▼Β



 さて、ようやく一段落ついたか。

 ベッド上で三〇分ほど格闘してアルミナの束縛から逃れた俺は、泣き喚く空きっ腹を癒やすべく、そこらに落ちてた服を拾い集めながら寝室を出て、キッチンへと移動した。

 すでに眼前の白い大理石のキッチンには、有り合わせで作った料理が並んでいる。

 まずはいましがた火を止めたフライパン上のソイハンバーグ。

 名前の通り、ソイ――大豆を原料としたハンバーグで、動物の肉は一切使っていない。


 数年前からベジタリアンを飛び越えてヴィーガンに転向した俺は、肉・魚介類・卵・乳製品に至るまで動物性食品の一切を摂取しないようにしている。

 結果的には、ヴィーガンになった後の方が生命力、筋力、持久力全て向上した。

 肉食よりも菜食の方が健康寿命も長いらしいし、至れり尽くせりである。


……鼻腔をくすぐる香り。

 立ち上る湯気にスパイスの香りが運ばれて、この上なく食欲をそそる出来だ。

 筋繊維回復のための蛋白源という役割を期待したい。

 整体カプセル使用後だと言うのに、全身の筋肉痛が酷いからな。


 そして予め大皿に詰めこんでおいた野菜ども。

 色とりどりの緑黄色野菜が並んでいるが、包丁を使わずに素手で千切ったり寸断したので基本的には不揃いで不格好だな……。

 包丁を出すのも後から洗うのも面倒なので仕方ない。

 ドレッシングは胡麻ので良いか。

 エゴマ油などでオメガ三脂肪酸を混ぜるのも忘れてはならぬ。

 これの摂取を忘れると、ただでさえ小さい脳みそが更に縮まるから。


「わぁ、良い匂いねぇ~」

「出来上がった頃に現れるとは、流石だな」

「でしょう~? えへへー」


 いや褒めてないんだけど……。

 大窓から西日が差しこむ扇状のダイニングには、真ん中に白い円卓が置いてある。

 俺の皮肉など意に介さないアルミナは手早く食器を用意して、その食卓に向かった。

 まぁ良いんだけどね。

 俺も最初からそのつもりで二人分作ってあるし。

 何より、いつもふらっと来ては昨日みたいに倒れたりして、他にも色々と世話になっているしな。


 対面式キッチンから大皿とフライパンを持って、俺も円卓へと向かう。

 ネグリジェのまま、サイドの髪だけ後ろで纏めたアルミナは、すでに席について足をぷらぷらさせながら待っていた。

 歳上なのだけれど、こういうときはまるで母親の手料理を待つ子供みたいに幼く見える。

 俺も甘えてる部分はあるし、お互い様か。


「ほら、好きなだけ取れよ」


 大皿とフライパンを円卓の中央に置くと――


「はーい」


 と返事するや否や真っ先にソイハンバーグを漁り出す。

 黙って見ていると、アルミナの取り皿はほとんど豆肉状態に。

 その次に、小鉢程度の小皿に随分と控えめにサラダが乗せられた。

 うん、断じて盛りつけた、とは言えない。

 ちょこんと乗せた、が正確な表現だろう。


「いやアルミナ……比率、おかしいって」

「えー? だって好きなだけって言ったでしょー?」

「それは遠慮せず必要な量を取れ、という意味だ。好き勝手に栄養バランスを崩壊させろという意味じゃない」

「これが私の最適バランスなの!」

「堂々と嘘をつくな。ほら」


 トングでサラダを掴み、自分のを盛るついでにアルミナの小鉢を山盛りにしてやる。


「うぅ……こんなに食べられないってば。残したら食べてよね」

「時間はいくらでもあるからゆっくり食え。では頂きます」

「ひどい……いただきまーす」


 食事開始。

 まずはソイハンバーグに手をつける。

 人間の消化吸収機構というものは、最初に食べたモノが一番吸収されやすい。

 故にまずは蛋白源からアミノ酸や脂肪酸など、身体の形成に必要な材料を最初に補給して、次に緑黄色野菜からビタミンやミネラル類、食物繊維といった材料を扱うための道具を取りこむ。


 蛋白質、脂質、炭水化物の三大栄養素の内、炭水化物には食物繊維と糖質が含まれるが、糖質は積極的に摂る必要はない。

 摂りすぎれば万病の元だ。

 糖質が無くても脂質や蛋白質がケトン体に代わり、エネルギーとして使われるので問題は無い。


 総摂取カロリーに於ける割合としては、P:蛋白質を一~二割――体重値×二グラム、F:脂質五~七割摂取し、C:炭水化物は残りの一~三割程度満で良い。

 変動幅の分は、自分の体型をどうしたいかによる。

 運動量が多く普段から筋肉を酷使するようなアスリートタイプはPを増やす必要があり、その上で体を絞りたいなら総カロリー値を実質代謝値より数百kcal分減らし、太りたいならその逆をすればいい。


 俺は無駄な贅肉は付けたくないし生活習慣病にも罹患したくないので、糖質一割以下を目指している。

 しかし野菜、果物類にも糖質は含まれているので、一割程度なら主食を摂らずとも用意に摂取してしまうのが現状だ。

 もし主食を入れるとしたら、少量の蕎麦や玄米がベストだな。

 玄米は完全栄養食と言われるほど人間が必要なあらゆる栄養素が含まれているので副菜も少量で済み、適正体重維持だけが目的なら一汁一菜でも事足りる。


 炭水化物をエネルギー源としないから脂質を多く取り入れる必要があるが、この場合は脂であれば何でも良いと言う訳ではない。

 確かオメガ三脂肪酸とオメガ六脂肪酸の割合を一:四で摂取するのが望ましいとされていたはず。

 オメガ三はエゴマ・亜麻仁油、くるみなどから摂取できる。

 菜食主義でなければ魚からも摂れるが、その魚はと言えば海藻からオメガ三脂肪酸を摂っているので、海藻から直接摂る方が効率的だろう。

……地表が消失した現状では、どちらにせよ人工海洋産しか無いが。

 オメガ六はオリーブオイル、胡麻油などから摂取可能。

 どちらもソテーやサラダなど、用途は幅広い。


「……で、今度は何考えてるの?」

「ん? いやまぁ、適切な食事方法と栄養学について?」


「うっわ何でそんな小難しいこと考えてるのよ? 論文でも書くつもり?」

「何でそんな引き気味なんだよ。てかアルミナに言われたくない。こっちが解読出来ない言語で論文書きまくってるくせに」

「そ、そんなことないでしょー? 分かりやすさをモットーに頑張ってるのにぃ」


 アルミナはここ数年で底辺の無知者から、博士号を持つ最先端科学の研究者にまで上り詰めてしまった異端の天才児である。

 本の虫で読み出すと止まらなくなり、二、三日徹夜で読み耽っているのもザラではない。

 そのせいか、自身の健康や食事等に関しては、かなり無頓着な面もある。

 健康あっての読書であり研究だろうに。

 人に身体を大事にしろと言う割に、だな。


「無理だから。独自定義の記号を使った数式の羅列とか見てて目眩がするから」

「うっ……そ、そうかなぁ~。一個ずつ見てくと結構面白いんだけどなぁ」


 俺も学校の勉強は頑張ったし、その分一定水準以上は出来た方なのだが、アルミナは別格だ。

 異次元であると言ってもいい。

 学問というものの各分野における専門性の奥深さと、それに特化し過ぎた者の真髄みたいなものを見せつけられた気がする。

 それを、幼少の頃から地道に努力して知識を蓄えて辿り着いた、とかならまだ納得出来るのだが、アルミナに関しては数年だからな……。

 まぁ数年でも濃密な努力をしたのには違いないが、それにしたって知識の吸収力が桁違い過ぎる。

 よほど、頭の出来が違うらしい。


「ま、俺には全然分からんし、これから分かる必要もないだろう。そっちは任せた」

「一緒に研究したいのに」

「無理。俺には身体動かしてる方が性に合ってる。安全保障問題は任せろ」

「いや、あれだよ? うーんと、ルフィアスはただ横に座っててくれるだけでも良いんだよ?」

「……それ何の意味あるの? 何、お飾り? 置物的な立ち位置なの?」


 家具家電の類か?

 実際の研究には手を出せない戦力外だけど、とりあえず居ればいいって何。


「そうそう。私が研究に飽きたら、癒やす係」

「待ってる時間が不毛過ぎるわ」


 時間はもっと有意義に使いたい。


「本でも読んでればいいじゃん。好きでしょ?」

「ん、まぁ……」


 確かに俺も読書は好きだが、彼女に養って貰いつつ日がな一日、本でも読んでろって?


「ってそれ、完全にヒモだよな」

「楽でいいじゃん」

「そういう安易な楽は、お断りだ」

「どうして?」


 理由……前も言った気がするが。


「楽の裏には苦がある。先に苦労して後で手に入れる対価的な楽ならば、喜んで謳歌しよう。けれど先に楽を手にしたら――先に対価を貰ったら、後から支払いが待っているものだ」

「私を苦労して手に入れたじゃない」


 それはそうかもだけど……。


「いやそうじゃなく、もう少し噛み砕いてみるとだな……仮にアルミナに養われる道を選んだとして、その後はどうなる? 何もせず、好きなことだけをして過ごす日々。それは確かに楽で、魅力的かも知れない。でもそんな楽に溺れてしまったら、俺自身の成長はそこで止まる。怠惰に埋もれてしまえば、そこから先には進めない」


 努力する必要がなくなれば、人は努力しなくなる。

 知識を増やさず、技術を習得せず、むしろ覚えたことを忘れていって、何も出来ない成人男性が一人出来上がって、後々自立した日常生活を送ることすら困難になり、苦労することは明白だ。

 俺としては、一人で生きていけるようにあらゆる知識と技術を修めたいと思っているが、この塔の中だけでは経験の幅が狭すぎる。


「ここに居ながらでも、色々と自分を高めることは可能なんじゃないの?」

「まぁある程度はそうだな。学びたいなら、ユビキタスネットワークに繋がっている以上、そこにある情報は得られるし、身体的な鍛錬はある程度のスペースがあればどこでも出来る……けれど、得られないモノもあるだろ?」

「得られないモノって?」

「ここで一人暮らすアルミナなら、一番分かりそうなものだがな」

「……人との、関わり?」

「そう」


 自分自身だけで、自己完結する事柄だけで成長するには、限界がある。

 他者との比較、競争、協力といった人との関わり合いの中だけでしか得られない経験、知識、技術、感情というものが存在するのだ。


「アルミナ……この中が居心地良いのは分かるが、日光も浴びず、屋内に閉じこもっていれば運動不足にもなり、そのうち本当に歩くことすらできなくなるぞ」

「う……」


 健康面において思い当たる節があったか?


「余生をベッドの上で過ごすのか? それこそ苦痛だな。決して楽とは言えない生き地獄だ。動けない部分は機械化するのか? 己が身を引き裂いて」

「うぅ……もう良いわよ! そうまで屁理屈をこねて私の傍に居たくないなら!」


 アルミナはそう吐き捨てるように言って、怒りをぶつけるが如くソイハンバーグに貪りつく。


「要するに、寂しいから傍に居てくれって言いたいんだろ?」

「んぐ……っ!!」


 喉を詰まらせたらしく、むせた。

 俺は立ち上がりキッチンへと向かって、コップと水差しを持って円卓に戻る。

 持ちやすいように弯曲したガラスの器を水で満たし、コップと水差し両方をアルミナの横から卓上に置く。

 それを見たアルミナは、すぐにコップに手を伸ばした。


「あ、ありがと……ごく、ごく……ぷはーっ」

「落ち着いたか?」

「う、うん。まったく……ルフィアスこそテレパスなんじゃないの? 人の心を勝手に読んで」

「あのなぁ……このくらい、精神感応力がなくても簡単だろ? 何年一緒に居ると思ってんだよ」


 そう言いながら、アルミナを後ろから抱きしめる。


「どんなに遠く離れていても、俺の心はいつもアルミナの傍に居る……ってのじゃダメ?」

「……何それ。どこのホストの台詞からパクったの?」


 俯いて、また吐き捨てるようにアルミナは言ったけれど。


「ホスト……というか、使い古された詩だよ。でもそれが、俺の本心でもある」


 上から覗きこんでその表情を見れば、真っ赤になっているのが見て取れて。


「想いは距離を超える。それを証明したのは、アルミナだろ?」


精神感応テレパシー】というものの理論。

 思念波、想念波と呼ばれる事象の説明を、アルミナは科学的実験を以て行った。

 曰く、思念波の速度は、光よりも速い、と。


「そう、だけど……でもやっぱり姿が見えた方が良いでしょ」

「そりゃそうだ。なるべくここには寄るようにするさ。アルミナも、たまには会いに来い」


 抱擁を解こうとしたら、黒シャツの袖をギュッと掴まれて――


「寄る、なんだ……」


 寂しそうに呟いた。


「……訂正。なるべく、帰るようにする」


 寄る、ではなく、帰る。

 名義上は、ここは俺の家ではないけれど、でも――


「……うん」


 それでアルミナが笑顔になるのなら。

 目を細めて微笑むアルミナを見て、もう一度、柔らかな抱擁を……。


「……料理が冷めちゃうわね。食べよっか」

「…………そうだな」


 その号令に従い、アルミナの首筋からするりと離れる腕。

 俺は自分の席に戻り、食事を再開した。

 思えば、こうして食事中にいつも話すのは、他愛ない話、取り留めのない話、くだらない話ばかり。

 けれどそれらは全て、いましか出来ない会話で、いましか交わせない声と心で。


 明日、生きてる保証なんてどこにも無いから。

 医療がどれだけ発達していても、ふとした事故で死んでしまう可能性だってある。

 災厄に飲まれて、消えてしまう可能性だって……。


「……ご馳走様」

「ごちそうさまでした。久しぶりにルフィアスの手料理食べたけど、美味しかったなぁ。いつもこうやって作りに来てくれたらいいのに」

「なら、小型転移装置でも開発すればいい。部屋に置けるサイズでさ」


 食事を終え、食器を持って立ち上がると、アルミナもそれに続く。


「なるほど。そうすれば毎日会えるわけね!」

「お、前向きだな?」


 転移装置の小型化は、現科学界の三大難問の一つとされている。

 もし開発に成功すれば、最高学賞の授与は確定だ。


「当然ね。完成したら、毎日帰ってくるように」

「はは……了解」


 キッチンに着いて、食器を洗う。

 スポンジに石鹸をつけて、昔ながらのやり方で。

 一時期主流だった合成洗剤と食器洗浄機は、それぞれの理由で淘汰された。

 食器洗剤から衣類の洗濯剤、洗髪剤や洗身剤まで幅広い分野を占めていた合成洗剤は、自然界において分解されず残るという環境汚染力の高さと、人体、ひいては生命体そのものを劣化させるという毒性の高さ故に姿を消すことになった。

 食器洗浄機は、アンドロイドの進化によりその役割を奪われて、自然消滅。


 同様に、あらゆるアンドロイドが代用可能な商品・職業は淘汰されていき、その影響は生みの親たる人類に色濃く及んでいる。

 人でなくとも、アンドロイドで事足りる職業ならアンドロイドで代行すればいい。

 稼げなくなった失業者を救う措置は、取られなかった。

 取れなかった、と言うのが表向きの理由だ。

 余裕がないから、無理だと。

 だから表向き華やかな街の裏には、これだけ科学が発達したいまも巨大な貧民街があって、強盗殺人と餓死者が後を絶たない。


「なぁ、アルミナ」

「ん?」

「小型転移装置は魅力的だけどさ、それよりも……」

「……うん、分かるよ」


 俺が洗った食器を手渡すと、アルミナは寂しそうに笑っていた。


「先に、皆を救えるような発明を……でしょ?」

「ああ」

「勿論日々、そういうテーマも考えているわ。でもいまの社会構造が、弱者に行き渡らない構造だから、そこも変える必要がある」

「任せろ」

「……え?」


 目を見開いたアルミナと、視線が合う。


「何を、任せろって?」

「世直しだ、そっちは任せろ。だからアルミナは、余計なことは何も心配しないで、研究に励んでくれ」


 口端を吊り上げながらそう言い放ち、すすぎ終わった食器を渡す。


「随分と自信満々ね? 何か方策でもあるの?」

「ま、根拠のない自信だけどな。なんとかするさ」

「やっぱり。……貴方って、いつもはクールに見えるのに、時々凄くアホになるわよね」

「アホ言うな。出来るか出来ないかじゃない。やるかやらないかだろ? なら俺は、やると言ったらやるんだよ」

「うっわ凄い頑固者」

「ほっとけ」

「……でもまぁ、確かにそういう意志力は大事よね」


 やると決めたらやる。

 それは自分との約束だから。

 自分で決めたことすら――自分との約束すら守れない人間に、他者との約束が守れるとは思えない。

 そういう意味では信用問題にも繋がるか。

 などと考えながらも同時に動いていた手は、最後の皿を洗い終えた。


「はい、これで最後」

「りょうかい」


 それをアルミナに手渡して、俺はその場を歩き去ると、大窓の横にある扉を抜けてベランダへと出る。

 ベランダの上部を半球上に覆う透明なカバーに触れて、一旦引っこんで貰う。

 手すりとの接合部が解離され、徐々に上へ開けていく視界と、吹き抜ける高層の風。

 世界を赤く染める夕日は、空を揺蕩う雲海の陰影を浮かび上がらせ、それはまるで光と影の織り成す特大の絵画のようで。

 遠く山の稜線から、折り重なる緑の布みたいな丘と平原を抜けて、近く眼下に見えるは色とりどりの木々の葉。

 秋も深まり、葉は緑から黄、赤、茶色とそれぞれ思い思いの化粧を施されていた。


「うっわ寒い死ぬぅ~」

「……なら暖かい格好をしてこい」


 振り向けば、アルミナの姿。

 それでもネグリジェに丈の長い黒コートを羽織っているが、素足を晒して来るのは正気とは思えない。


「……こちらを」


 すっと背後から静かな声とともに差し出されたのは、毛布。

 メイド型アンドロイドのリエラか。

 凛とした目鼻立ちとは対照的に服装は少女趣味全開で、ミディアムショートの黒髪の上にフリル付きのカチューシャを乗せているのに始まり、メイド服も白と紺のフリル付きワンピースで、足元は白いガーターベルト。

 白の長手袋に包まれた細腕は、ついでとばかりに寝室に放置したままだった俺のコートも差し出してきた。


「気が利くな。ありがとう」

「当たり前よ。私が設計したのだから」


 勝ち誇るように毛布を受け取りながら、据え置かれたリクライニングシートに座り、その毛布で足元を覆う。


「……それで?」

「ん?」

「なんでわざわざ外に?」

「ああ、なんでって……景色が綺麗だったから」


 そう言いながら、俺は手すりを奥へと追いやるように押す。


「……食後の運動でもしようかな、と」

「やっぱり」


 押しやられた手すりは一六基の【RR――反射再生装置リフレクト・リピーター】に分離し、ベランダの先の空間に直径一〇〇mの円を描く。

 ベランダ下部に備えられた巨大水晶型の基幹から透明な力場の奔流が形成され、その空中に浮かび上がる青白い文様と共に一六基のRRによる円陣へと射出。

 それを受けた各RRはその名の通り力場を設定された角度で反射すると同時に、力場を模倣し任意の方向に再生射出する。

 俺が手すりを押してから僅か数秒で、目の前に球形斥力場結界が完成した。


「食べてすぐ運動すると、内臓に負担かかるんじゃない?」

「まぁ、軽めに汗流すくらいだよ」

「ふーん……身体はもう、大丈夫なの?」

「筋肉痛はまだ残っているが、現時点でどれだけ動けるか、確認しておきたい」

「いいわ。モニタリングは任せて」

「頼んだ」


 アルミナはリクライニングシートに付随する肘掛けに手を乗せて、【GC――全機能一体型計算機グランド・コンピューター】を起動。

 俺は球形斥力場結界へと、足を向ける。

 結界内部への唯一の道は、基幹装置が生み出す力場の奔流――魔導言語のようなアルミナ定義の文字と幾何学模様が青白く発光しながら定常化された、幅二mほどの橋のみ。

 そこに足を乗せて、歩いて渡る。

 地上八階の高さで、下が透けて見えるから中々に肝が冷えるな。

 もし俺に翼が無かったら、こんな文字通りの危ない橋は渡れない。


 橋の終点に繋がった一個目のRRに近づくと、その上方向の力場放出だけに制限が掛かり、力場に穴が開くのでそこから侵入。

 両翼を解放し、重力加速度と上方加速度との相殺によって宙に浮き、球形結界の中央部へ。


『トレーニングモードを設定して下さい』


 機械音声によるアナウンスが入る。


「レベル一から、サバイバル」

『サバイバルモード、レベル一、開始します』


 機械音声の宣言と同時に、何も無い空間から真っ黒な人形が一体、現れた。

 頭部に穿たれた、特徴的な二つの白く小さな円――両眼まで模された、【黒死魔性フォビュラ】のダミーだ。

 この結界と同じ、全てを押し退ける斥力場によって形成されている。

 全ての攻撃を弾き、全ての防御を吹き飛ばす力――ダミーと言えど、ある意味で奴らの本質を突いているのかも知れない。

 倒すには、あの黒い肢体のどこか一部分でも良いから展開されている斥力場以上の力で突き破れば、後は結界因子自体が相互に反発し合い、勝手に連鎖崩壊する。

 ただ、実戦ではそうもいかないから、練習でも狙うは急所――頭部だ。

 それを心に留め、緩やかに接近してくる一体のダミーに対し、こちらも前進を開始。

 後一歩という距離で、瞬間的に移動速度を倍加する。


「――おらッ!!」


 すれ違い様の横薙ぎ一閃。

 溜めた息を、刃を振り抜きながら全身の筋肉を引き絞ることで瞬時に吐き出す。

 駆け抜けた背後で、音速で首を跳ね飛ばされた黒の人形が、その残滓を引きずりながら霧散していく。


『レベル一クリア。レベル二、開始します』


 即座に次のダミーが供給される。

 レベル二はさっきのと同等のダミーが二体。

 単純に数を増やされただけ。

 レベル一〇までは同様に数が増えるだけなので、軽いウォーミングアップ的な位置づけだ。

 問題なく通過。


 レベル一一からは少し様相が変わる。

 現れるのはまた一体に戻るのだが、見た目は同じでも中身が異なるのだ。

 即ち頭脳――AIが強化される。

 こちらの攻撃を予想して躱そうとしてくるなど、少し厄介に。

 以降もレベル一〇毎に何かしら強化されていき、難易度が上がっていく仕組みだ。


……そうして突き進んで行くこと、四~五〇分が経過。


『レベル二二五、開始します』


 いつの間にか空は赤が遠ざかり、暗い青がその領域を広げ始めていた。

 俺を中心に、五体のダミーが最初から包囲陣形で展開されていく。


「ハァ、ハァ……」


 最高記録、レベル三四五の俺が、レベル二二五の現在、すでに肩で息をするほど限界間近になっている。

 全身筋肉痛で身体が思うように動かないし、脳内加速を封印しているので作業効率も悪く、被弾も多い。

 レベル換算で単純に評価するならば、現ステータスはベスト時の六~七割程度と言ったところか?

 レベルが上がるのに比例して難易度も上がるのだから、実際にはもっと低い数値かも知れない。


――左、斜め右、後ろの三体が同時に動いた。

 緩やかに俺を中心とした円周上を回りながら、その半径を徐々に狭めて来る。

 三方から伸ばされる黒き腕が触れる直前に、俺は自分にかけ続けている上方加速を解除し、下方加速へと切り替えた。

 重力加速度と相まって、ブラックホールに吸いこまれるが如く爆発的に下落。

 下降した先には、残る二体が待っていた。


……読まれていたか。

 俺の癖とも言えるこの回避方法。

 膝抜きで習慣付けられた下方へ回避する癖が、どうやら学習されてしまっているらしい。

 上下で各一体ずつ罠を張ってくるものと想定していたが、二体とも下に来るとはな。


 互いに射程距離に入る。

 向かって左側の一体が拳を突き出してきた。

 俺はそれを白刀で外側に弾き、黒刀での反撃を――断念する。

 もう一体が右側から間髪入れず追撃を加えてきた。

 その第二撃を黒刀で内側に逸しながら押しこまれる力を利用し、水流を受けた水車の如く回転して背後へ回りこみ、回転の終わり際に黒き斬撃をお見舞いする。

 袈裟斬りで斜めに裂けた一体が目前で霧散。


 その消え行く黒霧を突き破って、黒き拳が飛び出した。

 左側にいたもう一体が強襲してきたのだ――黒刀を振り抜いた形で止まる俺へ。

 躱す時間は無く、辛うじて片手を動かし、白刀の腹で受ける。

 骨に響く衝撃。

 白刀ごと、後方へまとめて吹き飛ばされた。

 体勢を立て直す僅かな隙を狙って、上空に居た三体が波状攻撃を仕掛けてくる。

 一撃――何とか受け流し、二撃――黒刀で受け止めて、三撃――白刀で止めたが、諸手が塞がってしまう。

 弾き返すために生じた更なるタイムラグ――背後に回られた!


「――っの野郎ッ!!」


 振り向き様に袈裟斬りを浴びせる。

 斬り開かれる黒い肩口。

 白き刃は抵抗なく滑らかに対角線を描き、終点の左脇腹から抜け出た。

 しかし同時に、こちらに向かって伸びていたコイツの腕が、俺の左肩にあたる。


「ぐっ……」


 衝撃に腕が痺れ、左腕が上がらなくなった。

 そこへ、先ほど一瞬いなしただけの二体が、背後から同時に襲い掛かってくる気配。

 殴られた衝撃を利用し、あえて背後に向けて急加速――こちらから間合いを詰める。

 二体を操るAIの想定より早く間合いに飛びこむことで、その攻撃のタイミングを潰し、逆に俺は加速された運動エネルギーを全て黒刀に乗せ、水平に薙ぎ払って二体同時に首を飛ばしてやった。

 その後ろから駆けつけた残り二体も、各個斬り捨て撃破。


「ハァ、ハァぁ……ぐぇ……ハァ、ハァ」


 強烈な加速度の影響で、内臓が口もしくは鼻から飛び出しそうだ。

 全身から吹き出る滝汗は、過熱気味の身体には焼け石に水状態だし。


『レベル二二五クリア。モニターにより終了が宣言されました。トータルタイムは、四八:二一:〇三です』


 モニター……監視係アルミナによって、俺の限界が告げられた。

 俺の限界は、いつもアルミナが決める……俺が自分で決めないから。


 結界が収縮するのに伴い、俺もベランダへと押し戻される。

 一六基のRRに保護され、導かれるようにベランダに戻った俺を待っていたのは、アルミナの冷たいジト目。


「軽めの運動……にしては、随分とお疲れのようだけれど?」

「う、うん」

「汗も酷い量だし」

「……抱きついていい?」


 両手を広げて近づいて行くと――


「やだ、来ないで! 汚い!」


 激しい拒否反応と共に罵りのお言葉を頂ける。


「……流石、潔癖症」

「さっさとお風呂行きなさい」

「はい」


 そう言って、屋内に戻ろうとしたら――


「あ、待って」

「ん?」


 呼び止められた。


「どうした?」

「ほら! 上見てよ」


 言われて見上げれば、宙に漂う無数の白い粒。

 群青の空に広がる雲から、少しずつ雪が舞い降りて来ていた。


「通りで寒いわけだな。もうそんな季節だったか?」

「予報では来週だったと思うけれど……まだ一〇〇%の精度ではないしね」


 舞い降る雪たちは、僅かに残る夕日に横から赤く染められて、燃え上がるように煌めく。


「わぁ、綺麗ね」

「確かに……なかなか見られない光景だ」


 しばし言葉を忘れて見入ってしまう。

 手の平や建物に落ちてしまえば、その熱で儚く消え行く雪の結晶。

 けれどそれが空中にある間は、僅かな時間でも光り輝く宝石のようで。


……それはまるで、人の命にも思えてしまって。

 例え短い時間でも、その人生が光り輝くものであれば良い。

 この雪のように、あるいは咲いて散りゆく華のように、夜空に咲き誇る花火のように……。

 この生命も、咲き誇って見せよう。


「へっくし」

「……面白いくしゃみだな」

「うるへい……ずずっ」

「風邪引く前に、さっさと戻ろうぜ」


 風呂は九階――この上階だ。

 リビングに戻って真っ直ぐと、正面の壁伝いに備えられた階段へ向かって進む。

 塔中心側の白い内壁から黄色い段と手すりだけが伸び出て来たような形の階段は、円筒形の壁に添って螺旋を描いている。


「あ、待ってよ私もー」

「そう言うと思った」


 ぱたぱたと追いすがってくるのはいつものこと。

 この屋内ストーカーにも随分慣れたものだな。

 トイレにもわざわざついて来るし。

 階段に足をかけたままアルミナの到着を待ち、手を引いて共に上へ。

 重力制御エレベーターも有るけれど、基本的には足を使う。

 普段引きこもってばかりであろうアルミナの運動にもなるから。


 九階へ着くと――


「階段疲れたぁ~」


 後ろでため息と共に吐き出される徒労感。

 流石の運動不足っぷりである。


「たった一階分でその体たらくは酷いな」

「う……だ、だってエレベーターの方が速いし効率が良いもの」

「そうして足を使わなくなり、筋力が低下して使えなくなり、老後歩けなくなる、と」

「そうなったら、ルフィアスが抱えて運んでね」

「良いだろう。行き先はどこになるか分からないけどな」


 短い廊下を進んで行くと、突き当りのスモークガラス製自動開閉扉が左右に音も無く開いて、その先の脱衣所へ。


「なんで分からないのよ。貴方が運ぶんだから、目的地は貴方次第でしょ?」

「いいや、その頃は俺も歳だろうから、足を踏み外して共に天国に行く可能性もある」

「うわぁ……嫌だわぁ、そんな最期」


 まぁ、俺の場合は十中八九、地獄行きだろうけど。

 救った命も多くなっては来たが、未だ殺した命の方が多いだろうしな。


 ボロボロの服を脱ぎ、【物質初期化装置マテリアル・イニシャライザー】へ放る。

 これは入れた物の初期値を装置内の記憶領域かネットワーク上のアーカイブより参照し、その初期状態へ分子構造レベルで戻してくれる装置だ。

 アルミナの発明品の中でも群を抜いて便利な代物で、いまでは洗濯機代わりに使われている。

 投げ入れるだけで、服を購入時の新品状態まで戻してくれるのだからな。

 欠点と言えば稼働にかなりのエネルギーを消費することと、事件性のある汚れ――例えば殺人により浴びた返り血とかまで完全に消してしまうので、未だ商用化には至っていない――というかしたらダメ。


 アルミナはネグリジェのままだったから俺より早く脱ぎ終わり、すでに浴室へ向かっていた。

 脱衣所入り口と同じスモークガラスの戸が開き、俺も続いて入る。

 神殿みたいな石柱が並び、白い大理石で埋め尽くされた荘厳な浴室へ。


 九階の半分、半円上の浴室内には、中央に円形のジャグジー、円周上の窓際に景色を見ながらリラックスできるリクライニングシート状の人工温泉がある。

……相変わらず、なんだこのリゾートは。

 リクライニング人工温泉の方は、入って横になるだけで身体の汚れを浮かし、循環水路によって剥離・洗浄・濾過してくれるので、手で洗う必要は最早ない。

 頭部も枕座が変形して包みこみ洗浄できるため、全て機械任せの自動洗髪も可能だ。

……可能だが、それでもある程度、手で洗ってからの方が洗浄速度は速いので、結局は最初に軽く自分の手で洗うことになるのだが。


 改良の余地について思考を巡らせつつ、入って右手の洗い場へ向かうと、すでにアルミナが洗っていた。

 髪が長い分、いつものことだが大変そうだな。

 俺も横に座り、シャワーを浴び、石鹸で洗い始める。

 男性の平均から比すれば、伸ばし放題に放置気味な俺の髪も長い方だが、それでもアルミナの半分にも満たないので直ぐに洗い終わってしまう。

 泡を流して横を見てみれば、お隣さんは未だ洗っていた。


「うぅ……首が痛い」


 水を吸って重くなった髪が、下げた頚椎に負担をかけているらしい。

 細い首が折れないか心配だが、そんなものは現実的な心配でもないので放置し、リクライニング人工温泉へと向かう。


「がんばー。じゃ、お先に」

「洗って」

「……え?」

「髪、洗って」


……首を元に戻したアルミナ。

 後ろに垂れ下げられた髪。


「早く」

「……畏まりました」


 俺は執事か。

 仕方なくアルミナの背後に立ち、爪を立てぬよう指先の腹の部分で、両手の各五指をフル活用して頭皮を洗う。


「ああ、良い……気持ちイイわぁ」


 ゴシゴシと音を立てて小刻みなリズムで軽快に動く俺の両手。

 対面の鏡に映るアルミナは次第に目を閉じて恍惚とした表情を浮かべ、歓喜の声を漏らす。

 髪を洗ってるだけなのに、何故か酷く卑猥だった。


「エロいな」

「ん? 何で? ああ……イイ。そこ痒いの」

「いや……まぁいい」


 本人自覚なし、か。


「ん、もう良いわよ。ありがとう」

「はいよ」


 気を取り直し、俺は再度リクライニングしに行く。

 壁一面が大窓。

 その窓の中央部分に、二人掛けのリクライニングシートが床に埋めこまれたようなスペースが五つある。


 山川草木が広がる雄大な景色を独り占めしながら、そのリクライニングシートの真ん中に横になると、足元から人工温泉が吹き出してきて。

……あっという間に胸元まで埋まる。

 少し身体を下げて首まで浸かり、しばし汚れの洗浄を。

 疲れた身体は、シートに沈みこんでいくようで……。


 後頭部を枕座に乗せてリラックスしていると、その枕座の左右からヘッドギアのような機構が変形しながら伸び出てきて、俺の頭部をすっぽりと包みこむ。

 機構同士の連結が終わり、内部で適温のお湯と共に洗浄液が循環し始める。

 目を閉じて、束の間の休息とも言うべきこの時間を満喫。


……そうして少し時間が経つと、ぴっと短く作業完了の音が聞こえて、頭部洗浄機構が戻り始めた。

 目を開けてふと見上げた空は、いつの間にか赤が遠ざかり、暗い青が染み渡っていて。


「起きたばっかなのに、もう今日が終わってしまうのか」


 思わず漏れる、独り言。


「仕方ないわね。寝坊してしまったのだから」


 それを拾われた。

 そして背後から投げ返された、アルミナの声。

 隣のユニットに、滑らかに白く透き通る裸足が入ってくる。

 続いて腰部から胸部までの艶めかしいS字が。


「……まぁその分、夜更かしすれば良いじゃない?」

「それもそうか」


 髪を上に結わえていることで覗く白い首筋が、とても眩しい。

 かじりつきたいが、我慢する。

 俺と同じように、アルミナも枕座に頭部を乗せ、可変機構にて全身洗浄に入った。

 しばし瞑目してその心地良さに身を委ねている。


 やがて洗浄が終わり、可変機構が巻き戻りをし始める頃。


「それにしてもさっきのトレーニング」

「ん?」


 目を閉じたまま、不意にアルミナが話し始める。


「なんで貴方って、いつもほどほどで止めないの? あのまま続けていたら、怪我じゃすまないわよ? 自分の体調と相談して、限界を弁えるつもりは無いのかしら」

「無い」

「即答……一応、理由を聞かせてもらえる?」


 俺の頑固さを知っているからか、隣から半ば諦めたような気配。


「自分の限界は自分で決めるものではない。軍隊ではよく使われる言葉だ」

「ああ、あの脳筋集団ね」

「……戦場で、俺たちが『もう限界だ、諦める』と全てを投げ出してしまったら、誰が国民を守れる?」

「それは、代わりは居ないけれど」

「だろ?」

「でも……」


 急に、上半身に柔らかいものが触れた。

 見れば、隣のアルミナが、身を乗り出して俺に乗ろうとしていて。


「ってオイ、なにして」

「でも、貴方の代わりだって、居ないんだからね?」


 真面目な声、真剣な瞳。

 ただし俺の上に乗っている。

 豊満な胸が、滑らかな腹部が、張りのある臀部が……。


「聞いてる?」

「ちょっと待って話入ってこない」

「なんで? ……あ」


 バレたか。


「何か、下の方で硬いのが当たってるんですけど」

「いや、それは……仕方ないだろ?」


 目の前に広がる艶美な裸身は、お湯の熱でほんのり紅く染まっていて。


「人が真剣な話をしているときに、仕方ないわねぇ」


 アルミナが片腕を股の間に差し入れたかと思うと、いきなりガシッと掴まれた。


「ちょっ、バカ、いま触るなって!」

「じゃあちゃんと話、聞いてくれる?」

「無茶言うな。……わ、わかった。聞きます。聞かせて頂きます」


 ぎゅぅうっと、握力による威圧を受けてしまっては頷く他ない。

 息子のピンチであるが故に。


「もう一度言うわよ? 貴方の代わりも、居ないの」

「はい……!」


 なんだこの滑稽な状況は。

 何故俺は、大事な部分を掴まれ半ば人質とされながら説教なんぞをされている?


「貴方が居なくなったら、誰が私の孤独を埋めてくれるのかしら?」

「そのときは、どなたか別の方を見つけて頂けたらイタタタタ」


 握力が急激に強められた。

 返答を誤ったか。


「そんな無責任が許されるとでも?」

「許され、ない?」

「許さないわよ」


 やっていることは滑稽だが、その表情と口調は、至って真剣そのもので。

 とても、ふざけて中途半端に答えられるような雰囲気じゃない。


「わかった。なら、俺の死に場所はアルミナの隣で。これなら良いか?」

「……なによそれ。ばか」


 アルミナは握力による威圧を止めて、両腕を俺の首に回してきた。

 そのままキスを求めてきて、もたれかかるように身を預けてくる。

 誰が私の孤独を埋めてくれるの、か。

 俺の命は、もう俺一人のモノではなかったらしい。

 今日は、いや昨日から自分の無鉄砲さについて説教を受けてばかりな気がする。

 実際こうして大切な人を悲しませてしまうというのなら、少し改めるべきか。


「……そろそろ出ようか」

「うん」


 シート横のモニターには、洗浄完了と表示されていた。

 あまり長湯するのも良くない……のだが、俺の上から動かない奴がいる。


「……上がらないの?」

「うん」


 しかしアルミナが動かない。

 何故かまた俺の股間に手を持っていって。


「……これ、このままで良いの?」

「いやあのさ、アルミナが乗っかってたら絶対収まらないから」


 だから早くどいて下さい。

 この魅力的な身体を前にして興奮するなと言うのは無理な話だ。


「我慢するつもり? 我慢は身体に良くないわよ?」

「解放し過ぎも良くない。そちらは精気を受け取る側だから良いかも知れないが、こっちは出す側なんだよ。出し過ぎたら枯れるって」

「まだ若いのに、そんな心配しなくてもいいんじゃない?」

「ちょっ」


 そう言いながら、アルミナは俺の口をまた緩やかに塞ぐ。

 舌を絡める濃厚なキスに、止まらない下半身を弄くる淫らな手。

 脳を溶かされるみたいに、思考が快楽に埋もれていく。

 俺はこのサキュバスに、あと数年くらいで絞り尽くされるかも知れないな……。

 柔肌に覆われた小さな背中に両腕を回し、アルミナを抱き締める。



※18禁部分、自主規制で省略。



……余韻と心地よい疲労感に包まれて、しばらくは動きたくない気分だ。

 女を抱くなら、やはりそれ相応の責を負うべきだろう。

 俺の命は俺一人のものじゃないと、そう思わせてくれた愛する人に感謝を。


 無茶をして悲しませるのは、もう本当に、終わりにしなきゃな。

 だから、いつもの軽い意味ではなくもう少し踏みこんだ意味で、俺に抱きつく恋人へと――


「アルミナ……愛してる」


 想いを、決意を込めて伝える。

 すでに涙を流していたアルミナは、笑顔を浮かべて――


「私も、愛してるわ。ルフィアス……」


 応えてくれた。

 騎士になってからは仕事柄、見たこともない誰かを守ることに必死になっていたけれど、もう一度、優先順位についてはハッキリさせておかなきゃな。

 いま俺が考えているのは【貴女を幸せにしたい】――それだけだ。





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