△Ⅵ
コンソールの薄明かりだけが、この暗い室内においては現在唯一の光源だ。
俺が横たわるベッドに掛かる淡緑色のシーツが、ハッキリと見える。
うつ伏せになって胸の下に枕を抱えて、上体だけ逸らす形でコンソールに映された情報を流し読む。
寝ようかとも思ったが、野外生活で培われた警戒心が未だ抜けないらしく、眠気が一向に訪れない。
仕方ないのでコンソールから閲覧可能な電子記事あるいは図書を開き、色々と勉強中である。
まずはサバイバルでの反省点。
もっと知識があれば、もっと充実した生活ができたはずだ。
この街がいつ崩落するかも分からないし、そうなったらまた野外生活を余儀なくされるだろうし、再度勉強しておくに越したことはない。
次いで肉食と菜食について。
野外生活中、沢山の命を奪ってしまった。
やはり命を頂くのは偲びないという観点から、肉食と菜食についても調べてみたわけだが……すると、菜食でも十分栄養は摂取できるし、菜食の方が生産から消費までのコストも安価であることが判明。
……って考えるまでもなく当然だな。
家畜動物は植物を食べて育つのだ。
家畜を育てるコストの中には、植物を育てるコストが含まれている。
肉食は菜食の上に成り立っていると言っても過言ではない。
至極単純な、食物連鎖の話であった。
と言うことは、全人類が菜食になった方が世界規模で節約になるのではないか?
そういう話が全然聞こえてこないのは何故だろう?
まぁいい。
思いついたら、自分から試してみればいいのさ。
肉食主義と菜食主義。
どちらも自分たちの方が身体は丈夫になるし、病気にも強くなると主張している。
いままでどちらかと言えば肉食生活を試して来たから、次回の食事から完全菜食にして、今後の変化を観察してみよう。
己が肉体を用いて、実験してやろうじゃないか。
次の書籍、あるいは情報源に移ろうとしていた矢先、左下に何やら小さく表示されている異物に気がつく。
それまで無かったもの――何かの通知機能によるアイコンだな。
「これは……なんだ?」
『この通知アイコンは、貴方のご友人がオンラインになったことを示しています』
独り言に、コンソール管理AIからの回答が響く。
音声認識で勝手に答えてくれるらしい。
「友人? 誰のこと?」
『通知領域を展開します。オンライン状態のご友人は……一名。アルミナ・ブラビナードさんです』
「へぇ? そんな通知機能があるんだ。しかもいつの間に友人としてリンクされてんだか」
『本日付で追加されました。ご友人と通話されますか?』
いままで長時間沈黙していたのに、ここぞとばかりに喋ってくるな、このAI。
しかし通話って。
こんな夜更けに必要ないだろ。
睡眠の邪魔になると悪いし。
「不要だ」
『畏まりました』
その一言で押し黙るAI。
室内に静謐が帰ってきた。
このまま再度、言葉の海に溺れよう。
と、思っていた矢先――
短い効果音が鳴った。
見ると先程のアイコン部分に、赤く何かのマークが追加表示されている。
「……今度はなに?」
『ご友人の【アルミナ】様よりメッセージです。読み上げますか?』
「メッセージ? ……ああ、読んでくれ」
こんな夜更けにどうしたんだか。
『メッセージ開封……ルフィアス、起きているの? 良かったら、少し話しませんか?』
通話を希望している?
「もしかして、眠れないのか……?」
『どうなさいます?』
「……通話する。掛けて」
『畏まりました。【アルミナ】様へ、通話します』
【コール中】の表示。
すぐに応答された。
『あ、ルフィアス? ごめんね、こんな遅くに』
「いやいいよ、どうせ眠気はなかったし。アルミナも?」
『うん……ちょっと寝つけなくて。いま、何してたの?』
「いま? このコンソールで本読んだりしてた」
そして会話しながらも、俺は次の知識の糧を探している。
指先でコンソールをスクロールし、面白そうなものが無ければカテゴリーを変えたり、検索条件を変えたりしながら。
『本? そんなこともできるの? これ』
「らしいね。適当にいじってたらAIに教えてもらったんだけど。アルミナも何か探してみたら? もの凄い情報量だよ」
『うん。そうしてみる……えーと、どうしたらいいのかな』
「とりあえず、どうしたいかを言ってみればいい。AIが反応してくれるから」
『わかった。じゃあ……本が読みたい』
『――畏まりました。お好きなジャンルをお選び下さい』
あちら側でAIが応答した様子が伝わってくる。
こっちのAI同様に、柔らかな声質と丁寧な言葉遣いで。
『わ、ほんとだー。色々あるわね……どうしようかな』
あれこれ悩んでるな。
選択肢が多いとそりゃ当然悩みの種にもなる。
だから、選択肢を減らす――絞る基準を自分の中で設けておくといい。
勉強するために読むのなら、いまどんな知識が必要なのか。
娯楽として嗜むなら、自分の好きな傾向を把握しておくこと。
新たな境地を広げたいのなら、読んだこと、触れたことのないジャンルに飛び込む……とかな。
『なるほどねぇ。そういうアドバイスは、口に出して言ってくれればいいのに』
苦笑しながらそう言われた。
この距離でも俺の思考はダダ漏れなのか……。
「……そうか? 選んでる横から口を挟んだら、邪魔かと思って」
『気をつかってくれたのね、ありがとう。でも、ためになるアドバイスなら、邪魔にはならないと思うわ』
「ん、そっか……了解」
有益な情報なら口を挟んでも良い、と。
何が有益かを判断するのは、個人の価値観によるから難しい気もするが……。
まぁ、困ってそうなら助け舟を出せば良い、のかな。
『あ、これにしよっかな』
「面白そうなの見つけた?」
『うん、【霊子工学概論】だって。凄く面白そう』
「……え?」
なにそれ美味しいの?
『ん? どうかした?』
「い、いや……けっこう難しそうな本読むんだね」
『ああ、こういうジャンルは初めてよ? ここの設備みてたら、科学も面白そうだな―って』
「へぇ~なるほど。新しいジャンルへの挑戦か」
にしても、そこにいきなり飛びこむのは凄いと思うけど。
『…………』
コンソールの先からは無言で本に集中している気配。
微かに息遣いとか、衣擦れの音が漏れ聞こえる程度になった。
じゃあ、俺も読むことに集中するか。
……次の本は、と。
この国の経済、産業とかにしよう。
他国の情報にはあまり興味なかったから、知識も乏しい。
これから厄介になる以上、ある程度予習しておいた方が得策だな。
えーと……経済規模は、現在世界一位か。
主な産業は、最先端科学による大小様々な物の生産・加工・物流や、情報工学に遺伝子工学……ほとんど何でもあり、だな。
研究者、技術者がその人口の大半を占めていて、この世界の科学技術全般を牽引する国家らしい。
次いで多いのは騎士団と、貴族邸宅での家政婦……?
アンドロイドが普及している時代に、生身の家政婦とは珍しい。
募集対象は……若い女性、ね。
なるほど。
何かイカガワシイ香りがするな……。
……てかこれ、俺の就職先あるのか?
俺の故国――【魔導宗主国ディエンスリュード】は、この国とは謂わば対極。
科学よりも、魔導技術に傾倒した国だった。
そこで学び育った俺もまた、ある程度知識はあるものの科学には全般的に疎い。
今日の自分の言葉を思い出す……。
『職業適正を測るって言うんだから、そんなに気構えなくても良いんじゃない? 皆それぞれ何かしらの適正はあるだろうし』
バカか……楽観しすぎだろ。
何かしらの適性があったところで、需要がなければ意味がないって。
……ヤバイぞこれは。
この国における就職先のほとんどが研究・開発関係なわけだが、学生レベルの知識・技術しかない俺は、他国行き決定か?
では、各国の難民受け入れ実績はどうなっているのだろう?
……。
…………う~む。
ちょっと絶望的な数値ばかりだな。
どこも余所者を受け入れる余裕などないようだ。
こうなったらまた野外生活かなぁ……。
最終的にそれも致し方ないが、もう少しくらいは悪あがきしてみるか。
俺はアルミナにならって、【霊子工学入門】なる書籍を開いてみた。
物理学ならある程度は学校で習ったし、興味本位でだが科学雑誌とかも読み漁ってきたしきっと大丈――
……ま、まさか、一ページ目で頭痛がするとはな。
この本……【中等教育機関用】と備考欄に書かれているが、なんだこのレベルの違いは!?
俺が春に卒業した中等教育機関とはまるで別次元のレベル差だぞ……。
この本を読み始めて数秒で、まるで別の言語で書かれた本を事前知識なし、辞書なしで一〇〇〇ページ翻訳しろと言われたかのような気分になった。
先が、思いやられる。
……ヤメた。
一回休憩を挟もう。
俺は仰向けに転がり、視覚補助器による視界をオフにした。
……ああ、布団の感触に癒やされる。
しかし、それにしてもアルミナはずいぶんと静かだが、順調に読み進めているのだろうか?
あの俺を頭痛にさせた奴(霊子工学入門)を相手に、善戦している、と?
「あ、アルミナ?」
『ん? なぁに?』
「いや、その……かなり熱中しているようだけど」
『ええ、そうね。凄く面白いわよ。参考になるし』
それはさも当然、みたいな返答で。
「さ、参考? そんな難しそうな本の内容、分かるの?」
『まぁある程度……なんとなく、だけどね』
何故、なんとなくでも理解できる?
予備知識があったというのか?
いや、『こういうジャンルは初めて』だと言っていたよな……。
「……ちょっとご教授願えませんか」
「え? いいけど……。上手く説明できるかなぁ」
何にせよ分かるというのなら、ちょっと教えてもらっとこう。
この類の知識が就職できるか否かに関わるなら、死活問題に直結するからな。
――そうして俺は、霊子工学の初歩を夜通しアルミナから教わったのだった。
……。
…………しかし。
……すぅ……すぅ……ハッ!
……どうして?
どうしてこうも人は……、勉強を始めると、眠たく……なるの、だろう……?
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