第10話 黒の森

 歓迎会の解散後、宿泊先を決めてないアークはどうするか悩んだ。

 そこで近くに居た整備士にどこか良い宿泊先がないか相談すると、ドックの2階がパイロット用の宿部屋で、部屋は空いているからそこで寝ろと鍵を渡された。


 ちなみに、アークがフランシスカに相談せず名前も知らない整備士に聞いたのは、彼女が酔っ払って受け答えできない状態だったから。

 フランシスカは見た目から酒豪と思っていたが、飲む量は普通だったらしい。いや、アークとドーン一家の飲む量が異常で、それに付き合った彼女が不運と言った方が良いだろう。

 酒に酔い潰れたフランシスカは、部下の女性整備士に担がれて、どこかへ搬送されていった。


 アークが泊まった部屋は1ルームの狭い部屋で、風呂無し、トイレは共同。

 だけど、ドックから少し離れた場所に、有料のシャワールームがあっていつでも利用可能だった。

 支払は週末に弾代やエネルギー代と一緒に、口座から引き落とされる。


 翌朝、二日酔いのアークが起きて用を足そうとトイレに入ったら、1人の整備士が便座に頭を突っ込みながら小便と糞を漏らしていてトイレが悪臭を放っていた。


「ここは酒場の便所か何かか?」


 アークは整備士を蹴飛ばして床に転がすと、便座にゲロを吐いてから用を足す。

 そして、用を済ませた後、床で寝ているゲロ塗れの整備士を放置してトイレから出た。




「あーー頭痛てぇ……」


 ワイルドスワンの操縦席で、アークが頭を抱えていた。

 本当は二日酔いで飛びたくないのだが、整備士からキャンセル料金を取られると聞いて、手持ちの金が心細いアークは仕方がなく朝から飛ぶ事にした。


 ちなみに、ドーン一家は昨日ドーガがフライトの予約を入れるのを忘れて、3人仲良くおやすみ中。


(絶対にこうなると分かって、ドーガのおっさんワザと予約を入れなかったな……)


『リ・リ・ク・キョ・カ・ス・ル(離陸許可する)』


 半分目が死んでいるアークが溜息を吐いていたら、管制塔から離陸許可の連絡が入ってきた。


「仕方がねえ。行くとするか……」


 アークがペダルを踏んでエンジンの出力を上げる。

 ワイルドスワンは時速150km/hでゆっくりと地面から離れると、黒の森へと進路を向けて飛び立った。




 ワイルドスワンが黒の森に入ると、既に何機もの戦闘機が森の上空を低空飛行して、狩りを始めていた。

 ここでの狩りが初めてのアークは、彼等の邪魔にならないように高度を上げて旋回させると、のんびりと彼等の様子を伺った。

 アークが眺めていると、森の中から2匹の空獣が飛び出して、旋回していた戦闘機に襲い掛かった。


(ゴブリンか……。あれは、数は多いんだけど1匹の単価が少ないんだよな……)


 キーキーと甲高い叫び声を上げて機体を追いかける空獣ゴブリンは、牙を生やした醜い子供の容姿で、肌は緑色。手足は栄養不足の子供の様に細いのに、腹だけが異常に膨らんでいた。

 彼等は非常に好戦的で、縄張りに入った敵に見境なく襲い掛かる習性があった。

 攻撃方法はシンプルに敵に向かっての体当たりのみだが、飛行速度が遅いので、エンジントラブルなどがない限り追いつかれる事はない。

 ただし、大抵の場合は2匹から3匹で襲ってくるから、たまに新人がやられる場合もあった。

 そして、このゴブリンは倒しても体内の魔石しか価値がないため、アークがまだヴァナ村に居た頃は、出くわしたくない相手だった。




 アークが注目している戦闘機は速度を上げると、機体を旋回させてゴブリンに攻撃を始めた。


(照準が甘めぇ……)


 アークの指摘通り、機体から放たれた弾丸は2匹のゴブリンにかすりもせず、逆にゴブリンに襲われていた。

 戦闘機はゴブリンの体当たりを危なっかしく避けて背後に回り込むと、機銃を撃って1匹目を倒した。

 そして、もたもたしながらゴブリンの死体をアイテムボックスに回収すると、残りの1匹に向かって戦闘を始めた。


(……あれで本当に免許を取ってるのか? 仮免中の奴等と動きが同じだぞ)


 アークはそう思っているが、子供の頃から元空軍のエースだった父親に鍛え上げられ、免許を取った後もすぐに戦闘機に乗って空獣を狩っていた彼が異常なだけで、普通の新人は免許を取った後、軍に入らない限り戦闘機は高くて買えない。

 そんな新人たちは、ギルドから中古のレンタル機を借りて飛行技術を鍛えつつ、日銭を地道に貯金していくのがやっとな状況だった。


(ここはあまり面白くないな……中央へ行ってみるか)


 ゴブリンとの戦闘を最後まで見ず、アークはワイルドスワンを森の中央へと移動させた。




 ワイルドスワンを森の中央近くまで飛ばすと、森の木が高くなった。


(昨日、ドーズ、ん? ドーガ? どっちだっけ? まあいいや。どっちかが言っていた通り、木が高くなっている。ここら辺が中央だな……)


 アークが上空から森の中を覗きこんでも、300m以上伸びている木の葉に隠れて、中の様子は分からなかった。

 周辺を伺うと幾つかの戦闘機が低空を飛んでいたが、乗っているのは中堅クラスのパイロットらしく、先ほど見ていた新人と比べて、安定感のある飛行をしていた。


(試しに俺もやってみるか!)


 アークはワイルドスワンの高度を下げると、木の先端が当たるぐらいの超低空飛行で旋回を始めた。

 他の戦闘機よりも低く飛ぶ操縦技術は新人とは思えず、周りのパイロットは見た事のない戦闘機に乗ったベテランが、突然現れたと思っていた。


 アークが哨戒して飛ばしていると、背中がムズムズと感じ始めて、すぐに機体を上昇させる。

 その直後、森から1匹の空獣が現れてワイルドスワンを追い駆けて来た。


「ヒット! お、コイツは豚か」


 ワイルドスワンに襲い掛かったのは、オークと呼ばれている豚の容姿をした空獣だった。

 基本的な攻撃はゴブリンと同じ体当たりだけど、オークはゴブリンよりも飛行速度が早く、油断していると体当たりを喰らう。

 さらに、オークは体当たり以外にも、近距離まで接近して口から酸の唾を高速で撃ち出す攻撃があった。

 ゴブリンと比べて難敵だが、オークは魔石以外にも、皮と骨は魔道具の材料に、肉は食材としても高く売れるため、儲けのある空獣だった。




 アークが速度を上げて機体を上下左右に急旋回のシザースで動揺させてから、突然急上昇してオークの頭上に位置した。

 そのワイルドスワンの行動にオークが慌てて機体を追い駆けていた。


(これは飛ばしてくるな)


 アークの予想通り、オークが空中で立ち止まって酸の唾を高速で飛ばしてきた。

 それと同時に、ワイルドスワンが左への360度ロール回転で横へ移動して回避に成功。

 酸の唾がワイルドスワンの横を通り過ぎた。


 オークがブレーキが掛かった様にピタリと空中で止まる。

 これは、酸の唾を放つために一時停止せねばならず、撃った後も硬直状態が続くためだった。


 動きを止めたオークに向かって、アークが20mmガトリング砲を撃つと、弾丸がオークの頭に命中して死体が空に漂った。

 すぐにワイルドスワンを旋回して死体に近づくと、アイテムボックスへ回収した。


「最初にしてはいい感じだ。ああ、まだ頭が痛てぇ……やっぱり最悪だわ」


 アークは二日酔いの頭を押さえて呟くと、次の空獣を探し始めた。




 最初のオークを倒した後、見た目が猪に似ていて猛スピードで直進してくる空獣エアーボアを2匹倒してから、再びオークを2匹倒す。

 最後に、どこかの整備士に似た悲鳴に近い叫び声を上げて操縦者をイラつかせるのが特徴の空獣ハーピーを、中指を突き立てながら撃ち殺した。


 アークは初めてこの森に入った新人とは思えない成果を上げているが、それには理由があった。

 通常、森の上空を旋回して空獣を誘うにしても、アークの様に木の頂をギリギリで飛ぶ馬鹿は居ない。

 何故なら、そんな低飛行で飛んだら空獣を見つける前に襲われて、撃墜されるのが普通だからだ。


 だけど、アークはそれを知らず、木にぶつけるぐらい超低空で飛び、直感だけで空獣の初撃を躱し、超絶飛行で獲物を狩る。

 周りから見れば自殺行為に等しい狩り方なのだが、彼はいとも簡単にそれを繰り返していた。


 そして、超低空飛行にもメリットはあった。

 戦闘機が低く飛ぶほど、空獣は音と姿に反応して釣られやすくなる。

 だから、ベテランのパイロットは出来るだけ低く飛ぶのだが、新人のアークがそれをやるのはやはり異常だった。

 結果的に、アークは中堅のソロパイロットと比較して、3倍近い稼ぎを上げていた。




(そろそろ引き上げるか……)


 アークが帰ろうかと考えていたら、後ろから今までと違う凶悪な気配を感じて、慌てて速度と高度を上げた。

 その直後、森から今までとは比較にならないほど大きな空獣が現れた。


 空獣オーガ。

 全長10m、赤黒い肌に牙の生えた鬼の様な形相。大きい図体なのに飛行速度は速く、手からファイアーボールを放つ攻撃をしてくる。

 通常、オーガは複数機で戦うべき空獣で、1機で出会った時は逃げるか応援を呼ぶのが普通だった。

 しかし、難敵のオーガは、全ての素材が高額で取引されることから、危険を冒してでも挑む価値があった。




「オーガか! 最後に大物が引っかかったぞ!!」


 ワイルドスワンが速度を上げて上昇すると、オーガはその背後を追い駆けながら手を突き出した。

 オーガの手が赤く光って炎の塊を作る。そして、ワイルドスワンに向かってファイアーボールを放出した。


「ほっ!」


 ワイルドスワンが上昇しながら機体を左へ360度ロール回転して、ファイアーボールを躱す。

 さらに、オーガはワイルドスワンの背後を張り付くと、何度もファイアーボールを放ってきた。


 アークが機体を左右に揺らして機体をロールさせ機首を上げる。

 連続のブレイク旋回でファイアーボールを躱しながら高度2000mまで上昇すると、雲の中に入って姿を隠した。

 そして、雲の中に入って横へロール旋回して、ワイルドスワンを探すオーガの背後を突いた。


「喰らえ!」


 ワイルドスワンの機銃から放たれた弾丸が、オーガの背中に突き刺さると、紫色の血しぶきが飛び散った。


『ガアアアアアアアアアアア!!』


 撃たれたオーガが怒りを露わに大絶叫を空に響かせ、体から目に見えない威圧が広がり空を制した。

 その様子にアークが驚いてオーガを凝視する。


『ウオォォォォォォ!!』


 さらにオーガは体に力を貯めると、一気に解き放った。

 力は衝撃波に変わり、威圧と共に空を駆け巡る。

 その衝撃波でワイルドスワンは揺さぶられ、魔の森を覆っていた雲が一気に晴れた。


(今のは何だ! オーガがあんな攻撃するなんて聞いた事ないぞ!!)


 ワイルドスワンを見つけたオーガとアークの目が合うと、オーガは好敵手を見つけたかの様な笑みを浮かべていた。

 そのオーガの様子に驚くアークだったが、不敵に笑うオーガのツラを見ている内に闘争心に火が付き、座席の下から水筒を取り出すと、中のウィスキーをゴクゴク飲んだ。


「カアァァァァ!! コイツは二日酔いに来るぜーーガチに来るぜーー。という事で、イッチョ始めますか!」


 強烈なアルコールが口の中で熱く広がって、感覚が鋭くなったアークがワイルドスワンと一体化する。

 そして、ワイルドスワンとオーガのドッグファイトが始まった。




 オーガが両手を前後に激しく動かして、ファイアーボールを連続で撃つ。

 アークは機体を高速で横へ急旋回させながら上下に揺すりつつ、不規則に旋回を繰り返すシザーズで、ファイアーボールを全て避けた。


 さらにオーガはファイアーボールを撃つが、ワイルドスワンは旋回して攻撃を躱して上昇を続け、それをオーガが追い駆ける。

 ワイルドスワンは高度3500mで最後のファイアーボールを避けると、機体の速度を落として操縦桿を前に倒し、急な180度の上下回転で機体を下向きに反転させる。

 回避行動を続けて防戦一方だったワイルドスワンの反撃が始まった。


「勝負だ!」


 見上げるオーガに向かって、太陽を背にしたワイルドスワンが錐もみ状態で急降下を開始。


『ガアアアアアアアア!!』


 オーガが叫び、両手を合わせて大きな火の玉を作りだすと、その様子は小さな太陽が生まれたかの様だった。

 オーガが急降下で降って来るワイルドスワンに向かって巨大なファイアーボールを放つ。

 アークが機体を捻じらせる。急旋回の360度ロールで避けると、ファイアーボールは翼の先端を僅かに掠らせて、空高く飛び去った。


「クソ野郎、生まれ育ったババアのケツに帰れ!!」


 アークがガトリング砲を撃ち、さらに機体を回転させる。

 急降下しながら回転するワイルドスワンから放たれた弾丸が上空から降り注ぎ、オーガの体から血飛沫が舞うと、その巨体をふらつかせた。


『ガアアアアアアアア!!』


 死を目前にしたオーガは残された最後の力で、迫り落ちるワイルドスワンに向かって拳を振り上げる。

 ワイルドスワンが急降下しながらロール回転。高速のエルロン・ロールで拳を躱してオーガの横を通り過ぎた。




 地面に墜落する前に機体を水平に戻してアークが空を見上げると、頭部を弾丸で撃ち抜かれたオーガが首をガックリと項垂れて死んでいた。


「イヤッホーー!!」


 アークが片方の拳を上げて叫び喜んでいると、アークとオーガの戦いを固唾を飲んで見守っていた複数の戦闘機から無線が入って来た。


『ナ・イ・ス・ファ・イ・ト(ナイス、ファイト)』

『ソ・ロ・デ・オ・ー・ガ・タ・オ・シ・テ・ス・ゲ・エ(ソロでオーガ倒してスゲエ)』

『ム・チャ・ナ・ア・ヒ・ル・ダ・ド・コ・ノ・ド・イ・ツ・ダ(無茶なアヒルだ、どこのどいつだ)』

『ア・ヒ・ル・ス・ゲ・ー(アヒルスゲー)』


 その無線にアークが口角の片方を尖らせて笑う。


『ケ・ン・ブ・ツ・リョ・ウ・ニ・イッ・パ・イ・オ・ゴ・レ(見物料に一杯おごれ)』


 全員に向けて返信した後、機体を反転させてオーガの死体を回収。

 その直後に一斉に同じ回答の無線が入ってきた。


『『『『オ・マ・エ・ガ・オ・ゴ・レ(お前がおごれ)』』』』


「ケチな奴らだ」

 

 アークはワイルドスワンを揺らして彼等に別れを伝えると、ルークヘブンの町に向かって飛び去った。

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