4-3 ふざけたシナリオ

 本日、毅の退院祝いと称しての晩御飯が振る舞われた。

 しかし、その見栄えと言えばどこぞの家庭でも良く見る面ばかり。豚肉の生姜焼きにひじきの煮物、シジミのみそ汁等々。

 いや、品数は少しばかりいつもより増えているようにも見える。例えばそこのほうれん草のおひたしとか。品が増えたという点では豪華と言えるが、しかしそんな事は毅にとってはもはやどうでもよかった。


「なーんで俺が作ってるんでしょうねぇ」


 毅が険相な表情を祖父に向けながら、みそ汁を食卓に三つ置く。所々に立つ湯気は各々の匂いを纏わせて宙へと溶け込んだ。


 何故こんなことになっているのかというと、理由は実に簡単で、アネッサが一向に姿形を現さないので毅がキッチンに立つことになったという体である。

 祖父の料理は色々論外。とてもシンプルな理由で、かつ自然的に毅は退院日に晩御飯を作って見せた。


「いやぁ、今朝お前を迎えに行った時は張り切っておったんだがなぁ、アネッサちゃん」


 先程まで寝こけていた祖父は、置かれたみそ汁をひょいと持って啜った。シジミの出汁を舌で味わう。

 確かに張り切っている様子は冷蔵庫の中を見ればわかる事だった。既に揃えられた食材の数々、だからこそこんなに品数を用意することができたわけだが、だがしかし……。


「まあ、思い当たる節がないわけじゃないんだけどさ」


 というか思い当たる節しかない。十中八九昼の出来事だろう、あれからアネッサの姿を見かけないのが証拠になりうる。


「なんじゃ、お前ぇなんか心当たりあるんか?」


 毅の気不味そうに視線を斜めに落とす様子に祖父が尋ねた。毅は誤魔化す。


「い、いや別に。心はずれ、かな」

「上で寝とるんじゃないか?飯が冷めるぞ、起こしてきてやれ」

「えー……」


 気の進まない事この上ない。まだどの面を合わせればいいのか分からないのだ。

 しかし、このまま出てこないのでは確かに晩飯が冷める。後で片づけるのも面倒だ。

 毅は二階にあがり、アネッサの部屋の戸を引いた。


「おーい、アネッサ?」


 月夜に虫音に明りの付いた小さな家。寝ている様子ではなさそうなので、毅は家に近付き優しく指で突いてみた。


「おーい、聞こえてる? 寝てんの? ご飯できてるよ。ってかなんで俺が作ってるの」

「……今、行きます」


 辛うじて返ってきた声に、毅は明らかに不審がった。死にそうなほど元気が無い。


「おい、大丈夫か? 具合でも悪い?」

「いえ、大丈夫です。直ぐに行きますので、下で待っていてください」


 なんだか急によそよそしくなったアネッサに、毅はつっこむ言葉も見当たらず、短い返しをして階段を降りた。


「直ぐ来るってさ、先に食べてていいみたい」

「そうかぁ、じゃあいただくか」

「……そだね」


 久しぶりの祖父と二人での晩御飯。テレビの音、バックに虫が鳴いている。平穏という居心地の良さが一寸の不安をも包み込み、静かな夜を過ごす。一か月前までこれが普通であったが、いやに淋しい。

 暫くして階段を叩く音がしたと思ったら、アネッサが二階から降りてきた。

 しかしその様子と言えば、服装は珍しくTシャツにショートパンツとかなりラフな格好をしており、しかもなんだか疲れきって見える。それが不思議で毅は尋ねた。


「どうしたその格好。てか、大丈夫?」

「えぇ、……ちょっと準備を」


 準備とはなんなのだろう、嫌な事を聞いた気がする。なにか爆弾でも落とす計画を立てていたのだろうか。しかし、なんでもできるアネッサに準備が必要だと言う所を見ると、さぞ仰々しいことでもするに違いない。

 不安が募った。


「お前、さてはなんか企んでんのか?」

「あー、……まぁ、そんなところです。いただきます」


 思春期の少年のような素気ない適当な切り返しをし、飯を喰らうアネッサ。

 気の変りようが朝とは全然違う。というか別人だ。まさかあんなことをしたせいでアネッサに嫌われたのだろうか。いやしかしあれは衝動に駆られたというか、情緒不安定が生みだした悪戯というか。


「……」


 毅は盗み見ながらご飯を口に運ぶ。もともと奇抜な容姿故にそのラフな格好がミスマッチだ。普段隠れている四肢が露わになったのを見て、なにやら落ち着かない。


「着替えた方が、よろしいですか?」


 アネッサが珍しく気を使うような姿勢で毅に尋ねる。盗み見も大概にしないと不自然極まりない。心中を察さられた毅は冷や汗を悟られぬよう、自然に断った。


「い、いやぁ。別に、いいんじゃん?」


 自然に。とは取り繕うと不自然になる。これ当然に極まれたところで、毅は視線を反らして飯を喰らった。


「そうじゃ、アネッサちゃんは思った通り美脚だわい」


 祖父は祖父でアネッサの滑らかに伸びる足を称賛した。まったくいつも能天気で他人の気も知った事ではないと見える。


「ありがとうございます」


 さて、晩御飯もほとほと終わり毅は自分の食器を洗い始めた。アネッサも直ぐに食べ終え、自分の皿をシンクの中へ魔法でふわりと飛ばした。そしてまた素っ気のない様子で自分の部屋へ戻っていった。


「なんだろ、なんか変だな」


 手を止めて考えてみる。なんとなくだが、例のあのキスのことはアネッサは気にしていないように思える。ではあの様子は如何な理由か。普段なら食器洗いの願いをねだりに物を寄こせと騒ぐくせに。

 暫く考えたが、答えには辿りつく気配はない。


「ふーぃ、腹が膨れりゃ眠くなるってな」


 後ろで祖父が食べ終わった食器を前に早々目を閉じようとしている。毅は叱咤した。


「寝るなら風呂入れ!」

「食休みじゃ」

「じゃあ目を閉じるな!」

「なんじゃ、お前はわしに目を閉じずに寝ろと言うのか!」

「寝るなっつってんだ!」


 食器を下げながら凄む。昔から、というか祖父はずっとこうだったのだろう。毅はふと思った。

 ずっと自由で、気楽で。そして周りもなんとなくそんな祖父であってほしいと、楽しく生きてくれればいいと思っていたに違いない。

 現に毅がそう思っているのだから。しかしこうして叱るのは家族故のふれあいとでも言うべきか、まあ、一男子高校生がこうも世話に手を焼くと言うのも不自然なものなのだろうか。


「よし、後は風呂に入って寝るだけだな」


 家事を片づけ、一息付く。テレビではお笑い番組が放送中で、眠たい漫才が映し出されている。祖父はそんな眠りの誘いに素直に導かれ、ウトウトしだした。


「じーちゃん!」

「ふごぉっ」

「風呂入れって」

「……おぅ」


 頭の冴えないままのったりと立ち上がると、和室のタンスから着替えを出しふらふらと脱衣所へ向かった。


「はぁ、俺が就職するまで何もないといいけど」


 不安が付きまとう祖父の様子に、毅はそんなことをひとりごちした。

 両親はなんとなく当てにはならないかもと、毅は思っていた。ここ一ヶ月なんの連絡もしてこない両親。

 いや、本当の事を言うといないのではないかとさえ思ってしまう。

 記憶の中の両親がいまいち思い出せないのだ。しかしいないはずもない。両親がいないとすれば自分はなんなのか。


「あれ、……?」


 急に眩暈の感覚に駆られ、テーブルに寄りかかる。なにかがおかしい。

 毅は両親の顔も声も手も足も、思い出せなくなっている自分に困惑した。頭を押さえて気持ちを落ち着かせる。どんなに冷静になろうとしても、両親だけでなく、学校のことや祖父のことなんかも不明瞭になっていった。学校はどこにあったか、祖父の名前はなんだったか、自分がなぜここにいるのか……。

 はて――。


 俺は、一体誰なのだろう。



 アネッサは明りを落とした自室、もとい家でシャワーを浴びた後、夕食前に身体を動かしていた部屋で銃の収まったホルスターを二丁、慣れた手つきで両腿に巻き付けた。


「こんな茶番も、これで最後にしましょう。私は、この酷いシナリオを書いた奴らに報復します」


 相変わらずの奇抜な顔立ち、そしてピジョンブラッドの美しい瞳。しかし赤色を呈するその色はいつにも増して燃えているようにも見える。月夜が綺麗なせいだろうか、今宵は随分明るい。


 コオロギの音は世間の喧騒なんて気にせず、ただ鳴き、自然の中で一つの生命体としての求愛を示すだけ。不思議と心が落ち着いた。


 そんな時だった。下から爆弾でも放りこまれたかのような轟音が響いた。ガラスの割れた音や何かが大破する音が鮮明に耳にぶつかる。

 辺りの虫の音が一斉に静まり、緊張した。


「――じゃ、いってきます」


 アネッサは飼い猫にあいさつをするような口調でそう言い残すと、ぼんやりと暗い部屋を残してドアから飛び出して行った。


 一階の店内は暗かった。


「ウ、……」


 辺りに散らばった古本の残骸、三列あった本棚の内中央の棚が店の反対側の建物にめり込んでいる。店先の戸は綺麗にぶち抜かれ、通りの方にガラス片を散らして壊れていた。月光がそれを星屑にする。

 そんな変わり果てた店内に、さらに変わり果てたモノがいた。


「毅、どうしたのですか?」


 店内の古い照明を点けると、暖かいオレンジの光に照らされて毅の姿が映し出された。


「ア、……」

「もう言葉も忘れてしまいましたか?」


 アネッサは黒のジャケットに黒のショートパンツにブーツといった出で立ちで、スイッチの傍に腕組みをして立っていた。そんなアネッサに視線を向ける毅は全く、以前の面影も無い程にまで変貌していた。

 それはそう、悪魔というのに相応しい。


「オ、オレ、……」

「どうやら意識はまだあるようですね」

「ナニ、ヲ、?」

「何を? 何をしたか、という意味ですか? それとも漠然と、ただこの状況に疑問を投げかけたのですか?」

「ナニ、ガ、?」


 魔法で身鏡を出して目の前の悪魔に姿を見せると、一歩ずつ、アネッサは毅に歩み寄った。


「御覧なさい。馬の脚、熊の体躯、獅子の顔とたてがみ、そしてヤギの角。そんな姿になっても我を無くさずにしておくなんて、奴らの考えることは実に極悪非道です……。貴方は悪魔となったのですよ」


 オレンジに照らされる銃の黒光りが重々しく揺れる。


「アグ、ゥ」

「意識がある内に、少し説明して差し上げましょう。どうせ、直ぐに何も分からなくなるんですから、せめてもの慈悲です」

「グ、グゥ」


 徐々に人間的意識を遠のける毅に、アネッサは無傷に残っている手前の本の陳列棚に座った。


「まずご心配されるとお思いなので言っておきますが、おじいさまは既にここにはいません。御友人の善治さまも、街の人々も。あれらはプログラミングされたただ街として営むだけに用意された玩具です」


 何食わぬ顔で言った。悪魔は獣の声を発した。


「そんな姿になっても、驚きに目を丸くすることができるのですね。ここは通称『箱庭』と言われているエネルギー収集システムの一つなのです」


 毅、今となっては悪魔自身は、それを理解できているのかどうかわからない様子で荒い息と低い唸り声をあげていた。

 わずかに空けた口から涎がべとりと落ちる。

 箱庭、その名の通りここは創られた場所だった。人も木も、この店だって偽物、模造品だった。歴史なんてない、思い出なんてない、存在なんてなかった。


「貴方はここで生きる前、適性検査を通過したこことは違う世界の人間なのです。それはもう、普通というありきたりで幸せで不自由のない人間でした」


 いつもの紅茶をポフンと出して、話を続ける。


「元の世界ではエネルギー問題が深刻で、各研究機関で様々な実験が繰り返されてきました。もっとも有力だったのが“エバーオール体の収集”。百パーセントの収集が可能になれば、今後半永久的にエネルギー問題に頭を悩ますことが無くなる。夢の様なテクノロジーでした」


 一口飲み、毅を見据える。未だ大人しい様子で何度目かの涎が落ちた。これが人の姿であったなら唖然としていたのだろうか、今となっては想像に任せる他ない。


「しかし、この実験。エバーオール体の収集には、特別に設備された空間内で至極自然的に、あるエネルギーを収集をしなければならないのです。それが――人の織り成す『奇跡』の収集です」


 奇跡、とアネッサは紡いだ。それは偶然に、あるいは霊的に、ある人に寄れば必然的にそれは突飛に起こるもの。その収集。考えても理解のできるものではない、ましてや理性の崩壊しつつある一男子高校生という設定だった現悪魔がそれを理解できるとは思えない。


「『奇跡』となるべくエネルギーが『エバーオール体』というわけですが、私の魔法はその収集を目的としているのです。と、細部に関しては私にも教え込まれていないのですが……。なにせ、私はあなたと違って造られた存在ですから、ある程度の事までしかプログラムされていないのです。ただ、奇跡を起こすのは人間、その人間を“箱庭”という環境で普通の人間として暮らしていける適正を、貴方はクリアした。その結果、こんなことになっているのですよ」

「……ソウ、カ」


 意識が残っていることに少し驚いたものの、アネッサは直ぐに目を落として切なげな表情を浮かべた。


「全く、……残酷ですよね。より多くの人間が平和に暮らすために、少ない人間を犠牲にするシステムなんて」


 腿にある銃を指先だけ触れて滑らせた。冷やかで固く、重い感覚が指に吸い付く。

 細々と口から流れた言葉は、悪魔となった毅の耳には聞こえていたが、どうやらもう自我を保っていられそうにない様子だった。

 突然苦しみだしたかと思った次の瞬間、悪魔は雄叫びをあげた。


「アゥ、グァアアア!」

「最後に……、『毅』という名は、“ひとたび決意すると、何者にも邪魔されない”という意味が込められています。今の私にとって、その名が唯一の励ましです」


 今にも泣きそうなアネッサの表情を悪魔の瞳をとらえていたが、既に毅の意識は無くなっていた。熊の大きな拳がアネッサ目掛けて飛んでいく。

 拳はアネッサの座っていた本棚を容易に破壊し、本が反動で飛んだ。


「っ!!」


 店の外に飛び出し、手を思いっきり付いて受け身を取りつつ、腿に括りつけられた銃を一丁抜き発砲した。

 的は大きく、全て悪魔の躯に着弾したがバチンバチンと鈍い音が鳴るばかりで、まるで粘土にでも打ちこんでいるかのようだった。


「グァ!!」


 悪魔が再びアネッサ目掛けて殴りかかる。その巨体ながらスピードのある力強い踏み込みで差を一気に縮めるが、素早く反応したアネッサは跳躍し屋根より高い所で宙に止まる。

 店内は悪魔の踏み込みのお陰でおおよそ店とは呼べなくなった具合で土煙を上げていた。


「グルルルル」

「それでは始めましょうか、楽しい楽しい殺し合いを」


 例の如く魔法で出したのは数十丁の様々な銃。手を綺麗に伸ばし目の前の空を裂くと、その合図の後フルオート射撃の鉄の風が悪魔目掛けて放たれていった。

 個性ある射撃音も虫音程風流は無く、空に浮かぶ月だけ見れば戦場の銃撃戦との区別は無かった。店の木造の縁や壁が破断し捲れていく。

 悪魔は目だけはその剛腕で覆い隠し、銃弾を防いでいた。


「こんなもので済めば、苦労はしないんでしょうけれど」


 次いで出したのは対戦車擲弾のグレネードランチャー。ライフルの様なものから畳んだ傘の様な形のものまで様々な兵器が並び、着弾接点を合わせると疾速感のある音と共に店内に突っ込んだ。

 土煙は爆風となって本や木片等々を巻き込み、いよいよ巨大な間欠泉の如く夜天へと吹きあげた。

 爆音を轟かせて空や地を震わせている中、そよ風が煙を攫い切る前に悪魔は前触れもなくアネッサ目掛けて突進した。


「ガァ!」


 高速に飛んできた肉弾をアネッサは空気のように避けると、悪魔の馬の脚を掴んで遠心力を利用して店内に投げ飛ばした。

 小石を投げるかのような軽快さと岩石が家を潰すような鈍い音が鳴る。


「グアゥ!」


 受け身を取らずに地面に叩きつけられた悪魔は一呻き。そのままの体勢で周りを煙が取り巻く中、アネッサの方へ顔を向けると目を一際光らせた。

 すると辺りの木片やら本やらあの老いぼれた扇風機やらが寄せ集まり、槍の様な一つの物体になった。


「なんですかそれは、魔法はそんな雑に扱うものではありませんよ」


 一つ、アネッサは指を鳴らした。悪魔の傍にあった物体はアネッサによって再錬成され、家程の刃になった。

 金属製の光沢が薄青い空気と悪魔の姿を映し出していた。


「どれ、放ってみなさいな。貴方のそのヘボい魔法で私を殺せると思うのなら、それで貫いてごらんなさい」

「ウガァ!」


 悪魔は自分を見下すアネッサの挑発に乗って、刃を放った。


「馬鹿の一つ覚えですか?」


 先と同じ要領でアネッサは避けた。が、後方へ勢いよく飛んでいった刃は突然向きを変えて再びアネッサへ猛進した。


「つまらないですね」


 背後から迫った鋭利な刃先を後ろも見ずに指で掴んだ。悪魔がそれを見た瞬間、また目を強く光らせると、刃から剣が何本も伸びた。


「っ!」


 アネッサは貫かれた。首、肩、胴体から赤々と生々しく、しかしそれぞれが月光を反射し、美しい艶のある血がそこらに舞う。


「ガァ!」


 隙を見逃さずに悪魔は高く跳び上がり両手で拳を作り振りかぶった。


「……今のはよかったです。もう二、三仕掛けがあれば尚良かったです」


 アネッサは刃に触れて鉄の塊を鉄柱に変えると、悪魔を横から打ち飛ばした。

 悪魔のボールは商店街の通りを削りながら飛んでいき、建物を何軒かぶち抜いて止まった。


「この調子だと、朝までかかりそうですね」


 既に傷の癒えきった身体に、アネッサは伸びをして言った。


「まぁ、ゆっくりやりましょう」


 軽い体操をして身体を解すと、悪魔の飛ばされた辺りが良く見える高さから観察した。

 綺麗な直線で商店街の通りやその他もろもろが抉られている。

 紺色の風景、それ程遠くない場所に線路が伸び、辿れば駅の建物が見えた。駅前のあの洋菓子店も、照明が落ち、そこらの家々と同じく静まり返っている。街中の人は消え、人形と悪魔だけが存在している。


「夢の様な所です。人工物しか見当たらないのに、人の姿が見えない」


 瓦礫の方から身じろぐ気配がして、アネッサは様子を見る。

 埋もれている悪魔は再び眼光を強く光らせるが、その光は周りの瓦礫に遮られ遠くへは届かなかった。


「次はどうしましょう」


 少し楽しげにさえ思える口調で眺めていたアネッサは、突然何かが通り過ぎたのを感じ、反射的に目を閉じた。空を切る音が止み見てみると、両腕が無くなっているのに気づいた。


「そう急く事もないでしょう」


 何と言う事もなく腕を軽快に復活させた。

 瓦礫を掻きわけたらしい悪魔の背には大きな翼が生えていた。その姿は神話に登場するグリフォンやヒッポグリフを彷彿とさせる。微かに神々しくさえ感じるものだった。


「さて、貴方の目は何を見て、何を守るのでしょう」


 悪魔は翼をはためかせ、アネッサを見据えている。

 しかし以前程の攻撃態勢を見せない様子に、アネッサは戸惑いを隠し言い放った。


「なにをしているのです。さぁ、私を殺してごらんなさい!」

「……」


 依然として翼を動かすだけの悪魔。

 なにかを思考しているように見えるその化物は、夜天を覆う星々に立つアネッサを只々見上げているだけだった。

 空を仰ぐその顔は、いつかどこかでみたような。例えるなら、文句を言いながらも祖父等に手を焼き、それが幸せであると知っていた毅のような、そんな人間染みた顔だった。

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