△肆
左手から迫り来る青年型アンドロイドの縦斬り。
俺はその刃の裏側、奴の持ち手側である左側面へと瞬時に飛びこむ。
刃が俺の頬をかすめていく。
そのまま刃の通行を許せば俺の胸板をスライスされてしまうので、俺は銃を握ったままの右手で、横からちょいとその腕を押してやる。
ただそれだけで、簡単にスッと軌道が逸れるのだ。
縦振りは縦方向へのベクトルしかないのだから、横方向の力には弱い。
初歩の力学だな。
俺は半身を入れ替え、がら空きになった奴の上体に【白刀】を叩きこむ。
何の抵抗もなく刃は通り過ぎ、青年の形をした無機物は多数のパーツを飛散させながら天井近くへ舞い踊った。
俺のその行動を正確に予想していたかのように、三発の【
振り切った刃を静止せず、回転に任せながら我が身を引かせ、更に下半身を脱力させ膝関節のロックを外し屈むように重心を下げて、飛来するそれらを頭上にてやり過ごす。
発射元に足を向け、飛び出そうとしたその刹那。
「――ッ!?」
息が詰まるほどの強烈な悪寒を感じた。
全身が総毛立つほどの忌避感……それを、その黒い何かを感じた方向には壁があるだけだと分かっていても尚、思わずその方向を見ようとしてしまって。
そんな暇はないことも直勘していたから飛び出しかけた足を引き戻し、現状の戦闘局面においては愚策でしかないが、後方へと――未だこちらに大口開けて砲台を向けるアンドロイドと距離を取る方向へと、俺は身体を投げ出した。
そう投げたのだ。
回避したとかステップを踏んだとかそんな華麗なもんじゃない。
ただ無様に、転ぶように身を放り出した。
結果として見えたものは、俺が進もうとした先、一歩先で、突如空間が揺らぐ光景。
そして、強烈な光を一瞬放って何かが沸騰したように蒸気が……ッ!?
これは、【
激しい戦闘を繰り返す俺の位置を正確に割りだし、狭い廊下というこんな見通しの悪い場所での、精密狙撃だと!?
床に背部から着地。
強打による呼吸の乱れに苦しみながらも、動きを止めるわけにはいかない。
俺はそのまま後方に転がり、【
冗談じゃない、分が悪すぎる。
こんなんまともに相手してられるか!
不規則に動いて位置を予測されないように動きながら、この悪魔の如き狙撃手への対策を考える。
――そのときまた、黒い何かを感じた。
刹那、背後で発光。
こいつは、【
目標を見失った共振波動の増幅点で、対象とされた分子と同じものがあれば崩落現象を起こし、余剰エネルギーが光として放出される――要はミスショットの証だ。
どうやら黒い何かと狙撃手は関係があるようだな。
というか同一か?
何にせよ確かめる必要がある。
現状【天征眼】は近接戦闘用に半径五〇mほどでしか展開していない。
黒い何かを感じた方向には、少なくとも五〇m先までは何もなかった。
つまり、俺の眼の範囲外か。
少し、範囲を広げる必要がありそうだな。
この船全体を精査した時みたいに、いや、方向が分かっているのだから、そっちに向けて限定的に、二〇〇mで行くか。
この船の全長なら、それでこと足りるはずだ。
廊下を走りながら【バルク】で壁を一部砂に変えて潜り抜け、【白刀】で床板を切り抜いて階下へと落ちつつ、【天征眼】の視覚を伸ばして行く。
――俺の【眼】は会食室を通り、上へと長く続く広めの階段へ。
木造船のような開けた甲板を突っ切り、船体後部上方には艦橋が――見つけた。
青白い密室内で、こちらに長銃を向けて下卑た笑みを浮かべる黒髪の青年。
青い布で黒髪を適当にまとめていて、その下に覗く瞳は左右で色が異なる。
左の瞳は赤いが、右は黄金色で白目部分が黒い――人工眼球だな。
黒革製の上下で身を固めて、スラっとした長身は一八五cm……俺と同じくらいか。
病的なまでの肌の白さは極度の引きこもりがなせる技だな……人のことは言えないが。
コイツ……若いくせに、なんでこんな退廃的な仕事に就いてんだ?
チャラチャラと髑髏系のアクセサリーやら悪魔的な物を身に纏っていることから、そういうのが格好いいと思っているタイプか。
足を止めて、奴を見据える。
幾層もの壁を隔てていても、目が合ったことには気づいたようだな。
驚愕に目を見開き、呆けた口が半開きだぜ?
その眼の正体は分かった。
人工眼球と、艦橋内で展開されている無数のモニター郡――船内に設置された監視カメラ郡の映像データとを連係させれば、俺の位置を測定・予測することも可能だろう。
思えば、アンドロイドたちの動きもそうだったんだな。
何か視覚以外の感知センサーでもあんのかと思っていたが、そうじゃなかった。
単純に、視覚を拡張しただけの話だったんだ。
船内監視カメラと、アンドロイドの視覚センサー、その全てをリンクして、共有して、アイツは俺の位置を計測してやがった。
なるほど。
なら、この船のどこにいても、奴の射程範囲内からは逃れられないってことか。
まぁ、逃げてるだけってのは性に合わないし、いいけどな。
思わず不敵な笑みが溢れる。
「狩りは楽しかったか? 次はオマエが狩られる番だぜ」
わざと声に出してそう宣言し、俺は奴に向かって一歩を踏み出す。
俺の口の動きからか、もしくは監視カメラと共に音響センサーも兼ね備えているのかは知らないが、奴は目に見えて焦りだした
次弾を取り落としそうになりながら慌てて装填し、ロクに照準も定まらないままぶっ放してくる。
俺の数m横で、増幅点が出現。
武器本体が見えた以上、奴の狙う方向も、撃つタイミングも、もう手に取るように分かるんだよ。
俺は駈け出した。
このまま一気に、艦橋制圧といこうか。
斜め前方に向けて飛び上がり、行く手の障害物を排除していく。
天井、壁、テーブルや置物を砂に変えて、今度は進路上に狙いを修正してきた【
この階段の横は、もう外だ。
階段の途中には踊り場のような休憩スペースが定期的にあって、大きめの窓が嵌められている。
船の中央付近で甲板よりも高い位置にあり、展望台兼レストランへの道すがら景色を楽しむための演出かな。
まぁ、何でも良いけどよ。
俺はそのデカイ窓に向けて、引金を引く。
強化ガラスが砂と化し、内外の気圧差により外へと猛烈な勢いで吸い出される。
その気流は俺をも巻きこみ、身体が風に引っ張られ宙に浮いた。
一拍遅れて、階段で増幅点の発光。
それに目もくれず、空中で体勢を立て直しながら外へ。
投げ出され見えた景色――朝焼けの空は晴れ渡っていた。
広がる群青の大空を泳ぐこの船の上で、俺は翼を広げ、風を掴む。
目指すは後部上方、艦橋。
追い風を受けて、この身は更に【加速】された。
――刹那に、音速の彼方へ。
衝撃波と爆音を置き去りにして、壁面との衝突寸前に撃った【
青白かった部屋に陽光が穿たれた。
いまや人工的な光は駆逐され、自然光の圧倒的な光量に眩く照らし出されている。
そしてまたも気圧差で、内部の空気が外へと強引に
突如起きた気流に抗うべく、艦橋内にいた人間は一様に何かに捕まり、飛ばされまいと足掻いていた。
俺はその中を悠然と歩き、這いつくばりながら近くの取手を掴んでその身を支える男の前で立ち止まり、銃口を向ける。
その間、船の防護装置が働き、俺が開けて入ってきた穴は半透明の流体ゴムで塞がれ硬化していき、徐々に気流は収まり始めていく。
下から憎々しげに見上げる黒髪のスナイパーは、こんな激しい気流の中にあってもその長銃を離さず抱えていたので、俺はそのトリガーを撃ち抜いた。
ハッと視線を手元に移すスナイパー。
指先の感覚で、トリガーが砂になったことに気づいたのだろう。
続けざまに三発発砲。
ついでに透過視力【天征眼】に映った他の銃や凶器も砂塵に変えておいた。
胸元、太腿の横、左腰……けっこう持ってたな。
商売道具がガラクタになり、茫然自失の体となった魂の抜け殻は放っておいて、艦橋の制圧を進めるべく、俺は他の人間へと向き直る。
「さてと、全員大人しく投降してもらおうか」
と、言っても、もう反撃能力はなさそうだ。
乗組員の構成はこの艦橋内にいる男性ばかり一六名だけ。
たったそれだけの人数でこの大型船を運行してきたのには勿論カラクリがあり、それは、あらゆる雑務を機械任せでやってきたってとこだろう。
掃除から機器整備、保守点検から戦闘に至るまで、全て。
コイツらにできることは、恐らくコンソールをいじるくらいのもんだな。
現に、大半が投降の意を示し両手を上げ始めていた……一人を除いて。
「く……ッ!!」
奥歯を噛み締めて、わなわなと身を震わせながら背後で武器を失ったスナイパーが起き上がってくる。
俺は右手の銃をホルスターに仕舞い、【白刀】も刀身を消してベルトに戻した。
「死ねぇぇぇぇえええええ!!」
スナイパーの手元から翻ったのは、鈍い光を放つ凶刃。
あら、武器一つ砂に変えるの忘れてたみたいだ。
しかし近距離かつ背後を取っていることから、それで殺せるとでも思ったのか?
もしくは、マトモな判断ができなくなっているのかな。
見えない位置からの狙撃を回避し続けた俺に、そんな攻撃をしても無駄なことくらいはガキでも分かりそうなものだが。
この程度の動きなら、翼の【加速】に頼るまでもない。
俺は左半身を後方に捌きながら、左手刀を放つ。
ただそれだけで、背中を狙っていた刃は目標をなくし、それを持つ腕は横合いから飛んできたこの手刀に打ち払われ、あまつさえそのまま手首を引き掴まれて関節を極められ、ナイフを取り落とす。
空いていた右手で掌底を作り、腰を入れながら気持ち悪い色した右目に向けて放つと人工眼球は陥没し、勢い余って眼底の骨を粉砕した。
怒号が苦鳴に変わる。
掴んだままの手首を外側に捻り肘関節を内に向けさせて相手の肩関節まで掌握すると、そのまま地面へと叩きつけるように引き倒して、仰向けに寝転がったところを追い打ち。
――右拳で、水月への正拳突きを叩きこむ。
床材を激しく振動させ、腹に響くような轟音が生じる。
……コイツの腹には別の意味で響いてるだろうけど。
「か、はっ……」
硬質な床板との挟撃に突きの威力を逃せず、全てその身で受けた哀れな青年スナイパーは内臓へのダメージが許容限界を超えて息も出来なくなり、瞳がぐるんと上瞼の内に回りこみ、失神した。
「さて……」
俺は身を起こしながら周りに問いかける。
「アンタらは、素直に言うことを聞いてくれるのか?」
口元に笑みを湛えながら眼光で射殺すように見回すと、皆一様に引きつった顔で首を縦に振った。
バカのお陰で良い演出になったな。
「なら、まずは来た道を引き返せ。針路を一八〇度転回。目的地を【王都グレッシャリア】に設定」
さっさと引き上げて、一刻も早く休暇を頂きたい。
そろそろ眠気が限界だ。
……にも関わらず、動こうとしないバカどもめ。
「……ん? おい、どうした。聞いてんのか?」
指示を与えても一向に動こうとしない乗組員に、若干苛立ちを覚えながら問いかける。
すると全員、俺が入ってきた方向――俺の背後、朝日が射しこむ方向を見て固まっていて……なんだ?
その表情が、驚愕から、何やら死を恐れるような恐怖の色へと染められて――!
そこで、はたと気づく。
気づかされる。
射しこむ陽光に、【異様な影】が混じっていることに。
艦橋内に出来た白い光柱の中に紛れこむのは、黒い人影。
俺の後ろには、誰も居ない。
そんなことは振り返るまでもなく、発動しっ放しの【天征眼】が保証している。
なら、どこで光源を遮っているのか。
俺は振り返り、ソイツを見極める。
遅れて鳴り響く警報音。
我が愛機搭載AIが、今更その脅威を報告してきやがった。
『警報。識別不能事象が接近中。識別不能事象がこの船に対して接近中』
「何ボケっとしてんだテメエら!! さっさと動けッ!!」
気づけば声の限りそう叫んでいた。
その声に金縛りを解かれたみたいに乗組員たちは慌ただしく操舵をし始める。
急激に曲がっていく船体に、その慣性力にバランスを取られながら俺はその姿を目に焼きつけるべく睨む。
行く先に待っていたのは、正真正銘の死神だった。
「【
思わず口に出してしまう――忌々しいその名を。
太陽を背に遥か先の空に浮かぶのは、人型の魔物。
夜の闇より尚暗い漆黒の体躯を有し、僅か二点だけ、頭部に穿たれた白い穴みたいな双眸のようなものだけは虚ろに存在しているが、他にこれといった特徴のない、それでいてあらゆるものを蹂躙し、壊し尽くす異形の化物だ。
遥か先にいて、これほどの濃い影を落とすということは、それだけの規模の大きさがあるってことに他ならない。
それこそ、この船を飲みこむくらいに。
「おい、アイツの大きさは!?」
「は、はい! お、およそ……全長五〇〇m……っ!?」
若い乗組員の返答に、口の中に羽虫が飛びこんできたような気分になる。
まだ距離はあるが、追いつかれるのも時間の問題か。
あちらはいま最高速度で飛行中だろうが、こちらはこれから、転回による減速から再加速する必要がある。
艦橋内のほぼ全員が、青褪めた表情を浮かべていた。
「【
測定士の報告は尻すぼみで、絶望に
この船は俺から逃げるとき、大体時速五〇〇kmくらいで航行していたな。
追いつかれるのは確定だ、ということか。
何故こんなにも接近されるまで気づかなかったのか?
俺のときはミサイルを打ちこめたくせに。
……まぁ現実問題として、この船の計測システムでも【
奴らは熱も質量もなく、その姿が現れたときにだけ光学的に見えるので、その位置も速度も光学測定器とAIによる判定、もしくは人員による視認しか方法がない。
形状も出現パターンも個体差が大きすぎるが故に基本的には目視の方が早く、だからこそ監視要員が必要なのだが、俺の襲撃で内部に気を取られ、外部監視が疎かになっていたか。
「おい、アンタが船長だな? 俺が時間を稼ぐ。その間に出来る限り王都に近づけ」
恰幅の良い茶髪の暇そうなオッサンを掴まえてそう声をかけると、鳩が豆鉄砲喰らったみたいな顔を返してきた。
「き、貴様……儂らを助けてくれるってのか? 犯罪者の、儂らを?」
何を感動してんだコイツは。
すでに踵を返し、艦橋の外――出入り口の方へ足を進めていた俺は、その認識違いを訂正してやることにした。
「ああ。生存権は、誰もが平等に持つものだからな」
出入り口まで辿り着いたので、開閉パネルに手を置く。
割りと厳重だったロックが解除され、緩やかに開き始める。
俺はそれを待つ間に、肩越しで首だけ振り返り、告げた。
「――ただしオマエには、これから生き地獄を見せてやるぜ」
殺しはしないし、簡単に死なせるつもりなど毛頭ない。
この世の地獄できっちり精算してから、あの世の地獄に行けってんだ。
皮肉げな笑みを浮かべてやったら、髭面の茶髪船長は絶句してた。
俺はそれを見て満足し、もう振り返ることはなく艦橋を後にする。
……艦橋を出て木張りの廊下を進み、近くにあった甲板との出入り口へ。
一枚扉を潜って気密室へ入ると、後ろで入ってきた扉が自動的に閉鎖される。
室内の壁に埋めこまれたパネルで慣れない操作をしようと思っていたら、艦橋からの操作があったらしく勝手に外へ出る準備が始まった。
気密室内の空気圧が下がり、外気と平衡を保つよう設定されていく。
何枚もの防護壁が複雑に絡みあう外部への最終関門が、ゆっくりと
眩くオレンジ色に輝くまで高度を上げた朝焼けが、網膜を焼きに飛びこんで来る。
その光量に目を細めながら、決して目を逸らさずその中に潜む影を見据えた。
未だ回旋を続ける船の横。
もうその異様な大きさが分かるほどに、奴は接近していた。
その巨躯は遠くからだと黒一色に見えるのだが、近づけば近づくほど混沌としているのがよく分かる。
黒の中に濃い紫がいり混じり溶けて、その輪郭までも歪めるほどに、霧や靄のように全体が揺らめいていて。
改めて見るとコイツは、現実感がない。
現実の存在とは、到底思えないのだ。
俺らのような生物とも違うし、機械や鉱石のような無機物とも違う。
ではコイツは――コイツらは一体なんだ?
いや……いまはそんなことを考えてる場合ではないな。
【白と黒の対の翼】をはためかせ、俺は宙へ飛び出す。
甲板を抜け、外縁も越えて、船の横を並走するように速度を合わせた。
船の回旋に合わせて少しずつ後尾へと移動し、進行方向に対してくるりと反転し、後ろ向きで飛行しながら、奴と対峙する。
まずは右大腿を少し持ち上げ、ホルスターから【バルク】を引き抜いて、奴の頭部目掛けて引金をひく……何の反応も、効果もない。
やはり物理的な攻撃は、その一切が無効化される、か。
納銃し、腰の後ろに両手を回し、そこに留めてある二本の柄を取り出す。
鍔元から先の無い、黒い柄だけの剣……二つとも同じ兵器だが、持ち手によって異なる刀身を生み出す。
【
そう命名されたこの武器は、最近開発された新兵器だ。
その名が示す通りに、心の在りようを受けて現実世界にその姿を固着化させるものだが、元が精神体であるが故に、奴らにも攻撃可能な兵器である。
俺の心は、この翼と似たようなものらしい。
背から少し間を開けて存在する双翼――【白い左翼】と【黒い右翼】。
俺が握った柄から具現化されたのは、左手に【白刃の直刀】、右手に【黒刃の直刀】。
白と黒。
陽と陰。
日と月。
相反する二極。
これが精神体を元にしているのならば、心理的に分析すると、俺には二面性があるってことか?
あるというか――そんなものは誰しも持っているものだから、それが強い、極端、なのかな。
まぁなんでも良いが……ってこういう所も二面性か。
真面目に分析していたかと思えば、すぐに投げ出す。
現実問題として、そんな分析をしてる暇がないってのもあるけど。
――ついに、その魔の手が迫る。
急激に接近してきた黒き怪物の左腕がこちらに向けられ、おもむろにその五指を開く。
巨大な指だ。
小指一本でも、いやその爪先ですら俺よりデカイ。
ぶわぁっと死体に
破片、とは違うか――全て小さな【
小さく分裂したらしい。
多角的に、あらゆる方向からほぼ同時に、無数の黒が襲いかかってきた。
俺は鼻孔から空気を吸い腹に落とし、息を止めて――疾風と化す。
乱れる風の中で【白と黒の刃】が舞い踊る。
音速を超えて飛翔しながら、すれ違い様に斬撃。
一直線に一体、二体……五体を二分した。
目前に黒い壁――進路変更。
右前方の一体を【白刀】で袈裟斬りにした勢いそのままに身体を半回転させ、旋回しながらその奥の一体の首を【黒刀】で跳ね飛ばすと、急降下しながら左右の連撃をぶちかます。
反転急上昇。
螺旋状に回転しながら刃を振り回して数体を斬り刻み、最後に縦回転して頭上の一体を仕留めた後、その瞬間を狙っていた黒の濁流を紙一重で躱した。
【
躱したそばから次々と、方向修正した後続が飛来。
一瞬の停止点を狙ってくるとはな。
恐れいったが、包囲網突破の道筋は見えた。
再び俺は、自身を音速の刃と化して飛び回り、黒の濁流を切り裂きながら少し距離を取り、全体の把握に努める。
一匹たりとも、この先は通さねぇぞ!
……とか決意したそばから、どんどん抜かれている事実に気づく。
あれ?
なんか敵の数が、増えて……。
そこで本体の方に意識を向けると、腕だけではなく、全身が分裂を開始していた。
本体というより、元から集合体、だったのか……?
世界が黒く染まる。
上下左右前後、どこを見ても黒、黒、黒……。
逃げ場が無くなり動きの鈍った俺に向けて、全方位からの一斉攻撃が始まった。
「おい、【レグナス】! オマエ何やってんだよ早く手伝いに――」
『現在補給中です。推定終了時間、あと三四分、五一びょ――』
「ふっざけんなイマすぐ来いやこのサボりバイクッ!!」
後方からの一体に逆手で持った【黒刀】を突き刺し、左から前方向の三体をまとめて【白刀】で薙ぎ払いながら旋回。
回転軸に斜め方向を追加して身体を水平にしながら、遠心力を両刃に乗せ、上下から迫る挟撃を斬り飛ばして返り討ちに。
……んで、何故あのクソバイクは、いまこのタイミングで補給なんぞしてやがる?
廃棄されてぇのかマジで。
余計な思考を交えながら数十体、数百体相手に戦闘を繰り返していると、流石に疲労が見えてくる。
躱し損ねた凶爪が動きの鈍った俺の左肩を抉り、それに気を取られて波状攻撃を見逃し右足にも血の華を咲かせ、痛みと出血と多量の眠気で意識が朦朧としてきた……早く寝たい。
さっさとコイツらを葬ってしまうか。
これは消耗が激しいから使いたくなかったが、短期決戦に持ちこまないと余計にキツくなりそうだ。
何せ、すでに船にも取りつかれそうだしな。
俺は両刃の柄を合わせ、結合した。
眩い閃光を放ち、刃が変化する。
現れたのは、【黒き峰に、白き波紋が浮かぶ刃】、長さ一mの反りが入った【刀】。
両手をつけて柄を短く持ち、腕だけではなく全身で刀を振る。
これほど長く重い刀は、腕だけで振っているとすぐに腕の筋肉が疲弊してしまう。
持ち手を離しテコの原理で振るのではなく、持ち手を狭め肩甲骨を落とすことで腕を体幹と繋げて、全身の筋肉を総動員して振る――そうすれば、いま俺がやっているように大きな刀でも旋風が吹き荒れるかの如く、素早い斬撃を繰り出せる。
円は中心部の速度よりも、外縁部の方が速い。
俺の半径五mほどの範囲――間合いで、次々と【
刀身は一mほどだが、この刀は遠心力・求心力に応じて伸び縮みするため、刃渡りが変わるのが特徴である。
【白の伸長力】と、【黒の縮小力】の合わせ技だ。
いまみたいに周りが全部敵で狙いを定める必要がないなら、殲滅速度は二刀よりも上となる。
しかしデメリットとしては、これを維持するための霊力消耗速度がえげつないこと。
気力体力も不十分な現状では、そう長くは保たないだろう。
俺は包囲を微塵切りにしながら突破し、船体に取り縋る【
細かい調整などやってる余裕はないので、船体の外壁ごと斬り捨てる。
軽くなりゃ、逃走速度も少しは上がるだろ?
【
一八〇度旋回を終えて針路が固定された船体の後部に手をつけ、力を流しこむ。
船を【加速】させていく――すでにかなり酷めの頭痛がするが、もう俺の神経が焼き切れても構わない。
六〇〇……七五〇……九〇〇と段階的に船全体の速度を上げていき、一二〇〇km/hまで到達。
これ以上は、中の人間が保たないか。
「飛んでけぇぇぇぇえええッ!!」
押し出すように、最後に全力で気を流しこみながら、船から手を離した。
地平線の彼方に遠ざかって行く貨客船に背を向け、いまのブーストで少し引き離した【
「仕切り直しだ……今度こそ、通さねぇぜ」
慣性力で後ろ向きに進みながら、正眼に刀を構えた。
先頭の二体は、左右から俺の脇を通り抜けようとしたところを水平に薙ぎ消して、後続は量で押し切ろうと思ったのか雪崩れこんできたが全てすりおろしてやると、【
突撃をやめ、俺と向い合って静止。
何か様子を見るように一定の距離を保っている。
数に物言わせて向かってきてくれた方が楽なんだがな……まさか、こちらの消耗に気づいて持久戦に切り替えたっていうのかよ。
【
まるで陣形でも変えているみたいに、統率された動きに見える。
やはり意志が……知能が、在るように見えるけれど。
なら問うてみるか。
「オマエら、何が目的だ!?」
不気味なほどに、静かに漂う黒い化物の群れ。
言葉は空気を震わせただけで、相手からの反応は、何もなかった。
ダメだなこりゃ。
万物と意志疎通を図る翻訳装置――【
まだ翻訳されていない異なる言語間で意志疎通するためには、頭で想像した映像を用いて意志を伝え合う方が早いのだ。
その指向的送受信を可能にしたのが【
しかもあれ、地球外生命体向け、だったな……。
「くっ……!?」
視界がぼやけた。
正確には肉眼の視界ではなく、いま常時展開している【天征眼】による全方位視野が、汚れたフィルターでも掛けたみたいにぼやけ始めていて……。
それと同時に、吐きそうになるくらいまで頭痛が酷さを増した。
こめかみ辺りをアイアンクローで締めつけられ続けているような圧迫感と、後頭部に鉛でも仕込まれたみたいな重たさ……思考が鈍り、身体がぐらつく。
奴らはその隙を見逃さなかった。
広範囲に展開していた【
早朝の薄ぼんやりとした空に、黒が覆いかぶさる。
上だけではない。
下も、大地の方にも這うように、左右も余すところ無く、黒く巨大な布が襲いかかってくるかの如く、視界の全てが黒に染まった。
その全長は、およそ一〇〇m。
もはや、俺の刀でどうにかなる範囲でもない。
すでに見えなくなった船を想い、口元を綻ばせる。
……ま、時間稼ぎとしては十分かな。
迫り来る黒き壁を見つめながら死を覚悟した……けれど、最期の悪あがきに備えて刀を構え直す。
掛かってこい化物ども。
例えこの四肢をもがれようと、この心臓を穿たれようとも、一体でも多く道連れにしてやるぜ。
黒き尖兵の魔手がもう少しで俺に届く。
――そのとき一条の青白き閃光が、黒を穿った。
「……え?」
思わず間抜けな声が出る。
そんなことにはお構いなしで、次々と上方から閃光は飛んできて、黒の壁に大穴を開け続けて、その勢力を押し戻していた。
これは……【
最新鋭の対【
まさか、こんなものを持ちだして来るとはな。
黒の大布はみるみる蜂の巣にされていき、霊子放射の圧力で散り散りに吹き飛ばされていく。
そこへ更に飛来したのは、白と蒼を基調にした全身甲冑【白蒼騎士鎧】を纏う、空飛ぶ騎士たち。
レグナスと同型の空陸両用戦騎で天を駆り、【
一体どこから出現したのか?
振り向けば、答えはそこにいまも展開されていた。
何の前触れもなく、球状に空間が圧縮され、集められた空気中の元素が強制的に原子配列変換を始めて、飛散した電子が光を発しながら瞬時に船を形成する。
【統合転移式戦闘輸送艦】。
最新式の空間転送が可能な、騎士団の輸送艦だ。
従来のように組成情報式のみを飛ばして転送先で再構成するのではなく、霊質・気質をも直接転送し霊心体の三位を再統合させることで、完全な形での転送が可能となっている。
従来のものは謂わば【送信元で転送対象の設計図を取得・送信】して、【受信先で設計図を元に、現地調達した材料で転送対象を再構築】するという方式であった。
送信元で分解された物質のエネルギーを利用し、転送・再構築を行っていたわけだが、無論、それは受信先の材料で【新規に生成】されるのだから、元のモノとは組成は同じでも厳密には別物に――細かい話だが、構成している原子が違う物になる。
しかもそれだと、結局のところ【物質しか】転送できていない。
当然ながら精神や魂は置き去りになるため、この方法での【生命体生存率は〇%】であった。
霊質の一部解明により、そういった技術的問題を克服して革新された転送技術。
三位一体の転送が可能となり、いまや事故率はほぼ〇%である。
尚も眼前では、数千km離れたところに居たはずの騎士団が、続々と転送されてきていた。
輸送艦から青白い推進発光と共に躍り出て戦闘機なみの速度で飛び回る彼らに、俺はもう全てを任せることにして【天征眼】を閉じ【脳内処理速度】の【加速】を終える。
久しぶりに肉眼で世界を見ると、疲れからか少しぼやけていて……。
「――やっと見つけたぞ、この馬鹿者」
後部上方から降る、聞き慣れた声。
「よう、遅かったな? セレス」
振り向けば、風に流れる長い金髪が印象的な【白蒼騎士鎧】を纏う少女が、天女の如くゆらゆらと空陸両用戦騎に跨がり滞空していた。
戦乙女の兜から覗くその白磁のように綺麗な肌と、空の澄みわたる青さに似た藍玉の瞳。
凛々しくご立腹の様子で、その美貌には現在表情が無い……。
「遅かったな……だと? 無駄に一人で突っ走って、結果死にそうになっているくせに、良くもまぁそんな台詞を吐けるものだ」
吊り上がる眉に細められた瞳、忌々しげに歪む端正な唇。
女神の容貌で冷徹な表情を作る彼女は、腕組みをしながら冷厳な言葉を投げつけてくる。
「少し自信過剰が過ぎるのではないか? 死にたいのか? 何ならこの私が引導を渡してやろうか?」
段々と口調が早く、強くなっていく。
怒りの言葉に気持ちまで囚われ、負の感情が増幅されているのだろう。
面倒くさ。
……やば、殴られる。
俺がため息混じりにやれやれといった空気を出していたら、両目に怒りの炎を宿した騎士セレスティアは、俺に向かって出撃した。
不意に戦騎から飛び降りたかと思うと、鎧腰部に備え付けられた【PFPS――
推進装置が出す青白い光を爆発させて、俺が身構える暇もなく、当然現状の俺では反応できない速度で胸元に突進してきて――
「ぐふっ」
肺を押しつぶされ、中の空気が押し出された。
これでは抗議の声を上げることもできない。
「……心配、したんだからっ」
直近下方からは、泣き出す気配。
嗚咽を噛み締め、声を抑えながら。
俺は失った酸素を補給し、一息ついてから言葉を絞り出す。
「……なに、泣いてんだよ」
とりあえず、その小さな頭の上に手を置く。
「お陰で助かったぜ。ありがとうな、セレスティア」
「う、うるさいこのっ!! 貴様は昔っから無茶し過ぎだッ!! 一人で突っ走って、一人で死にかけて……命を粗末にするなこのばかッ!!」
どんっと胸を鉄槌で叩かれる。
体力の消耗激しい現状ではちょっとダメージがキツイんですけど……。
俺はその状況に苦笑しながらも、言うべきことはきちんと言う。
「あのな、今回は俺が一人で先行しなきゃ間に合わなかっただろ? それに、どんな職業にだって命かけて、一生涯をかけて仕事してるやつは沢山いる。俺も、そういう格好いい大人になりたいだけさ」
オマエみたいに俺の背を見て歩む、後進に恥じぬように。
「貴様のは無謀すぎると言っているッ!! 少しは自分の命も大事にしろ、この死にぞこないッ!!」
「がはっ……!?」
と、捨て台詞と強烈なボディブローを残して、セレスティアは去ってしまった。
てかその捨て台詞はおかしいのでは?
生きてて良かったのか、死ねば良かったのか、どっちなの。
てか思いっ切り油断してたので、内臓へのダメージが厳しい。
呼吸もままならず悶絶……。
「……あ~あ。泣かせちゃったねえ」
横合いから、接近してくる戦騎の駆動音と面白そうにからかうような声が飛んできた、ので――
「おやおやこれは……残党討伐を指揮されていたレヴァリウス団長殿ではありませんか。お仕事中にどうなさいました?」
向けた視線に、構うなボケという拒絶と幾ばくかの殺気をこめて、棘入りの言葉を投げつける。
こっちはまだ殴られた腹が痛いから押さえてんだよ邪魔するな。
「んー? もう粗方片付いたしねえ。大好物の痴話喧嘩でも食べに来たのさ」
「そんなもん犬も食わないってのに? てか痴話喧嘩じゃねぇ」
軽快な口調でふざけたことをのたまうコイツは、二四歳の若さで【白蒼竜騎士団】団長に就任している出世頭――レヴァリウスだ。
白銀の波打つ長髪は陽光に煌めいて、完全に引きこもりだと確信できるくらい病的な白い肌に、温和そうな目尻の下がった琥珀色の瞳と、女性から無駄にモテる爽やかな風のようなその笑みは、しかし俺としては人を喰ったような印象を抱くため嫌悪感を禁じ得ない。
「それに仕事中って話なら、君だってそうだろ?」
「俺はもう非番だ。引き継ぎも済んだ。これ以上一秒たりとも働いてやるもんか」
口から出任せでそう吐き捨てると、俺の横に並び、はははと快活に笑う優男。
「いいねえ、その自由な感じ。しかしまぁ……今回は間に合って良かったわけだけれど、今後はもう少し思慮深い行動を願えるかな?」
口調は穏やかだが、笑ってるのは口元だけ……細められた鋭い琥珀色の眼光は、真っ直ぐに俺を射抜いていた。
「……了解」
「ありがとう。彼女も言っていたけれど、君は一人で抱えこむ癖があるようだ。責任感が強いのは賞賛するが、それで潰れられても困る。もう少し、周りを頼ること、周りを上手く使う術を身につけてもらいたいね」
「はい、承知しました」
「さて、掃討も完了したようだ。貨客船の方も監視映像データと聞き取りで片が付くだろう。正式に、君に休暇をあげとこうか。連日のスタンドプレーでさぞやお疲れだろう?」
「ああ、そだな。助かる。ではこれで」
丁重な申し出を軽く受け流す。
早くこの会話を終わらせよう。
厚意の中の嫌味も聞き飽きたし。
丁度貨客船の消えた方向から、合流命令を出しといた【レグナス】が向かってきていた。
すーっと気配を消すようにそちらに移動をし始めたら――
「でも休み明けには、ちゃんと始末書を出すんだよ? ちなみに、明後日の夕方出勤ね」
後ろからニコニコと釘を刺される。
「……やだよ書類とか面倒くさい」
「ダメ」
「えー」
うんざりしながら、のろのろと【レグナス】に跨る。
つかテメェは何してやがったコラ。
サボりバイクを思わず睨んでしまう。
ぶるるん、とサボりバイクが一瞬震えた。
「ちゃんと君の功績を記録に残すためでもあるんだよ? 君にはもっと、上に来てもらわないと」
「なんだそりゃ、親心的なもんか?」
単なる反省文にそんな理由を無理矢理乗せるなっての。
それに、別に出世なんざ望んじゃいない。
いまの自由な立ち位置の方が、動きやすいだろうから。
「いやいや、実力を評価しているだけさ。君にはそれだけの能力があると思うからね。ただまぁ、現状では個人プレーばかりで集団連携が疎かになっているから……指導能力強化のためにも部下を何名か持って欲しいんだけど?」
「は? 俺について来れる奴なんかいないだろ」
もしそんな奴が居るとしたら、俺と同じ異形の翼を持つ者くらいだな。
一人で一〇〇人の部隊に戦いを挑めるくらいじゃないと、恐らく足手まといだ。
そんな奴は、ここ何年も出てないが。
「なら、君に相応しい実力者がいれば良いんだね?」
「……ああ。別に後輩の指導が嫌なわけじゃない」
「わかった。ではそういうことで、またね」
「ん? あ、ああ」
そう言って、さっと飛んで行く団長殿。
最後、何かやけにあっさり引き下がったな。
しかも、とてもにこやかに。
何か嫌な予感がするが、奴相手に知能戦で勝てた試しがない――気にするだけ無駄か。
いやいや、格上相手でも諦めたらダメだろ。
……ダメだけど、いまは考えるのをやめとこ。
俺もさっさと帰還したいし。
残党処理を終えた騎士たちが次々に輸送艦に戻り空間転移していく中、ついでに俺も便乗させてもらう。
戦騎が一騎やっと入れる格納スペースに着艦許可を得て、回転し後ろ向きに入る。
下からハッチが閉まり、青色の灯りが薄ぼんやりと光る中、格納庫内に外部映像が投影され、先ほどまで居た外の風景がそのまま映し出された。
あとかたも無く消え失せた黒き魔物の群れ。
いままさに消えていく白き騎士たち。
青く晴れた空の下、静寂が降り立つ。
【レグナス】のディスプレイが転送開始信号の受信を通知してきた。
その数秒後、光に包まれて、視界は塞がれる。
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