第69話 カウガール

 フルートに声を掛けて来たのは、褐色の肌をした女性だった。

 彼女の見た目は30歳から40歳ぐらい。凛々しい顔立ちをして黒い髪を後ろで結い、服装は作業用のつなぎを着ている事から、フルートは彼女をどこかの整備士だと思っていた。

 褐色の肌の女性は、しゃがんでフルートの苦しそうな表情を見ると、声を掛ける。


「ひょっとして、アレ?」


 その質問にフルートが脂汗を垂らしながら頷き返す。

 女性はフルートが苦しそうにしている原因が生理痛だと理解すると、彼女を抱き上げて近くのドッグへと運び出した。


「だ、大丈夫です。大丈夫だから、降ろしてください!!」


 お姫様抱っこされたフルートが、自分を軽々と持ち運ぶ力に驚きながらも、慌てて女性から降りようとする。


「脂汗を垂らして何を言ってるの。素直に従いな!」


 女性は遠慮するフルートを叱咤して近くのドッグに入ると、何事かと近づいて来た関係者を追い払い、「借りるよ!」と言ってトイレにフルートを放り込んだ。

 しばらくして、フルートが恥ずかしそうにトイレから出てくると、2人は一緒に外に出た。


「下着は大丈夫?」

「ありがとうございます、助かりました。その……狩りが終わった後だったので……」


 女性の質問にフルートが頭を下げて、恥ずかしさで言い淀む。

 彼女は同じ女性が相手でも、自分がオムツを履いている事について伝えるのに抵抗があった。


「ああ、最後まで言わなくて良いよ、履いていたのね。だけどその格好で空獣狩りねぇ……あっ! もしかして、アンタがフルート?」


 女性はフルートのメイド風の飛行服を見て首を傾げていたが、思い出したかのようにポン! と柏手を打つとフルートの名前を言い当てた。

 それに少し驚きながらもフルートが首を傾げて女性に話し掛ける。


「そうですけど、どこかでお会いしたことが?」

「うんにゃ。初めて会うけど、娘が世話になったらしいからね」


 それを聞いて、フルートも彼女が誰なのか思い当たった。


「もしかしてルイーダさんですか?」

「当たり! うちの旦那から聞いたの?」

「腕の良い整備士だと言ってました」

「そこは美しい奥さんが居るって言って欲しかったわねぇ。パイロットってのはデリカシーの欠片もありゃしないんだから……」


 呆れた様子のルイーダに、フルートは「自分もパイロットですが……」と言いたかったが、話が脱線しそうな気がして口に出すのは控えた。




「丁度良かったわ。マイキーのドッグってのは、この方向で合ってる?」

「はい。私も戻るところだったので、案内します」


 それを聞いたルイーダが、眉を顰めてフルートを睨みつける。


「……まさか、その体調で午後も飛ぶ気?」

(フランより迫力のある人かも……)


 ルイーダに睨まれて、フルートがたじろぐ。


「いえ……今日はもう飛ぶ予定はないのですが、ドッグの整理をマイキーから頼まれているので……」


 その返答にルイーダが安心した様に溜息を吐く。


「そう、だったら良いけど……だけど、アンタは家に帰って休んでな。始まったばかりでまだ痛いんでしょ」

「え? でも……」


 実際にまだ鈍痛が続いているフルートに、ルイーダが話を続ける。


「真面目なのは立派だけど、自分の体調が悪い時に休めないのはパイロットとしては三流よ。空獣ってのは、こっちの体調なんて関係ないんだからね」

「報告だけでも……」

「何の報告? 私からアンタが休むって事は伝えるよ。もし帰らないなら、家まで抱っこして運ぶわよ?」


 結局フルートは、ルイーダの巌とした態度と説得に負けて、家へと強制的に帰らされた。




 マイキーのドッグでは、アークが天井からつり下がったジャッキ滑車のチェーンを回転させてエンジンを宙に持ち上げると、ロイドが台車を下に潜り込ませてエンジンを固定させていた。

 エンジンから伸びたチェーンを外してから、待機していたベッキーが台車を押して外へと運び出す。


「まだ半分も片付いてねえし」

「これ終わるのか?」


 アークとロイドが汗を拭いながら文句を言っていると、椅子に座っていたマイキーが叱咤を飛ばしてきた。


「早く運ばねえと日が暮れるぞ!」


 2人が同時にマイキーを睨んで、返事代わりに中指を突き立てる。


「なあ、ロイドさんよ。俺が思うに、金のあるクソな老人って奴はとっととくたばって、世話した人間に財産を分け与えた方が、世間のためになると思わねえか?」

「アーク君。君とは意見が合うな。俺も丁度そう思っていたところだ。いっその事、アイツ殺るか?」


 アークとロイドがガッチリ握手を交わしていると、背後からフランシスカが現れて、2人の頭をぶん殴った。

 その女性とは思えない力強さに、2人が頭を押さえて蹲る。


「「痛ってえぇぇ!!」」

「くだらない事を言ってないで、作業を続けるよ!」


 フランシスカは呆れた様子で2人を睨むと、天井の滑車を動かして次のスクラップの上に移動させた。


「ほら、次! このアイテムボックスだ」


 フランシスカの指示に、アークとロイドが作業を再開する。


「フランの奴、ワザと重い物からチョイスしてねえか?」


 通常の倍近い大きさのアイテムボックスを見ながら、アークが呟く。


「……男をこき使う事に手慣れてやがる」

「あれでも昔、男が居たらしいぜ」


 話し掛けて来たロイドに、アークがルークヘブンで聞いた話を小声で教えると、ロイドが目を開いて驚いた。


「そいつはスゲエな……それで、その変態マゾ男はどうした?」

「残念だけど、空獣に喰われてクソになっちまったらしい」

「……ああ、俺の兄貴と同じだな。兄貴も数年前に、空獣に殺られて森の肥料になっちまったよ。まあ、よくある話だ。という事はアイツは今、フリーなのか?」


 ロイドからの質問に、今度はアークが目を見張って驚いた。


「……ロイド……まさか、マイキーの財産狙いか?」

「……そう来るか……その反応は予想してなかったぜ」


 アークの質問にロイドが顔を顰める。


「って事は本気マジなのか?」

「ああ、本気だ。だって美人じゃねえか」

「でも性格は狂暴を通り越して、男をこき使うことだけが生きがいになった暴れ牛だぞ」

「暴れ牛……まあ、確かにそうだけど……」

「だけど?」


 言い淀むロイドにアークが続きを促す。


「おっぱいでかいし……」


 ロイドの惚れた理由を聞いた途端、2人の間に静寂の間が流れた。


「……好きなのか?」

「わりと……」


 ロイドの返答を聞いて、アークがマイキーと話し中のフランシスカの胸をチラリと覗き見る。


「俺が思うに、マイキーが結婚した相手ってのは、絶世の巨乳を持った牛だぜ。悪い事は言わねえ、乳が飲みたきゃ素直に牧場に行……」


 アークが話の途中で第三者の視線に気づいて下を向くと、いつの間にかベッキーが2人の間に立って会話を聞いていた。


「うおっ!」

「いつの間に!」


 驚く2人とは逆に、ベッキーがロイドを見てニコニコと笑っていた。




「ベッキー。どこから聞いてた?」

おっぱい・・・・からですね」


 アークの質問に答えると、ロイドが恥ずかしそうに手で顔を隠した。


「安心してください、フランには言いません。むしろ、応援しちゃいますよ~~♪ オッパイロットのロイドさん」

「やべえ、今のツボに入った」


 アークが「オッパイロット」を気に入って笑いを堪える。

 ベッキーの冗談にロイドが頭を抱えていると、彼女が笑い顔から真面目な表情へと変えた。


「フランはクリス、あっ……クリスってのはフランの恋人だった人ですが、彼が死んでからパイロットが整備不良で死なないように、整備士として人一倍頑張っているんですけど、そろそろ自分の幸せを手に入れてもいいと思うんですよねぇ~~」

「クリス?」


 ベッキーの話を聞いていたロイドが、クリスの名前を聞いた途端、信じられないといった様子でベッキーの両肩を掴んだ。


「おい! クリスってのは、もしかしてルークヘブンのクリスか?」


 ぐらぐら揺さぶられてベッキーが目を回す。


「はひ~~そうですよ。フランはずっとルークヘブンで働いていたから、多分そのクリスさんです~~」

「知り合いか?」

「……兄貴だ」

「「は?」」


 アークの質問に、ロイドから予想外の返答が返って来て、アークとベッキーが驚く。


「……俺だって信じられねえよ。兄貴が死ぬ直前に来た手紙から、結婚を考えている女性が居たってのは知っていたが……。まさか、こんなところで会うとはな……」


 ロイドも信じられないといった様子で2人に話す。

 ちなみに、アークは先ほどの会話でロイドが知らなかったとはいえ、彼が自分の兄を「変態マゾ」、「肥料になった」と、酷いことを言っていたのを思い出して死んだクリスに同情していた。


「お前ら、さぼってんじゃねえよ!」


 3人が手伝いもせず喋っている事に気づいたマイキーが怒鳴ると、3人が同時に振り向いてマイキーに向かって中指を突き立てた。


「「「クタバレ糞ジジイ。育てた娘のケツでも舐めてろ!」」」


 それから3人は、取り敢えずフランシスカには内緒にしようと決めて、作業を再開する事にした。




「随分と辺鄙なところにあるドッグだねぇ……」


 ルイーダがマイキーのドッグの前で呟いていると、近くを通りかかったアークが彼女に気付いて話し掛けてきた。


「そこのレディーお嬢ちゃん

「私の事?」


 アークが言い放った、40過ぎの女性に対して常人があまり言わないセリフに、ルイーダが驚きながら自分を指さす。


「アンタ以外に若作りなネーちゃんがどこに居る。ここはジャンク品が並んでいるけど、フリーマーケット会場じゃないんだ。旦那代わりのきゅうりが欲しけりゃ八百屋に行ってくれ」

「ブハッ!」


 アークの冗談にルイーダが思わず吹き出した。


「酷い冗談だね。私が親だったら、間違いなくその捻くれた性格をぶん殴って直していたよ。……って、アンタがアーク? 本当にあの人に似ているわねぇ……一体、どんな教育をしたのやら……」


 ルイーダが話の途中で、シャガンと瓜二つの顔の青年がアークだと気付いて肩を竦めると、アークがルイーダの顔を見ながら眉を顰めた。


「俺の顔を見て似てると言うセリフを吐くって事は、アンタも親父の被害者の会の1人か? 親父はとっくの昔にくたばったから、集団訴訟は死んでから直接親父に請求してくれ」

「被害者ね……。確かに、あの時は恨んでいたかもしれないけど、あの人との間に子供が出来なかった今となっては感謝しているわ」


 ルイーダの返答に、アークも相手の正体を知り、ニヤリと彼女に笑い掛けた。


「ああ。アンタが撃墜王を撃墜した夜の撃墜女王か」

「そりゃどうも。丁度良かった。アンタの相棒のフルートに途中で会ったけど、彼女は体の調子が悪かったから、家に帰らせたよ」

「何かあったのか?」


 訝しんで質問するアークを窘めて話を続ける。


「大したことないわ。女性のアレって言えば分かるかい?」


 アークは以前にも、生理痛で苦しむフルートを見た事があり、話を理解して相槌を打った。


「ああ、アレね。俺はまだ来てねえから知らねえけど、聞くところによると、アイツのは酷いらしいからな」

「同じ女性の私から見ても症状が酷そうだったからね。暫くの間は彼女を乗せて飛ばすのは止めときな」

「分かってるって。俺だって下痢が酷けりゃコックピットに座らねえで、便座に座って……」

「生理痛を下痢を一緒にするな!!」

「グハッ!!」


 最後まで言い終わる前に、ルイーダがアークの顔面を殴って吹っ飛ばした。




「アーク。サボってないでコイツを運びな!」


 アークが顎を押さえて蹲っていると、フランシスカが用途不明のジャンク品を抱えながら奥から現れた。


「……ひょっとしてフラン!? 本当に大きくなったね!」


 ルイーダがフランシスカの姿を見て、声を張り上げる。


「ルイ姉さん!」


 フランシスカの方も一目で誰だか分かったのか、手の持ったジャンク品を床に置くと、ルイーダに近づいて抱き合った。


「本当に整備士になったんだね……せっかく美人に成長したのに、もったいない……」

「ルイ姉さんこそ、昔と変わらず美人でビックリしたよ」

「何言ってるの。もう、すっかりおばちゃんよ。何処かの誰かには若作りって言われたしね」


 フランシスカの褒め言葉に、ルイーダがアークをジロッと睨みつける。

 その睨まれたアークはフランシスカに向かって「存在すら忘れてたくせに……」と呟きながら、彼女の持ってきたジャンク品を抱えて、この場から逃げて行った。


「フラン、客か?」


 マイキーが杖を突いて歩いて来ると、ルイーダが抱きしめていたフランシスカから離れて、彼に向かって話し掛けてきた。


「マイキー? 久しぶりね」

「……ルイーダ軍曹か。2、3回しか話した事がないのに、よく俺の事を覚えていたな」

「フランの父親だからね。顔は覚えてないけど、名前だけは何となく憶えていたわ」

「ああ、そうかい。それで今日は何しに来た?」


 マイキーの質問にルイーダが肩を竦める。


「朝から娘が居なくなって心配していたら旦那と一緒に帰って来て、その旦那が言うには急に借りるドッグが決まったと言うじゃない。整備士としては、どんな環境なのか確認するのが仕事じゃない?」


 彼女の返答に、同じ整備士の2人も「確かに」と頷いて納得する。


「それにしてもフルートから、ドックの整理をしてるって聞いていたけど、全く片付いてないわね」


 ドッグを見回して確認しているルイーダに、フランシスカが質問する。


「そのフルートはどうしてる?」


 その質問に、ルイーダが先程アークに話した内容を彼女に伝えた。


「分かった。最低、3日間は休ませるよ」

「それでいいわ。男ってのはこういうのに全く理解がないから、アンタが居ると彼女も助かるよ」


 その返答に満足したルイーダは、再びドッグを見回してマイキーに尋ねる。


「それで、今日中に整理は終わるの? 明日来たら、中に入れないはシャレにならないよ」

「全部は無理だな。だけど、戦闘機が1機追加で入るぐらいなら、何とかスペースは空く筈だ」

「仕方がないわね。だったら明日、私の手下達も連れて来るから、一気にやっちゃうよ」

「「手下?」」


 ルイーダの話に、フランシスカとマイキーが同時に首を傾げた。


「軍を辞めて旦那の戦闘機を1人で面倒見てたんだけど、女1人だとやっぱり無理でね。街で何人かのストリートチルドレンを拾って仕込んだのよ。今じゃ全員、腕の良い娘達になっているわ」

「……娘達?」


 娘達と聞いて、マイキーが訝しむ様に眉を顰める。


「6人、全員かわいい女の子よ」

「あはは。ルイ姉さんらしいな」


 笑い声を上げるフランシスカとは逆に、マイキーは露骨に嫌な表情を浮かべていた。

 そのマイキーの様子がおかしいのか、ルイーダが笑って話を続ける。


「ところで、ワイルドスワンはまだ複座のままなの?」

「そうだけど?」


 フランシスカが答えると、ルイーダが悪戯を思いついた様な笑みを浮かべていた。

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