▼Ζ



 終わりゆく世界で、俺一人がどれだけ藻掻いたところで結果は変わらないかも知れない。

 けれど、もしこの意志が広がりを見せたなら。

 静かな水面に落とされた一雫のように波紋を描くことが出来たなら、少しは変わりそうな気がするんだ。


 今日、街中で見かけた人々も、どこか未来を諦めていた。

 いまを楽しめればそれで良いって、どうせ滅ぶのなら好きなことしていれば良いやって、そんな気持ちが透けて見えるようで。

 それは、最後の砦たるこの騎士団の根城でも変わらない。

 中世の貴族の館をベースに所々増改築を繰り返して一〇〇倍ほど肥大させたような、高さ一kmの歪な建築物。

 夕日に染められたその姿は、昔見た作画が自由過ぎる絵本の中の一ページにも似ていた。


 上層階には司令室や各部署の事務室があり、中層階には戦闘艦、輸送艦、走空機等の発着場と作戦演習場が。

 下層階には住み込みで働く職員のための寮や、生活に関わる各種設備が配置されていて、本来なら俺の部屋もそこにあったのだが、諸事情で上層階の一部屋が事務所兼私室兼物置小屋になっている。


 俺とアルミナは、中層階に空けられた大穴みたいな出入り口から中へ入り、アカデミア同様に竪穴を真上に昇って上層階へ向かう。


「ここに来るのも久しぶりね」

「まぁ、用が無ければ来たい場所でもないだろうしな」


 警察権を持つ機関というものは、それだけで何かしらの緊張感や圧迫感を感じるものだ。

 そういう組織に所属する俺までそんな感想を抱くのだから、外部の人間はもっとそう感じていることだろう。

 特に、何かしらやましい気持ちのある人間は。


「そう思うってことは、何かやましいことでもあるの?」

「……そうかもしれない」


 生まれてこの方、犯した罪は大小数知れず。

 そんな人間が他人を裁く職にあるとは、下手な笑い話にもなりゃしない。

 けれど、その罪の償いも兼ねて職務を全うしてきたつもりだ。

 奪った命には代えられないけれど、奪った分以上に、守るために。

 救えなかった命を偲び、次は、いま生きている命は救えるようにと、身体を張ってきた。

 その思いが先行し過ぎて、いままでは少し……いやかなり無理をしがちだったから、今後はある程度ペースを抑えようとは考えているが。


 自分のことを大事にしないのも、それはそれで罪になるようだしな。

 俺のことを大切に想ってくれている人たちへの、裏切りになる。


 そんなことはさて置き、竪穴式通用孔を上昇していた【レグナス】は目的の上層階に到着したことで一旦停止し、次いで横方向の移動に変わった。

 走空機の簡易発着場へと乗りつけ、俺たちは豪奢なカーペットが敷かれた床面に足を着ける。

 外装同様に内装も、古めかしい貴族邸のように複雑で精緻な文様があしらわれており、大理石調の造りながら随所に木造の暖かさも【表現】されていた。

 この世界には木材として使えるような木などほとんど残っていないから、基本的には模造品でしかない。


「なかなかお洒落な造りよね。もう少しコンパクトだったらもっと良かったけれど」

「そうだな。遺跡の中を歩いているような気分になる」


 遺跡――人が居なくなって久しく使われていない廃墟。

 その荘厳な静謐さにも似た、この回廊の独特な雰囲気。

 先ほどから人とすれ違うことも無く、ただ夕日が、長い廊下に等間隔で並ぶ大きめの窓から、斜めに射しこんでいるだけ。

 木目の和らぎもさることながら、この斜陽の橙色も心に安らぎを与えてくれているけれど、その影に、何か物悲しさを覚えるのもまた事実。

 虚しさ、とも言えるか。


 日の当たらぬ高い天井には、綺麗なアーチの装飾が施されている。

 その下を、アルミナと共に歩いて行く。

 聞こえるのは、二人が鳴らす足音だけ。

……本当に静かだな。

 他に人が居るのか疑問が生まれるレベルだ。

 けれど、この静かさがここの日常でもある。

 建物の巨大さの割に働いている職員の数は少なく、むしろ年々減少傾向にあり、その穴を埋めるべく多くの雑務は機械による自動化が図られているし、人手が必要不可欠な対【黒死魔性フォビュラ】戦以外は、実務に関してもアンドロイドなどを導入して対処されてきた。

 それでも慢性的な騎士不足に陥っているが、それは世界的に見てどこも同じだから仕方が無いことなのだ。


 何故なら、そもそも次世代が生まれてこない。

 出生率の止まらぬ減少がそのまま世界人口の減少に繋がっていて、あらゆる職業における働き手の減少にも影響している。


 ではどうして出生率は減少を続けるのか?

 その答えに関しては、未だ明確な解答が得られていないのが事実。

 医学士曰く「大地から浮遊大陸へと遷移したことによるホルモンバランスの変化だ」とか、栄養学士曰く「人工的な合成食糧が及ぼす人体への悪影響が積算された結果だ」とか。

 あるいは霊能師に言わせれば「そもそも子は自分で生まれる場所を決めるのだから、こんな世界にはもう生まれたくないのだろう」となるが、色々意見を聞いた俺としては、答えは単数形ではなく複数形のような気がする。

 どの理由もそれぞれ複雑に絡み合って解けづらくなっている、というのが現状ではないだろうか。


 そうなると何から対処すべきかが問題だが、目下最大の問題点と言えば、無論【黒き死海カラドデニス】の存在だろう。

 この原因究明と対処法の確立が出来なければ、人類に未来は無い。


「……そう言えばアルミナ、【黒き死海カラドデニス】についての研究って、いまはどうなってるんだ?」

「【黒き死海カラドデニス】の? 残念ながら、変わらないわ。進展なし。アレが何で構成されているかすら不明なままだし、ましてやその原因なんて」

「そうか……」

「騎士団引退して、一緒に研究する?」

「ははっ……魅力的な申し出だが、騎士団にも恩があるからな。この人手不足の現状では、そう簡単に辞められないさ」

「……ぶー」


 ブーイングするなし。


「ところで、ここじゃないの?」


 アルミナの指差す先には、壁に貼り付けられた白と蒼の竜が描かれた【白蒼竜騎士団】の旗章。


「おっと、通り過ぎるところだった」

「いや過ぎてたけど」


 話しているうちに目的の部屋へと辿り着いた。

……と言うより、考え事に夢中だったせいか、数歩分ほど通り過ぎていたらしい。

 旗章横にこぢんまりと備えられた、古風な造りだがセキュリティの堅い扉の前に立ってID認証を受ける。

 不可視のセンサーが俺を認識し、長い回廊に硬質な音が響く。

――解錠の合図はそれだけ。


 ドアノブを回し、扉を押し開けて中へ進む。

 木が軋むような音をわざわざ演出するあたり、ここの設計者は随分と凝り性らしい。


 中へ進むと右手に植栽の壁があり、それに囲まれた小部屋ほどのスペースが簡易応接室や休憩所の役割を与えられており、軽く腰掛けられるような背の高い椅子と円卓が幾つか置いてある。


「ねぇ、私は一旦、ここで待っていた方が良いんでしょう?」

「ああ。話を通してくるから、ちょっと待っててくれ」

「分かったわ」


 アルミナはその植栽の合間から休憩スペースへと入り、慣れた様子で脇に置かれたドリンクバーから何かしらの飲み物を入手して、流れるように奥の一角に陣取った。

 俺はその手際の良さに内と外での拭いきれないギャップを感じつつ、直進して事務スペースへと入る。

 特に区切りは無く、ただ何となく事務机が並んでおり、まばらに居た騎士団員や職員と適当に挨拶を交わしつつ、最奥のそこだけ壁で仕切られた一角へ進む。

 扉をノックする前に、中から勝手に開いた。

 ドアノブを掴もうと伸ばしていた手は、空を切る。


「そのまま入ってくるといい」


 中から全てを見透かしたような、愉しそうな声。

 扉はタイミングを読んでいたアイツが自動開放させたのだ。

 嫌々ながらも一歩踏み入れ、窓を背に西日の後光を浴びるお偉いさんの方へと向かう。

 背後で扉が勝手に閉まる音。

 両脇を本棚で挟まれた執務室の奥にて、机上で作業中だったらしく下を向いていた視線が、こちらを捉えた。

 逆光でその表情はあまり見えないが、雰囲気的にいつものにやけ面だろうな。


「お、やっと来たね。休暇はどうだった? ルフィアス君」

「お陰様で存分に骨休めが出来ました。レヴァリウス団長殿」


 慇懃無礼にそう言い放つも、コイツは顔色一つ変えない。

 長い銀髪を無造作に揺らし、その身に纏う蒼い騎士団の外套にはきらびやかな記章の数々が付けられている。


「それは何より。それで? ちゃんと宿題は終わったかな?」

「はい、ここに」


 何も無い机上に手を置き、作成した始末書をそこに送信・投影して、カクテルグラスでも滑らせるように対面のレヴァリウスへと押しやった。

 レヴァリウスは滑ってきた始末書を手元で受け取り、一度触れることで机上の平面から空中へと斜めに起こし、中身に目を通し始める。


「……ふ~ん、なるほどね。発端は君の部屋に来た依頼だったんだ?」

「ああ。何故か俺の部屋が、二四時間対応可能な駆けこみ場所みたいになってやがる」

「人徳のなせる業だね」

「人手不足の皺寄せだろ」


 俺の部屋は上層階でも奥まった行きづらい場所にあるのだが、無料の公共交通機関で来館する市民の多くが、色んな部署をたらい回しにされた挙句、最終的に辿り着く墓場みたいになっているようだ。

 どこの部署もそれぞれの案件で手一杯で、急な飛びこみ依頼とかは中々受けてもらえないらしい。


「ふむ。どこも忙しいから頼りづらいと思うのだろうけど、報告くらいはすぐに入れてくれよ? 君の部署は隣だとは言え、管轄は私のところにあるんだ」

「……了解」


 俺の部署……元は俺の他に何人か居たが、いまは俺一人だ。

 その時点で普通ならどこかに俺が編入され、当該部署は解体されて終わりだろうが、そうはならなかった。

 何故か?

 答えは単純、普通ではなかったからだ。


「まぁ結果オーライだけど、良くやったね。五〇名の人権を守ることができた。それは君の頑張りによるところが大きい。胸を張るといいよ」

「……始末書にも書いたが、反省点は自覚している。次はもっと上手くやるさ」

「素晴らしい向上心だ。さてこれで一件落着としたいところだが、一つ……解決していない問題があってね」

「ん? なんだ? 奴隷斡旋業者の壊滅か?」


 表面を叩いて埃だけ出してもキリがない。

 やはり根本から大掃除しなければ。


「いやそれは手配済みだから良いんだけど、問題となっているのは連れ帰った被害者の方なんだよ」

「被害者が?」

「ああ。けどまぁそれは後から話すとして、先に彼女の用件を聞こうか」


 彼女?

 レヴァリウスが手元で何か操作をすると、背後で扉の開く音がした。

 振り返ってみれば、そこには見知った顔が居るではないか。


「呼ばれた気がしたから、来てみたわ」

「うん、呼びました。どうぞ中へ」


 レヴァリウスが招き入れたのは、アルミナだ。


「思念波で呼んだのか?」

「どの程度の強さで受け取れるのか、気になったのでね」

「……受け取る側の集中状態にもよるから一概には言えないけど、強い方が届きやすのは確かね。今回は良く聞こえたわ」

「なるほど、参考になるよ。それで? 今日のご用件を伺おうか? プラビナード博士」

「あら、用があると何故分かったのかしら。随分と察しが良いのね」


 アルミナは俺と同じようにレヴァリウスの机上へと手を置き、持参したデータを書類として展開した。


「君が用もなく動くとは思えないからね」

「そうなの? ……早速で悪いんだけど、これを見て頂けるかしら」

「ああ、どれどれ、拝見しようか」


 机上を書類の仮想投影が滑っていく。

 片手で受け取ったレヴァリウスはデータに目を通していき、その表情が少しずつ曇り始めた。

 なんだ、そんなに深刻なことだったのか?

 本人が気にしていないのに周りが深刻な顔するのは止めてもらいたいものだ。

 こっちの気も滅入るだろうに。

 病は気からというのだから、それが一番まずい気がする。


「そこに纏めたから分かると思うけど、すでに記憶障害にまで発展しているわ。回復の兆しが見えるまでは、私としてはしばらく絶対安静を言い渡したいのだけれど」

「……ふむ。そうか。これはかなり無理をしてきた、いや、させてきた私の責任も重いな」

「気にするな。俺が好きでやってきたことだ」


 自分の意志で選び、行動してきた結果だからな。

 全て己に責任があり、他の誰かに押し付けるつもりもない。


「そうもいかんさ。君に倒れられては困るからね。絶対安静、か……そうだな、要するに能力の使用をさせないように戦闘行為を避ければ良いのだろう?」

「……まぁ、そうね」


 アルミナが少し言い淀んだ。

 俺を辞めさせるかもしくは長期休暇を取らせたいアルミナとしては、望まぬ流れになってきたもんな。


「宜しい。ならばこうしよう。かねてよりルフィアス――君に打診していた案件を実行に移そう」

「……何のことだ?」


 かねてより?

 何か言われていたっけ?

 というか、何でコイツこんなに嬉しそうな顔してんだ?

 何か、嫌な予感がするぞ。


「後進育成計画、だよ。先の仕事終わりにも少し話をしただろう? 何人か部下をもって欲しい、とね」

「ああ……そう言えば」


 そんなことを言われていたっけ。


「長期休暇、あるいは退職という選択肢も今後でてくるかも知れない。そのときに備えて、君の持っている経験、先人から受け継いできた知恵や技術を、後進に引き継いでおいてくれないか?」


 上手いなぁ。

 アルミナの望む可能性をチラつかせて、反論させないよう釘を刺しているのか。

 横で言葉を飲みこむアルミナの表情が苦々しい。


「それは構わないが、俺の経験や技術なんて特殊なものだぞ。引き継ぎ可能な人材なんているのか?」


 俺は、【死刻天使しこくてんし】だからな。

 これまでの俺の仕事内容と言えば、持ち前の特殊能力を活かした少数戦術・単騎特攻が圧倒的に多い。

 そんな動きばかりをしてきたから、部隊戦術だとか連携だとかはむしろ苦手なのは周知の事実だろう。


「安心したまえ。すでに目星はつけている」

「へぇ? 誰?」

「それは……」


 背後でノックの音が響く。


「うん、良いタイミングだ。丁度いま到着したみたいだよ? ――どうぞ、入って」

「……失礼します」


 凛と鳴る鈴色の声。

 入って来たのは、金髪碧眼の美少女騎士として名の通った顔見知り――セレスティアだった。

 蒼き長外套に身を包み、白いスキニーパンツを黒いロングブーツで覆う【白蒼竜騎士団】の礼装兼戦装束を真面目に着こんでいる。

 色んなボタンを全開にして適当に着崩している俺とは対照的だな。

 そんな俺を何故か虫けらでも見るような目で一瞥し、自身の上官たるレヴァリウスに向き直り、問を発した。


「……呼び出しに応じて参りましたが、取りこみ中でしたか?」

「いや、良いんだよ。君たちの話をこれからするところだ」

「君たち? おいおい、まさかコイツかよ? 役不足だろ」

「コイツ? 役不足? 何やら無礼な単語が聞こえますが、斬って良いですか?」


 無表情な美貌から冷徹な視線が俺の顔に突き刺さる。

 その手は腰の【心象投影器イメージ・プロジェクター】に掛けられており、いつでも抜刀一閃が可能な状態だ。


「やめろおい。得物に手を掛けるなって」

「……なんで貴方、こんなにセレスを怒らせてるのよ」


 何かを読んだらしいアルミナが、俺の背後で溜息混じりにそう呟いた。


「ん、アル姉」

「久しぶりね、セレス。元気してた?」

「ああ、アル姉こそ……」


 アルミナの存在に毒気を抜かれたらしいセレスティアが、俺から視線を外す。

 それをダシに俺はレヴァリウスへ詰め寄り、再度問わねばなるまい。


「……おい、本気なのか?」

「え? 何が?」

「何が、じゃねぇよ。さっきの話の流れだと、アイツを俺につけるって言ってるように聞こえたんだが?」

「うん、その通りだよ」


 悪びれもせずあくまでにこやこに応じるこの顔を、セレスティアの真似じゃないが斬りたくなってきた。

 しかしここは、ぐっと諸々を堪えて思案する。

 この目の前にいる優男は人を喰ったような言動ばかりだが、思慮深いタイプだ。

 今回の話も何かしら意図があるのだろう。

 それを見極めたほうが良い。


 まず名目――後進の育成という大義名分に関しては、どう考えても建前としか思えない。

 裏の目的があるにしても、現在知り得た情報だけでは見えてこないな。

 他の要素について考えてみよう。

 育成対象の後進――それがセレスティアだったわけだが、これもどう考えても無理がある。

 セレスティアを役不足だ、と俺は評したが、これはセレスティアに実力が無いと言っているのではない。

 むしろセレスティアは、学業も武術も彼女の年代ではトップだった。


 ただしそれは、あくまで普通の人間の中で、という前提がある。

 彼女の年代には、俺みたいな外れ者が居なかったのだ。

 というより、俺以降の【死刻天使しこくてんし】は確認されていない。

 だからこそ俺の経験なり技術なりを受け継げる人材は居ないと、そう言っているのだが……レヴァリウスは何を考えている?

 そもそも身体操作技術などは口伝せずとも、機械測定により脳波神経系統の動作情報を保存しておけば済む話だ。

 あれこれと考えてみても、やはり納得の行く結論は見つからない。

 再度本人に問うてみるか。


「……腑に落ちない。最初に言った通り、普通の人間では役不足だ。その点はどう弁明する?」

「役不足ではないさ。むしろ、必要だ。なんせその普通の人間とやらに、君の方が歩み寄ってきたのだから」

「……俺が?」

「この三位測定結果を提出された以上、君の管理者としてはこう言わざるを得ないからね。つまり――」


 そこで一旦言葉を切ったレヴァリウスは、居住まいを正し、笑顔を消して次の言葉を紡いだ。


「ルフィアス・ゼノア・アークロード。管理者レヴァリウス・フォーグナーとして命ずる。一つ、潜在保持能力【天征眼】と【翼】の無期限使用禁止。一つ、セレスティア・ファレト・アークロードを部下とし、指導せよ。以上」

「……禁止、か」


 確かにその二つを禁じれば、俺は普通の人間と変わらない。

 そうなると、逆に能力に頼り切っていた俺の方が役不足になることもあるだろう。

 故に、名目上は俺が指導する立場だが、実際にはセレスティアを俺のお守役として付けておきたい、と?

 舐められたものだな。


「これが正式な辞令だよ。二人とも目を通して、返答したまえ」


 レヴァリウスの手元からこちらへ向けて、仮想投影された書類が二枚、飛ばされてきた。

 内容は先ほどレヴァリウスが言葉にしたことと同じ。

 違いと言えば、辞令発令の正式な日時などが記載されていることぐらいだ。

 これに返答、か。

 んなもん拒否に決まってる。


「誰がこんな――」

「私が部下? この男のですか?」


 俺が文句を言おうとしたら、それ以上に強い語気でセレスティアが被さってきた。


「そうだけど、何か問題が?」


 その勢いを受けてまた愉しそうなにやけ面に戻るレヴァリウス。

 おい、何愉しんでやがる。


「失礼ながら問題だらけかと。制服すらまともに着用できていないこの男が、部下に指導するほどの能力を有しているとは到底思えません」

「確かに」

「……納得してどうすんのよ」


 頷いたら横からアルミナに肘打ちを入れられた。

 いやまぁこのままセレスティアがレヴァリウスを説き伏せられるなら、もうどんな理由でも良いかなってね。

 まぁ無理だろうけど。


「セレスティア。君は表面上の言葉しか読めないようだね。少しがっかりだよ」

「表面上の……? どういう意味でしょうか」


 ほら始まったぞ。

 レヴァリウスの心理誘導が。


「そこに書かれていることが全てではない。その辞令を出すに至った理由――目的が必ず在る、という意味だよ。それを正確に汲み取る能力が、君には不足しているようだ」

「目的、ですか……」


 考えこむ姿勢になったセレスティア。

 すでに術中に嵌まりつつあるようだ。

 どんな事柄でも前向きな理由付をして納得させようとする、レヴァリウスの心理誘導術に……。


「大方、相互成長のため、とか言い出すんだろ? 見え見えだぜ」

「良く分かってるねぇ。そう、そういうこと。それぞれ持っている長所と短所を互いに吸収し合い、補い合い、矯正し合うことが、二人を組み合わせる狙いでもあるのさ。つまりだ――」


 俺が二の句を継げないようにセレスティアに向かって饒舌に捲し立てる姿は、圧巻の一言だな。


「君と組むことで、もしこの男が制服をまともに着られるようになったとしたら、それは――君の手柄である、と言うことだ、セレスティア」

「……おお」


 おお、じゃねぇよ。

 何目を見開いてキラキラさせてんだ。

 目ぇ覚ませ。

 そいつは優男の皮を被ったペテン師だ。


「さて、裏の意図は概ね理解して頂けたかな?」

「はっ。この男を立派な真人間にして見せます!」

「簡単に乗せられてんじゃねぇよ……」


 大勢は決してしまったか。

 セレスティアまで取りこまれてしまっては、俺一人で俺のために個人的な主張を押し出そうものなら「わがままだ」「自己中心的だ」と罵られて蹴散らされそうな気配しかない。

 頭痛がするわ。

 気付けば俺は自分の額を抑えている。

 痛い場所に手を当ててしまう、人間の手当ての本能が出てきたところで、今回も俺の負けか。


「うむ。では早速仕事の話をしようか」


 最早、俺の同意など不要らしい。


「先日保護した奴隷被害者の件だけど……まだ身元引き受けの済んでいないのが、一人いるよね? 現状はどう?」

「はっ。こちらの連絡により身元引受人としてやってきた母親を拒絶し、留置室から出ようとしません」

「それは……理由は分かっているのかい?」

「不明です」


 なんだよ、まだ帰れてない奴もいるのか。

 というか、帰りたくない奴、だな。

 何か帰りたくない理由があるんだろうけど、それを話さないんじゃあ困ったもんだ。

……って、俺も話に乗せられて思考を流され、すっかり話題の転換を果たされてしまっていた。


「会ってみましょう」

「ん?」


 横にいたアルミナの声。

 視線を向けると、真っ直ぐな黒瞳とぶつかる。


「その子に会って、直接聞いてみましょう。話してくれるかも知れないわ」

「……しかしアル姉、私たちがどれだけ手を尽くしても話してくれなかったんだ。同じ質問をまた投げ掛けたところで、いきなり結果が好転するとも思えない」

「物事には、動くタイミングというものがあるのよ」


 色々と試したのだろう、疲れと諦めが滲むセレスティアに、それとは正反対のまだ何もしていないのに自信満々なアルミナ。

 この場合、通常ならセレスティアの方が説得力を持つだろうが、相手がアルミナとなれば話は変わってくる。


 先見の明、未来予知能力。

精神感応テレパシー】などの第六感に秀でた者は、そういった先を見通す力に長けているケースが多い。

 それはあたかも、高みから道の先を見通すが如く。

 アルミナもまた、その一人である。

 これだけ自信を持って言うのならば、恐らく何か、見えたのだ。


「行ってみよう。俺らはまだその子に会っていない。話し相手が変われば、気分も変わるだろ」


 だから俺は、アルミナに賛同した。

 俺自身は未来なんて何も見えていないくせに、自信満々に不敵な笑みを浮かべて。

 そんな俺を見て、アルミナも薄く微笑んでいた。


「……何か企んでいそうな顔だね? じゃ、行ってみようか」


 愉快そうなレヴァリウスがそれに了承し、話が決まる。

 そのまま立ち上がり扉の方へ歩いていく優男。


「……ってオマエも行くんかい」

「ああ、何か問題が?」

「いや……」


 幹部としての業務は如何なさるおつもりか。

 と内心突っこみつつ、どうせ指摘しても無駄なので黙って付いていく。


 アルミナと幾分不満そうなセレスティアも続き、真っ直ぐ進んで部署の出入り口から廊下へ。

 俺たちが入って来た方向とは真逆――左へと曲がり、更に奥へ奥へと突き進む。


 先陣を切り、肩で風も切りながら歩くレヴァリウスの足取りは軽やかだ。

 活力が有り余っているというか、元気過ぎるというか、その姿は暑苦しい。

 のんびり歩く俺とアルミナを置き去りに、唯一追従していく元々せっかちなセレスティアを引き連れて、先を急いで行ってしまわれた。


「何をあんなに急いているんだろうな?」

「うーん……あの人はあまり読めないけど、多分、暇だったんじゃない?」

「……え?」


 嘘だろ?

 この過疎化が進んだ組織内で暇な部署なんてあるはずが……。

 いや、暇な人材が居て良い道理が無かろう。

 国内の治安維持に加え、頻発する【黒死魔性フォビュラ】の発生、護衛任務に災害派遣、外圧の対処など、やることはいつも山積みだ。

 ましてや幹部ともなれば更に組織内の管理業務など、立場上の仕事も増える。


「読めたのはほんの表層の感情だけれど、退屈とか好奇心とか、そんな感じだったから」

「現状を退屈に感じ、状況が変化する可能性に対して好奇心を覚えた?」

「だと思う。だから、あんなに嬉々として先を急いでいるんじゃないかな?」

「……ふむ」


 なんだろ、俺の知らないところでアイツは暇な日々を過ごしているのだろうか。

 だとしたら是非とも俺の余分な仕事を回してあげたい。

 これからはアイツに投げよう、そうしよう。


 俺の薄暗い決意が固まったところで、レヴァリウスたちの足が一つの扉の前で止まる。

 ID認証している内に追いつき、手前へと左右に開く扉を共に通った。

 中は扉の幅を倍にした廊下が真っ直ぐ伸びていて、その両側に等間隔で各個室の出入り口が並んでいる。

 各部屋にそれぞれ生活に必要な機能は一通り揃っており、その部屋の中だけで生活が可能な造りなので、ここに引きこもりたくなる奴も多い。

 それだけのために捕まろうとする再犯馬鹿はこの留置室ではなく、そのまま牢獄送りだが。


 各扉の横にはアンティークな形状のランプが付いているが、どれも灯りは消えている。

 一つだけ光を放つ場所で足を止めて、扉に浮かび上がっている文字列を確認し、レヴァリウスはランプの下――胸元の高さくらいに設置されているベルを鳴らし、来訪を告げる。

 灯されている光がその部屋を使用中だという合図で、扉の文字列が内部にいる人の名だ。

 その文字列によるとこの中には【パール・ザインナーレ】という人物が居るらしい。


『はい、お名前とご用件をどうぞ』


 呼び出しに応じたのは、女性の声。

 これは監視兼世話役のアンドロイドのものだ。

 声質は人間の肉声と遜色無いが、口調はわざと機械らしく平淡に設定されている。

 しかし一昔前の留守録みたいな応対しやがるな。


「レヴァリウス以下四名。面会を希望する」

『畏まりました。少々お待ち下さい』


 レヴァリウスが代表して発言。

 その返答で言われた通り天井の染みでも数えながら少し待っていると、内部から開錠される音が響き、次いで扉がこちらへとゆっくり開けられてゆく。


「どうぞ、中へ」

「ああ、失礼するよ」


 扉を開け放ち脇に退けたメイド姿のアンドロイドを素通りし、室内へぞろぞろと雪崩れこむ。

 割りと天井の高い開放的な室内は、一〇m四方くらいの正方形。

 複雑な文様が淡い色で織り交ぜられた絨毯と、その上に整然と並べ置かれている古木の工芸美術のような家具・調度品の数々。

……懐かしい。

 俺も保護されて、こういう部屋で世話になったことがあったな。


「やぁ、パール。体調はどうだい? 今日は、君を救った最大の功労者を連れてきたよ」


 レヴァリウスが気さくに話しかけるその先に、パールと呼ばれた少女が居た。

 年の頃は、丁度俺が保護されたときと同じくらいの年齢、一二歳くらいに見える。

 俯き加減な顔が隠れるくらいの青いショートカットから覗く虚ろな双眸は、何に興味を示すでもなく焦点を霧散させていて。

 支給品である淡緑色の衣服を纏い、天蓋とレースカーテン付きのベッドに腰掛けて片膝を抱えたまま動かずにいるその姿は、まるで魂の抜け殻のようで。

 病的な肌の白さと相まって、儚げな印象を抱かせる。

 というか、どう見ても鬱っぽいんだが。


「……カウンセリングは受けたのか?」


 パールを指差しながら事情を知っているであろうセレスティアに向けて問うと、首の横振りが返ってきた。


「今のところ、対話に成功した者は居ない。保護してから飲食も拒否しているので、そろそろ医療機関に……」

「そうか」


 飲食を拒否するということの意味。

 それは、この少女が死を望んでいるってことだろうな。

 この世界に、自身の置かれた環境――宿命に絶望し、降りたがっている。

 よくある話だし、俺も一度経験したことだ。

 だからその想いを察することは出来る。

 けれど、俺はどう足掻いても彼女自身では無いので、完全に理解することなど出来はしない。


「初めまして。私はアルミナ。お節介なのは承知の上で、貴女の自殺を止めに来たわ」


 けれど、アルミナは違う。

 その類稀な【精神感応力】に依って、相手の想いをある程度なら追体験できる。

 想いに触れたときは、その記憶が明確なビジョンとなって脳内で再生されるらしい。

 パールが受けた言葉、想い、思考を辿ることができるのだ。

 完全に、とはいかないまでも、それにかなり近い理解が可能だろう。


「……どんなに辛くても、歯を食いしばって生きなさい。自ら死を選ぶことは、貴女を愛する全ての者に対しての裏切りにしかならないわ」


 魔女御用達の三角帽子を取り、腰を屈めて、アルミナはパールと視線の高さを合わせる。

 しかし真っ直ぐ見つめるアルミナの視線と、斜め下方に投げ捨てられたままのパールの視線は、未だ交わらない。


「そして何より、貴女自身に対する裏切りよ。貴女の本当の望みは、死ぬことでは無いでしょう?」


 死を選ぶのはきっと、その本当の望みを追うことに、疲れたから。

 頑張っても頑張っても、もう無理だ届かないと、そう思ってしまったからだろう。

 望みが絶たれたから、絶望なのだ。

 そこから希望を探すのは、並大抵のことではない。


 続く無言の時間。

 アルミナの投げた言葉は、少女の耳に届いているのだろうか?


「……二人とも、こっちこっち」


 背後から小さく呼ぶ声に振り向けば、レヴァリウスが部屋中央に置かれた応接セット――長方形のテーブルとそれを挟む数人掛けのソファで陶製の茶器に紅茶を注ぎながら、にこやかに手招きをしていた。

 長くなりそうだからお茶でもどう?

……って、その顔に書いてあるな。


 セレスティアと顔を見合わせて互いに呆れ顔を確認したところで、実際ここにぞろぞろと居てもパールに人口密度的な圧迫感を与えるだけだろうし、レヴァリウスのお招きに預かることにした。

 長方形の短辺側に位置するお一人様用のソファに深く腰掛け、その弾力を楽しむ。


「紅茶はお好きかな?」

「苦手。水で頼む」

「同じく」


 レヴァリウスの斜め向かいという俺から遠い位置にわざわざ移動して座ったセレスティアは……にも関わらず俺の言葉に乗っかって意思表示したな。


「ぷっ……くく……君たちは、ほんと変なとこ似てるよね」

「「誰が……っ!」」


 レヴァリウスの発言を同時に否定しそうになって二人とも憮然としていると――


「失礼します」

「「…………」」


 メイド型アンドロイドが水入りコップ二つと水差しを持ってきて、俺とセレスティアの前に置いていく。

 レヴァリウスも手元のティーカップに紅茶を少量注ぎ、俺たちの前に差し出してきた。


「まぁそう好き嫌い言わずに味見してみてよ」

「……仕方ねぇな」

「……頂きます」


 しぶしぶ白磁のカップを持ち上げて、紅茶を飲む。

 白い湯気に混じって鼻腔をくすぐる華やかな香りと、舌を潤すまろやかな味わい……。

 そして猫舌には辛い熱さ……。


「どう? 淹れたてのお味は」

「……味は飲みやすいが、繰り返し飲みたいとは思わない」

「熱いのは苦手です」

「そっかぁ。残念だねぇ。茶飲み友達を増やしたかったのだけれど」

「茶会をしたいなら、それぞれ好きな物を飲めば良いだろ」

「ふむ。それも確かに一理あるが、共に同じ物を飲んで品評し合うという楽しみもあってだな……」


 と、話の途中で紅茶を口元に運ぶ団長殿。

 嗅覚の鋭敏化を狙っているのか瞼を閉じて視覚を塞ぎ、その香りを一通り楽しんだ後、カップに口を付けてゆっくりと傾け、透き通る緋色の液体を口内に流しこむ。

 俺の真後ろの方向――少し離れた場所にて心を塞ぐ少女と、その氷結した心を慈愛の温かさで溶かすべく対話を試みるアルミナを置き去りに、何やら奇妙なお茶会が始まってしまった。


「うん、良い味が出ている。今日は成功したと言えそうだ」

「日課なのか?」

「ああ、趣味の一つだよ。茶菓子もどうだい?」

「要らん。余計な糖質は摂らないことにしている」


 糖質を摂り過ぎると眠くなるし、体型も崩れるからな。


「そっか、ストイックだね。セレスティアは?」

「……頂きます」

「ではどうぞ」


 レヴァリウスの近くにいつの間にか用意されていた焼き色の綺麗なクッキーやら彩り豊かなプチケーキやらが、小皿に取り分けられてセレスティアの前に置かれた。

 その後もう一枚の小皿にも取り分け、レヴァリウスは自らもフォークを持ってつつき始める。


 空調のゆるい気流に乗り、甘く芳しい香りが室内に広がっていく。

 まさか、これで少女の嗅覚を刺激して、食欲を湧かせるのが狙いか?

 それで食事を促そう、と?

……いや、考えすぎだな。

 ちょっと作戦としては大雑把過ぎるし、レヴァリウス自身も何も考えてなさそうなリラックスした顔してるし。


 二人がケーキセットに夢中になっていることにより、しばしの無言タイムが訪れる。

 俺も特に話したいことも無いので黙っていると、必然的に後方の声が耳に入ってきた。


「……隣、失礼するわね」


 一貫して無反応な少女の横に、アルミナが腰掛けたらしい。


「死んだところで、逃げられはしないわよ」


 淡々と言い聞かせるような口調。

 少女の心を読んで、それに対して言葉を重ねているのか。


「辛いことから逃げていても、いつかは必ず立ち向かわなきゃならない日がくるの。立ち向かって乗り越えるまでは、ずっと同じ壁が貴女の道を塞いでいるのと同じ。横道に逃げたって、いつか同じ高さの壁にまたぶつかるだけ。死んでいまの人生から逃げても、同じ課題で新たな人生が始まるだけよ」


 逃亡生活は謂わば、無限ループの生き地獄か。

 それならば、自分で定めた目標に向かって登り続ける人生の方が、ゴールが見えてていいな。

 壁でも坂道でも、登る時は確かに辛いだろうけど、乗り越えたら良い眺めで一息つける。

 次はもっと高い場所登ってやろうって、楽しくもなってくるし。

……って俺はいつまで経ってもガキの木登り気分か。

 しかしまぁ乗り越えたときの達成感だとか、それをできた自分の成長を感じることは重要だと思う。

 それが無くなると、途端に飽きが来るからな。


「もう一度問うわ。貴女の本当の望みは何? ちゃんと言葉に出して言ってごらん?」


 アルミナの口調が変わる。

 少女は未だ言葉を発しないが、アルミナの言葉を受けて心は反応しているのか?

 心の声と対話されちゃ、どんなに黙ってても逃げられないな。

 相手の逃げ道を塞いでやるのは、俺が戦闘でよく使う追いこみ戦術に近いものがある。


「……もう、いいんだ」


 追い詰められたウサギが、ついに鳴いた。


「ボクには、もう望むものは無い。このまま消えていけたら、それでいい」


 一人称ボクか……ボクっ娘なのか。

 いやそこについて考えてる場合ではなかろう。


「無理よ。ここに保護されている以上、自殺は元より事故死も病死も出来ないわ」


 事実を淡々と述べるアルミナ。

 実際、本人が死を望もうと、この国では安楽死など認められていない。

 断食で栄養不足になれば栄養剤を打たれるだけだし、別の方法で自殺や病死を図ろうにもアンドロイドの終日監視により実現困難である。


「……なんでわざわざボクなんか生かそうとするの? ボク一人居なくなったって、何も変わらないよ」

「いいえ、大きな損失よ。例え現在への影響が少なくても、未来への影響力は無限大だもの」

「……未来への、影響?」

「そう。貴女がこれから成長してなすことには無限の可能性があるし、もし子を残したらその子がなすこと、その孫がなすことにも無限の可能性がある。もしかしたら貴女一人を救うことが、世界を救うことに繋がるかも知れない。だから、私は一歩も引かないわよ」


 子を二人産んだとして、その子がそれぞれまた二人ずつ産んだとしたら、孫の代では四人分の影響力を持つ。

 以降同じ条件で血が継承されていくならば、世代を重ねる度、二の累乗で人数が増えていく。


「……ボクには、そんな可能性は無いよ。だって、実の親からも要らない子だと思われてるんだから」


……どういうことだ?

 母親が迎えに来た、はずだよな?

 素早くセレスティアとレヴァリウスの表情を伺って見るが、どちらも首を傾げたり肩を竦めたりで【分からない】という意思表示をしている。


「例えそうだとしても、それはその人ひとり、あくまで個人の意見よ。絶対的な評価など誰にも下せはしないの」


 正論だが、まだ子供の身分で最大の心の寄る辺たる【親】から突き放されてしまっては、理屈抜きに辛いだろ。


「忘れないで。貴女の親は二人だけど、貴女の命を生み出すために関わった人数は、数え切れないくらい居るのよ?」

「……ボクに、関わった人数?」

「うん。少し数えてみようか? まず貴女が生まれたのはご両親が居たからよね? だからまず親二人。そして親には、それぞれのまた親――貴女にとっては祖父母が居るから、これで合計六人。世代が一つ増えるごとに、二を世代数で累乗した数が加算されていくわ。どう? いちいち数えるのが面倒なくらい、たくさんいるでしょ?」


 そう話すアルミナは、だんだん楽しそうな声音に変わってきている。

 対話出来ていることに、喜びを感じているのか。


「貴女は世界で誰からも愛されていないと思っているのかも知れないけれど、間違いなくその【たくさんの親たち】の愛に包まれているわ。ただ彼らはもう、身体が無いから……こう出来ないだけ」


 微かな衣擦れの音と、人が動く気配。

 どうやらアルミナは、パールを抱きしめたらしい。


「ひとりじゃないよ。いつだってこうして傍で見守っているよって、きっとそう言ってる。だって私だったらそうするもの。たくさんの親たちの中に、私と似たような考えの人が一人くらい居ても、ぜんぜん不思議じゃないでしょ?」


 安心感を促すような低いトーンの声。

 幼子をあやすように、優しく髪を撫でているんだろうな。

 見なくても分かるよ。


「……ぅ……っ……」


 声を殺して……パールは泣いている?

 少し、心の氷は溶けたのかな。

 溶けて、水が、溢れ始めているようだ。


「生きて。……生きることは確かに辛いことが多いけど……でも楽しいこと、嬉しいこともあるから。自ら死にたくなるくらい大きな経験を積んだ貴女なら、きっと多くの人から愛される、偉大な人になれるわ。貴女の悲しみも絶望も、何一つ無駄じゃない。自信を持って。自分の可能性を、信じてあげて」


 アルミナの言葉が、眩き太陽光の如く氷塊を熱していく。

 溢れ出る涙は止まらず、それでも声を押し殺すパールだが――


「ここまで頑張って生きていてくれて、ありがとう」


 生きていること、存在そのものへの感謝の言葉。

 慈母の声音による最後の一押しで、その堰は決壊した。

 いままでの静けさが嘘のように、室内を嗚咽の騒音が踊り狂う。

 けれど、それが不快だとは思わない。

 ようやく押さえつけていた感情を出せて、良かったな。


「……お見事」


 レヴァリウスが小さく呟いた。

 その口元に柔らかな笑みを湛えて。

 セレスティアは変わらず茶菓子を嗜んでいるように見えるが、涙目になっている。

 必死にそれを隠したいようだが、すまんな、俺にバレてるぞ。

……多分、レヴァリウスにも。



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