▼フ



 至るところにガタのきた、木造の我が家での昼食。

 そこらのログハウスの方がまだ広いんじゃないかって程度の造りで、リビングとキッチンの融合スペースにはさして空間も無いのに物が雑多に置いてある。

 足がつかないけど何とか座ってるって感じの、ちょっと俺には背の高めな円卓の周りには、各種食材を積めたカゴやら何に使うのか分からない雑貨が通路を狭めていて、壁には調理の道具や意味不明かつ出自不明な飾りが掛かっていたりして。


 けれど光はよく入る。

 右手にも左手にも、大きめの窓があったから。

 外は曇天で薄暗い方だけど、それでも室内に十分な陽の光を届けてくれていた。


「こーら、よそ見しないの。ぼろぼろこぼれてるわよ?」

「え? ……あ、ごめんなさい」


 左斜向いの母さんに、ミスを指摘される。

 けれど怒った様子はなく、口元に湛えた微笑がいつものままで。

 後ろで纏めたその長く綺麗な金髪が、小首を傾げて揺れた。

 淡緑色の明るい服の上には料理してそのままなのか、エプロンを着けたままで食事をしている。

 呆けていた俺は言われて気づけば、木のスプーンで口元に運んでいたはずの料理が、ちゃんと口に入っていなかったらしい。


「運動神経鈍いなオマエ。俺なんか目ぇ瞑ってても食えるぜ?」


 と言って実演しだす父さん。

 食事のために長い黒髪を適当に頭の上とかで纏めていて、服装も袖なしのいつものラフな感じ。

 剥き出しの筋骨隆々な腕でその身体に比べたら小さめのスプーンを持ち、確かに目を閉じて器用に口元に運んではいるけれど、途中でこぼれてるんだよなぁ。


「……あなた。ちゃんとご自分で拭いて下さいね?」


 母さんが丁寧な言葉を使うと、場が凍る。

 なんだろう、この迫力は……?


「ちょ、オマ……なんでそんな扱い違うんだよ……」

「子供と同じ扱いを求めていたの?」

「人類みな平等って言うじゃねぇか」

「父さんが言うと、ひどく軽い言葉に聞こえるから不思議だよね」

「はぁ? オマエほんと言うようになったよなぁ。よーし後で俺の新必殺技の実験台になってもらうぜ」

「大人げないわねぇ……」


 母さんが額を抑えてため息をついた。

 父さんの発言はどれも割りと本気だから困る。

 まぁでも、その新必殺技とやらに俺は少し興味があるから、怖いもの見たさみたいな気持ちもあって。

 痛い思いをするかも知れないけれど、少し楽しみだった。


「……なんだ? この気配」


 それまでと打って変わって、いきなり父さんの声が真面目なトーンに。

 なんだろう……また悪ふざけでも考えてるのかな?


「どうしたの? あなた」


――次の瞬間、見たこともない黒い粒子が床板から湧き上ったかと思うと、それは瞬く間に霧となり、渦を巻いて【カタチ】をむすぶ。


「な、――んだとッ!?」


 珍しく上擦った父さんの声。

 像を結んだのは、昔話でよく聞く【黒死魔性フォビュラ】って奴に見えた。

 人型のずんぐりとした、やけに幅広な肩から頭頂部までなだらかな曲線を描く魔物。

 全身真っ黒で輪郭はぼやけていて、頭部には目の代わりに白い点が二つあるだけ。

 それが、数体、同時に……現れ、た。


「ボサッとしてんな! 逃げろッ!!」


 呆気に取られながらも椅子を蹴飛ばし立ち上がった父さんが、傍らに立て掛けていた白い直刀を手に取り、瞬く間に綺麗な弧を描いて、渾身の袈裟斬りを放つ。

 仮に斬撃力よりも硬度の高い物体を斬りつけようものなら反発力で弾かれるか、刀の耐久度が低ければ刀身が折れることになるだろう。

 その黒い魔物を斬りつけた反応は、どちらでも無かった。

 魔物の首筋だと思われる部分に刃が触れた瞬間、時間が止まったみたいに、その場に静止させられていて。


「マジかよ……!」


 まるで高密度の泥でも斬りつけたかのように衝撃を吸収され、あまつさえ刀身を絡めとられている。

 いつも冷静な父さんが眉間に皺を寄せ忌々しげに口を歪め、愛刀を手放した。

 額には脂汗が滲み、その焦燥が窺える。


 その見慣れない父さんの「速く逃げろ!」という指示で、母さんは俺を抱えて近くの大窓から飛び出す。

 同時に、黒き魔物の腕が伸びる――こちらに向かって。

 真っ黒な腕の先は槍のように鋭利に尖り、数条の黒線となって空を抉り飛来する。

 狙いは、明らかに俺と母さん。


 その死線上に、見慣れた大きな背中が割りこんだ。

 バカみたいに両手を広げて、無防備に、その全ての黒を受け止めて――!?


 紅い花を、咲き散らせる。

 声が、出ない。

 伸ばした手は、空を切るだけ。

 それが最後に見た、父さんの姿。

 俺が窓から外に落ちゆく間の、一瞬の出来事だった。


――背に衝撃。

 中二階の少し高い窓から、庭草の上に落ちた。

 顔に、何か生暖かい水滴が振りかかる感触。

 手で拭い、見ると――暗い紅が。


 頭上には、空中に縫い止められた、母さんの、……姿。

 黒き槍の群れは、父さんの身体を貫くだけでは飽き足らず、母さんまでも……?


 最後に泣きそうな笑顔で「逃、げて」と、言い残した。

 黒き槍が引き戻され、それに引っかかり母さんも窓の中に消える。

 紅き血の雨を、残して。


「か、母さん! 父さんッ! なんだよ……なんで? なんなんだよ、これッ!?」


 思考が、追いつかない。

 何がどうしてこうなった?

 何で、俺は生暖かい血で濡れている?

 父さんと、母さんは……どう、なった?

 殺され……?


――中に、中に戻らないと。


「ぐぅッ! いてて……」


 それなりの高さから落ちた衝撃で、背中をはじめ身体各所に痛みが生じている。

 けれどそんなことは、いまはどうでもいい。

 いまは一刻も早く、父さんと母さんを助けに!

……助けに、行きたいのに、どうして!?

 どうしてこの手足は、震えて言うことを聞かないんだ!?


「あ……かっ、……く…………ぅ」


 歯の根が合わない。

 がちがちと硬質な音を立てて不快な感触がする。

 恐怖――か。

 俺はひたすらに、恐れているらしい。

 頭では助けに行きたくても、身体は全く動かなくなっている。


――黒が、壁面から染み出してきた。


「ひ、ひぃぃぃ!?」


 情けない声。

 これは、俺の声か?

 こんな情けない声を出して、尻もちをついて、何もできないでいる。

 染み出した汚泥のようだった黒は、徐々に顔と両手を形造り……ハッキリと、こちらを見据えてきた。


 俺はそのまま後ろへと転がるように、恐怖に駆られ逃げだす。

 無理だ、無理ムリ無理むり……!

 あんなもの、俺一人でどうにかなる相手じゃない!

 父さんだって、相手にならなかったのに……。

 俺なんか出ていったって、殺されるのがオチだ。


 剣士か魔導士か……誰でも良いから助けを求めないと。

 でも……あの父さんでも、全く敵わなかったのに?

 一体誰が、倒せるっていうんだよ。


 それに、もうすでに街はどこもかしこも……【黒死魔性フォビュラ】に覆われていて。

 誰も彼も皆、襲われていた。

 気づいたときには、すでに何もかもが手遅れ。

 道端には死体が沢山転がっていて、それと同じくらい【黒死魔性フォビュラ】もいる。


 街中に溢れる化け物。

 この街はもう、ダメだ。

 生き延びるにはどうしたらいい?

 この街……この狭い島にいたって逃げ場はなさそうだし、島外への脱出しかないか?

 となると、目指すは走空機発着場。


……もう父さんのことも母さんのことも、諦めている自分に気づく。

 帰れば殺されるけど、逃げれば生きられる。

 自分だけが助かろうと……。


 でも、本当にそれでいいのか?

 いや俺に何が出来る?

 帰っても無駄死にするだけだろ?

 それに、あの傷では二人とも、もう助からない。

 このまま逃げれば、せめて自分だけでも生きのびられるかも知れないじゃないか。

 父さんも母さんも「逃げろ」って、言ってたろ?

……そんな思考を巡らす効率的で冷静で卑怯な自分に、嫌気が差す。


 泣くなよ。

 なにを泣いてんだよ、俺は――!

 歯を食いしばって、泣くのを、泣きわめきそうになるのを堪える。

 だって、泣く資格なんてないだろ。

 泣いたって、見捨てて逃げることには変わりないんだから……!


 けれど、その歪んだ希望さえ、すぐに打ち砕かれた。

 街一番の大きな時計塔――それを爆砕させた、塔より大きな黒き怪物によって。


「は……ははは…………もう、どうなってんだよ……この世界は?」


 もはや渇いた笑いしか出てこない。

 突如出現したその異形の怪物は時計塔を瓦礫に変えたあと、宙に飛び立った走空機を片っ端からその巨木みたいな豪腕で殴り潰しはじめた。


 木っ端微塵に吹き飛ぶ走空機。

 その破片が地面に突き刺さる。

 怪物に足蹴にされた家屋の瓦礫が舞う。

 見えないところで何かが爆発して炎上。

 耳朶を打つ轟音と衝撃波。

 倒壊した建材の下敷きになる人々。

 風切り音を響かせ亜音速で飛来した破片に、胴体を切り裂かれる子供と目が合った。

 天高く弾け飛ぶ血飛沫が顔にかかる。

 どろりと、はみ出た腸から漂う汚物臭に鼻を塞ぐ。

 耳に痛い甲高い悲鳴もいま、途絶えた。

 いたるところで微かに聞こえるくぐもった苦鳴は騒音に掻き消される。

 絶叫に怒号と慟哭が混じり合う。

 そして、ぎらりと光るのは、黒き怪物の白き双眸。


――それが、俺を見た。

 のっぺらな黒い丸に、白く濁った点が二つだけの顔。

 口も何も無いはずのその顔が、俺にはどうしてか――笑ったように見えて。

 思わず身が震える。

 背筋が凍るほどの悪寒……。


 こ、怖い。

 ただひたすらに恐怖を掻き立てられる。

 全身から血の気が失われ、足がすくむ。


 怪物の耳元で爆発。

 わずかにその首が傾げた。

 しかし、なんのダメージも無さそうだ。

 怪物が変わらず歩を進めようとした、そのとき――


 地点設置式の魔法罠マジック・トラップが発動し、その足元に無数の氷刃が突き立ち周りを凍りつかせ、公衆大型車両みたいな片足を止めた。

 街の守護隊による、魔術攻撃だろう。

 続々とあらゆる属性魔術が放たれていく。

 ぐらつく巨体。

 けれどどれも、効いているようには見えない。

 ただその圧力で押しただけのような気がした。


 黒き怪物はその巨躯を低く屈めて、魔術が飛んできた方向に対し足払いのように、いましがた己が壊した巨塔のような豪脚を、横薙ぎに振るう。

 凶悪な爆砕音。

 家屋も生物も何もかもが粉砕され、空中に舞い上げられていて。


 話と、違う。

 御伽話によると、効かないのは物理攻撃だけではなかったか?

 魔術は霊子作用だから、物理作用とは次元が異なるはずだ。

 いや、耐久力の問題か?

 単純に威力が足りていない可能性もある。


 どちらにしても検証する術は無く、いまはとにかく逃げるしか無い。

 ともすれば崩れ落ちそうになる足腰を奮い立たせ、踵を返して走りだす。

 家族も、友人の存在も、全て忘れて。

 ただ自分が生き残るためだけに、走った。


 肩越しに振り向けば、奴は俺に向かって手を伸ばしているところで。

 あれは、殴ろうとしている?

 鈍重な動きで、拳を打ち出してきているのか?

 いや、巨体故に遅く見えるが、遠近法でそう見えるだけで実際は相当な速度みたいだ。

 何故なら、急激に距離を詰められているから。

 爆風を伴って数多の家屋を破壊しながら迫る――その巨岩みたいに重厚な拳に。


 俺は、【飛んだ】。

 文字通り飛行して、それを回避。

 普段は気味悪がられるから隠すようにと言われてきた【翼】の――その禁忌を解いて。


 俺の背に咲く【白き光の双翼】には、質量が無く、重さもない。

 けれど、この身体を浮かせて好きな方向に飛ばす力はあった。

 原理は分からない。

 恐らく魔術的な――霊子を扱うものなんだろうけど、調べてもらったことはなかった。

 だから、何故この翼を生まれながらに持っているのかすら未だに不明で。

 両親は翼を持っていないし、この街で俺以外に翼持ちの奴もいない。

 俺の知る限りでは、という前置きが付くけど。

 俺みたいに隠してる奴もいるかも知れないからな。


 とにかくその翼のお陰で、俺はいま、死なずに済んだ。

 空を飛んで黒い拳から逃れ、街の外を目指そうと決めたとき、くるくると回転しながら緩やかに落下する走空機が目前に現れる。

 先ほど、巨人に撃墜されたうちの一つだろう。

 中途半端に壊れたらしく、なかなか落ちないが飛べもしないという有様だった。


 外装が剥がれ大穴が穿たれていて――そこから小さな人影が一つ、落ちる。

 いや、落ちる前に空中で静止した。

 小さな人影は、俺より何歳か年下の少女。

 その手を必死に掴むのは、その子に良く似た綺麗な女性だった。

 母親、だろうか。

 二人とも長い金髪と蒼い瞳で、俺と同じ人種なのかな。


 少女は気を失っていた。

 母親は我が子を離すまいと歯を食いしばり、こめかみに脂汗を浮かべながら手に力をこめている。

 あの状態では、すぐに力尽きてしまうだろう。

 そう思った俺は、進路を変えた。

 少し急げば、助けられそうだったから。

 だから背後の巨人の動向を気にしつつも、俺は自らを【加速】した。

 制御できるギリギリのところまで速度を上げる。


 風音が耳の横でうるさい。

 空気抵抗が顔を押しつぶそうとする。

 同様の圧を受ける両腕も、持ち上げるのに苦労した。

 走空機に近づくと、その周囲で巻き起こる乱気流に阻まれながらも、何とか少女の小さな身体を下から支えることに成功。

 見上げれば、いまにも気を失いそうになりながらも、安堵の笑みを浮かべる女性と目が合った。

 最初見かけた方向からは死角で見えなかったが、いたるところから血を流し、すでに顔面は蒼白――死んでいても、可怪しくないレベルで。


「てん、し、さま……どうか、この子を、ッ……お願、いしま、す……」


 よく、激しい風音の中で聞こえたものだ。

 弱々しい、いまにも消え入りそうな、苦しそうな声で、彼女は確かにそう言った。

 俺はただ頷き、少女を両手で抱えこむ。

 すると、彼女は少女から手を離し、静かに目を閉じた。

 その直後、推進力と浮力を失った走空機が、急速に落下し始める。


 複雑な想いを抱きつつも、それらを背にして目線を前に戻したのとほぼ同時――金属がひしゃげ割れるような轟音が響く。

 背後を振り向けば、巨人の拳が走空機を貫通して迫ってきていた!


 何故か奴は、執拗に俺を狙ってくる。

 地面から上空に伸びてくる巨大な腕の軌道。

 到達点を予測し、咄嗟に翼の浮力を無くして高度を下げ、膨大な空気を押し分けて肉迫するその拳をやり過ごす。


 拳が俺の右翼をかすめた。

 翼に痛覚は無いのだが――無いはずだったのに、何かが触れたのが分かってしまって。

 すると、いままで全く傷を負わなかったその【黒き拳】が、爆ぜた。

 それについて考える暇もなく、今度は走空機が奴の腕の半ばに串刺しになったままで爆発。

 爆風が頬を焼き、俺たちをも吹き飛ばす。


 灼熱と爆音と煙。

 強大な推進力によって巨人との距離は取れたが――その代わりにバランスを保てなくなった。

 爆風による影響で平衡感覚を乱されたか?

 いや、上下左右の感覚は分かるが、翼が何故かいつもと感覚が違っていて、言うことを聞かない。

 きりもみ状態で、一瞬ちらっと自分の翼が見えた。


 そこで一つ違和感を覚え――片方の翼が、無くなっている?

 どうやら、奴の腕に触れられた【右翼】も、その黒き腕と同様に爆ぜていたらしい。

 再度確認のため、右肩越しに視線を向けると、そこにあるべきものは、無かった。


 しかも除々に高度を下げていく俺に、【黒い渦】が纏わりついてくる。

 はじめは、それが何か分からなかった。

 けれど、奴の爆ぜた腕の先から俺に向かって【黒】が流入してくるのを見てしまっては、もう気づかざるを得ないだろう。

【これ】は、あの【黒き巨人】だ。

 あの【怪物自体】が、何故か分からないがまるで吸いこまれるように俺の右肩――消失した右翼の辺りに流れこんで来ている。

 氾濫寸前の大河のような勢いで、その黒の濁流は俺目掛けて一直線に収束していく。


 呆気に取られているといつの間にか目前に家屋の屋根――

 少女を庇うように身を捻り、背中から激突。

 衝撃で肺の空気が絞り出された。

 屋根瓦を割り砕きながら何棟分かの距離を転げまわり、ようやく勢いが止まる。


……体中に、鋭い痛み。

 何箇所か出血しているようだが四肢は動いてくれた。

 軽傷と判断し、すぐに立つ。

 腕の中の少女も無事……だと思う。

 ぐったりとしていて意識はないが、呼吸はしている。


 見回すと辺りには黒煙がもうもうと立ちこめていて、走空機の爆発による煙と、怪物の残滓たる黒き渦とが混在していた。

 何が起こったのか、何をされたのかも分からない。

 とにかく俺の【白い右翼】は消えて、【怪物】も消えているのは、事実。


 しかし違和感を覚え、右肩越しに再度振り返ると、いままであった【白き翼】の代わりだとでも言うのか……いつの間にか…………【黒き右翼】が、生えていて。

 それは、光を全て喰らい尽くすかの如き、重厚で濃密な漆黒。

 見るだけで恐怖を呼び覚ますような、明かり一つ無い暗闇にも似た暗黒だった。


「これは……どういう、ことだ?」


 まさか、あの【黒き怪物】が【俺の右翼に取って代わった】とでも言うのか?

 じょ、冗談じゃない!

 得体の知れないモノが自分の中に入りこむ恐怖。

 気色の悪い寄生虫にでも宿られたみたいな不快感を覚え、冷や汗をかく。

 誰か……誰か、い、いますぐに、この翼をもぎ取ってくれ!

 声にならない叫びが、己が心を蹂躙する。


 不意に、少し離れたところで悲鳴。

 見れば眼下の通りで、女性が黒影に切り裂かれていた。

 周りを見渡せば、巨人は消えたが人間サイズの【黒死魔性フォビュラ】は無数に残っている。


……災害はまだ、終わってなどいない。

 遠くの景色は、緩やかに【上に】流れている。

 ということは、この島は【下に】落ちているのだ。

 まだ自然落下の加速度ほどではないが、少しずつ浮力を失いつつあるらしい。

 島で唯一の走空機発着場は、完全に破壊されている。

 脱出するには、自力で飛ぶしかないようだ。


 この、ただでさえ自分でも得体の知れなかった翼が、更に変質してしまったことに忌避感を覚えるが……。

 それでもいまは、生きるためには【コレ】に頼るしかないのかよ。

 心の奥底から沸き上がってくる気色悪さを押し殺すように歯を食いしばり、他のことに集中する。


 この辺りの地図を思い出し、ここから一番近い島に向かうこととした。

 その方角を見て、目視できる範囲に島があることに、ひとまず安堵する。

 しかし問題は、この変質した右翼で飛べるか否か、だが……。

 ともかく、動くか否か、使えるのか否か、確かめてみないことには始まらない。

 いつもやるように、背中から少し離れて空中から生えだしているこの【両翼】に、意識を繋げていく。


――身体が、浮き上がった。

 どうやら問題ない。

 飛行性能に変化はないようだ。

 そうと分かれば、あとは飛ぶだけ。

 俺は最も近い浮遊島の方へ向かい、再度空へと飛び立つ。



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