第5話 ロンサルス村
ヴァナの村から東へ900km。中立国アルフ。
このアルフという国は、南にニブル、北にスヴァルトアルフと戦争中の2国に挟まれて、どちらの味方もしないという条件で中立を宣言していた。
ただし、中立と言っても片方に味方をしないと宣言しただけで、自国内で2国の兵士が争う事を認めていた。
しかも、自国に被害が出た場合、被害を与えた国に対して賠償を請求する、したたかな国でもあった。
その皇太子が結婚すると聞いて、中立でもできるだけ味方につけたいと考える戦争中の2国が多くの祝いの品を送るが、アルフはその全てを断って、西にある戦争をしていないミズガルズ国からの品だけを受け取っていた。
その祝いの品の中に、ヴァナ村が誇る名産のウィスキーも含まれていた。
アークがヴァナの村を旅立って半日。午前中で嵐を通り過ぎ、天候は曇りだが順調に飛行を続けていた。
コックピットの窓に地図貼り付けて、パンを齧りながら今の位置を確認する。
現在の位置は、ヴァナ村から250Km。
このまま順調に飛べば2日以内でアルフの首都に間に合う計算だった。
(ションベンしてえが、この近辺に飛行場はなし……と)
食事を終えたアークが席の後ろから小便袋を取り出して用を足すと、その小便袋を窓から投げ捨てた。
「夕方まで、このまま飛ぶか……」
1人呟いて、操縦桿を握り直すと飛行を続けた。
この日の夕方。
ワイルドスワンは、ミズガルズとアルフの国境の近くにあるロンサルス飛行場に着陸した。
アークはこの飛行場のある村で1晩泊まるついでに、空賊についての情報を得ようと考えていた。
飛行場の職員に、ここに来た目的と明日のフライト予定時刻を伝えると、宿も兼ねている酒場へと足を向ける。
酒場のドアを開けた途端、煙草の煙と酒の匂いがアークの鼻腔を刺激した。
「いらっしゃい。見かけないパイロットね。泊まりかしら」
店の中に入って来たアークを30代ぐらいの店の女将がいち早く見つけて、多くの客が居る中を掻い潜り彼の前に立った。
「ああ、そのつもりだけどベッドは空いてる? 空いてなきゃアンタのベッドでも構わねえぜ」
アークの冗談に女将が軽く笑って小声で囁く。
「ええ、大丈夫よ。料金は先払いだけど良いかしら。それと、若い子は好きだけど、旦那が居るからやめとくわ」
「リベラルでグローバル主義の俺は、旦那が一緒でも大歓迎だけどな」
アークの冗談に女将が腹を抱えて笑った。
宿泊代を女将に支払い、彼女から部屋の鍵を受け取る。
「部屋は2階の一番奥の12号室よ」
「了解」
「それと食事は別料金になるわ」
「酒があればヤギのナッツでも、何でも食ってやるよ」
それを聞いて女将が再び笑う。
ちなみに、ナッツとは隠語でキン〇マの事。
「面白いパイロットね。荷物を置いたら降りてらっしゃい。ここの名産を食べさせてあげるわ」
「それは楽しみだ」
女将に手をひらひら振って、アークは宿の2階へと上がって行った。
アークは部屋に入ると荷物を置いて、共用トイレで用を足した後、酒場のカウンター前に立った。
カウンターの中では、髭を生やしたハゲの親父が忙しそうにしていた。
「マスター、ウィスキーはあるか?」
「空賊のおかげで、エールとワインしかねえよ!」
「じゃあワイ……」
アークが注文する前に、近くに居た客が飲みかけのエールを彼の前にドンッ! と置いた。
「ん?」
アークは目の前のエールにキョトンとしてから隣の男を見ると、飛行服を着た中年の男がニヤニヤと汚い笑いを浮かべていた。
「ションベン臭せえガキには、ションベンみたいなエールで十分だろ」
中年男に話し掛けられて、アークが首を傾げる。
「なんだ、テメエのションベンか……随分泡立ってるけど性病か? こんなところで酒なんて飲まないで病院へ行けよ」
「……何だと?」
アークの言い返しに男が睨んで身を乗り出すが、アークの口は止まらない。
「すまねえな、俺は見ず知らずおっさんにナンパされてホイホイ付いて行くほど、自由な心とケツは持ってねえんだ」
「あ? 何、言ってんだこいつ」
「ああ、そうか……おっさん、溜まってるのか? 仕方がねえな。シャイなおっさんに代わって俺が何とかしてやるよ」
「はぁ?」
喧嘩を売って来た男が訝しんでいるのを他所に、アークは客の方を向くと突然大声で叫び始めた。
「おーい! 誰か性病のゴブリンでも愛せる博愛主義のホモは居ねえか? コイツがケツを欲しがってるから誰か相手をしてやってくれ!!」
ちなみにゴブリンとは、体内の魔石以外使い道のない醜い空獣で、戦闘機乗りの間では相手を馬鹿にする比喩としても使われている。
そのアークの呼びかけに、客の全員がドッと笑った。
「オイ、テメェ!!」
「何だ? もしかして掘られる方だったか。そいつは、スマン、スマン」
大声で怒鳴る男にアークが笑顔で謝る。だけどその目は笑っていなかった。
「いい加減にしろ、このガキ!」
アークの笑顔がムカついたのか、男がいきなり殴り掛かってきた。
「おっと!」
顔面に飛び込んできた拳をアークが体を横にそらして躱す。
そして、逆に男の腕を掴んで捻り上げた。
「いててててっ。テメェ、腕を離せ!」
叫ぶ男を無視して、アークがカウンターに置かれたエールの入った瓶を掴む。
「お前のエールだ。自分で飲めよ」
そう言ってエールを男の頭にぶっ掛けてから、瓶底で頭をぶん殴った。
「ぐはっ!」
後頭部を殴られて呻く男の腕を捻り上げたまま、空になった瓶をカウンターに置く。
そして、濡れた男の髪を掴むと、カウンターに顔を押し付けてから、顔を近づけて脅すように話し掛けた。
「よう、ホモ野郎。今、どんな気分だ」
「くっ、離せ!」
「いいぜ、その悔しそうな声! 最高だ。それで? なんだって? 聞こえないな」
ガン!
掴んだ髪を上に引き上げて、再び顔をカウンターへ強く叩きつける。
「ぐはっ! くっ、狂ってやがる」
「くっくっくっくっ。いいぜ、ヤりたきゃヤってもいいんだぞ、ホモ野郎。ただしヤるのはどちらかが死ぬまでの殺し合いだ!」
「ヒッ!」
アークが狂気に塗れた笑みを浮かべて吐くセリフに、恐怖を感じた男が軽い悲鳴を上げる。
「わ、悪かった! 謝る! だから、許してくれ!」
「許してくれ?」
「ゆ、許してください!」
アークが聞き返すと、すぐに男が言い直した。
アークは肩を竦めて男を解放すると、彼は店の外へ走り出した。
「テメエ、覚えてろよ!」
その捨てセリフに、アークが男に向かって中指を立てる。
「オースチンはかく語りき、3章16節、『てめぇのケツをぶっ飛ばしたぜ』だ」
ちなみに今のセリフは、アークが生まれる以前に有名だった戦闘機乗りのオースチンが、仇敵ジェイクを倒したときに言ったセリフだと言われている。
「いいぞ、若いの!」
「ヒュー! ヒュー!!」
「スッキリしたぜ!!」
男が出て行った後、店の客から歓声と拍手が沸き起こる。
アークが客の反応に驚いていると、カウンターにワインが置かれた。
「面白かったぜ、これは俺のおごりだ」
置いた相手を見れば、店のマスターがアークに向かって肩を竦めつつ笑っていた。
「こいつはラッキー。遠慮なく貰っとくよ。で、アイツは何だったんだ?」
「アンタが若く見えるからからかったんじゃないか? アイツはここ2週間前から居ついていてな。いろんな客に絡んできては迷惑を掛けていた。そろそろ出入り禁止にしてやろうと思っていたところで、今日の騒ぎだ」
アークの質問に、店のマスターが顎髭をなぞりながら答えた。
「あの男も見た目はパイロットっぽかったけど、この近辺に空獣なんて生息してたっけ?」
マスターに尋ねながら、アークがワインを一口飲む。
適度なアルコールが喉を熱くして、少しだけ気分が良くなった。
「いや、居ない。ここに泊まるパイロットの大半は輸送機か護衛のパイロットぐらいだ」
「それなのに、ここに2週間も居るのか?」
「……言われてみれば確かに変だな」
アークのの質問にマスターが首を傾げる。
「なあ。もしかして、さっきの奴、3、4日前もこの店で誰かに絡んでなかったか?」
「……確かに絡んでいたな……相手は輸送機のパイロットだったと思う」
「そうか。仕事の邪魔をして悪かったな。そろそろ何か腹に入れたいんだが、美味いメシを頼む」
「ああ、分かった。少し待ってろ」
マスターが離れて調理を始めると、アークは考えを纏める事にした。
(この村はミズガルズとアルフの中継地点で、空獣を狩る戦闘機乗りは居ない。なのにここに駐留している理由は……1つしかねえな。絡んできた男は空賊かその協力者で、獲物の輸送機を物色して仲間に報告しているんだろう。そして、3日前に襲われた輸送機もアイツが絡んでいる可能性が高い……か……)
溜息を一つ零した後、ワインを飲みながら対策を考える。
(泊まるのをやめて今夜中に飛ぶか? ……いや、無理だ。嵐の中を突っ切った後で長距離を飛んだんだ、俺の体力は確実に落ちている。この状態で夜間飛行は自殺行為に近い。今日はとっとと寝て、日の出と同時にこの村を離れてトンズラをかますのがベストだな)
考えが纏まったタイミングで、マスターが料理を運んできた。
「ほら出来たぞ」
「お、美味そうだな」
出てきた料理を見てアークがお世辞を言うと、マスターは嬉しそうに料金を請求する。
アークは料金と少ないチップをマスターに払うと、目の前の料理を食べ始めた。
地元の鳥を使った蒸し料理は、女将が自慢していた通りマスタードが効いて最高の味だった。
食事を終えたアークは、「もっとゆっくりしていけ」と言うマスターに断りを入れると、部屋に戻って何時もよりも早い時間にベッドへ潜り込んだ。
翌朝。
アークは両頬を叩いて眠気を晴らすと、太陽が出る前に起き出して部屋を出る。
1階に行くと、酔っ払って酒場のテーブルで寝ている客以外、誰も居なかった。
店のマスターと女将を起こすのも悪いと考えたアークは、鍵をカウンターに置いてから宿を出た。
「クソ! 朝飯抜きか……」
文句を言いながら飛行場の受付に行くと、眠たそうな係員が書類を見ながらあくびを堪えていた。
「やあ、こんな時間まで精が出るね」
アークが声を掛けると、係員が声に驚いて書類から目を離した。
「随分早いな。もう出るのか?」
「いや、もう少し後だ。だけど、飛ぶ前にチョットだけ相談があってね」
「今は誰も居ないし、暇だから付き合ってやるよ」
「すまねえな。実は……」
親切な係員にアークは軽く礼を言うと、昨日の出来事と自分の考えを話した。
「なるほど。確かにそいつは黒に近いグレーだな。少し待ってろ……」
係員が飛行場のフライト履歴を確認した後「なるほどな」と呟いた。
「昨日の夜8時に、1機の小型戦闘機が緊急離陸したみたいだ」
「8時だと俺がソイツとやり合ってすぐ後だな」
「そうか……目的地は、アルフガルズと書いてある」
「空賊はアルフの空で襲って来たんだろ」
「ああ、そう聞いている」
「「黒だな」」
アークと係員が同時に言うと、お互いの顔を見て笑った。
「そっちで何とかならないか?」
「責任者がまだ寝てる。しかも出勤が昼からだ」
「素晴らしい仕事ぶりだな」
アークの皮肉に係員が肩を竦める。
「こっちはドンパチやっている東と違って平和だからな。ここの責任者は首都から左遷された貴族だ。だけど例えヤツが居たとしても、何もできないし、何もしない」
今度は逆にアークが肩を竦めた。
その様子に、係員が片方の口角を尖らせてニヤリと笑う。
「だから、末端の俺たちが何かをやっても、何も理解できない」
「ん?」
「ここの責任者名義でアルフの空軍に応援要請してやるよ」
「大丈夫なのか?」
「何、アイツは騒ぐだろうが、誰がやったかなんてバレやしないさ」
それを聞いたアークが笑顔で手を差し出すと、係員も笑ってアークの手を握った。
「おかげで、助かるよ」
「空の安全を守るのが仕事だから礼はいらない。それで、あんたは空賊が出ると分かっても飛ぶのか?」
「ああ、王子様のためにデリバリーサービスで酒をお届けしなきゃダメらしくてな。日の出と同時に飛ぶ予定だ」
係員がアークが運ぶ積荷の情報を確認し、ウィスキーの文字を見て納得の表情を浮かべた。
「なるほど、羨ましい積荷だな。分かった。こちらも日の出までに書類を作って、空軍へ応援要請しといてやるよ」
「助かるぜ。じゃあ、戦闘機の方も気になるから見てくる」
「ああ、飛ぶときに連絡をくれ。まあ、この時間に飛ぶのはあんたぐらいだからすぐに分かるけどな」
「了解」
係員に見送られてアークが外に出ると、その足でワイルドスワンの様子を見に行った。
ライトを照らしてワイルドスワンの機体を確認すると、エネルギーが半分以上抜かれていた。
その状態にアークが舌打ちをする。
(やっぱりやられていたか……)
このまま飛行すれば、アルフガルズに辿り着く前にエネルギー切れで不時着は免れない。
「余計な出費を出させやがって……」
セルフサービスのエネルギー補給機からホースを引っ張り、紙幣を入れるとワイルドスワンの補給を行う。
(しかし偽装は正解だったな。してなかったら確実にコイツは盗まれてたぜ……)
偽装を提案したギーブに心の中で礼を言うと、他にも荒らされた場所がないか確認を続ける。
念入りに調べて問題がないのを確認していると、東の大地から太陽の光が滑走路を照らし、滑走路横に並ぶ戦闘機のシルエットが独特の美しさを作り上げていた。
「さて、空賊との熱いランデブーと参りますか!」
アークはタラップに足を掛けて一気にコックピットに乗ると、ワイルドスワンのエンジンを起動させた。
『コ・チ・ラ・ワ・イ・ル・ド・ス・ワ・ン・リ・リ・ク・キョ・カ・ヲ・モ・ト・ム(こちらワイルドスワン。離陸許可を求む)』
アークが管制塔に無線を入れると、すぐに返事が返ってくる。
『リ・チャ・ク・リ・ク・ノ・ヨ・テ・イ・ナ・シ・イ・ツ・デ・モ・ト・ベ・ル(離着陸の予定なし、何時でも飛べる)』
そして再び管制塔から無線が入ってきた。
『ハ・ナ・シ・ハ・キ・イ・タ・ブ・ジ・ヲ・イ・ノ・ル(話は聞いた、無事を祈る)』
その返信を見たアークは軽く笑うと、ワイルドスワンの速度を上げて滑走路を走り、東の空へと飛び立った。
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