


 フルートは女性の年齢を尋ねるアークに文句を言おうと思ったが、自分も知りたかったから口を挟まず黙った。


「人間の年齢で言うと2134年と214日だが、この体だけで言えば821年と24日になる」

「「はぁ?」」

「体が寿命を迎える前に、データのバックアップをメインサーバに取って……」

「……もういいよ。聞いても分からねえし、究極の若作りだと理解したから、これ以上の説明はいらねえ」

「分かった」


 アークがビクトリアの説明を遮ると、彼女は頷いてエアロバイクの操縦に集中した。

 そして、エアロバイクがトンネルを走り塔の真下まで到着すると、ビクトリアがエアロバイクを停めた。

 3人が到着した場所は駐車場らしき広い場所で、目の前には上り階段があった。


「着いたぞ」

「結構走ったな」

「70Kmぐらいだ」


 アークとフルートがエアロバイクから降りると、ビクトリアが階段に向かって歩き出す。


「こっちだ」


 階段を登るビクトリアの後に続いて、アークとフルートが後を追う。

 2人は文字が読めずに通り過ぎたが、階段横の壁には『軌道エレベーター』と書かれていた。

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