5-2 無機質な楽園

 無機質な通路を歩いていた。

 この通路はゲルシュナーの管理室に繋がるものではなく、捕獲班が連れてきた人間を収容しているカプセル室に繋がる通路だった。


 番号だけ振られた扉の前で止まる。この扉を開けてしまえば一つの物語は取りあえず終わりを告げるだろう。恐らく、エバーオール体の収集実験はこれで凍結する。上はもうこの不毛な実験に対し看過することはない、監視役として報告をすればそれはそういうこととして受け入れられるだろう。


「運命の扉にしては、随分味気ないわね」


 ルーフスは悪戯に笑った。



 つい数時間前の事、ルーフスは自室の小部屋でロッソに言われた。


「なんだかんだ言って、既にアネッサに回帰プログラムを隠し入れてるのにこれまで起動させなかったのはルーフスじゃないですか。それが次の適性者が自分の弟になった途端凍結凍結って、私情を持ちこみすぎですよ!」


 大体の事をロッソに話したのだ。今モニターに映ってる赤い髪の男は自分の弟だという事も。アネッサのニューロチップには既に回帰プログラムを組み込んでおり、起動すれば疑似的に奇跡を起こして実験を無理やり終了させることができる事も。


 今までそれをしなかったのは、そして今それをしたいと思うのは決して私情からではなかった。これの起動には相手側、つまりは手々島毅という現被検体への追加プログラムを加える必要がある。

 それにはまず、被検体のいるカプセル室でプログラムを上書きしなければならない。カプセル室へ入室するには捕獲班のパスコードが必要なのだ。

 そしてつまりはそれが無い。


 だが事実、全く私情が無いといえば嘘になる。

 回帰プログラムを上書きした際、被検体はプログラムによって確実に死に至ってしまう。全てを無かったことに、在るべきものがあるべき所へ。箱庭の中で生を受けた手々島毅という男の子は細胞一つ残らず消え、この世界に帰ってくる。そういう意味の死だ。

 故に回帰プログラム。

 両者を救いたいと思っているルーフスにはこの追加プログラムを加えることに躊躇いがあった。だからこう言うしかない。


 一つの物語は取りあえず終わりを告げる。と。


「まぁ、僕が言うのもなんですけど、被検体は救われると思います。だって自分が悪魔に変えられて、思い出も全部嘘で、家族も全部嘘で、その上新しい家族と生死を分ける戦いを強いられている。そんな状況になったら神様でも仏様でも誰でもいいから救って欲しいと願いますよ。人とはそういうものです」


 いつもの通り菓子を口に放り、長尺に意見を言うロッソには、どこかルーフスに賛同するものを感じた。


「例え自分が死んでも?」

「おかしいですね、僕よりルーフスの方が先輩なのに、こんな簡単な心理も分からないんですか?」


 それは嫌味というより慰めだろうか。

 この子供は見た目より大きく歳をとっている。そのせいかやけに人情に関しての感覚が鋭い。神々として、人情に取り入るというのはあって良いものか、今ではそれを諭す神はおらず。何度も何度も、この世界は否応無しに現実を押しつける。

 神なんてこの世にいない、だって神がいたって、この世界はイカれている。

 ロッソの能天気に見える人情深さに、ルーフスは決心をした。



 そしてやってきたのだ。


「さて……」


 認証パネルは人間達のものとそう違いない。人は神に劣るが、神もまた人に劣る。顕著に出ている部分だ。人の作った認証システムに神の力を組み合わせた高性能セキュリティー。

 ルーフスは小指程の小さなガラス管の様なデータプラグをパネルの窪みに差し込んだ。


「この神々の楽園に来る前に受け取ったパスコード。一回しか使えないらしいから、あいつの分は自分で何とかしてもらうしかないわね」


 暫く経つと、赤いランプが青に変わり扉が開いた。


「さあ、もう引き返せないわよ」


 瞼の筋を張って睨めつけるような目つきで中に入る。

 培養液に浸かった被検体が奥で眠りについているのが見えた。明りは培養器の照明だけ。中に人はいなかった。ロッソの計らいでここの管理者を別部署に呼び付けておいたお陰だ。


 あの古本屋で家族の世話を焼いていた手々島毅。良く見てみると所々皮膚が変色しているのが見える。憑依薬による疾患だと直ぐに分かった。


「ッ! やりやがったわね、あんのクソジジイ!!」


 苛立ちに床を踏み付けた。これはいよいよ神も悪魔になったといっても良いくらい、この惨劇は非情なものだった。

 暫く怒りに震えていたルーフスは全身の力を緩め、培養器に近付いた。


「ごめんね、もうすぐ出られるからね。アネッサのことも許してやって」


 毅に語りかけながら、顔を見てみる。空気の玉がふよふよと上がっていく中、穏やかに眠る顔がそこにはあった。

 ルーフスは翻して機器の操作パネルのスリープを解いた。

 手際のよい操作で作業を進めると、今度はまた似たようなデータプラグを取り出し、差し込もうと窪みに近づける。

 突然の声がした。


「これはこれは、ルーフス」

「ッ!」


 ゲルシュナーの所にいた付き添いが入口に立っていた。思わずプラグを引っ込める。


「ここで何をしている?」

「ベルフェーク……」


 氷のような、冷え冷えとした感覚が肌を覆った。人がここに来てしまったという事もそうだが、特にこの男の雰囲気がそうさせた。


「パスコードはどうした?」

「……」


 冷えた目つきがルーフスを見据える。ルーフスも負けじと睨め返した。

 ここで引き返すわけには行かない。別部署に行ったここの管理者も誤報だと気づき直に返ってくるだろう、長居はできない。


「だんまりか……まぁ、大方お前の弟が用意したんだろう。我々神の捕獲班を撒く程の有能な弟だからな、これくらい朝飯前だろう。今頃はどこら辺にいる?」

「知らないわ」

「言えない知らない答えられない。お前はいつもそうだ。そんなに俺が信用できないか」


 表情だけ見ればショックを受けているようだが、このベルフェークという男がそうそう傷を負って滅入る程の性格ではないことをルーフスは知っていた。


「当たり前でしょう、ゲルシュナーのジジイにくっ付いて何をするつもり?」

「俺は先生を尊敬しているんだよ」


 答えになっていない返答を返したベルフェークは、一歩二歩とルーフスに近付き、突然詰め寄ったかと思うとルーフスの顎を掴みあげた。


「っ!」

「だから先生の邪魔するやつは放っては置けないんだ」


 秘め事を楽しむような声で唇が触れるかのような距離で言った。ベルフェークの目がどこまでも深海を思わす。


「良く言うわ、ジジイの権力使って好き放題している癖に。捕獲だって、規定数以上の者は自分たちのとこで散々弄繰り回してんでしょ」

「……どこまで調べた」


 直ぐそこの目が、目の暗闇が、一層深くなったのを見たルーフスはわずかに身じろいだ。


「言えないわ」

「……そうか」


 掴んでいたルーフスの顎を乱暴に放ると、ベルフェークは入口の方へ戻っていった。


「まぁ、なんでもいいさ。俺の方はもう概ね片付いている。あの古いしきたりや信念に縛られているジジイも用済みだ。好きにしろ」

「邪魔するやつは放って置けないんじゃなかったの?」

「だからこうしてで突きに来ているんじゃないか、放っているとは違う。あのジジイの研究なんざ興味はないよ」

「先生なんて呼んでたのに随分ね!」


 顎の消えない感覚を拭いながら吐き捨てる様に返した。

 ベルフェークはそんなルーフスを置いて入口の枠から消えていったが、途中で何かを思い出した様に顔だけ出して言った。


「そうそう、先生はお上に喧嘩を売った。長年の権力もここまでのようだな。お前もそのモルモットに何かするならさっさとした方がいいぞ」


 そう言い残し、ベルフェークはご丁寧に扉を閉めて出ていった。

 通路に足音が響き止むまで、ルーフスは扉を見据えたまま緊張していた。培養器のぶくぶくとした空気音だけが聞こえるようになると漸く力を抜いた。


「……ふぅ」


 辺りに静けさが戻り、安堵する。ベルフェークの様子からして、このことをゲルシュナーに告げ口することはないようだった。


「あのジジイ、老い先短いからって自暴自棄?」


 いい迷惑だわと悪態をついた後、気を取り直して手に握っていたデータプラグを機器に差し込んだ。


「これで……」


 データ作業中の表示が瞬間的に移り変わっていき、最後に完了のウィンドウが表示された。

 培養器の中の毅をもう一度ルーフスは眺め、物悲しげにつぶやくように言った。


「あなたを苦しめたのは私達で間違いない。アネッサはきっとあなたを救ってくれるはず」


 人は逞しい、こんな世界になっても生きる術を自ら見出し幸せを感じている。

 それが妥協の上にあるものだとしても、それは間違いのない幸福であり何人も侵すことはできない。

 この培養器の中の男の子も、きっと自分が望む結果に向かって、戦って、それを勝ち取ることができる。


 ルーフスはそう信じ、その部屋を後にした。

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