第70話 ふんがーー!!

 アークがワイルドスワンのコックピットに座って溜息を吐く。


「ここだけの話だけどさ。ここのドッグの静かな雰囲気は、結構気に入ってたんだよなぁ……」

「ふが! ふがふが!!」


 アークが呟くと、後部座席から暴れる音とくぐもった声が帰って来た。


「それが今朝来てみたらどうだ? 女だらけで、せっかくの雰囲気がぶち壊しだぜ」


 背後から聞こえる声を無視して再びアークが溜息を吐き、窓からドッグの様子を眺めると、6人の女性整備士が慣れない環境にも関わらず、ルイーダの指示で慌ただしく働いていた。

 ルイーダが連れてきた6人の女性整備士は、全員20歳前後で若々しく、ダサい作業用のつなぎをオシャレに着こなし、黄色い声がドッグの雰囲気を明るくさせていた。

 その様子にフランシスカは仕方がないといった感じで彼女達を受け入れ、マイキーは離れた場所で、嫌そうに顔を引き攣らせて頭を抱えていた。

 アークは嫌そうなマイキーの表情を見て、「自業自得だバーカ、バーカ」と嘲笑った。


「ふが、ふがーー!!」


 再び背後からくぐもった声が聞こえてくるが無視。


「まあ、男がワイワイ集まってハッテン場になるよりかはマシだけどさ……。それにしても、ダイロットのおっさんがハーレム属性持ちだとは思わなかったよ。よく、あんなウルサイ連中と一緒に居られるもんだ。俺なら間違いなく、全員とヤッた後でトンズラするぜ。なあ、そう思わないか?」

「ふんがーー!!」


 アークが後部座席を振り向くと、口に猿ぐつわ、両手足はロープで縛られ、首から『バカな娘でごめんなさい』と書かれた看板をぶら下げたナージャが、座席に縛られた状態で涙目になりながら、アークをギッと睨み返していた。


「何? トンズラしないで責任取れって? 馬鹿言うな。ハーレムなんて男の願望に過ぎねえよ。間違いなく、貯蔵タンクの弾丸が足りなくなって、悲鳴を上げるに決まってる」

「ふんが?」


 アークがマリーベルと過ごした日々を思い出してしみじみと語ると、ナージャが「そうなのか?」と首を傾げた。

 ちなみに、寝ているナージャを縛って拉致した後、ワイルドスワンの後部座席に監禁した犯人は母親のルイーダ。

 その様子を何も言えず見ていただけのダイロットは、手で顔を覆い隠して溜息を吐いていた。


「なんでこんな事になったんだろうな……」


 アークは今日、何度目になるか分からない溜息を吐くと、ドッグの入り口から見える青い空を眺めて、昨日の事をぼんやり思い出していた。




「明日、フルートの代わりに、私のナージャをワイルドスワンの後部座席に乗せるから宜しく頼むわね」


 アークがマイキーのドックからジャンク品を運んでいると、ルイーダが近づいて話し掛けて来た。


「何を言っているか分からない。いや、言ってる意味は分かる。分からねえのはアンタの思考と性癖だ。更年期障害で自律神経でもイカれたか? 無自覚に自己中心的な言動をしている事に気付けよ」


 アークが呆れた様子でルイーダに言い返すと、再び歩き出した。


「女性の頼み事は素直に聞くものよ」

「男ってのは下半身に素直な生き物でね。絶対にヤレねえ女の頼みをタダで聞くほど、従順な下僕じゃねえんだよ」


 ジャンク品を運び終えたアークが、近くにあった木箱の上に座るとルイーダに言い返した。


「何? 年増の私とヤリたいの?」


 ルイーダの色仕掛けな冗談に、アークが右手の親指を突き立てると、その手を逆さにして下に降ろした。このジェスチャーの意味は「地獄に落ちろ」。


「どうして親父と穴兄弟にならなきゃいけねえんだよ。溜まっているんだったら、ダイロットの操縦桿でも突っ込んどけ。それとな、その操縦桿の事を少しは考えろ。さすがに親子相手に妻が寝取られたら、あのおっさんガチでキレるぞ」

「冗談に品がないわね……。それで先ほどの話の続きよ。今朝、ナージャの戦闘機がイカれて、ブレイズソードMk.2を借りようとギルドに問い合わせても、キャンセル待ちで借りられなかったの」

「それで?」


 ルイーダの話をアークが適当に促す。


「旦那の話だと、マイキーがブレイズソードMk.2を改良したのを薦めたらしいじゃない。しかも、それがワイルドスワンに似た性能を持ってると聞いてね。だったら、ナージャを1度乗せてみて性能を確かめたうえで、購入を検討したいの」

「……ふむ。その考えは確かに効率的で良い案かもしれない。ただし、重大な問題が1つある」

「何?」


 アークの返答にルイーダが首を傾げる。


「実に単純で簡単だけど大きな問題だ。その案を受け入れる俺に何もメリットがねえ。ああ、顎が痛てえなぁ……」


 そう言いながら、アークが先ほど殴られた顎に手を添えて、左右に動かした。


「男の癖にケチねぇ」

「全ての女性から恨まれるから大きな声じゃ言えないが、実は俺ってさ、普段は平等をヒステリックに叫ぶ癖に、自分が頼む立場になると『男の癖に』とか『自分は女だから』とか言って弱者を演じる、女の醜い生態が死ぬほど嫌いなんだ」


 アークの物言いに、いつの間にか集まっていた皆は会話を聞きながら「コイツ、ブレねえなぁ」と半分呆れ、もう半分は驚きを通り越して感心していた。


「私の娘の反抗は直情型だったけど、アンタは捻くれ型? 同じ血を分けた兄妹でも、性格は違うのね……」

「いきなり殴り掛かって来る狂犬よりかはマシだろ。飼い主なら狂犬でもバター犬でも、しつけはキチンとしろや」

「……だったらGBU-20でどう?」


 ルイーダからの提案に、アークがピクッと反応して、彼女をジロリと睨み返す。


「最新鋭の軍用20mmガトリングか……。どうやって手に入れた?」

「そこは、元軍人のコネって奴よ。もし、娘を乗せてくれたら、安く売るわ」

「……ふむ」


 最新鋭のガトリングが手に入るかもしれないと聞いて、アークが考える。

 実は、ワイルドスワンに30mmガトリングを付けるという案は、マイキーから却下されていた。

 彼が言うには、もし付けたとしても、砲身だけでなく弾の重量も増える事から、設計の段階でワイルドスワンの飛行性能がかなり落ちる事が分かった。

 そこで、20mmガトリングを最新の物に買い換える事を考えていて、そのタイミングで来たルイーダの提案は、アークにとって渡りに船だった。


「……2挺で600万ギニー」


 アークの提示した金額に、ルイーダが首を横に振る。


「それは足元を見過ぎてるよ。800万ギニー」

「…650万ギニー」

「800万ギニー」

「……700万ギニー」

「800万ギニー」


 あくまでも値下げしないルイーダにアークが顔を顰める。


「……アンタ、妥協って言葉を知らないのか? 750万ギニー」


 それに対してルイーダが人差し指を立てて、チッ! チッ! チッ! と左右に振る。


「だから本当にこの値段以下じゃ売れないの。800万ギニー」

「……分かったよ。800万ギニーで買えばいいんだろ。ただし、納期は今月中だ」

「毎度あり。すぐに手配するよ。振込先を教えようか?」


 アークが首を横に振って、チラリとベッキーを見る。


「いや、支払いはウルド商会が……」


アークの話を遮って、ベッキーが胸の前で両腕を交差させてバツを作った。


「ウルド商会はメンテナンス費は出しますが、改造費までは負担しませんよーー」

「チッ!」


 アークは舌打ちすると、ルイーダから振り込み先の口座を聞いた。


「それじゃ、明日は宜しく頼んだよ」


 口座を教えた後、ルイーダが全員に手を振ってドッグを出て行く。


「面倒な事になりそうだぜ……」


 彼女の後姿を見ながら、アークは溜息交じりに呟いた。




 今日が狩りの初日となるダイロットがドックの奥から姿を現すと、外で彼を一目見ようと集まっていた野次馬達が歓声を上げた。

 ダイロットは彼等の様子に軽く肩を竦めると、20年前のメビウスをルイーダが改造した、彼だけの戦闘機レイブンに乗り込む。


 マイキーとルイーダは、白銀のワイルドスワンと漆黒のレイブンを眺めて感動に浸っていた。


「まさか、ワイルドスワンとメビウス、いや、レイブンか……。この2機が一緒に飛ぶのを、この目で拝める日が来るとはな……」


 マイキーが呟くと、ルイーダが死んだシャガンを思い出して相槌を打つ。


「……そうね。天国のあの人シャガンも、きっと喜んでいるわ」


 2人は悲劇の運命を辿ったワイルドスワンと、そのライバルだった戦闘機のレイブンが一緒に飛ぶのを夢見て、それが実現した事が嬉しかった。


「母さん。最終チェックが終わりました!!」

「ご苦労さん!」


 ルイーダが連れてきた整備士の1人が報告すると、彼女が手を振る。

 その様子を横で聞いていたマイキーが、横目で見ながら肩を竦めた。


「ここは俺のドックだったんだけどなぁ……」

「マイキーがコンティリーブに残っていて助かったわ。ドックを借りたくても満員で空き待ちだったのよ」


 2人が会話していると、ワイルドスワンの最終点検を終わらせたフランシスカが来て、ルイーダに微笑み話し掛ける。


「こんな辺鄙なドックで良ければ、自由に使ってくれ。私が来た時なんて、邪魔者扱いしかしなかったから、いい気味だ」

「ケッ!」


 ルイーダがマイキーを横眼で見れば、彼はそっぽを向いて舌打ちをしていた。

 3人がワイルドスワンとレイブンを見ていると、管制塔の許可が下りたのか、2機がプロペラを回転させてドックを移動する。


「やっと発進ね。あの2人がどんな獲物を狩って来るか、今から楽しみで仕方がないわ」


 そう呟くルイーダに、マイキー親子もドッグを離れる2機の戦闘機を見送って頷いた。




「ふが! ふがふが!!」


 後部座席で騒ぐナージャにアークが嫌な顔をする。


「ウルセエ女だな。ウインナーを口に咥えてるような声を出すんじゃねえよ。俺を興奮させてどうするつもりだ、この変態。近親相姦が趣味なら、ダイロットの操縦桿でも考えてろ!!」

「ふんがーー!!」


 アークが文句を言うと、ナージャから抗議の声が帰ってきた。


「んあ? 言い返されてGスポットを刺激したか? 実はマゾ? 突然現れた妹がマゾでしたって、俺の人生ろくでもねえな!」

「ふがーー!!」


 アークが暴れるナージャを無視して無線機を見れば、管制塔から離陸許可が来ていた。


『ワ・イ・ル・ド・ス・ワ・ン・リ・リ・ク・キョ・カ・ス・ル・ゴ・メ・ン・ナ・サ・イ(ワイルドスワン離陸許可する。ごめんなさい)』


 その無線文に、アークとナージャが同時に首を傾げる。


「何で謝ってんだ?」

「ふが?」


 昨日、トパーズが管制塔を襲撃した事を知らないアークが、訳が分からないままワイルドスワンを走らせる。

 ワイルドスワンは時速140Km/hで宙に浮かぶと、滑走路を離れた。




「ふむ。思っていたよりも、仲が良いな」


 レイブンのコックピットでダイロットが呟く。

 昨晩、ルイーダからナージャをワイルドスワンに乗せると聞いた時、彼は昨日の2人が言い争う様子から若干不安を感じていた。

 しかし、先ほど見たワイルドスワンの機内の様子に、2人の仲は自分が思っていたよりも良いと勘違いする。

 確実に言える事は、彼等の実際の会話をダイロットが聞いていたら、間違いなく頭を抱えて後悔していただろう。


『ワ・イ・ル・ド・ス・ワ・ン・ハッ・シ・ン・ゴ・レ・イ・ブ・ン・リ・リ・ク・キョ・カ・ス・ル・ア・ト・デ・サ・イ・ン・ク・ダ・サ・イ(ワイルドスワン発進後、レイブン離陸許可する。後でサインください)』


 管制塔から送られて来た無線に、ダイロットが肩を竦める。


「……良い腕をしている」


 前のワイルドスワンが離陸するのを見届けると、ダイロットもレイブンを走らせた。


 レイブンが滑走路を走る。

 滑走路の横では、一目彼の飛行を見ようと多くの観衆が集まって、レイブンを見届けていた。

 レイブンの速度が上がって、ダイロットが操縦桿をゆっくり引く。


 滑走路を離れた漆黒の大烏は、白銀の白鳥を追って、空の彼方へと消えて行った。

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