▼Θ
突発的に始まった食事会。
夕闇の青が降りてきて、照明が自動点灯した一部屋にて交わされる、他愛も無い会話。
俺にはもう血の繋がった家族は居ないけれど、こうして食卓を囲む仲間がいる。
一人でも十分だと、そう思ったときもあったが……いまは、これが良い。
「ふむ。しかし本当に事態が好転したね。この調子で引き続き、パールの件は君たちに一任しよう」
唐突に、感慨深そうな顔をしたレヴァリウスがそう宣言した。
そうか、それが次の俺の仕事か……ん?
「……てかそういうのは、事後支援担当官っていうプロが居るよな? 俺やセレスは、戦闘専門職だぞ?」
まぁ俺なんかは戦闘禁止みたいな状態だけど。
「そのプロに動かせなかった心が、いまこうして少し開いてくれているんだ。このまま継続するのが、パールのためにもなると思わないか?」
「いや……だからってオマエ、俺らド素人じゃねぇか」
カウンセリングとか知らないんだから、間違った対応を知らずにやっちまう可能性は高いぞ……特に俺が。
「しかも心を開いたってのも、アルミナの功績だろ?」
正直、俺は何もしていない。
「そんなことないわ。私は、昔【貴方がくれた言葉】を使っただけだもの」
「ん? 俺が? いつ?」
「出会った頃よ。忘れちゃった? まぁ貴方にとっては何気ない一言だったのだろうし、仕方ないか」
うん、覚えてない。
というか、覚えていることの方が少ない気がする……。
昔のことは、そのほとんどがぼんやりとした曖昧なイメージだけが残っているようなもので、鮮明に思い出せる記憶ってのは、本当に数少ないなぁ。
「それに、パールは貴方が助けに来てくれたことを鮮明に覚えていた。一人で身体を張って戦ってくれていたことを【見ていた】のよ。だからこそ、心に一つ暖かな種が宿っていたからこそ、パールは心を開いてくれたんだと思うわ……ね?」
言葉尻にパールへの同意を求めるアイコンタクト。
パールは、頷いた。
そうか、パールは鮮明に覚えていられるのか。
昨日今日のことなら、当たり前だよな。
すでにその直近の記憶さえボヤけている俺の方が、おかしいだけで。
「貴方は、どうせこれからも面倒くさがって口数は少ないだろうから、行動で示せば良いんじゃない?」
「すげぇ言い草だな」
「目の前の少女一人救えずして何が騎士か。黙って受ければ良いだろう」
「セレスティア……オマエは少し短絡的過ぎないか?」
それが当たり前だ、みたいな顔してそう言うが、人を一人預かるってのはどれだけ気力労力がいると思ってんだ……。
オマエで身に沁みたわ。
「あ、あの……お願い、できますか?」
……弱ったな。
直接本人から涙目で懇願されてしまっては……仕方ない。
「……分かった。本人の希望であるならば、その道の知識は乏しいが、力になろう」
少し勉強が必要かね。
「いや、君なら十分適任だと思うよ。知識なら、図書館の蔵書を片っ端から読んで蓄えていたじゃないか」
「……士官学校時代の話か? 全然分野が違うわ」
「哲学や心理学の本とかも読んでいただろ? それに、君の人生経験から形成された思考回路には、ドン底からでも這い上がれるような活力がある」
「人を踏んでも死なないゴキブリみたいに言うな」
「……っぷ」
思わず吹き出したのはアルミナ。
「あはははははは!」
「ハッーハッハッハッ!!」
そして連鎖爆笑が起こる。
皆さん、俺のゴキブリ姿でも想像されたんですかね……。
「しかし……君は本当に褒められるのが嫌いなんだな」
「ああ、何かむず痒くなるからな。褒めなくてもやるって言ってんだからもう止めてくれ」
「くく……分かったよ」
【褒める】という手段は【叱る】という手段と表裏一体だ。
どちらも上から目線で、対象を意のままに操ろうとする手段に他ならない。
この行為を叱れば、対象はそれにストレスを感じて同じ行為をしづらくなるだろう。
この行為を褒めれば、対象はそれに喜びを感じて同じ行為をしやすくなるだろう……と言う風に、そこには【対象の方向性を定めよう】という意志が存在している。
アドラー心理学の考え方だが、俺はこれに納得し、価値観の一部として採用することにした。
「……そう言えば、さっきアル姉が言ってたが……」
何かを考えこむように顔を俯かせ、顎に手をやっていたセレスティアが、そう切り出す。
「パールが、救出に来たルフィアスを【見てた】って……?」
「……ああ、そのことね。誰も突っこまないから不思議じゃないのかなぁって思ってたわ」
「ん? どういうことだ?」
見ていたことに何か問題が……?
「……その場にいた貴様が何故気づかない? パールたちは、全員【仮死状態】で輸送されていたんだぞ? 蘇生術を施さなければ、意識すらなかったはずだろうが」
「ああ……そういやそうだな」
言われてようやく思い出す。
あの暗い船底で見た光景を。
まるで貨物物資のように狭い空間に詰めこまれた、死体みたいな人たち。
その人身売買目的で輸送されていた人たちは、この王都で蘇生術を受けたはずだから、それまでの間に外界を【見る】ことなど不可能なはずだ。
その中にパールも居たのだから、確かにアルミナの発言には疑問が残る。
「ご説明願おうか」
「ええ。その方が良さそうね」
さして不思議そうでもない――むしろ何か知っていそうなレヴァリウスの催促を受けて、アルミナが話し出す。
「この子、パールは……私と似たような特異体質なのよ」
「……アルミナと? 【
「ええ、そうよ。恐らく仮死状態になったことで、幽体が離脱してしまった。そして離脱したまま意識を保てたから、物理限界を超えて色々【見えた】のね――周りの状況が」
「……なるほどね。幽体とは即ち精神体のこと。【
レヴァリウスがわけ知り顔で補足説明しだす。
やっぱ何か知っているなコイツ。
「そうかも知れないわね。……パール、幽体離脱は今回が初めてだったの?」
「はい……びっくりしました」
「多分そのうち慣れるわ。これからもあるでしょうから」
「うぅ、そうなんですか? ……それは嫌だなぁ」
と、苦い顔をするパール。
幽体離脱中、何か怖い思いでもしたのか?
というか、幽体離脱という状態そのものが怖いかも知れないな。
肉体と幽体を繋ぐシルバーコードが切れたら終わりだ。
「それにしてもルフィアス……貴方、パールに命を救われたみたいね」
「え? いつ? どういうこと?」
「仮死状態のパールを見た後……かしら? 何か、いつもと違う感覚に襲われなかった?」
「いつもと違う感覚? ……あ、そう言えば」
あの暗い船底に降り立ったとき、一瞬何かと目が合ったような気がした。
そんなわけあるかと、臆病風に吹かれたらしい自分の心を笑い飛ばしたが……。
それにその後の戦闘中に何か、黒い感情みたいなもんが見えたような……。
「それは、パールの力よ」
「マジか。一瞬俺の第六感がついに開花したのかと思ったのに」
「助けに行ったくせに逆に命を救われているとは……愚の骨頂だな」
「うるせぇ。お互い様ってことで良いじゃねぇか。というわけで……あんときは助かったぜパール! ありがとうな」
セレスティアの煽りを躱すべく、努めて明るくパールへと話題を転換する。
「は、はい。こちらこそ……です」
はにかむような、照れくさそうな笑顔でパールは応えてくれた。
その様子を思案げに見ていたレヴァリウスが口を開く。
「……パール。君の進退について一つ提案があるのだが、少し聞いてもらえるかな?」
「ボクの進退、ですか?」
「そう。君の今後、君の未来に関わる話だ。もし何か決めていることがあるなら、例えばなりたい職業がもうあって、それを目指す気持ちが固いなら提案は取り下げようと思うけれど、どうする?」
「……未来のことは、何も考えていません。聞かせて下さい」
少し悲しそうに、自虐的な笑みを浮かべて、パールはそう言った。
「分かった。私の提案は、その能力――【
「【
「ああ、現行制度なら可能だ。まずは、国に【
「……この力に、使い道、あったんですね」
「そうね。私は全く関係無い職業に就いてしまったけれど。でも、今日貴女と心を通わせたみたいに、プライベートでも能力を活かせる機会はきっとあるわ。だからどんな可能性も、捨てる必要は無いと思うわよ?」
アルミナの先輩としての助言、か。
「そうだね。【
目を細め、人好きのする笑みを浮かべて、レヴァリウスはそう言い結んだ。
いたいけな少女相手に、本気の勧誘行為である。
「ボクが、騎士団に……?」
「うん。その能力はここなら色々と使い道があるよ? 今日の君のように心に傷を負った被害者のケアだとか、口を割らない犯罪者の心を暴くだとか……ルフィアスを助けたときみたいに、危険予測なんてのもあるね」
「そう、なんですね……ボクでもお役に立てるなら、何かやってみたい、です」
パールも結構乗り気か?
真面目に考えだしたな。
だが話が飛躍する前に、一つ釘を刺しておかねばなるまい。
「……どちらにせよ、その前にやることがあるんじゃないか?」
不意に言葉を発した俺に、注目が集まる。
皆一様に次の言葉を待っているような呆けた顔をしているが、レヴァリウスだけはいつもの微笑を貼り付けたまま。
「やること? なんだそれは? ハッキリ言え」
業を煮やしたセレスティアが急かしてくる。
てか何でオマエは分からねぇんだよ。
パールはハッと気づいた顔してるぞ。
……いや、それは【
「……ボクの親、ですか」
「そうだ。和解するのか決別するのか、それこそ白黒ハッキリさせろ」
「……でないと、そもそも動けないね。君は未成年だから、親の管理下に置かれている」
レヴァリウスによる補足説明が入った。
やはり俺は、言葉足らずかね?
「そう、ですよね……」
俯き加減で考えこむ仕草のパール。
その胸の内に去来する想いは何なのか。
迎えに来た母親を拒絶する理由。
自分を消したかったそのわけ。
それは本人と、恐らく横でその心を覗き見してるアルミナにしか分かるまい。
などと考えていたらそのアルミナと目が合い、ウィンクされた。
やっぱり覗き見中か。
あんまり他者の領域に、気安く土足で入りこむのも良くないと思うぞ……?
「……分かり、ました。明日でも、良いですか? 心の整理をしたいので」
向き合う決心を固めたか。
その目には、不安な色の中にも、小さな光が宿っているように見えた。
「明日だね? 君のお母さんに連絡しておくよ。詳細が決まったら、この二人を通して報告させてもらう……ということで、良いかな?」
「はい。お願いします……」
レヴァリウスが言う二人ってのは、俺とセレスティアだな。
てことは、母親への連絡もどうせ俺らがやるんだろう。
「うん。何か相談したいことがあったら、いつでも私たちを頼ってくれて構わない。特にこの二人は存分に扱き使ってくれると、本人たちも喜ぶだろう」
「そんなマゾっ気はねぇよ。オマエこそボケて突っこまれて喜んでんじゃねぇだろうな?」
「お? 流石、私のことをよく分かっているね。反応が返ってくるだけでも嬉しいのに、更に面白い方向に導いてくれるのなら、こんなに有り難いことは無いだろう?」
「……ああ、そうなの」
じゃあ俺が反応したら、どうやってもコイツを喜ばせる結果にしかならんのか。
「ルフィアス、頼られて扱き使われるなら良いじゃないか。人に頼りにされるのは、自分の価値を再認識できて気分が良いだろう?」
「……それは麻薬だけどな。能力が評価されて仕事を回されるのは有り難いことだが、それが逆転して、【他者の期待に添うために】自分の行動を変えてしまったら、それは自分を殺しているのと変わらない」
話しながら、薄々ある予感が脳裏をかすめる。
「なるほど。因果関係の逆転だね。自分が頑張ったから結果的に頼りにされた、という関係から……頼りにされるように自分を曲げてでも頑張る、に変わってしまうわけだ?」
「ああ。そうなると、生きていて楽しいわけが無い」
――これは議論誘導、だな。
レヴァリウスは、本気で疑問をぶつけて来ているわけではない。
こんな話、博学なコイツなら俺の講釈など聞かずとも熟知しているはず。
ならば、【この場にいる特定の人物】にこの話を聞かせるため、敢えて俺に【反応】させている。
そう考えるのが自然だ。
「言うなれば自分を曲げて、自分の気持ちを押し殺してまで……他者の希望、他人の期待に尽くして満足させる、という行動に繋がると」
「そんなことを続けていて……じゃあ一体、誰がテメェの人生を満足させてやるんだ? ……って話になるよな」
「うん、そうだね。なるほど、だから君からは【自由な風】を感じるわけだ? 周りの言うことを中々聞かないし」
「いや……ちょっと待て。忠告とか注意はちゃんと聞いてるだろ?」
何やら話の雲行きが怪しくなってきたぞ?
「聞いてる? ……聞くけど?」
「聞くけど……まぁ納得できない場合は【反論】するな」
「だよねぇ」
……何が言いたいんだコイツは。
俺を見ていたレヴァリウスの視線が、すぅっと横に流れた。
「どうだいパール? このルフィアスという男は中々面白いだろう? 疑問や相談があったら、気兼ねなく話を振ってみるといい。きっと【面白い反応】をもらえるよ」
「……良い、んですか?」
「ああ、上官の権限で許可しよう」
「……まぁ、そういことらしいな」
「【反論が出ない】ということは、納得して頂けたみたいだね」
「うるせぇ……ったく」
俺はパールに向き直り、手を差し出した。
「CⅢの連絡先交換、するか?」
「は、はい。お願いします」
俺の手を、恐る恐るパールが握り返した。
【CⅢ――
意志を持った身体的接触を通じて、機器同士が自動的にコンタクトを交わす。
「……これから宜しくな」
「はい。宜しくお願いします」
なるべく怖がらせないように笑顔を見せたつもりだが……返ってきたパールのはにかんだ微笑みを見ると、成功したか?
「私も交換しておこう。この男にだけ任せるわけにはいかない」
「あ、はい」
「……何か含みのある言い方だな」
「勿論、大いに他意が含まれている」
「ああそう……」
俺が何かいかがわしい行為に及ぶとでも思ってんのかコイツは。
そんな意味不明な疑念を向けられた俺の心中など無関係に、セレスティアもパールとの握手を果たす。
「宜しくお願いします」
「こちらこそ」
繋いだ手を通して、相互に連絡先情報が交換される。
セレスティアの自信に満ちた笑みと、パールの不安気な笑みが対照的だな。
「ルフィアス」
「ん?」
レヴァリウスに呼ばれて振り向く。
「さっきも言ったが、君の知識と性格ならば、心理士の資格を取ってみるのも良いかも知れない」
「……ほう?」
「私もそうだが、いつまでも前線で戦えるわけじゃない。いずれ肉体的な衰えが来て、引退を迫られるときが来る」
「まぁ、な。そうなったときの身の振り方でも考えとけ、という意味か?」
「そうだね。無論、君には騎士団上層部に入り、指揮する側になってもらいたいが、騎士団内で従事可能な副業を増やしておくというのも、悪くないだろう?」
指揮管理業務の片手間で心理士をやれと?
人手不足だからってのは分かるが……そうなると、いまより更に忙殺されそうだな。
「もしパールも心理士を目指すなら、ついでだし一緒に試験勉強するのも良いだろう」
一緒に勉強するというか……【勉強を見てやれ】、に聞こえるのは気のせいか?
そして資格が取れたら、あわよくば騎士団に入団させよう、とでも?
まさかここまでの会話、全てがその布石……?
「……やっぱ【レヴァリー】には敵わんね」
「いやいや何のことかな?」
この期に及んですっとぼけるその勇気、賞賛に値するわ。
「さて、そろそろお
「むっ……もうこんな時間か。そうですね」
レヴァリウスによる解散の呼びかけに、セレスティアが腕輪型端末を確認して同意。
「今日は楽しかったわパール。また会いましょう」
「はい、アルミナさん。ボクも、凄く楽しかったです」
「アルミナ、で良いわよ」
「は、はい……でも、照れくさいですよ」
何か心で通じ合ったらしいアルミナとパールが別れを惜しむ中、いそいそと立ち上がる残りの二名……二名?
俺と、セレスティアだけ?
「麗しき友情かな。ではこれで失礼するよパール。良い夢を」
「あ、は、はい。ありがとうございました」
すでに部屋の出入り口にいたレヴァリウスはそう言い残して、すっと扉の外に消えた。
何か終始ヤツの掌の上で踊らされていた気がするのは、決して気のせいでは無い。
やはりレヴァリウスには、しばらく敵いそうもないな……。
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