△Ⅱ



 世界は、それでもまだ広かった。

 昼間、予定通り上空から周りを見渡したとき、俺の視力が及ぶ範囲では人里など見つけられなかったのだ。


 だから、今度は夜。

 夜ならば、街の灯りが捉えられるかも知れないということで、まばらな星明かりの下、俺はまた両翼を展開して空に昇っていた。


 上昇しているのだけど、逆に夜空の漆黒へと堕ちていくようにも感じる。

 底なしの闇の中へ、身を投じるような感覚。

 向かう先が上なのか下なのかすら分からなくなって、そのまま死んでしまうような、そんな錯覚に襲われて。

 けれど不思議と怖くはない。

 非日常的なその感覚が、むしろ楽しくて。

 このまま消えてしまっても良い、なんて思えてしまう。


 大きな黄金色の月が、背景の黒に滲む光を放っていた。

 月明かりと星明かりに照らされた大地は、ぼんやりとその輪郭だけが分かる。

 樹々の尖った頭、禿げた山の稜線、うねる川。


 都市部では河川整備により見られなくなったこの曲がりくねった自然な形の川は、この形だからこそ意味がある。

 その意味については、大抵の公園にあるような滑り台で考えると分かりやすい。

 上から下まで一直線の滑り台と、途中で左右にカーブを描く滑り台の二種類が在ったとしよう。


 前者は滑り降りるとき、最初から最後まで加速力が働くのでどんどんスピードは増していき、最後の地面と平行になるところでのみ減速されるが、勢いが強すぎれば投げ出される。

 後者はカーブ毎に減速され、その位置にもよるが直線での加速力に対応できるよう適切に配置していれば、脱線はまず起きない。

 上から次々と子供が滑り降りて来た場合、前者は終点でのみ詰まるが、後者は全体的にまばらに分散されて降りてくることが多いだろう。


 滑り台を川に、滑り降りてくる子供を水流に置き換えれば、脱線や詰まりは【決壊】である。


 カーブの減速機能が水流を緩やかに保ち、穏やかな川を作っていたわけだが、それを人が直線的に整備した結果、かえって水害が増えたという歴史がある。

 こうして川に限らず人類は、自然故に調和が取れていた姿を色々と壊してきた。


……もしかしたら、あの【黒死魔性フォビュラ】という存在は、壊され続けてきた自然界の、この星の意志の現れなのではないか?

 あらゆる天災は、星の自浄作用なのでは?

 川を覆う邪魔な構造物――それを造りなす人間もこの世界には不要だ、という何か大きな意志が働いていたとしても、何ら可怪しくはないな。

 それだけのことを我々人間は、してきたのだから。


 減り続けていく生存可能圏。

 人類はずっと、選択を迫られてきたはずだ。

 選ばない――先延ばし、遅延というのも一つの選択であるが、選ばず迷っているうちに結果は出てしまう。

 時は、待ってなどくれないから。


 かつてはこの星で威勢を誇っていた人類の文明だが、いまや夜空に瞬くまばらな星明かりの前ですら、霞む。

 地上からは尽く文明の光が失われているらしく、こうして見渡してみても、宵闇が横たわるばかり。

 人が減り、街が減り、大地も減って、後には一体何が残る?

 この世界はこのまま、無に帰るのだろうか。

 いや、元々本当に無だったのかすら、限り有る人の身としては知り得ないのだが。


 宇宙開闢のとき……この世の全ては、特異点と呼ばれる一点に在ったらしい。

 そこからビッグバンと呼ばれる爆発が起こったことで、空間が産まれ、時間もまた産まれた。

 では、その前は?

 特異点が発生する前は、宇宙の姿はどうなっていたのだろう?

 例えば振動宇宙の説が正しかったとして、特異点発生前には別の、謂わば前世代の宇宙が在って、その空間膨張が臨界に達し、宇宙全体の重力により爆発的に収縮――ビッククランチが起こって、前世代の宇宙全体が一点に集約されたそれこそが、現世代の宇宙を造る特異点に成ったのだろうか。


 ならば、その振動の発生以前は?

 宇宙が何世代にも渡っているとして、それが始まる以前は、どうなっていた?

 完全なる無だったのか?

 無とは即ち、物体が零――素粒子が一つも無く、時間も空間も無い状態を指す。


……そこからどうやって宇宙が始まると言うんだ?

 完全なる無から、一体何がどうやって始まる?

 特異点――その原初の一点を発動させたもの、この宇宙を創ろうと思い至った【意志の発動者】が居なければ、宇宙開闢など到底起こり得なかったのではないか?


 霊体の存在、精神体の存在、それらが無ければ、物質だけでは宇宙は誕生し得なかったのでは?

 もっと突き詰めて考えれば――ならその【非物質体】が在ったとして、【それらはどうやって誕生したのか?】というのも問えるな。


 面白い。

……どこまで思考を巡らせても、その先にはまだ深奥が存在する。

 この疑問が解消されるまでは、死ぬに死ねないじゃないか。

 そんな余計なことを考えながら首を回していたら――見つけた。

 星々の光よりも微かな、地上の光。

 遠く地平線に、街の明かりらしきものが見えた。

 しばらく見つめてみても特に動くわけでも無いから、恐らく移動体ではないだろう。

 俺はその方角を見たまま、ゆっくりと降下を開始する。

 明日から、あれに向かって進んでみようか。

 広がる闇の中で見つけた、唯一の光源に。


 ゆっくりと地上――と言っても浮遊島ではあるが――に近づいていく。

 上から見ると豆粒みたいな樹々の合間には、細糸みたいな川の線が描かれていて。

 それらが少しずつ大きさを、太さを増していき、やがて見慣れた河原が真下に見えてきた。

 その一角から立ち上る焚き火の煙。

 火を囲む二つの人影。

 それを見つけた瞬間に、自分が安堵したのが分かる。

 帰る場所とも言うべき、その場所――二人の隣。

 闇の中で……闇の中だけど、俺はまだ一人じゃない。


 地面に降り立ち、二人の下へ帰る。


「あ、お帰りなさい。どうだった?」

「なにか見つかったー?」


 談笑していたらしきアルミナとセレスティアが、先に声を掛けてきた。

 アルミナは絶えず微笑みを浮かべて。

 セレスティアは退屈なのか、何かしらの発見の有無をいつも聞いてくる。


「やはり夜に試してみて正解だったよ。ようやく何か、街の明かりらしきものが見えた」

「おおー! きさま、やればできるな!」

「セレス、嬉しそうね」

「これでタイクツなくりかえしの毎日とはサヨナラできるもの。さぁ、早くいどうしよう!」


 鼻息荒く立ち上がるセレスティアの肩を、後ろから抑える。


「ちょっと落ち着いてくれ。今日はもう遅いから、出発するにしても朝になってからにしないか?」

「ぬぅ……この抑えきれぬ【こうふん】を抱えたまま、ねつけると思うのか?」


 肩越しに振り向いたセレスティアの顔は、どう見ても分かりやすいくらい不満気に頬を膨らませていて。

 眉根も寄せ、握り締めた両の拳を震わせている。


「発見するのに時間が掛かるくらい遠くに見えたんだ。結構な距離を移動しなきゃならないと思う。だから、今日はまずしっかり休んでおかないと」


 頼むから頑張って寝てくれ。


「そうね。じゃあ明日、歩きながら何をするか、考えながら横になりましょう?」


 アルミナが、セレスティアへと次善策を提案する。


「ふむ……しかたない。わたしが明日のレクリエーションを考えてあげるわ! カンシャしなさい!」


 そう言いながら俺に向き直ったセレスティアは、小さな胸を誇らしげに張りつつ腰に諸手を当てて、ふんぞり返った。


「……ははっ、ありがとう。じゃあ、宜しく頼むよ」


 俺の返答を聞いて満足気に頷く姿は、この子の純真さが垣間見える瞬間だ。

 しかし上手いこと乗ってくれたものだな。

 いや乗せた、のか……アルミナが。

 出会って数日のはずのアルミナであるが、いつの間にかセレスティアの扱いに手慣れてしまったらしい。

 アルミナが凄いのか、セレスティアが単純なのか……。


 それから宣言通りに、焚き火の近くに拵えた草葉を敷いただけの簡易ベッドで横になると、明日の算段をあれこれと話し合い始めた。

 道中、珍しい花を探そうだとか、果物も見つけようだとか、木登り競争しようとか、そんな他愛のない、主に暇潰しの遊び方に関する算段を。


 そっちの対応はアルミナに一任して、俺は先に休ませてもらうことに。

 明日、また飛ぶための体力を回復したいし、何よりまだ、傷が完治していない。

 少しでも長く休んで、早く本調子に戻りたいところだ。


 疲労の蓄積具合からか、横になればすぐに睡魔が襲ってくる……ことを期待したが、実際はそうでもなかった。

 身体は疲れているはずなのに、頭はむしろ冴えていて、目はパッチリと開いて夜空を見上げている。

 俺も人のことは言えなかったらしい。

 今日の変化が楽しくて、明日の未知に期待しているのだ。


 空の星でも眺めて気を紛らわせようかとも思ったが、星々の瞬きは相変わらず、まばらに薄いままで。

 雲一つない快晴なのに、星の光が地上に届かない。

 人工物一つ無い森の中であるここには、星の光を阻害するような人工の光源など当然無いし、唯一の光源であった焚き火も少し前に消している。


 ならば光が届かない理由は?

……やはり大気汚染か。

 都市部や工業地帯だけではなく、もはや地球全体の空にガスが掛かっているのだ。

 何百何千年と積み重ねてきた汚濁の山が、天空地の三位を覆っている。

 自然界が汚れているならば、それを糧に生きる生物界全体も汚れているだろう。

 無論、そこには人類も含まれる。


 だから年々奇病は増えていくし、遺伝子レベルでの欠損も増えていくし、脳すら汚れているから精神的にも可怪しくなっていく。

 オーガニックだ、人工物無添加の自然派だと今更叫びだしたところで、それを作り出す基礎たる自然界が死に至る重病に侵されていては、意味が無い。


 全て調和が取れていて、【善】い状態に【至】っていた自然――謂わば【至善しぜん】を、俺たちは破壊した。

 文明の便利さを享受して、その代わりに母なる大地を、海を、父なる天をも犠牲にしたのだ。

 計り知れない罪が人類全体には在って、だからこそ、いまのこの状況は、その罰が――報いが来ているだけなのかも知れない。

 この世は因果応報で出来ていて、何もかも自分の行動が招いた結果なのだとしたら、そう考えるのが自然なわけで。


 なら、いまを生きる俺たちがすべきことは、掃除か?

 少しでも世界の汚れを払い落とし、洗い流し、削り磨けば、その姿は少しくらいまともに戻るのかな?


……分からない。

 分からないけれど、オマエが――俺がそう思うのなら、やってみればいいだろ。

 例えそんな奴が世界に一人でも、始めてみればいい。

 誰に言われるでも、言うでもなく、自分がやりたいと思うのなら、やり始めればいいさ。

 最初の一人になれたら、格好いいだろ?


――まだ俺の中に、先代から受け継いだ熱い想いは生きている。


 脳裏にあの自信に満ちたニヤケ面が描かれた辺りで、瞼が自然に落ちてきて、脱力した身体全体が、徐々に地面に吸いこまれるように重くなっていって……。

 二人の会話を子守唄代わりに、俺の意識は薄れていった――



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