第7話 アルフガルドの街
アルフガルズの街は皇太子の結婚で普段よりも活気に溢れていた。
街の至る所で楽し気な音楽が流れて、住人が曲に合わせてダンスを踊る。
今もこの国の東では、スヴァルトアルフ国とニブル国が戦い多くの命を落としているが、この街の住人はそのことを忘れて祭りを楽しんでいた。
街中が陽気なのも理由がある。
アルフ国内で他国の戦争が始まっても、戦争中の2国の兵士はこの首都アルフガルズへの立ち入りを禁止されていて、今まで一度も足を踏み入れたことがなかった。
さらに、アルフの国民が戦争で殺された場合、国から遺族に対して補償金が出ていた。
アルフガルズの街人は、戦争を他人事のように思う風潮があった。
(人、人、人、人。お、コイツはドワーフ……いや、ただのデブ。街中が人で溢れてやがる。これ、近辺の村からも人が集まってねえか?)
アークは賑わう街を見ながら今晩の宿を探す。
ちなみに、既に3件の宿屋を回ったが全て満室で、未だに今晩の宿を決めてなかった。
半分諦めながら街を彷徨っていると、とうとう街の外れまで歩き、そこで小さな宿屋を見つけた。
(ここでダメなら酒を持ち込んでドックで寝るか……屋根あるし……)
アークが宿屋のドアを開けようとしたら、突然、ドアが激しい音を響かせて開いた。
目を丸くして驚いていると、宿屋の中から若い男が飛び出てアークの目の前で倒れた。
「……?」
この状況に首を傾げていたら、今度は若い女性がバケツを持って現れて、アーク諸共、若い男に向かってバケツの水をぶっ掛けた。
「…………」
突然の出来事に反射神経が他人よりも優れているアークでも対応できず、意味が分からないまま全身ずぶ濡れになる。
「もうアナタとは離婚よ! 今すぐ出ていっ……あら?」
アークに水をぶっ掛けた女性は、倒れている男に向かって怒鳴っていたが、叫んでいる途中でずぶ濡れのアークに気付くと、口元を手で隠して驚いた。
「……最高の歓迎だな。ところで服を乾かす場所を貸してくれないか?」
アークは濡れた服を掴んで肩を竦めると、水を掛けた張本人に尋ねた。
水を掛けた女性は、アークを宿屋に招き入れて何度も謝っていた。
「本当にごめんなさいね。とりあえず主人の服だけど服が乾くまでの間は、それに着替えて」
「ああ、そうさせてもらうよ」
アークは渡された服を持って洗面所で着替えると、テーブルを挟んで彼女の正面に座った。
「あら、ちょっとサイズが小さかったかしら?」
「ズボンの丈が少し短いし、腹回りに隙間があるな。旦那に中年太りがスタートしていると伝えた方がいいぞ」
ちなみに、その服の持ち主は宿屋の前で泣いている。
「ところで1つ尋ねるが、ここは宿屋で合ってるよな」
「ええ、そうよ」
「それにしては、人っ子一人居ねえけど、何で?」
「今日はこれから皇太子のパレードがあるからね。お客さんは全員それを見に中央通りへ行ったわ」
「なるほど。他人の幸せを願う奴は、自分が相手を見下している事に気付いた方がいいな。俺はどん底の不幸の人生をさらに奈落へ落ちてるから、他人の幸せを見ると、そいつらに向かって火炎瓶を投げたくなる」
「衛兵に通報してもいい?」
「留置所で1晩も構わないが、酒が飲めそうにないから遠慮しておくよ。それで、一体、喧嘩の理由は何なんだ?」
アークが出された熱い茶を飲みながら尋ねると、女性が喧嘩の原因を思い出して再び怒り始めた。
「浮気よ! 何度言っても直らないんだから……」
彼女の話を纏めると……。
彼女の名前はニーナ。その旦那はヨハン。共に20代でニーナが親から継いだこの小さな宿を2人で経営していた。
そのヨハンは、身長が高く顔はハンサムだし、仕事も真面目に働く青年なのだが、彼には浮気の癖があった。
そして、近所に暮らす後家の数人と関係を持っている事がニーナにバレて、現在修羅場の真っ只中らしい。
「後家殺しの浮気ねぇ……サービスが足りてねえんじゃないか? 足腰立たなくなって、浮気できなくなるぐらいのプレイをしてやれよ」
「サービスって……それなりに……してるわよ」
ニーナが顔を背けて、頬を赤らめながら答える。
「となると、アンタはヨハンに舐められているな」
「どういう意味かしら?」
アークの言っている意味が分からず、ニーナが眉を顰めた。
「つまり、あんたの旦那は浮気がバレても、最後には許してもらえる。そう思っているんじゃないかな?」
「何ですって!!」
話を聞いたニーナが怒って立ち上がろうとするのを、アークが落ち着かせて椅子に座らせる。
「まあまあ、落ち着けって。男なんてヤらせてくれる女が居れば、自然と下半身がおっ立つ生き物だぞ。だけど、どうしてもと言うなら協力するぜ」
「協力?」
協力と聞いてニーナが首を傾げる。
「その代わりに1晩泊まらせてくれるなら、という条件だけどな」
「あなた、運が良いわね。本当は満室と言うところだったけど、午前中に子供が熱を出して病院で寝泊まりする家族が出たから、1部屋だけキャンセルになったわ。どう協力してくれるか分からないけど、主人を懲らしめてくれるのなら、2人部屋だけど1人分の料金で泊まらせてあげる」
ニーナの提案にアークが笑みを浮かべた。
「オーケー。それで協力方法だけどな……」
アークがニーナにこれからやる事を説明すると、彼女は笑い声を上げていた。
ヨハンが宿屋の玄関前で座ってぼーっとしていると、ドアが開いてニーナが現れる。
「ニーナ!」
「ヨハン、大事な話があるわ。中に入って」
普段は「あなた」と呼ぶニーナが、自分の事を名前で呼んだことに疑問を感じたが、それでも許してくれたと勘違いして宿屋の中に入ると、彼女はアークの隣に座って彼を待っていた。
「そこに座って」
ニーナがヨハンに向かって、自分達の正面の椅子に座るように言う。
彼女の隣に座るアークは、黙ってヨハンの様子を伺っていた。
「座る席が違うんじゃないかな?」
「いいから座って!」
ヨハンが話し掛けると、ニーナが再び命令してきたので、彼は慌てて椅子に座った。
「大事な話はね……実は私、貴女と離婚して彼と付き合う事にしたわ」
ニーナはヨハンにそう言うと、横に居たアークの腕に抱きつき笑顔を振りまいた。
そして、そのアークも彼女の腰に腕を回して「ふっ」と微笑み、仲の良い様子をヨハンに見せつける。
「……え?」
ニーナの口から出た話の内容と行動に、ヨハンが顎が外れたように口をあんぐりと開けた。
「だ・か・ら。私はアークと付き合うから。ヨハンは別れてくれる?」
「チョッ! チョット待ってくれ!! 何で俺が居るのに、コイツと付き合うんだ!!」
ヨハンが立ちあがってアークを指さし大声で怒鳴ると、ニーナがギッ! とヨハンを睨み返した。
「アナタが浮気するからに決まっているでしょ!!」
「うっ!」
「もう私、疲れたのよ。アークは私を大事にするって言ってくれたし、アナタが浮気をするのなら、私だって別の男性を愛したって問題ないでしょ。だけど、私はアナタと違ってケジメは付けたいの。だから離婚して彼と一緒になるわ」
「そ、そんな……」
ニーナの言い分を聞いて動揺するヨハンだが、浮気を始めた自分が悪いのは自覚しているので、どうしていいか分からず頭が真っ白になっていた。
「という事で悪いな。まあ、安心しろよ。ニーナは俺が後生大事にして幸せにするからさ。アンタは、後家か性病もちのアバズレかは知らねえけど、好きな女と好きなプレイを楽しめよ」
アークは追い打ちにニーナの腰に手を回して彼女の頬にキスをすると、ニーナは彼の顔をうっとりしているかのように見上げて微笑んだ。
「お、俺のちゅまに何をする!!」
ヨハンが咬んで「ちゅま」と叫ぶのを聞いて、アークが心の中で爆笑。
ニーナをチラリと見れば、夫の行動が面白いのか、笑いを堪えて口角がヒクヒク動いていた。
「ヨハンは浮気相手のところに行けばいいじゃない。そこで再婚でもヒモでもして好きに生きなさい」
「ま、待ってくれ! お、俺が、わ、悪かった!!」
ヨハンは慌てて椅子をどかすと、ニーナに向かって土下座をしてきた。
「もう二度と浮気をしない! 今度は本当だ!!」
必死の形相で鼻水と涙を流して土下座するヨハンだったが、その様子を見ていたニーナは我慢の限界に達して大声で笑いだした。
「ぷっ、くっくっくっくっくっ、もう駄目、限界! あははははっ!!」
ニーナが腹を抱えて笑い、それでも足りずテーブルに顔を埋めると、バンバンとテーブルを叩いて笑い転げていた。
「……ニ、ニーナ?」
その彼女の様子にヨハンが首を傾げる。
「あははははっ。あー苦しい。こんなに笑ったのも久しぶりだわ。何、今の顔。もの凄く間抜けに見えたわ」
「…………」
「もういいわ。2度と浮気をしないって誓える?」
「も、もちろんだ!」
ニーナの質問に、ヨハンが何度も頭を上下に振る。
「次に浮気をしたら、お仕置きよ」
「ああ、何をしたって構わない。だから、離婚だけは勘弁してくれ!」
それを聞いたニーナがアークの方を見ると、彼も両肩を竦めて「もう許してやれよ」と視線を送った。
「嘘よ」
「へ? 嘘?」
嘘と聞いて、ヨハンが鼻水と涙に塗れた汚い顔のまま、キョトンとした表情を2人に見せる。
「彼はあなたの浮気を直すために協力してもらっただけの人」
「ごめーんね」
ニーナが種明かしをして、アークが笑顔で謝る。
「…………」
そのアークの笑顔を見て、ヨハンが顔を引き攣らせた。
「本当にこれが最後だからね……」
ニーナは両肩を竦めて溜息を吐くと、彼に向かって呟いた。
アークはヨハンを懲らしめた礼として、その日はニーナの宿に泊まることができた。
「あんたも酷いよ」
この日の夜、カウンターでエール酒を飲むアークに向かって、中で仕事をするヨハンが恨めしそうに呟いた。
「何? ネトラレて興奮した?」
「チョッ! そんなんじゃないって。だけどアンタだって分かるだろ。妻を愛しているけど、別の女性ともヤりたくなる時があるみたいな……」
アークは右肩を竦めると、手にしたエールを飲む。
「さあな。俺は結婚とは無縁でね。それに今まで住んでいた村でヤらせてくれる女と言ったら、近所の農家で飼われている雌ヤギぐらいしか居なかったからな……」
アークの話にヨハンがギョッとする。
「……ヤギとヤったのか?」
「残念ながら、常に先約が居て1度もヤってねえ」
「ヤギとヤるなんて、ソイツ凄いな」
「そうか? 普通に雄ヤギだぞ」
「…………」
変な顔をするヨハンを見て、アークが笑い転げる。
「だけど、俺から見てもニーナはいい奥さんだ。大事にしてやれよ」
「それは俺だって分かってるって……だけどさ、向こうから誘ってくるんだぜ。あんな色気を出しながら手招きされたら、誰だっ……」
「……あ!」
アークが会話を遮って、ヨハンの後ろを指さす。
「ん?」
ヨハンが振り返ると、すぐ後ろで引きつった笑顔を浮かべるニーナが立っていた。
その彼女がヨハンの肩をガシッ! と掴む。
「今晩はお仕置きね!」
「ヒッ!!」
恐怖に怯えるヨハンに、アークは心の中で彼の冥福を祈った。
「アーーーーーー!!」
深夜。アークが寝ていると、1階からヨハンの絶叫が聞こえた。
「お仕置きか……」
実は、アークはニーナへお仕置きについても伝授していた。
アークが彼女に教えたお仕置き内容は一言、「サービスでケツの穴に指を入れろ」という内容だったのだが、アークもまさか伝授したその日に実践するとは思っていなかった。
「……貫通おめでとう」
アークはベッドの上で一言呟くと、再び眠りについた。
翌朝。げっそりとしたヨハンとは逆に、お肌ツヤツヤのニーナがアークを笑顔で迎えた。
「新たなステージに進んだな。昨晩はリビドーってヤツが全開だったご様子で……」
「ありがとう。攻めるのがあんなに楽しいとは思わなかったわ」
アークの冗談にニーナが礼を言う。ヨハンは喋る元気もないのか、ただ恨めしそうに彼を見ていた。
「チェックアウトよろしく」
そう言って、アークがニーナに部屋の鍵を渡す。
「あら? キャンセルは明日までだから今日も良いのよ」
「残念ながら俺も貧乏でね。今日中にルークヘブンへ行く予定なんだ」
「そう言えば空獣狩りのパイロットだったわね、分かったわ。それと、主人の件はありがとう」
ニーナのお礼の言葉に、アークが軽く手をひらひらと振り返す。
「ヨハンもケツは大事にしろよ」
「まだ後ろが痛い……」
ヨハンの呟きに、片方の口角を尖らせてニヤリと笑う。
「俺の村に居たミッキーって奴は、馬のペ〇スすら受け入れるぞ。直に慣れるって」
「そいつ、スゲエな」
「俺の妄想だけどな」
「ふざけんな!!」
アークの冗談にヨハンが怒鳴り返す。
その彼の様子に、アークとニーナの2人は腹を抱えて笑った。
アークは2人と別れたその足で飛行場へ行き、ワイルドスワンに搭乗する。
(結局、あの2人のせいで、まともな観光をしていなかったな……)
昨日の事を思い出していたら、管制塔からの離陸許可が下りた。
「まあ、いいか!」
そう呟くと、ワイルドスワンを発進させる。
アークを乗せたワイルドスワンはアルフガルドを飛び去り、ルークヘブンへと向かった。
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