第45話 スヴァルトアルフ04

 ナディアの家に招待された翌日。

 アークが洗面所で顔を洗っていると、眠そうな様子のフルートが現れて、頭をガクッっと彼の腰に押し付けた。


「……何してんだ?」

「眠い……」


 フルートが頭を付けたまま目を閉じて呟く。


「もしかして、昨日の夜はナディアと乙女の純情について語り明かしでもしたか? 俺から言わせれば、1度男とヤっちまったら純情もクソもねえぞ」

「乙女の純情じゃない、あれは情熱。正直言って、乙女の情熱を舐めていた」

「……はい?」


 結局、意味が分からないまま、フルートに場所を譲って廊下に出ると、今度はナディアと廊下で遭遇した。

 ナディアはフルートと異なって、目が冴えていた……訂正。ギラギラと目を輝かせていて、それを見たアークが思わず身を引いた。


「アーク様! おはようございます」

「……様だぁ?」


 昨日と態度が違うナディアに、アークが顔を露骨に顰める。


「昨日、フルートから聞きましたわ! 彼女が娼館に売られるのを、お救いになったのですね」

「……え? ああ、そんな事もしたな」


 どうやら、フルートはアークとの出会いを彼女に話したらしい。


「素晴らしいですわ。そして、とても参考になりました。美少女エルフの奴隷を買うのはテンプレですが、奴隷になるのを救うというネタもアリですわ!」


 ナディアはそう言うと、アークにお辞儀をして去って行った。


「一体、何なんだ?」


 その後ろ姿を見ながら、アークは首を傾げていた。


 ナディアの家族と朝食を取った後、アークはフルートにこれから公爵の家に出かける話をすると、彼女は首を横に振って「私は寝てる」と一言呟き、客室に引きこもった。


「本当に、一体何なんだ?」


 フルートが閉めたドアを見て、再びアークが首を傾げていた。




 アークはシェインの運転する車に乗って、公爵家へと向かっていた。

 移動中に気分が悪くなったアークが、窓を開けて何とか堪える。その彼の姿にシェインが笑った。


「あはははっ。車に酔うのも父親譲りらしいな。彼も車に乗って気分が悪くなっていたよ」

「マジか……」

「本当にあの人は地上に居る時はダメな人だったからなぁ……」


 アークは溜息を吐くと、外を眺めて出来るだけ酔わないように気を付けていた。


 30分ほど走らせると、豪華な家の前で車が停止した。

 大きな門には門番が2人立っていて、シェインが要件を伝えると「確認するのでお待ちください」と言い、1人が屋敷に駆け足で去って行った。

 その間にアークから車から降りる。門番が訝し気に彼を見守る中、少し外れた茂みに屈み込むと、喉に手を突っ込んで茂みにゲロをぶち撒いた。

 その様子にシェインが苦笑いして、門番は「何だコイツ」といった感じで彼を見ていた。


「ふう……」


 アークは軽く溜息を吐いた後、門番に笑顔を見せながら車の中へと戻った。


「酷いツラは見せられないからな」

「行動は見るに堪えない酷さだと思うぞ」


 シェインの言い返しにアークが肩を竦める。

 館から門番が戻ってくると門が開いて中へと入り、車を玄関に止めると、若い執事の案内で館へと入った。




 執事の案内で部屋に入ると、そこは執務室らしく、小さい部屋の壁は本棚に囲まれて、書類と本がぎっしりと並んでいた。

 奥の窓の近くに男性が1人立って、アーク達を出迎える。


 出迎えた男性はマクリガン公爵。

 シェインと同じぐらいの年齢で40歳ぐらい。髪と同じ金色の顎髭を奇麗に整えて、貴族というよりも軍人と言った方が似合っていた。

 そして、彼の左腕は肘から先が失われていて、袖が揺れていた。


「シェイン、久しぶりだな」

「お久しぶりです、マクリガン中将」


 シェインがマクリガンに向かって敬礼をすると、彼は答礼しながら呆れて笑っていた。


「私はもう退役した身だ。中将はよせ」

「いいえ。私の中では未だに上官ですよ」


 シェインの言い返しに、マクリガンが苦笑いして肩を竦めていた。

 マクリガンに促されて、シェインとアークがソファーに座り、対面にマクリガンが座る。


「さて、シェインが珍しくここに来たのは、旧友の親睦を深めに来た訳でもないだろう。隣の青年も誰だか紹介……ん? 君はどこかで会った事が?」


 マクリガンがアークの顔を見て首を傾げる。


「彼はシャガンの息子でアークです」

「な! それは真か?」


 シェインが吹き出すのを我慢してアークを紹介すると、彼はアークの顔をマジマジと見つめた。

 驚くマクリガンに向かってアークが頭を下げて、シェインがここに来た理由を説明する。


「そうか……彼も英霊の仲間に加わったか……」


 シェインの話を聞いたマクリガンは溜息を吐くと、目を閉じてシャガンに黙とうを捧げていた。




 マクリガンは黙とうを終えると、アークに向かって笑い掛けた。


「君のお父さんには何度も命を救われた。見ての通り片腕は失ったが、今、私がこうして生きているのは彼のおかげだ」

「ありがとうございます」


(村を離れてから、あのクソ親父の話を聞かされてるけど、未だ信じられねえ)


 素直に礼を言うアークだが、内心では未だに自分の父親の功績が信じられなかった。


「そう固くならなくても良い。それに先ほどの話も了承した。直ぐに契約書を作ろう。もちろん、名義だけで君の機体を奪うつもりは全くないから、そこは安心して良い。だけど、できれば私もその機体を見たかったんだが、さすがに忙しくて無理なのが残念だ」

「アーク君。昨日私に見せた写真は持っているか?」

「ああ、チョット待ってくれ」


 シェインに促されて、アークが胸ポケットから写真を取り出し、マクリガンに渡した。


「ほう、これは……噂通り、実に美しい。それにしても、これはどこで取った写真だ?」

「ルークヘブンでワイバーンをブッ倒した時に、新聞記者が記念にって撮ってくれたんだ」


 アークの説明にマクリガンが頷く。


「アルフで巨獣が現れたという話は聞いている。うちの軍にも救援要請があったらしい」

「結局、来なかったけどな」


 アークの返答に、マクリガンとシェインが同時に眉を顰めた。


「それは本当か?」

「俺達が倒した後でアルフの空軍は慌てて駆け付けたけど、スヴァルトアルフとニブルの空軍は来なかったぜ」

「あの馬鹿どもが……スタンピードの恐ろしさをもう忘れたのか」


 マクリガンが呆れた様子で溜息を吐いた。


「アルフ戦線の指揮官は、デグ・リオ大将です。彼はあの戦役には参加していませんでしたから、スタンピードの恐怖を知らないのでしょう」

「知らないで済む話か! デグの奴……ああ、そうか。あいつは家の力で出世したクソだったな。確か、空獣大戦の時も戦場に行くのを怖がって、ワザと予備兵になった貴族の風上に置けないアホだった」

「ええ、それで戦争が終わったら、階級が上がって普通に戻って来てましたからね。全員が驚いてましたよ」


 マクリガンに続いて、シェインも呆れた様子でため息を吐いた。


「私が退役するまでは、睨みを利かせていたんだがな……この腕さえあれば……少しクギを刺しておくか」

「残念ながら、彼に直接言っても効果はないと思います」

「もちろん、あのアホに直接言うつもりはない。明後日に宰相が主催のパーティーがある。そこで、リチャード元帥にでも伝えとくさ。あの人もスタンピードの時に戦線で暴れていた人だ。当然、シャガン中佐の事も覚えているだろう」

「それなら大丈夫でしょう」


(よく分からねえけど、やっぱり貴族はクソが多いらしい)


 アークはあくびを噛み殺して2人の話を横で聞いていた。

 その後、シャガンのダメ話で盛り上がり、執務室から3人の笑い声が聞こえていた。




 シェインは仕事があるため自分の車でそのまま職場へ向かい、アークは途中で降りるとタクシーを捕まえてシェインの自宅へと帰った。


 タクシーから降りて、ふらつきながらシェインの家に入ると、なぜか玄関でナディアがアークを待ち構えていた。


「お帰りさない。アーク様」

「……すまねえが、そのアーク様って奴はやめてくれ」


 ナディアの呼び方を聞いて、アークが顔をしかめる。


「あら? お気に召しませんでした?」

「ああ、貴族になってクソ野郎と呼ばれている気がする。それで何の用だ?」

「私、今、取材をしていますの」

「取材?」

「ええ、昨晩フルートからルークヘブンでの話を色々と聞いたのです。ですがフルートだけではなく、別の人からも話を聞きたいと思いまして。時間がよろしければ是非お話を聞かせて下さい」

「よく分からねえが、俺から何の話を聞きたいんだ?」

「マリーさんという方との関係です」


 それを聞いてアークが眉を顰める。


「マリーの話を聞きたいのか?」

「ええ!」


 アークの問いかけにナディアが頷いた。


「残念だが、それは話せないな」

「え? なぜですの?」

「18歳以下に話せる内容じゃねえ。お前が大人になったら、ベッドの上で教えてやるよ」


 驚いているナディアにアークが手を振って、彼女の元から離れた。


「一体、どんな関係なのかしら?」


 その後ろ姿を見送りながら、ナディアは呟く。

 そして、ナディアは寝ているフルートの部屋へ突撃して彼女を叩き起こすと、アークとマリーベルの関係について迫った。

 寝ているところを叩き起こされて半分寝ぼけていたフルートは、彼女にワイバーンとの闘いの後でマリーベルから聞いた内容を全て話してしまった。


「ハ、ハ、ハレンチですわーー!!」


 顔を真っ赤にしたナディアが、大声で叫んで部屋から飛び出ていった。


「……あれが私の失くした、乙女の純情の行動」


 ナディアが部屋から出て行く様子に、フルートは呟くと再びベッドにバタンと倒れて眠りに就いた。

 その後、アークに対するナディアの視線が冷たくなっていた。




 翌日。

 アークとフルートはナディアの家族に別れを告げて、老執事の運転する車で飛行場へと向かった。

 ちなみに、結局最後まで、この老執事の名前は分からなかった。


「それでは、御2人ともご元気で。ご武運をお祈り致します」

「ありがとう」


 路上でゲロを吐いているアークの代わりに、フルートが老執事に礼を言う。


「いえ、礼を言うのは私の方で御座います。空賊から助けて頂いた上に、お嬢様のお話の相手をして貰いました。あんなに楽しそうなお嬢様を見たのは初めてでございます」

「ナディアに伝えて欲しい」

「何をでしょう?」

「夢は見るものじゃない。叶えるもの」


 フルートは以前フランシスカに教えてもらった言葉を老執事に伝える。


「分かりました。必ずお伝え致します」


 老執事はフルートに笑顔で一礼すると、ゲロを吐いている最中のアークにも礼を言って、車に乗り去って行った。


「アーク、何時まで吐いてるの?」

「……も、もう大丈夫だ。胃液まで全て吐き出した」


 青白い顔をしたアークに、フルートが溜息を吐いていた。




 飛行場の窓口でフライトの申請をしてから、ウルド商会のドックに戻ると、整備士達が具合の悪そうなアークの様子に、心配そうな表情を浮かべる。


「気分が悪そうだけど、本当に飛ぶんですか?」

「ああ、空を飛んだら治るから平気だ」


 顔を青ざめているアークに、ドックの主任と整備士達が訝しんで首を傾げる。

 フルートだけは治ると確信していたが、内心では地上のアークはダメ人間というレッテルを貼っていた。


 アークがワイルドスワンの席に座った途端、具合の悪かった彼は安らぎを得たかの様に、顔が緩んでいた。


「ああ、やっぱりコックピットは落ち着くわ」


(変な体質……)


 コックピットで息を吹き返すアークに、フルートが呆れた様子で溜息を吐いた。


「予定は少し遅れたけど、これでダヴェリールに行っても、ワイルドスワンの心配はなくなったな」

「戦闘機の没収は私も心配だったから、これで安心」

「まあ、盗難される危険性もあるから、円卓に挑むまではアヒルのままにするけど」

「円卓に行くことになったら偽装は解除?」


 フルートの質問にアークが頷く。


「もちろんだ。あそこは、手加減して挑める場所じゃねえよ。行った事ないから知らんけど」

「強い敵と戦うのは怖いけど、またあのワイルドスワンで飛べるのは好き」

「そうだな。自分の思いのまま飛べる戦闘機に乗れるだけでも、楽しいのは間違いねえ」


 2人が会話をしていると、管制塔から離陸許可が下りる。


「よし、それじゃダヴェリールに向けて行くとするか」

「うん」


 2人はウルド商会の整備士達に手を振って別れた後、ネオアルフの飛行場を後にする。

 再びワイルドスワンは北へ進路を向けて、ダヴェリールへと飛び去った。


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