▼ミ



……終わった。

 もう、死んでもいい。

 故郷の姿を目に焼きつければつけるほどに、そんな悲観的な思考ばかりが脳内を埋め尽くす。


 呼吸の仕方を忘れてしまったかのように、息ができない。

 ならいっそこのまま息を止めて、死んでしまえたらいいのに。

 もう俺に、空気なんて必要ないだろ?


……いや違う。

 俺みたいなクズが、空気を吸うことすらおこがましい。

 無様に生き残った、俺みたいなクズが――


【魔導宗主国ディエンスリュード】。

 その辺境にある【浮遊群島市街アキノス】が崩壊してから、小一時間ほどが経過しただろうか。

 脂汗を流しながら飛行を続けて、現在いる島の淵に何とか辿り着いたのが一〇分ほど前。

 しばらくぼーっと、故郷の崩壊していく様子を眺めていた。

 何もできなかったこと、しなかったことを悔いて、自分を責める言葉しか出てこない。


 崖の淵に立ち、眼下の【黒き死海カラドデニス】を見て思う。

 このまま俺も、落ちて行けたら……。


――と、そこでふと思い出す。

 そう言えば、一人助けたんだった。

 後方、少し離れた位置に寝かせた少女を。

 眼下の真っ黒な絶望から、目を逸らす。

 背後を振り返り、少し離れた草花の上に横たわる拾いものに目を向ける。


 少女は、長い金髪を後ろで一纏めにして、白いワンピースを召していた。

 驚くほど透き通った白い柔肌に伏せられた長い睫毛、小さく可憐な鼻梁の下には薄く淑やかな唇……どのパーツを見ても綺麗な造形をしている。

 それこそ、まるで作り手の理想を詰めこんだ人形みたいに、現実味のない容姿で。


……困った拾いモノをしたな。

 全てを見捨てて一人逃げた罰を自分に下そうと思っていたのだが、どうやらそれはもう少し先になるかも知れない。

 あの子を、せめて人里まで送り届けねば。

 助けた以上は、手を出した以上はそこまで責任を持つべき、だよな。


 責任……?

 俺はただ、あの子をダシに生きる理由を求めているだけ、なのでは?

 少女を免罪符代わりにして、死ぬべき責任から逃げたいだけ……なのかも。


 そこでやっと俺は――止めていた息を、したらしい。

 急に酸素で満たされて、なんか目眩が……視界が揺れたかと思ったら、上も下も分からなくなって、とても立っていられずに片膝をついた。


……酸、欠?

 あるいは、疲労が原因だろうか。

 これまで今日ほど長時間飛行したことは無かったし、その間ずっと少女を抱えていた両腕も動きが鈍くなっているし、思っている以上に気力体力共に消耗しているらしい。

 少し体力を回復する必要があるな。

 視野は多少回復してきたが、無理をせずその場に片膝を立てたまま座りこみ、目を閉じて体調が落ち着くのを待つ。


 気づけば呼吸は荒く、心臓は早鐘を打っていて。

 次いで頭痛と酷い耳鳴りにも襲われている。

 いまにも胃の内容物を吐き出しそうな、気持ち悪さによる追い打ち。

 ダメだ、横になろう。

 少しでも回復を促すべく、横向きで寝転がる楽な姿勢へと移る。


……ただ呼吸に集中。

…………強い風に煽られ、手足が寒い。

…………腹部まで冷えないように、両手で抑える。。

……内臓の気持ち悪さが、少し和らいできた。


……どれくらいそうやって静止していたことだろう。

 視覚情報を遮断したことにより、それ以外の情報をよく感じ取ることができた。

 まずは遠く聞こえていた惨禍の雑音が、いつの間にか止んでいること。

 近くでは木々の葉が、風に吹かれて擦れる大きな音が聞こえる。

 その風が、初夏の深緑の香りを乗せて鼻腔をくすぐり、耳元を通り過ぎる気配。

 少し高鳴っていた鼓動が、緩やかに落ちついてく様子も。

 空腹と、少しの肌寒さ――起きている俺が寒いのだから、寝ているあの少女はもっと寒いのではないか?

 身体を冷やしてはまずいと思い、休憩を切り上げて少女のもとへ向かう。


 立てば、まだ平衡感覚が完全には戻っておらず、ふらつく。

 それでも踏ん張って歩を進め、少女へと辿り着いた。

――途端に俺は座りこんでしまう。

 少女はいまだ死んだように、安らかに眠っている。

 その綺麗な頬には煤が付着し、高価な生地を使っていそうな白いワンピースも所々破れ、汚れが目立つ有様だ。

 風に乱された横髪が顔を覆い、口に入っていた。

 それを指で掬い上げて払い除けると――


「……んぁ」


 ぱっちりと、少女の目が開いた。


「うわっ、びっくりした」


 やっぱ生きてたか。

 しかし心臓に悪い起き方だな。

 寝るか起きるか、オンかオフかの二極しか無いのか?

 間の半覚醒あたりを経由してくれると良かったのだが。

 などと心臓を高鳴らせながら思考していたら、きょろきょろと辺りを見回していた少女のつぶらな瞳と、目が合った。


「――ひっ!?」


 少女の息を飲む気配。

 直後――


「きゃぁぁぁぁぁああああああぁあぁああああ!!」


 鼓膜を打ち破らんばかりの高周波爆発が炸裂した。

 え?

 なに?

 この子めっさ悲鳴上げてるけど、俺が何に見えてるの?

 思わず仰け反り耳を塞ぐ。

 そうして突然の大音声に気圧され幾分か混乱している間に、少女は跳ね起き脱兎の如く駆けだし、藪の中に消えていってしまった。


「いや、あの、……えぇ~?」


 なかなか俊敏だな、あの子……。

――ってそんなこと考えてる場合か!

 追わねば。

 疲労感で重たい身体に鞭打って、再度立ち上がる。


「う、ぐぁ……っ」


 走ろうとしたら、身体中の痛みで足が止まった。

 やば、走れない。

 仕方ないのでのろのろと、亀よりは少し速いかなくらいの歩みで藪の中に進む。

……これ、追いつけるのか?



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