△Ⅳ




「バカなこと言わないでよ! ルフィアス!? しっかりして!」


 呼びかけ虚しく返事は無い。

 ルフィアスの全身は完全に脱力していて、私の腕の中で意識を失ってしまった。

 最後に彼が呟いた言葉が、耳に残って離れない。

――置いていけ、ですって?

 ここまで一緒に頑張ってきたのに、そんなことできるわけないでしょう……!?

 なんでそんなバカなことを、軽々しく口にできるのよ……!


 やり場のない悔しさと悲しさがこの胸中を荒らし回り、溢れ出た想いが涙となって頬を伝う。

 噛み締めた唇は、血が出そうなほどに痛い。

 痛いけれど、いまは、この心の方が……。


「アル姉……?」


 セレスティアの、不安そうな声。

 見上げれば、片膝をついた私の傍らで、悲痛な顔で佇んでいて。


「ルフィアスは……生きてるの?」


 心配、していた。

 他人の心配を。

 自分だって、怖い思いを沢山しただろうに。

 あと一歩で命を取られる――そんな恐怖を味わった直後で。

 今後、自分がどうなるかすら分からないにも関わらず。

 普通なら、泣き叫んでいても不思議じゃない。


「……うん、まだ生きてる。大丈夫だから……おいで、セレス」


 だから私は、彼女の頭を抱き寄せた。

 いまこうしている間にも、周りの大地はどんどん崩れ落ちていて。

 この場から避難しようにも、ルフィアスを担いで逃げる体力も無くて……何も大丈夫なんかじゃないけれど。

 気休めでも、彼女の心に安らぎを与えたかった。


 けれど、当然ながら奴らにそんな慈悲は無い。

 不意に右手辺りから、何かを絞り取るような、異質な音が聞こえた。

 見れば風が収束するように渦を巻いていて、その渦の中心に、黒い霧が集まっていく途中で。

 その収束点から生ずるのは、無論【黒死魔性フォビュラ】だ。

 光を一切反射しない漆黒の体躯に、そこだけ穴が空いているような白い二つの目があるだけ。

 手足があって人に見えるけれど、言葉はおろか声すら出さないので、意思疎通など到底不可能な異質の者たち。


 一体出れば、ゴキブリのように次々と湧き出す。

 黒い渦の収束が、四方八方で始まる。

……変だな。

 その様子に、何か違和感を覚えた。


 奴らは皆一様に、こちらをただ眺めている。

 私たちを中心に、その周りを囲んで棒立ちになっているのだが、それだけだ。

 様子を伺っているのだろうか?

……だとして、何のために?

 命の搾取が目的であるならば、先ほどと同様に問答無用で襲いかかって来たら良い話だろう。

 何故、それをしないの?


 周囲を不気味に取り囲む【黒死魔性フォビュラ】たち。

――その数十の白き双眸が、同時に、ゆっくりと空を見上げた。

 直後、風が降り立つ。


「えっ――!?」


 風圧に前髪が跳ね上がる。

 その到来はあまりに予想外過ぎて……認識が全く追いつかない。

 何が、起きたのか?

 分からないけれど……とにかく目の前には――いや、見渡す限り、私たちをぐるっと囲むように、白に蒼を差した輝く硬質な何かを全身に纏った人たちが、いつの間にか現れていて。


「……き、し?」


 セレスティアの言葉の意味が、少し遅れて理解できた。

 きし……騎士、のこと?

 そう言われれば、確かにそう見えなくもない。

 馬に騎乗しているわけでもなければ、甲冑を着こんで槍を構えているわけでもないけれど。


 その全身を包む白と蒼の無機質な装甲板……のような物は、中世の甲冑が現代技術まで進歩してそうなったのか、複雑な流線型が織り交ざっていて、かなり頑丈そうな印象を受ける。

 彼らが手に持つものは槍でも剣でもなく、滑らかな曲線を描く筒状の何か――恐らく銃の類だろう。

 私たちを中心として円陣を組み、周囲を取り囲む【黒死魔性フォビュラ】に銃口を向けて微動だにしなくなった。

 背中を向けられているのでその顔は見えないが、こちらを見てくれたとしても頭部まで覆う装甲板により中身は見えないだろう。


「助けに、来てくれたの?」

「……そうだよ」

「――ッ!?」


 飛び上がるくらいに驚いた。

 まさか独り言に返答が来るとは思わなかったから。

 しかも、その返答は背面上空から振ってきたのだ。

 これで驚くなという方が無理だろう。


 その声を発した騎士は、他の騎士同様全身を装甲板で覆っているので容姿など全く分からないが、声は綺麗で優しそうだった。

 そして他の騎士とは違い私たちの近くに降りてきて、手のひらサイズの蒼いボールのような物を、私たち三人の頭上に掲げて。


――すると小さなボールが瞬く間に膨れ上がる。

 膨れるほどに蒼色が薄くなっていき、やがて透明な膜状になって私たちに接触し、そのまま膜の中に吸いこまれるように、私たちはすっぽりと包みこまれてしまった。


「え? え? なにこれ!?」

「アル姉、大丈夫よ。おちついて」


 軽くパニックになる私を尻目に、セレスティアは平然とこの状況を受け入れている。

 知っているの?

 これが何かを。


「怖がらないで。助けが来たの。これは、わたしたちを運びやすくするためのもの」

「そう、なの?」


 運びやすくする?

 そう言えば、段々と身体が軽くなって……!?

 包んだもの全体を軽くするような、重力に干渉するような機構なのかな?


「……保護完了、離脱する」


 このボールを展開した騎士が、独り言のようにブツブツと呟いた。

 仲間への報告?


「さ、それじゃあ動くよ。これから私たちの船にご案内しよう」


 こんな状況だと言うのに優雅な声と所作で、その騎士は私たちを片手で引っ張り上げた。

 そのまま、上空へと急加速で連れて行かれる。

 直後、不気味に静観していた【黒死魔性フォビュラ】が、動いた。

 騎士たちに向かって、示し合わせたみたいに同時に飛びかかる。


 応戦。

 騎士たちは各々発砲しながら、上空へと退避していく。

 狙いは精確でそのほとんど全てが命中するが――効果なし。

 傷をつけるどころかその勢いを止めることすら出来ず、逆に繰り出された黒き腕の一撃で、逃げ遅れた騎士たちが切り裂かれていく。


――響く断末魔の叫び。


 いとも容易く両断され、舞う血飛沫。

 あんなに頑丈そうな装甲が……まるで意味をなしていない。

 人類の科学力が、攻守共に全く及んでいないということなの?

 あの未知の、【黒死魔性フォビュラ】に対しては?

 このまま人類は、打開策もなく蹂躙されていくだけ、なのかしら……。


 血溜まりに沈む数名の騎士を置き去りに、私たちを連れた騎士とその護衛団は、上へ上へと突き進む。

 しばらく行くと、上空で白い単車のような機械が浮遊していた。

 騎士たちがそれぞれ一機ずつ乗りこんでいくところを見ると、専用の走空機かな。

 私たちを連れた騎士もそのうちの一機に乗りこみ、私たちは変形し始めた後部座席へとボールに包まれたまま乗せられた。

 ボールとシートがいつの間にか固定され、白い走空機は一斉に動き出す。


 その間、眼下の大地は黒く塗り潰されていくばかり。

 黒が湧き出し、地が削られ、落ちて、無くなっていく。

 どんどん奈落の底に通ずる穴でも空いていくみたいに、世界から色が失われていて……。


『来るぞ! 急げ!』


 騎士の誰かが通信機越しに叫ぶのが聞こえた。

 どうやらこの後部座席にも、通信機のスピーカーがあるらしい。

 気づけば死体に群がっていた黒が、こちらに顔を向けていて。

 そのまま地を飛び立ち、向かってくる。


『クソッ! ブースト解放許可を!』


 通信機から漏れる騎士たちの声に、焦りの色が滲む。

 追いつかれたら死を免れない。

 それほどの絶望的な戦力差。

 奴らを穿つ武器も無ければ有効な防具も無いのだから、当然か。


 速度はこちらの方が上なのかな?

 追いつかれないどころか引き離しているようにも見える。

 なのに何故、こんなにも焦っているの?

――その答えは後ろではなく、目の前にあった。


『躱せぇぇぇぇえええぇえぇええッ!?』


 叫び裏返る壮年男性の声。

 騎士たちの進行方向に、突如出現した一体の【黒死魔性フォビュラ】。

 中央の私たち目掛けて、その頭上に掲げた双腕を振り下ろして――!


 当たる――正にその直前、車体が滑るように捻れた。

 九〇度の左回転。

 一瞬、身体が水平になる。

 頭上を、黒く不気味な腕が唸りをあげて掠め行く。

 交錯する白と黒。


 騎士は、すれ違い様に何かを振り抜いた。

 眩く光る棒状の武器――剣、だろうか。

 ジュ、と水が水蒸気へと変わるときに出すような音。

 爆散したのは――武器の方だ。

 手元の柄だけ残して消え去り、【黒死魔性フォビュラ】の方は無傷のまま。


 焼いたのは、軌道途中の空気だけ。

 飛び散った光の欠片は火花となり、私たちを包む球体へと降り注ぐ。

 曲線をなぞるように、火花が眩く通りすぎて。

 まるで、煌めく流星が目の前にあるみたいに。

 けれどそれが車体にぶつかると、一転して牙を剥き、特殊な材質と工法で造られているはずの装甲を、いとも容易く穿つのだ。

 笑えるほど簡単に、綺麗だった車体は抉られ、焼き焦がされ、溶かされて、多量の傷がつく。


 はっと気づいて前を見る。

 爆散に最も近かったのは、柄を握っていた本人だ。

 走空機がこの有り様なら、生身の人間はどうなってしまうの?

――目にした光景は、凄惨だった。

 全身に纏っていた彼の装甲には幾つもの流星の軌跡が刻まれていて、その下からは、赤黒い傷痕が……。

 なのに、それでも彼は動じることなく、ただ操縦に専念して前へと進んでいく。

一時隊列を乱した護衛団も周囲に戻ってきた。


 【黒死魔性フォビュラ】は、躱されたことでたたらを踏み、その場に取り残されていて。

 速度を落とさず駆け抜け、一気に引き離すことに成功。

 遥か後方から追いかけて来ていた一群も、いつの間にか止まっていた。


 進行方向には、大きな船が見えている。

 船と言うより、鉄塊と言った方が適切かも知れない。

 それほどに、無骨な造形をしていて。

 並走しながら船体横に開いた出入口より進入。

 陽光の下から、人工灯に照らされた格納庫内へ。


『ここまで来れば、もう大丈夫だよ。よく頑張ったね』


 通信機越しに、優しげな声音が響く。

 振り向いた騎士が、血まみれの笑顔で声を掛けてきたようだ。

 削れた頭部装甲の間から覗く理知的な黄金色の瞳と、流れる銀糸みたいな綺麗な髪。

 手を伸ばせば触れられそうなほど、こんなに近いのに、透明な球状の膜に阻まれて、声さえ直接は届かない。


 それにしても、どうしてこの人は、笑えるの?

 こんなに仲間が沢山死んで、自分もボロボロになって、それでも笑みを浮かべられるのは、どうして?


――心を、読めない。

 この人の心は、何故か蓋でもしてあるみたいで読めなかった。

 こんなことは、初めてじゃないかしら?

 いままで出会ったことのない事態に、戸惑いを抑えきれない。


「平気、なの?」


 思わず、疑問が口をついて出ていた。


「そんなに怪我をしているのに、どうして笑えるの?」


 矢継ぎ早に、不躾な質問。

 彼はそんな私にも、目を細めた優しい笑みを浮かべて。


『平気……ではないけどさ。どうして笑えるかって?』


 うーんと、考える仕草。


『さぁね? なんでだろう? まぁ理由として一つ思い浮かぶのは、辛いときこそ、笑って乗り越えた方が楽な気がするから、かな?』


 辛いから、それを吹き飛ばすために?

 それを忘れるために、ということ?


『笑っていれば、少しは余裕を保てるような……そんな気がするから』


 漠然としててごめんね、彼はそう言ってまた笑う。

 そうこうしてるうちに走空機の着艦場までやって来ていて、輸送艦側の固定具が変形し、個々の車体に合う形で停機させていく。


 また、助けられた。

 思えばここ数日で、私は何度、命拾いをしたことだろう?

 私の右腕に抱かれて、いつの間にかすやすやと寝息を立てている幼い少女に始まり、左腕で意識を無くしたまま横たわる少年にも救われた。

 そしてまたこの騎士たちに、何人か犠牲を出してまで救われて。


……私に、そんな価値など無いだろうに。

 助けてもらっても何も返せないような、そんな無力で何の役にも立たないダメ人間を、どうして?

 いや、助かったのは私だけじゃない。

 もしかしたら、この二人の方に助かるべき理由があったのかも。


 ぎゅっと、シャツの裾を摘まれる感覚。

 見れば、寝てるはずのセレスティアが、その小さな手で、握り締めていて。

 それを見て、何故か涙が一雫、流れてしまった。

 私は、この子に必要とされているのだろうか?

 私なんかでも、この子に、この子たちにとって何か力になれるのかな?


 この子たちは大切な家族を失って、友達も失って、自分一人だけになって、身を寄せ合った。

 私がもし母親のような役割でも出来るのだとしたら、そこに生きる価値は産まれるのだろうか?

……母親?

 母親とはなんだ?

 思えば、私にそんな役割を果たしてくれる存在はいなかった。

 ただ形だけの、母親という肉塊が在っただけ。

 母を知らぬ私に、そんな大役は重たいな。

 やはり街に着いたら、この子たちから離れよう。

 命を助けて貰ったけれど、それに見合う対価など払えはしない。

 この子たちなら、そんなもの要らないって言うのだろうけど。

……貰いっぱなしでは、やはり心苦しいもの。


 私たちを乗せた巨大な輸送艦は、警報アナウンスの後、高速機動にてその場を離脱。

 目的地は、【王都グレッシャリア】らしい。

 あの噂に聞く王都なら、何でも揃うだろう。

 生活に必要な物資――衣食住に、至れり尽くせりの社会保障制度。

 そこまで辿り着ければ、私の役割は――。


『大丈夫かい?』

「……え?」


 通信機越しに、また声をかけられた。

 けど、何故そんなことを聞くのか、分からない。


『いや、なんだろう……顔色が優れないような気がしたから』

「そう……かしら。心配かけてごめんなさい。私は大丈夫です」

『本当に? なら良いんだけど、何か浮かない顔をしているようにも見えたからね』

「あぁ、はは……」


 そう言われても、生返事で、愛想笑いを浮かべることしかできなかった。

 この心境を説明する言葉を私は持っていないし、そもそも打ち明けても迷惑をかけるような気がするし。


「あ、あの、どうして、私たちを助けてくれたの?」


 だから、話題を逸らすことにした。

 それに、気になっていたから。

 私たちを助ける価値として、何を見出したのか?

 自分たちの身を犠牲にしてまで、危険を冒してまで飛びこんできた理由とは?


『何のためにって……君は、自分に救われる価値など無いとでも思っているのかい?』

「え? ああ、ええと、そうね……少なくとも、有るとは思えないわ」


 一瞬ドキッとした。

 まさか、思考を読まれている?


『そうやって、君の隣にいる二人に頼られていても?』

「……私の代わりになれる人は、いくらでも居るでしょう?」

『居ないよ』


 断言された。

 けれど、こうして眠っている二人を支えることぐらい、私ぐらいの年齢なら誰でも出来る。

 私がいま居る場所に代われる者は、いくらでも居るとしか思えない。


『君には君の役割があって産まれてきた。それは誰が代われるモノでもない。君だけのモノだ』

「……私だけの、役割?」


 彼の言葉は、確かな自信に裏打ちされた力強いものに聞こえた。

 何故、そんなことが言えるの?

 どうして、そこまで言い切れるのだろう?


『そう、君だけの役割がある。でも君はそれが分からないから、自分に価値など無いと思っているんだろう? でも大丈夫。それを見つけるのは、案外簡単だ』

「どう、すればいいの?」


『君には大切に思っている人は居るかい? 居るなら、その人のために何をしたいかを追求していけば、自ずと答えは出てくるだろうさ』

「大切な、人……」


 正直、人を信じられなくなってから、そんな風に人を大事に思えなくなっている。

 こっちがどれだけ想いを寄せてもどうせ裏切られるんじゃないかって、そんな気がして。


『居ないなら、まずは自分を受け入れて、大切にすることだ』

「……自分を?」

『うん。自分という人間が、この世に生きていても良いんだってこと……まずは他ならぬ自分が、認めてあげなきゃね』


 それを聞いて、言葉が詰まる。

 何故か、本当に思考を読まれていて、全てを見透かされているような気分になった。

 私が自分という存在を卑下し、否定し、目を背けていることを、その内面の奥底を、初対面のはずのこの騎士には……見破られている気がして。


『そう言えば、先ほどの質問に明確な答えを返していなかったね。どうして助けたのかについてだけど……それはね』


 そこで彼は一旦息を継いで、優しく微笑んだまま、次の言葉を紡いだ。


『ただ、愛しているからだよ。人を』


 ただ、そう言った。

 無条件に他者を愛しているとでも?

 無償の愛なんて、そんなものが存在するわけがない。

 私には彼の言葉が、とても薄っぺらで、信じるに値しないものに思えて。


『さぁ、そろそろ着くみたいだね。空の都――グレッシャリアに』


 彼の目線の先、走空機発着場の壁面ディスプレイには、輸送艦の進行方向が鮮明に映し出されている。

 そこには――


「綺麗……」


 いままで、見たことのない光景が広がっていた。

 眩い白に、蒼が差された幾何学的な造形の建築物が立ち並ぶ、美しき都。

 いや、これは本当に都なの?

 人が住む街には見えない。

 まるで、精霊が住まう幻想郷のような、それほどの神々しさを放つ街並みだった。

 白い大理石の街道には両脇を緑の葉が揺蕩う水路が流れていて、差しこむ日の光が全てを輝かせ、左右対称の巨大建造物群は神殿が集まっているかのようだ。


『見た目は、ね……』


 しかし、その感動に水を差すような、騎士の渇いた笑み。

 何かを諦めたような、あるいは自嘲的なその笑みに、少し暗い感情が垣間見えた。


「見た目だけなの?」

『……きっと、すぐに分かるさ』


 騎士は、多くを語らず苦笑いではぐらかすつもりらしい。

 彼の言葉から推測するなら、見た目は良いけれど中身は腐っているということだろうか。

 これからここ――【セフィラ王国】首都、【グレッシャリア】にしばらく滞在しなければならないと思うのだけれど、先行き不安ね……。



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