第46話 コンティリーブ01
ダヴェリール国。別名を『人類の境界線』ともいう。
人類生存圏の最北に位置するこの国の歴史は、常に空獣との戦いの歴史でもあった。
150年前に初めて空獣が現れた第一次空獣大戦から、23年前の第四次空獣大戦まで、その全てがこのダヴェリールで発生していた事から、周辺国家もダヴェリールに対して軍資金の提供を惜しまないでいた。
なぜダヴェリールで頻繁に大戦が発生するのか。それは、この地に問題があった。
そもそも空獣大戦は、まず最初に凶暴な空獣が人類圏に現れる事から始まる。
次に凶暴な空獣に夜行性の空獣が興奮し、一斉に人類を襲い始めるスタンピードが発生する。
このスタンピードが長期化すると、空獣の生息範囲が徐々に広がって、スタンピードの規模も拡大。
その拡大したスタンピードを終わらせて生活圏を元に戻す事を、人類は大戦と呼んでいた。
話を戻すと、このダヴェリールの領地には、空獣が生息する地域が3カ所存在する。これは他の国と比較するとかなり多い。
そして、空獣は北に行くほど強くなり、生息する数も増える。
それ故に、スタンピードが発生する確率が高くなり、過去の大戦も2カ所、もしくは3カ所同時に凶暴な巨獣が現れた事で、大規模な戦いが始まっていた。
このスタンピードを抑えるために、ダヴェリールは軍事力を強化して空獣への戦いに備えるのと同時に、空獣狩りのパイロットを傭兵に迎えて、常に空獣の数を減らす事に尽力していた。
ネオアルフから北へ飛んだワイルドスワンは、スヴァルトアルフ国境での出国手続きと給油を済ませて、ダヴェリールの領内に入った。
領内に入ると今度は北東に進路を向けて、目的地コンティリーブへ飛行を続けていた。
「フルート。すまねえが、耳を塞いでくれ」
「何で?」
突然アークに話し掛けられて、フルートが首を傾げる。
「じゃあそのままでいいよ。小便するから、しっかりと聞いとけ」
「それを先に言って」
フルートが耳を塞いで、溜息を吐く。
アークは座席の下から小便袋を取り出して用を足すと、窓を少し開けて外にポイッと捨てた。
「もう良いぜ。ところでフルート、お前のおしめの方は……」
「それ以上言ったら、アークの隠しているお酒を全部捨てる」
地の底から聞こえる様なフルートの声は、悪魔に匹敵する恐ろしさが込められていた。
「オーケー。紳士なダディになる予定の俺は、これ以上何も言わない」
「分かれば良い」
「あーー。そう言えば1つだけ聞きたい事があったんだ」
「何?」
「お前、ルークヘブンでゲロ吐きまくってた時期があったじゃん」
「……おかげさまで鍛えられました」
フルートが修行時代を思い出して呟く。
「何であの時のゲロ袋を外に捨てなかったんだ?」
アークの質問に、フルートが困った表情を浮かべた。
「……エルフの教え」
「何それ?」
「エルフは生まれてからずっと、森を大事にするように親から教わる」
「それで?」
「本当は捨てたかったけど、その教育を思い出して、捨てるに捨てられなかった」
「何だ? エルフは森でションベンする事すら禁じているのか?」
「私の住んでいた村では禁止だった。多分、匂いで空獣が来るのを避けたかったんだと思う」
それを聞いてアークが顔を顰める。
「……ガキの頃、学校でエルフは空獣が住む森の近くで暮らしているって習ったな」
「私の村がそう。時々、エアーハウンドが空から襲ってきた」
「おっかねえ村だな」
「大丈夫。村のあちこちに対空砲があるから撃退していた」
「別の意味でおっかねえわ!」
「それよりもアーク。あれ」
アークが叫ぶのを無視してフルートが前方を指さす。
その指した先には、小さな村と大きな飛行場が見えていた。
「あれがコンティリーブか」
「やっと着いた」
「これでフルートもおしめを……」
「アーク、殺す!」
フルートはベルトを外すと、後部座席から身を乗り出して、ポカポカとアークの頭を叩き始めた。
「痛てっ! 俺が悪かった。操縦が狂うからやめてくれ」
「今度言ったら水筒のウィスキーを捨てて、犬のオシッコを替わりに入れるから」
「それやられたら本当に泣くから、マジでヤメテ」
結局、コンティリーブに近づくまで、フルートの怒りは収まらなかった。
飛行場に近づいてフルートが管制塔に着陸許可を申請すると、すぐに返信が返ってきた。
『イ・マ・ナ・ラ・マ・ダ・マ・ニ・ア・ウ・シ・ニ・タ・ク・ナ・ケ・レ・バ・カ・エ・レ(今ならまだ間に合う。死にたくなければ帰れ)』
「何か凄い返信が来た」
「これは着陸許可を出さないって事か?」
2人が悩んでいると、再び管制塔から無線が届く。
『ウ・ソ・ダ・ピョ・ー・ン・ジ・ゴ・ク・ヘ・ヨ・ウ・コ・ソ・カッ・テ・ニ・チャ・ク・チ・シ・テ・イ・イ・ヨ・ハ・ー・ト(嘘ダピョーン。地獄へようこそ。勝手に着地していいよ♡)』
「「…………」」
管制塔からの無線に、2人が文字を見ながら無言になる。
(これは、ミッキーと同じ臭いがするクソ野郎だな)
(これは、アークがたまに言う、ミッキーって人と同じ人種)
お互い口には出さなかったが、考えている事は同じだった。
勝手にしろと言われたアークは、コンティリーブの滑走路へワイルドスワンを着陸させた。
「フランのお父さんが居るドックってどこだろう」
「そういえば、場所も名前も聞くの忘れてたな」
「手紙にはなんて書いてあるの」
フルートの質問に、アークが手紙を取り出して裏側を確認する。
「ふむ。『親愛なる父へ』としか書いてない」
「どうするの?」
「んなもん。誰かに聞けば良いだけだろ」
「名前も知らないのに?」
「そこは任せろ」
航空機誘導員の指示で駐機場にワイルドスワンを停止させると、アークが機上から誘導員に声を掛けた。
「そこの
「俺の事か?」
「お前以上にヒデエ顔した奴がどこに居るんだ。俺が女だったら、30mmの弾をケツにサービスしてるぜ!」
「ずいぶんイキの良いルーキーだな! 1カ月生きてたら、女のプッ○ーに誘導してやるよ」
「その時は絶妙なドッキングを見せてやる!」
「間違ってケツの穴にドッキングするなよ!」
(ひどい会話……)
2人の会話にフルートが溜息を吐いていた。
「それで1つ聞くが、この飛行場の中で、1番頑固で偏屈のクソがオーナーのドックはどこだか知っているか?」
「俺が知る限りだと、マイキーのドックだな。あそこが1番最低だ!」
「サンキュー。礼を言うぜ!」
マイキーのドックの場所を聞いた後、アークがワイルドスワンを移動させる。
「な? 簡単だったろ」
「なんか、凄く行きたくないんだけど……」
「ワイルドスワンのセキュリティーを考えると仕方がねえよ。それにあのギーブの弟子って話だし、クソ野郎なのは当然だ」
フルートの呟きを聞いて、アークが肩を竦めた。
マイキーのドックの前にワイルドスワンが止まると、小さいドックから1人の男が現れた。
見た目の年齢は40から50歳ぐらいで、白髪を短く刈り上げ、無精ひげを生やしていた。
背は低くひょろっとして、片足が不自由なのか、杖を頼りにワイルドスワンに近づく。
「テメエ等、誰だ?」
男が顔を顰めて、タラップを降りるアークとフルートに向かって、ガラガラなダミ声で質問してきた。
「良い声だな。思わず耳を塞ぎたくなるぜ。アンタがマイキーか?」
「俺がそうだ。ドックなら貸す気はねえから他に行きな」
マイキーが手を払って2人を追い払う。
「おっさん少し待て。人生を失敗して孤独を愛する老人の心理は分からねえが、その前に1つ質問だ。アンタにフランシスカっていう野獣の娘は居るか?」
「フランか? 獣を産んだ覚えはねえが、確かにそいつは俺の娘だ。お前、娘の知り合いか?」
「悔しいが正解だ。その娘から手紙を預かってるぜ」
アークが胸ポケットから手紙を出して渡すと、受け取ったマイキーが近くの椅子に座って手紙を読み始めた。
手紙を読んでいる途中で目を見開いて驚き、アークとワイルドスワンをジッと見た後、再び手紙に視線を戻して、最後まで読み終えるとアークに話し掛けてきた。
「テメエ、シャガン中佐の息子か。確かに顔は似ているな」
「ヒデエツラだろ」
「ああ、吐き気がする。それに、あれがワイルドスワンかよ。白鳥をアヒルに偽装させるギーブ大尉のセンスは、相変わらず最低らしいな」
「その意見については俺も同意せざるを得ないな。あのドワーフに絵を描かせればどんな美人のモデルでも、作品名が『絶世のクソブス』になる」
「くっくっくっ。シャガン中佐のガキにしてはイイ性格をしてるぜ。それにほらよ」
マイキーは腰ベルトに挟んでいた新聞を取り出して、近くのテーブルに投げた。
アークがその新聞を見れば、一面にルークヘブンのニュースが載っていた。
そして記事の隅には、巨大なワイバーンの死体の写真と一緒に、偽装を解いたワイルドスワンの写真が小さく載っていた。
「昨日の新聞だ。この記事を見た時は驚いたが、だけど、ここに来るとは思ってもいなかったぜ。それで、シャガン中佐はどうした?」
「4年前に流行り病で死んだよ」
「そうか……」
アークの返答に、マイキーが首を横に振った。
そして、マイキーが過去を語り始める。それは懺悔と後悔の話だった。
「俺はシャガン中佐とギーブ大尉が同時に居なくなる前に、偶然、2人がワイルドスワンを持ち出して亡命する会話を聞いたんだ。当時、まだひよっこから抜け出したばかりの俺は2人の考えが分からず、裏切ったと思って軍に密告した。それが間違いだと分かったのは、後で全ての真相を知ってからだ。俺のせいで2人はダヴェリールから追われる身となって、逃亡中にかつての仲間と殺し合ったらしい。その追撃のメンバーに、ダイロット少佐も含まれていた」
「「…………」」
「あの時に何があったのかは分からない。ただ、戻って来たのはダイロット少佐だけだった。それ以降、少佐から笑みが消えた。あの明るかった少佐が豹変したのは、全部俺のせいだ……」
「そのダイロットだったら1度だけ村に来たぜ」
アークの話にマイキーが驚いて見上げる。
「……少佐は笑っていたか?」
「俺がガキの頃だから覚えてないけど、笑っていた印象はなかったな」
「そうか……」
マイキーが寂し気な表情を浮かべて、話を続ける。
「あの事件の後、かつての英雄同士を戦わせる切っ掛けを作った責任を感じて、結局、俺も軍を辞めた」
「マイキーさんが責任を取る必要ないと思う」
そうフルートが言うと、マイキーが自虐的な笑みを浮かべた。
「嬢ちゃん。俺は自分から逃げているんだ。俺がここに居るのはな、かつて大戦があったこの地なら、3人の誰かがここに来ると思っていたからだ。俺は逃げながらも、心のどこかであの3人に会って謝りたい。そう思って生きていた。結局、シャガン中佐は、謝る前に死んだけどな」
「…………」
マイキーは空を見上げて敬礼をすると、シャガンに向かって黙とうを捧げた。
そして、静かに目を開けて、2人に向かって笑い掛けた。
「ドックは好きに使え。どうせワイルドスワンを隠すのが目的だろ。ただし、俺は整備士としては使え物にならねえ。備品の調達ぐらいはできるが、この足じゃ機体の整備は無理だ」
そう言って、不自由な方の足を杖で叩く。
「借りられるだけでも十分だ。恩に着る」
「ありがとうございます」
2人が礼を言うと、マイキーが首を横に振った。
「礼なら天国のシャガン中佐とギーブ大尉に言え」
それだけ言うと、マイキーは煙草を取り出して火をつけ、ワイルドスワンを静かに見ていた。
マイキーのドックを借りることはできたが、小さいドックは寝泊まりの施設がないため、アーク達は宿泊先を別に探す必要があった。
「なあ、マイキーさんよ。この村で良い宿屋はねえか?」
アークの質問に、椅子に座っていたマイキーが顔を顰める。
「マイキーさんだ? 俺の事はただマイキーと呼べ。気持ち悪い呼び方をするなら、追い出すぞ」
「ああ、すまねえ。糞に敬称を付けで呼ぶのも変だったな」
「その通りだ、クソ野郎。それで宿屋の話だが、お前は女が居ないと何も出来ねえどこぞの馬鹿貴族みたいに、メイドまで連れてきてるんだ。この村で落ち着くなら、宿屋じゃなくて借り家の方が安上がりだぞ」
マイキーがメイド服のフルートを見て肩を竦める。彼はフルートをただのメイドと勘違いしていた。
「勘違いしているっぽいから説明するが、このエルフは色気もねえのに男を誘う格好をしているけど、俺の後部座席でガンナーをしている」
「色気がないとか言うな。そもそもこの格好にさせたのはアークだし……」
アークの説明に横のフルートが横目で睨む。
「馬鹿を言え。どこにメイド服を着ながらガトリングをぶっ放す幼女が居る」
「幼女言うなジジイ」
今度はマイキーに向かってジロリと睨む。
「だけど、このメイド服。飛行服の素材を使ってるから結構丈夫なんだぜ」
「このエルフは頭がイカれたコスプレ愛好家か何かか? 戦闘機に乗る前に病院に連れて行って頭の中を見てもらえ」
アークの説明に、マイキーが右手で頭の横をクルクル回す。
ボロクソに言われたフルートが心の中でブチンとキレて、フランシスカから教わった事を実践することに決めた。
「うっ……うっ……」
フルートは突然目から涙を流すと、両手で顔を隠して泣き始めた。
その様子にマイキーが慌てだす。
逆にアークの方は、頭の中で思い当たる節があって、彼女に合わせることにした。
「おい、マイキー。言い過ぎだぞ。フルートが泣きだしたじゃねえか!」
「なっ! 俺が泣かしたのかよ……。なあ、嬢ちゃん。今のはただの冗談だ。俺はどんな格好で戦闘機に乗っても、なんとも思わねえから、泣くのはやめてくれ……」
「グスッ……頭がイカれてるって言われた……」
「だから冗談だって。ああ、こんな泣き虫で本当にガンナーなんてやれるのかよ!」
マイキーが泣いているフルートを見て頭を抱える。
「フランが言ってたの……」
「何をだ?」
泣きながら話し掛けるフルートに、マイキーが問いかける。
「父の困り果てた顔を見たかったって。だから泣いてみた」
そう言ってフルートが泣きマネをやめると、しれっとした表情でマイキーを見ていた。
「……つまり、今のは泣きマネか?」
その質問にフルートが頷く。
「涙は女の武器。私はガンナーだから狙った相手は必ず倒す」
「ヒデエ冗談だ!」
マイキーが天を仰いで溜息を吐いた。
「勝った」
フルートはそう言うと、両手を上げて勝利を宣言する。
その2人の様子に、アークは笑いを堪える事が出来ず、腹を抱えて笑っていた。
「変なお嬢ちゃんだな。だけど、もう2度と通じねえからな」
「大丈夫。私は乙女の純情を捨てた時に、もう泣かないって誓っている」
「おい、アーク。笑ってないで、今のセリフの通訳を頼む」
「はっはっはっ……スマン。俺もその乙女の純情って奴が理解できねえんだ」
アークが両手を広げて肩を竦める。
「当然。乙女の純情を理解できる男は居ない。もし居たら、その人は心が乙女の男の子」
「つまり男のケツを狙うオカマって事か」
「そうとも言う」
フルートの返答に、マイキーは溜息を吐くと椅子から立ち上がった。
「ああ、そうかい。クソなアドバイスをありがとよ。いい加減、話し疲れた。お前等は、とっととギルドに行って登録してこい。その間に、ワイルドスワンの燃料補給は俺がしといてやる」
「その足で出来るのか?」
「はっ! ホースを突っ込むだけならガキでもデキら」
アークの質問にマイキーが鼻で笑う。
「そうか……じゃあ、ギルドに行ってくる」
「今日は戻って来なくて良いぞ。そのまま住処でも探してこい」
「了解。ああ、1つだけ言い忘れた」
外へ出ようとしたアークが足を止めて、マイキーの方へ振り返る。
「……何だ?」
「ルークヘブンに現れたワイバーンな。アレを1発で巨大なクソに変えたのは、このフルートだ。あまり舐めない方が良いぞ」
「ふふふん」
アークはマイキーに片方の口角を尖らせて笑うと、フルートも腰に手を当てて彼に向かって笑い、2人はドックから去って行った。
「
2人の後ろ姿に、マイキーは呆然となって呟いていた。
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