第33話 女の勘

 さらに稼ぐと決めた翌日から、2人は午前だけでなく午後も飛ぶ事にした。

 元々アークはフルートのスタミナ不足を気にしていて、彼女が一緒にダヴェリールに行くと決めた時から、この機会に鍛えようと考えていた。

 アークがこの事をフルートに話すと、彼女も自分が鍛えられるならと、午後も飛ぶ事に同意する。


 そして、翌日から毎日、午前と午後に黒の森へ飛んで、昨日の倍近くの空獣を狩り始めた。

 最初の2日は順調に稼いでいたが、3日目の午後になってフルートの疲労が限界に近づき、集中力の不足から射撃の命中率が落ち始めた。

 そのフルートの様子に、アークは狩りの途中で切り上げた。




 ウルド商会のドックにワイルドスワンが停まると、フルートがフラフラ状態で機体から降りてきて、そのまま地面に座り込んだ。

 そんな彼女に、後から降りてきたアークから、容赦の無い怒声が降り注ぐ。


「フルート、体力が無さすぎる! 来週から午後は2日狩りをして、1日はお前の体力強化の訓練だ!」

「訓練?」


 疲れた様子でフルートがアークを見上げる。


「午後の狩りの代わりに走り込みだ。飛行場を3周してスタミナを鍛えろ!」


 アークがフルートを見下ろして無情に告げる。

 そして、彼女のギルドカードを取り上げると「今日はもう休め」と言い残して、1人でギルドに向かってこの場を立ち去った。

 残されたフルートは、整備士が不安そうに見守る中、悔しそうに唇を噛み締めると、涙を拭いて自分の部屋へと消えた。


「主任。フルートちゃん大丈夫ですかね?」


 ロジーナがフランシスカに近寄って話し掛ける。


「私等じゃどうしようもできないよ。アークの言う通り、今のフルートの問題はスタミナ不足だ。例えどんなに優れたガンナーでも、集中力が切れて使い物にならなくなったら、アークだって危険に晒されるんだ」

「……でも」

「アークとフルートはペアでお互いに命を預ける間柄だ。アイツだって心を鬼にしてフルートを鍛えている。ロジーナ、お前も手を貸すなよ」

「……はい」


 ロジーナはフランシスカに頷くが、それでも心配なのかフルートの消えた2階を見ていた。




 アークはギルドでアイテムボックスの回収と、次回のフライト予約を入れてから、『ルークバル』へ向かった。

 彼が『ルークバル』へ行くのは、今日が週末前日で明日は店が休みなので、マリーベルに会う約束の日だったからだ。


(フルート、お前はまだマシな方だぞ。俺はこれからあの絶倫女に体力を搾り取られるんだ。俺の方がマジやばいって! なあ、知ってるか? 絶倫女ってヤってるときに喘がねえんだぜ。マリーの奴、腰を振っている間ずっと笑うんだぞ。すっげー怖いから! マジ怖いから!!)


 アークは逃げる事も考えたが、1度約束を破ってすっぽかしたとき、その翌日にマリーベルが飛行場に現れて拉致された後、ベッドの上で天国への階段を登り掛けた事を思い出して、逃亡を諦める。


 『ルークバル』へ入ると夜の営業前なので、店の中に客は居らず、マリーベルとメイド服を着たアルバイトの少女が中に居た。

 その3人だったが、アークを笑顔で迎えるマリーベルとは逆に、アルバイトの少女2人は侮蔑の目で彼を睨んでいた。

 彼女達とは何度も会話をしていて親しい関係だったのに、2人の態度の変化を感じてアークが眉を顰める。


(ああ、噂がこの店にまで広まっているのか……)


「あーーそこのお2人さん。先に言っておくが、俺はメイド服愛好家の変態コスプレフェチじゃねえぞ」

「本当ですか?」


 アルバイトの1人、黒髪の少女がジーッと見ながら質問する。


「うふふ。それは私も保証するわ。彼は1度も私にメイド服を着せようとした事なんてないわよ」


 アークの代わりにマリーベルが答えると、それはそれで2人が微妙な顔を浮かべていた。


「マリー。フォローは嬉しいが、これ以上、余計な事は言わないでくれ。俺の性癖がバレる」

「確かにそうね。2人の秘密にしときましょう。それにしてもなかなか面白い噂だったわ。あの恥ずかしがり屋のフルートちゃんが絶倫ねぇ……」


 そう言いながらマリーベルがクスクスと笑う。


「酷い噂ですよね!」


 アルバイトのもう1人。金髪の少女が腰に手を当てて怒りだした。


「そうですよ。あの可愛いフルートちゃんが絶倫で、その……インランだなんて、しかも毎晩ご奉仕しているって酷すぎます!!」


 金髪の少女の後に、黒髪の少女も続けて怒った。


(絶倫で淫乱な女は、目の前に居るけどな)


 アークがチラッとマリーベルを見ると、彼女はそれに気付いて目で笑った。




「それで、フルートちゃんは大丈夫なのかしら?」

「んーアイツ、泣き虫を克服してから、あまり感情を表に出さなくなったから分からん。本人が言うには、そんなに気にしていなかったな。逆に俺の方が気にしすぎって怒られる始末だ」


 アークがカウンターに座ってウィスキーを注文する。


「そうなの? だけどそういうタイプって、ストレスを内に抱えるからケアは大事よ」


 マリーベルがアークのウィスキーをグラスに注ぎながら忠告する。


「アイツ、今は他人の噂なんてどうでも良くなってんじゃね?」

「どういう事?」


 マリーベルに促されて、今週のランキングが1位になった事。

 それで自分達を蹴落とそうと、悪い噂がささやかれ始めた事。

 その報復に先週よりも稼ぎ始めたら、フルートの体力不足が分かって、鍛えている事を説明した。


「やっぱりランキング1位になったのね。お客さんから今週のランキング1位と2位がペアだって聞いていたから、アークとフルートちゃんだと、すぐに気付いたわ」

「まあね」


 喜ぶマリーベルにアークは肩を竦めると、ウィスキーを飲んだ。


「それでいくら稼いだんですか?」


 金髪の少女が目を輝かせてアークに質問する。


「税金で3割引かれたから、俺とフルートの2人で7000万ギニーぐらいかな」


 金額を聞いて、3人が目を丸くする。


「1週間で7000万ギニーって……空獣狩りって儲かるんですね」


 黒髪の少女が呟くと、アークが首を左右に振った。


「そいつは腕次第だな。俺は専属契約してるから、必要経費はタダだけど。普通は弾もエネルギーも自腹だし、修理もするだろうから、稼いでもその半分は経費で消えるし」


「それでも普通に仕事をするよりも稼いでますよね。私も空獣狩りのパイロットの彼氏が欲しくなっちゃった」


 アークの話を聞いて、金髪の少女が両手を頬に添えて溜息を吐く。

 ちなみに、一般家庭の大人が1カ月に稼ぐ月収は平均50万ギニーぐらいなので、アークの稼ぐ金額は彼女達には信じられない額だった。


「やめとけ。空獣狩りの連中はいつ死んでもおかしくねえ。彼氏にするなら、空獣をぶっ殺すクソ野郎より、地味でも真面目でコツコツ働く男を彼氏にするんだな」


 そう言うと、席を立って店の2階へと向かう。


「マリー。今週は午前と午後と飛びまくって少し疲れているんだ。店が終わるまで2階で休ませてもらうぞ」

「分かったわ。ゆっくり休んで頂戴。店が終わったら起こすわね」

「よろしく」


 アークは2階の寝室に入ると、すぐにベッドの上に横になる。

 目を閉じると疲れから、すぐに眠りについた。




 夜にアークが目覚めると、自分が寝ていた寝室の明かりは消えたまま、隣のキッチンの照明だけが光っていた。

 自分の体を確認して、まだ服を着ている事から襲撃前と判断する。


 ベッドから起きてキッチンに向かうと、マリーベルが帳簿を付けていた。

 テーブルの上を見れば、彼女が用意した簡単な料理と、アークのウィスキーボトルが置いてあった。


「精が出るね。できれば今の内に精を出来る限り放出してくれ」

「うふふ。ゴメンね、起こしちゃった?」


 アークの声に、マリーベルが振り向いて笑った。


「いや、自然に目が覚めただけだ」

「もうすぐ終わるから待っててね」

「了解」


 アークはマリーベルの反対側の椅子に座ると、料理をつまみにウィスキーを飲み始めた。


「それで、店は繁盛してるみたいだけど、実際に儲かってるのか?」

「アーク程じゃないけど、それなりの稼いでいるわ。それに、あなたのおかげで先週から大繁盛よ」

「俺のおかげ?」


 儲かっている原因が自分と聞いて、アークが首を傾げる。


「ごまかしてもダメよ。ウルド商会に頼んで、私のお父さんの店と取引するように動いたでしょ。そのおかげでオークジェネラルの肉が、どの店よりも安く仕入れられるから、益々繁盛よ」

「……知ってたのか?」


 マリーベルの話にアークが驚く。


「もちろんよ。お父さんの小さな仲卸店に、この国最大手の商会の方から声を掛けて来たのよ。少し考えれば、あなたが裏で動いたってすぐに分かったわ」

「マリーにはルークヘブンに来た頃から、美味いメシに酒と世話になってるからな。せめてものお礼だよ」

「ごはんとお酒だけ?」

「……まあ、あっちの方もな」


 アークがそっぽを向いて呟くと、彼女は口元を押さえて笑った。


「それに礼に金を渡そうとしても、マリーは絶対に受け取らない。そんな気がしたし……」

「そうね。私も受け取らなかったわ。何となく体を売っている……そんな気がしてね。多分、受け取っていたら、本当にアークを愛せなかったと思う」


 マリーベルはノートを閉じると、アークをジッと見つめてきた。


「ねえ」

「何?」

「時々アークを見て思うの。あなた、死に急いでない?」


 それを聞いてアークが首を傾げる。


「それも女の勘か?」

「どうかしらね」


 マリーベルもアークと同じ様に首を傾げた。


「だけど半分当たってるかもな……」

「どういう意味かしら?」


 マリーベルに問われて、アークは自分の目的、『神の詩』を探す旅について話した。


「そう……もちろん、帰って来れるのよね」


 話を聞いてマリーベルが尋ねる。


「さあな……だけど、俺の親父は生きて帰って来た。もし俺が親父より腕があるなら、同じく生きて帰れる」

「フルートちゃんも連れて行くの」

「その質問を受けたのは2人目だな。臆病で引っ込み思案のあいつも、すっかりこの町のアイドルだ」

「真面目に答えて!」


 アークの冗談にマリーベルが叱る。


「本人の意思で行くと言っていた。だから連れて行く」

「……そう」


 アークの答えに、マリーベルが寂しい表情を浮かべた。


「俺みたいな馬鹿と付き合わず、この町に残れとは言ったんだけどな……アイツも俺と同じで空を愛する馬鹿らしい」

「……本当にそう思っているの?」


 マリーベルがアークに尋ねながらウィスキーボトルを手に取って、自分のグラスに注いだ。


「それ以外に何があるんだ?」

「多分、まだ本人も自覚していないと思うけど、フルートちゃんはアークに惚れているわよ」

「……アイツが惚れてるのは俺の操縦だろ」


 マリーベルがグラスのウィスキーを一口飲む。そして、首を横に振って否定した。


「今はそうかもしれないけど、それがいずれ恋に変わるのも時間の問題よ」

「これも女の勘って奴か?」

「そうかもしれないし、ただの私のヤキモチかもしれないわね」

「……?」

「アークと一緒に飛べる彼女に対する嫉妬かしら。時々、フルートちゃんが羨ましく思う時があるわ」


 そう言うとマリーベルはテーブルに片方の肘を乗せて、グラスの濡れた縁を指先でなぞって遊んだ。


「まあいいわ。この町に居る間は私だけを愛してね。ダヴェリールに行ったら後はフルートちゃんに任せるわ。それと例の噂は私も手伝ってあげる」

「手伝う?」

「ええ。悪い噂は、談合しているパイロット達が2人を落とすための嫌がらせだって、店に来るお客さんに広めとくわ。それで少しは噂も収まるでしょ」

「……助かるよ。ついでに俺がメイドフェチって噂も嘘だと言ってくれると助かる」

「うふふ。了解。じゃあシャワーを浴びてくるわ。それとも一緒に入る?」


 その誘いに、アークは自分の服を嗅いで顔を顰めると、席を立ってマリーベルと一緒に浴室へ入った。

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