第4話 嵐の中の旅立ち

 朝、アークが窓を叩きつける音に気付いて目を覚まし、カーテンを開いて外を見れば、昨日までの晴天とはうって変わって、激しい大粒の雨が窓を叩いていた。

 その様子に旅に出るのは延期しようと二度寝を決めてベッドに潜ると、雨音とは別に家の玄関のドアを激しく叩く音が聞こえ始めた。

 アークが仕方なしにベッドから出て、寝ぐせを付けたままドアを開けると、村長とギーブが雪崩れ込むように家の中へ入って来た。


「どうした2人共、朝から元気に老人の散歩か? こんな雨の日ぐらい家に閉じこもって息子の嫁のケツでも撫でてろよ」


 アークの冗談に村長がジロリと彼を睨む。


「相変わらず酷い口だな。シャガンの奴が草葉の陰で泣いているぞ」

「ああ、きっと嬉し泣きして喜んでいるだろうよ。それで何の用だ? 別れの挨拶なら明日で良いぞ。今日は飛ぶ気なんて全くねえから」


 アークは両肩を竦めるが、村長が首を横に振った。


「残念ながら、今日飛んでもらう」

「は? 何で?」


 アークが身を乗り出して驚くと、村長の替わりにギーブが理由を話し始めた。


「今朝、アルフから遠距離無線が入って、3日前に飛び立った輸送機が空賊に襲われたらしい」


 アークが眉をひそめて、3日前の記憶を思い出す。


「3日前って言うと、この村のウィスキーを積んだ奴か?」

「そうだ。積荷をごっそりやられたらしい」

「そりゃまた、災難だな」


 アークが他人事の様に肩を竦めると、再び村長が話しを始めた。


「賠償金は輸送機の会社が保険から支払うが、アルフから代わりのウィスキーを運ぶように依頼された。しかも至急にだ」

「街のアル中が暴走でもしだしたか?」

「それならこんな雨の中、お前の家になど来んわ! 今日を入れて2日後にアルフの皇太子が結婚パーティーをするらしい。その席でこの村原産のウィスキーを出す予定だったのが、その輸送機が襲われた。だから至急、代わりの酒を送るように依頼されたんじゃ」


 村長の話にアークが天を仰いで顔を手で覆う。


「……おおう。その先が予想できて、涙が出てきそうだ」

「物分かりが良くて助かる。ギーブから聞いたが、アルフの首都アルフガルズまで2日で行ける機体はお前の戦闘機だけらしい」

「つまり、このクソみたいな天候の中を出発して、空賊がいるかもしれない場所を飛び、赤の他人の結婚のために酒を届けろって事だろ。しかも、俺が思うに拒否権がないと見た」

「うむ。実に素晴らしい。100点満点だ」


 セリフと共に村長が笑顔を見せる。その笑顔を見てアークが心の中で地獄へ落ちろと願った。


「仕方がねえ。この村のウィスキーは有名だからな」

「確かに俺がこの村を離れて一番悲しいのは、悪友との別れより、ここの酒が飲めなくなる事だ」


 ギーブが話し掛けると、アークも皮肉って頷く。


「儂も早朝にこの爺にたたき起こされて、ウィスキーの樽をワイルドスワンに積んどる。後はお前の準備次第だ」

「分かったよ。飛ぶよ、飛べばいいんだろ!」

「良い返事だ。それじゃ、頼むぞ」


 アークが投げやりに答えると、満足気な村長はアークの家から出て行った。




「喜べ貧乏人。30万ギニーだ。あのケチな村長が報酬を弾むと言ってたぞ」


 ちなみに、ギニーはこの世界の通貨で、一回の食事代が約1000ギニー。安い宿泊で5000ギニーぐらいの価値になる。


「だからこんな嵐になるんだよ! どうせ支払うと言っても、払うのは相手先だろ。全くもって嬉しい限りだ!」


 投げやりに答えるアークにギーブが肩を竦めた。


「飛行テストでお前も理解しているだろうが、偽装のせいで性能は落ちている。最高速度は600 km/hが限界だし、航続距離も700kmぐらいだろう」

「ああ、そいつは覚えている」

「もし空賊に出会っても無茶な戦闘はするな。奴らは集団で襲ってくるから、逃げられるうちに逃げろ」

「さすが元空軍だな。涙が出るほど参考になるぜ」

「それと……もし逃げられないのなら、例のアレを使え」


 アレと聞いてアークが露骨に嫌な顔をする。


「あの飛びながら偽装を解除するアレだろ。結局、そのテストだけはできなかったけど、本当に空中で解除なんてできるのか?」

「理論上は可能だ。ただし速度が300km/h以下でやらないと空中で分解するから気を付けろよ」

「ヒデエ最終兵器で最高だ。空中で機体をバラそうと考えるその思考に殺意が生まれて仕方がねえ」


 アークの冗談を無視してギーブも外へと向かう。


「儂も最後のチェックをする。お前も急げ」

「了解」


 ギーブも家から出ると、1人残されたアークが家を見て軽く溜息を吐いた。


「この家ともお別れか……親父……ありがとよ」


 そう呟くと、アークも着替えて家を飛び出た。




「あーあー。今日の天気はクソ。時々空賊が襲ってくるでしょう。こんな天気に飛べとか普通言うか?」


 ドックの中でアークがワイルドスワンのコックピットに座って、外の滑走路を叩きつける雨を見ながら悪態をつく。


「おい!」

「うおっ!」


 操縦席横のタラップからギーブが身を乗り出し声を掛けると、アークが驚いて身を引いた。


「最後の別れの途中で、汚ねえ顔を突然出すのはやめてくれ。おかげでセンチメンタルな気持ちが、サイコスプラッターになったぞ」

「ウルセエ、アホウ。最後のチェックは終わった。これでいつでも飛べる」

「そうか……ギーブ、本当に今までありがとうな。多分、死んだ親父も喜んでいると思うぜ」


 アークの言葉にギーブが肩を竦めて、少し寂し気に笑った。


「最後に湿気た事を言ってんじゃねえ。ほら、選別だ」


 そう言ってアークに水筒を渡す。


「これは……ウィスキーか?」

「俺の秘蔵の酒だ。大事に飲めよ」

「ああ、ありがたく頂くぜ」

「じゃあな、あばよ」


 ギーブがタラップから降りて機体から離れた。


「ギーブ!」


 離れたギーブにアークが叫ぶ。


「実はな……俺にウィスキーをくれたのって、アンタで8人目だ!」

「バカヤロウ。酒を返せ!!」

「あははははっ」


 アークが笑いながら、コックピットの窓を閉める。


(さて、そろそろ行くか)


 アークがエンジンを起動させる。

 ワイルドスワンのエンジンが起動すると機体が振動して、プロペラが回転し始めた。


「あの野郎、最後までふざけた性格をしやがって……だけど、居なくなると寂しくはなるな」


 ギーブが呟きながら、滑走路へと向かうワイルドスワンを見送った。




『リ・リ・ク・キョ・カ・ヲ・モ・ト・ム(離陸許可を求む)』


 アークが管制塔に無線を入れると、すぐにミッキーから返信が入ってきた。


『コ・ン・ナ・テ・ン・キ・ニ・ト・ブ・バ・カ・ハ・オ・マ・エ・ダ・ケ・サ・カ・バ・デ・イッ・パ・イ・ヤ・ル・カ・ラ・ハ・ヤ・ク・デ・テ・ケ(こんな天気に飛ぶ馬鹿はお前だけ、酒場で一杯やるから早く出てけ)』


「最後までクソな指令でうれしい限りだ」


 そう言いながら、最後の返信をミッキーに送る。


『ク・ソ・ヤ・ロ・ウ・ウ・マ・レ・ソ・ダッ・タ・ヤ・ギ・ノ・ケ・ツ・ニ・カ・エ・レ(クソ野郎、生まれ育ったヤギのケツに帰れ)』


 アークはこの返信を見て管制塔でミッキーと他の職員が笑っている、そんな気がした。




 嵐で視界が最悪の中、エンジンの出力を上げると、ワイルドスワンは速度を上げて滑走路を滑るように走りだした。

 強い横風が吹く中、時速110km/hを超えたタイミングで機体を浮かばせると、同時に縦Gがアークに襲い掛かった。


 コックピットの窓を叩きつける暴風雨の中、一気に高度を上げる。

 その忙しい最中に、突然ミッキーから無線が入りこんできた。


『イ・キ・テ・カ・エ・レ(生きて帰れ)』


「あの野郎……」


 それを見たアークが片方の口角を尖らせてニヤリと笑う。


 高度300mまでワイルドスワンを上昇させると、別れの挨拶に村を1周してから、さらに高度を上げてアルフへと進路を向けて飛び去った。




 嵐で大風が吹き荒れる空を、ワイルドスワンが木の葉が舞うように、風に煽られながら東へと飛ぶ。


「旦那を亡くして溜まってる後家だって、こんな激しいプレイはしねえな!」


 アークが冗談を叫びながら操縦桿を握って機体を水平にしようとするが、ワイルドスワンは上下左右に吹き荒れる突風に揺さぶられてまともに飛べずにいた。


(雷雨という訳じゃねえ……高度を一気に上昇して雲の上に出るぞ!)


 速度ペダルを踏んで一気に操縦桿を引くと、ワイルドスワンが上昇を始め、高度2000mで雲の中へと突入する。

 雲の中に入ると視界が見えなくなるが、それを無視してさらに上昇を続けた。


「抜けた!!」


 高度5000mで乱層雲を突き抜ける。

 視界が一気に晴れて、太陽がワイルドスワンを照らした。


(このままアルフへ向かうぞ!)


 アークは機体を水平にして高度を維持する。

 ワイルドスワンは乱層雲の雲海を、船が渡るが如く東へと飛んで行った。

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