第66話 ACE02
「ギーブ! まだ生きてるか!?」
軍からの追撃がなくなって、シャガンが後部座席に座るギーブに怒鳴る。だけど、彼からの返事は帰って来なかった。
シャガンがガラスに映るギーブを見ると、彼は先ほどまで痛みで呻いていたのに、今は脂汗を流して苦しそうに眠っていた。
ギーブは軍から逃亡する際に、シャガンを庇い銃に撃たれて瀕死の状態だった。
「後で屠殺場に放り込んでやるから、ここで死ぬんじゃねえぞ!! しかもションベン臭せえし! この豚、漏らしてやがる!!」
瀕死のギーブに向かって、シャガンが怒鳴る。
口は悪かったが、彼の顔はギーブの事を心配して顰められていた。
そして、ごく一部の知人しか知らない事だが、シャガンは地上では無口な男として有名だけど、戦闘機に乗っている時は非常によく喋る男だった。
シャガンがワイルドスワンを旋回させて、空獣の容姿を確認する。
「あれは……確か、ネルスザキルだっけ?」
ダイロット率いるダヴェリール軍が交戦中の空獣を見て、シャガンが朧気な記憶から、空獣の名前を思い出していた。
空獣、ネルスザキル。
トカゲを青くしたような体を持つ爬虫類型で、全長は約20m。
ダヴェリールの奥深くに生息する空獣の中では、災害クラスの1つ前レベルで非常に強い。
氷を用いた攻撃を得意とし、頬袋から冷気を取り込んで圧縮した氷塊を口から放つ。
接近戦では体を丸めて回転しながら体当たりの攻撃を仕掛けてくる。体が丸まった状態だと防御力が増幅するため、戦闘機の攻撃では歯が立たない。
ネルスザキルを倒すと魔石の他にも、氷を発生させる臓器や、魔石のエネルギーを流した時だけ固くなる皮が高額で取引されていた。
「……アイツ等、もしかして空獣が来ている事に、気付いていなかったのか?」
シャガンは戦闘の途中から頭が痒くなってきた事で、上空から空獣が迫っている事に気付いていた。
そして、追い駆けてきたダヴェリール軍から逃げつつ、できるだけ空獣に発見されない様に飛行していたのだが、どうやら徒労に終わったらしいと肩をガックリと落とした。
他人から見れば、5機に追われて撃墜されないだけでも信じられないのに、彼はそれ以上の才能を持って空獣を発見しつつ、見つからない様に隠れて飛行をしていた。しかも、ダヴェリール軍を率いながら。
彼はその才能から、周りから天才と呼ばれていたが、残念な事に、当の本人には天才という自覚がなかった。
空獣とダヴェリール軍の戦闘を離れた場所で様子を見ながら、シャガンが心の中で葛藤する。
(逃げるんだったら、今がチャンスか……。ダイロットが居るからアイツ等だけでも倒せるとは思うけど、無事じゃ済まないのは確かだな。だけどダイロットか……)
そこまで考えて、シャガンが操縦桿から手を離して、頭を抱えたくなるほど絶望する。
(酒に酔っていたとはいえ、ルイーダと寝たのはさすがにマズかった……)
ルイーダとは、ダイロットの恋人で、シャガンが酒に酔って意識を失くしている最中に、寝取った相手でもある。
彼女はダヴェリール空軍で有名な褐色肌の美人で、ダイロットとの仲の良さでも有名だった。
シャガンが悩みながら戦闘を眺めていると、新たに1機の戦闘機がネルスザキルの放った氷塊で翼を圧し折られて地上へ墜落していた。
ダイロットを含めて残り3機、シャガンが首を横に振る。
「チッ! 仕方がねえ!!」
シャガンはワイルドスワンの速度を上げると、戦いの場へと向かう。
彼の中では、助けた恩で見逃してもらおうと考えていた。
ちなみに、見逃してもらう中には、ルイーダと寝た事も含まれていた。
ネルスザキルが体を丸めて回転させると、高速で味方機に向けて突進する。
狙われた戦闘機は慌てて旋回しようと試みるが、それを追ってネルスザキルが突進方向を変えると戦闘機に体当たりをして、そのまま通り過ぎる。
ネルスザキルが通り過ぎた後には、破壊された戦闘機が残り、コックピットのパイロットは原型を留めず一瞬で命を終わらせると、地上へ落下していった。
ネルスザキルが丸まった体を戻すのと同時に、ダイロットと生き残った最後の味方機が、ガトリングの弾丸をネルスザキルに撃ち込む。
彼等の放った弾丸は、体を撃ち抜くが死には至らず、ネルスザキルは血を噴出しながらも、近くに居たダイロットの味方機に向かって氷塊を口から放ち破壊した。
「中佐を追って周辺の確認を怠っていたとはいえ、余りにも無様すぎる!」
残り1機になったダイロットが、危機的な状況に呟きながら、ネルスザキルを睨みつける。
味方機もベテランとは言えないが、それでも中堅クラスの実力者だったのだが、ネルスザキル相手では、まだ実力が足りなかった。
「味方の仇は撃たせてもらうぞ!」
味方の死を悔しがりながら、ダイロットはネルスザキルの顔面に照準を合わせる。
だが、トリガーを押す前に、無線機から文字が浮かび上がった。
『テ・ヲ・カ・ス・ア・イ・ツ・ヲ・ヤ・ル・ゾ(手を貸す。アイツをやるぞ!)』
ダイロットとシャガンが何時も使用している無線周波数から流れる文字に、半分呆れながらもほっとした様子で口元に笑みを浮かべた。
「あの人は……」
そう一言だけ呟くと、無線機に『了解』と打ち込む。
『無敗のエース』シャガンと『撃墜王』ダイロット。
人類を勝利に導いた2人のエースによる、最後の戦闘が始まった。
ワイルドスワンがネルスザキルの背後から近づいて、13mmガトリングの弾を放ち背中に命中させる。
相手が振り返った横をギリギリまで接近して通り過ぎて、ネルスザキルの敵意を自分に向けさせた。
その瞬間、ダイロットの乗る戦闘機の機銃が火を放つ。
放たれた弾丸がネルスザキルの左頬を撃ち抜き、敵は叫び声を上げて暴れ回った。
「ナイスショット!」
シャガンが歓声を上げると、ネルスザキルに攻撃しながら接近。
ネルスザキルは頬から血を流しながらワイルドスワンを睨みつけると、口から氷塊を放った。
ワイルドスワンが機体を捻じらせて、大きくバレルロールを展開させる。
氷塊は螺旋の様に空を回るワイルドスワンの中心を通り過ぎて、後方へと消え去った。
攻撃を外したネルスザキルが空中で留まり、ワイルドスワンに向けて次々と氷塊を発射する。
その瞬間、音速で放たれた全ての氷塊が空中で砕け散った。
シャガンが確信を持って左上空に視線を向ければ、ダイロットが500m離れた先を飛んでいた。
ダイロットはシャガンが敵を引き付けている間、機銃の照準を構えていた。そして、ネルスザキルが口から氷塊を放つと同時に、一瞬で氷塊の飛ぶ先を予測計算して、氷塊を撃ち抜いた。
「「無茶な野郎だぜ」」
ダイロットが片方の口角を尖らせて笑い、同時にシャガンが呆れた様子で笑う。
2人は長年の付き合いから、互いの行動が手に取る様に分かり、どんな空獣相手でも連携を崩さず戦う事が出来た。
ワイルドスワンがネルスザキルの周りを煽るように飛び回ると、煽られたネルスザキルがワイルドスワン追い掛け始めた。
シャガンは敵が追うのを確認すると、高度を上げて高速旋回を繰り返し、さらに機体を捻じる。ヴァーティカルローリングシザースをして翻弄したかと思ったら、突然速度を落として失速しながら落下した。
追いかけるネルスザキルが勢い余ってワイルドスワンを追い越すと、機体を水平に戻して失速落下から回復。
木の葉落としと呼ばれる、シャガンが得意としていた戦闘機動で、敵の背後を奪った。
背後に回ったワイルドスワンに、ネルスザキルが慌てて振り返るが、その行動を待っていたダイロットが、ネルスザキルの右頬を撃ち抜いた。
ネルスザキルが両頬を潰されて氷塊が放てなくなり、大絶叫を上げる。その絶叫に空気が揺れて、シャガンとダイロットの乗る戦闘機が震えた。
ネルスザキルが遠のくワイルドスワンを血走った目で睨む。
そして、体を丸めると、皮を硬化化させて高速で襲い掛かった。
「カモーン。トカゲ野郎、ついて来い!!」
シャガンが背後から迫るネルスザキルに向かって手招きすると、ワイルドスワンの速度を上げる。
逃走しながら、高度3000mから一気に地上へ向かって落下。
最高時速600km/hを振り切って時速800km/hまで達すると、プロペラの回転が音速を超えて、機体が振動し始めた。
シャガンが震える操縦桿を強く握りしめる。
目の前には雪に覆われた地表、背後からは接近するネルスザキル。
だけど、彼は恐怖を全く感じず、笑顔を浮かべていた。
地面まで残り200m。ネルスザキルがワイルドスワンの後方10mまで近づく。
「イイイイヤッホォーーーー!!」
シャガンが叫びながら、操縦桿を引いてワイルドスワンの機首を上げると、ワイルドスワンは地表を掠める様に旋回して、一気に高度を上げた。
その直後、背後から地響きが鳴り響く。
シャガンが振り向くと、ネルスザキルが地表に突撃し、硬化状態を解いて痙攣していた。
「ダイロット!」
「中佐!!」
2人が同時に叫ぶと、2機の戦闘機は、空を踊るように旋回して高度を上げた。
2機が高度2000mまで達すると、ワイルドスワンが先に速度を落として180度旋回。太陽を背にして再び地表に機首を向けた。
「先に行くぜ!」
シャガンが叫んで、ワイルドスワンを一気に降下させる。
ワイルドスワンが太陽の光で輝き、地上の獲物に向かって襲い掛かった。
落下中に最高速度まで達すると、エルロンロールを開始。
回転しながら両翼の13mmガトリング砲から放たれた弾丸が、ネルスザキルの剥きだしの腹部に、鋼鉄の雨を降らして血飛沫をまき散らす。
ワイルドスワンの攻撃の最中、ダイロットが上空で180度旋回して地上を向く。
そして、シャガンの後を追うように、彼も地上への急降下を開始した。
ワイルドスワンからの攻撃が止んだ直後、ダイロットの30mmガトリング砲が火を放つ。
弾丸は連続で心臓部を突き刺し、ネルスザキルが跳ねる様に体を震わせた。
かつて大戦の最後に現れたベヒモスを、たった2機で倒した技を喰らったネルスザキルは、瞬く間にその命を終わらせた。
ダイロットが安堵の表情を浮かべていると、機体の横にワイルドスワンが現れる。
振り向いてコックピットを見れば、シャガンが片手を前に突き出して謝っていた。
そして、ワイルドスワンの後部座席を見れば、ギーブがだらしなく口を開けて気絶していた。
ワイルドスワンを追い駆ける前に聞いた情報だと、ギーブはシャガンを庇って銃に撃たれたらしい。
まだ生きているか分からないが、心の中で彼の無事を祈った。
ダイロットは溜息を吐くと、今までの感謝の意を込めてシャガンに敬礼する。彼の中では、これが今まで一緒に戦って来た友に対する、最後の挨拶のつもりだった。
その敬礼を見たシャガンは驚くと、笑顔で答礼を彼に返した。
ダイロットが感傷に浸りながら空を飛んでいると、通信機にシャガンから無線が入ってきた。
『マ・タ・ナ(またな)』
その無線文を見たダイロットが、少しだけ悩んで返信する。
『イ・キ・テ・ア・オ・ウ(生きて会おう)』
無線文を見たシャガンが笑いながら2本の指を立てて額に付けると、ピッと指を離す。
そして、ワイルドスワンの速度を上げてダイロットの前に出ると、翼を左右に揺らせて別れを告げ、ヨトゥンの谷へと飛び去った。
姿が小さくなったワイルドスワンを見送った後、ダイロットは戦闘機を180度旋回させて、コンティリーブへ進路を向ける。
「私も辞めるか……」
ダイロットは一言呟くと、最後に別れた時のシャガンの笑顔を思い浮かべる。
シャガンが居なくなった事で、彼の心にぽっかりと大きな穴が開いていた。そして、それは軍に居る間は決して埋まる事の無い穴だと確信して、退役を決意した。
英雄の別れは、誰も見送る事のない寂しいものだった。
それは、人類と空獣が戦った第四次空獣対戦の裏で行われた、もう1つの結末でもあった。
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