△弐



 気が付くと、真っ暗な世界に居た。

 何も見えない。

 光の無い世界。


 ボクの身体は動かない。

 光を求めようにも、どうしようもなくて。


 不安だ。

 不安で、心細くて、寂しくて、誰かに会いたい。


 誰か……?

 誰に会いたいんだろう?

 誰か、ボクを助けに来てくれるような人なんて、居るのかな?


…………う~ん。

 考えても、少なくともボクには、思い浮かばなかった。

 ボクを心配してくれるような人間は、この世には居ない。

 そんなくだらない事実が分かってしまっただけで、再認識されてしまっただけで、考える意味などないのに。

 考えなければ、良かった。


 考えるのをやめる。

 やめて、また眠りにつこう。

 そうすればきっと夢の中で、笑っていられる。

 そう思って、無心で、また闇の中に漂う。


……上も下も、右も左も分からない世界。

 重力を感じない。

 ふわふわ浮いているような感覚。

 もし胎児の頃の記憶があったなら、母親の胎内というものはこんな感じだったんだろうか……。


 そんな取り留めのないことを、また無意識に考えてしまっていて、母親という存在を思い出してしまって、心の中をまた闇に侵食されそうになったとき――


 光が、迸る。

 闇の中の一点。

 一瞬、円形に火花が踊ったかと思うと、その形に分厚い鋼板みたいなものが外れて、そこから光が、漏れだした。


 それでようやく、そこが上だと分かる。

 何故なら外れた鋼板は重力に引かれるように、真っ直ぐ光源とは反対方向に移動していったから。


 この闇の世界に何が起こったのか?

 その答えは次の瞬間、すぐに形を伴って舞い降りた。

 円形の光源からふわりと緩やかに、まるで水の中を落ちるように現れたのは――天使。

 それは、この世の者とは思えぬほど、見ただけでこの思考の全てが奪われるほどの美貌を持っていて。


 まず見えたのは黒革の重厚なブーツに、白く滑らかなブーツカットパンツに包まれた鍛え上げられた脚部と、紅蓮の炎みたいな長外套。

 その長外套の中の黒いシャツから覗く胸元は、その黒とは正反対に真っ白で、肩幅が広くなければ女性にも見えるほどに透明で。


 はっと息を飲んでしまったのは、そのあと。

 華奢な顎の線と薄く紅を引いたような唇、すっと通った鼻筋と流麗な眉。

 睫毛の長い深蒼の瞳と、細く柔らかそうな金色の髪を併せ持ったその姿。

――まさに神様に愛されて生まれて来たのだと確信できるほどに、美しかった。


 極めつけに背中には【白と黒の翼】が生えている。

 浮世離れした美しさと相まって、もはや天使にしか見えない。

 その天使が、ゆっくりと降下しながら辺りを見回して、何かを呟いていて。

――唐突に、目が合う。


 ボクと目が合って一瞬驚いたように双眸を見開いた天使は、すぐに頬を弛め、目を細めて微笑んで……何か、口元を動かして喋りかけて来たようだった。


「少し待ってろよ。すぐに助けてやる」


 声は聞こえなかった。

 でも、そう言ったように思えたんだ。


 彼はそれだけ言うと、また円形の穴を通って上に戻ってしまって……。

 また闇の中に取り残されてしまったけれど、今度は、あまり寂しくなかった。

 彼がまた、会いに来てくれる気がしたから。


 それに、いまは先ほどの絶対的な闇の中とは違う。

 一条の光が射しこんでいて、少し明るくなっている。

 周りを見渡せば、どうやら元々一人ではなかったらしいことにも気づいた。


 何人いるのか、何十人かも分からないけれど、ボクのような十代の少年少女や、大人の女性もいて、皆一様に一人用のベッドみたいな籠の中で眠っていて……。


 もしかして、ボクもそうなのだろうか?

 そう思って、ボクはボクを見ようとして――


 下に視線を向けると、ボクの、身体が……顔が、見えた。


 あれ?

 どう、して……?

 ボクは、自分の顔を見ることができるのだろう?


 鏡、ではない。

 周りの皆と同じように、ボクの身体は、病衣みたいな白装束に包まれて、ガラス張りの一人用ベッドみたいなモノの中で眠っている。

 じゃあ、それを見ているボクは、一体なに?


 恐る恐る両手を、目の前に持ってくる。

 見知らぬ他人の手が映ってしまったらどうしよう?

 そんなことを考えながら見えた手は、ボクがよく知る、ボクの白い手だった。


 けれど一つ違和感があって、それは……先ほどの天使よりも、肌が透けていたこと。

 これは比喩ではなく、物理的に、それこそガラス細工のように反対側が透けて見えていた。

 自分の身に何が起こったのか?

 一つ思い当たったのは、昔聞いた、幽体離脱の話だった。


 人を構成するのは肉体だけじゃない。

 肉体と、心と、魂。

 その三位一体。


 幽体とは、心の体のこと。

 幽体離脱とは、心と魂が肉体から分離してしまった状態だと聞いた。


 何故、ボクがいまそうなってしまっているのかは分からない。

 けれど、それならそれで良いことを思いついた。

 ボクの肉体はいま動けないけれど、幽体は自由だと分かったのだから。


 ならば、ここに留まっている必要などない。

 助けが来るまで、好きなところで好きなことをしていれば良いんだ。


 そう考えついたボクは、これから何をするか思い悩んだ末に、ボクを助けてくれそうな先ほどの天使が、一体どうやってボクを助けてくれるのか気になって、それを見届けようと思った。


 そうと決まれば早速移動しよう。

 とにかくこの狭い暗闇から出ようと、ボクは彼が開けてくれた円い穴を通って、上に抜けた。

 空を泳ぐように、すいすいと空気を掻き分けて。


 先ほどとは打って変わって広大な空間に出る。

 大型機とかの格納庫かな?

 飛行できるというのは何とも爽快な気分になるね。

 思わずその空間でぐるぐると八の字に飛んでみたりして。


 勢い余って柱にぶつかりそうになり目を覆ったが、衝撃は一向にやってこない。

 恐る恐る目を開けると、ボクは柱に埋まっていた。


 そうだ、いまは幽体だったんだ。

 物質にはさわれない。

 なら、扉とかをわざわざ通る必要はないってこと?

……天井を突き抜けて、そのまま階上を目指すことにした。


 上へ、上へ、どんどん上へ。

 どうやら大きな船の中らしい。

 あちこちに壊れたアンドロイドが横たわっている。

 そうして上を目指していくうちに、何か黒い感情と、赤い感情のようなものが感じ取れた。

 黒は、悪意、かな?

 赤は、激情、みたいなモノかも。


 きっと、赤が彼だろう。

 紅蓮の長外套を思い出して、そちらへ向かうことに。


……胸騒ぎがする。

 黒い感情が、渦を巻いているから。

 何か、良くないことを考えているように思えた。

 手遅れになる前に、彼に伝えなければ。


 壁をいくつもすり抜けながら、気持ちばかりが焦る。

 天井をまた突き抜けて、やっと彼を見つけた。


 彼は、上下左右に激しく動きながら戦っていて。

 数多のアンドロイドに囲まれながら、【白銀の銃】と、【白刃の直刀】で迫りくる全てを切り裂き屠り砂塵に変えていく。


 ボクは必死に彼の近くに寄って、彼に伝えようとするんだけど、声が出ない。

 彼も、ボクの存在に今度は気づかないみたい。

 そうしている間にも黒い渦はどんどん大きくなって、それは弾けようとしていた。


 どうすれば……どうすればいい?

 想いを伝えるには?

 声は出せない。

 身振り手振りも意味がない。

 心を伝えるには……心を、伝える?


 心、幽体とは、心の体。

 なら……!


 ボクは意を決し、彼に触れた――



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