第86話 俺とゆめりの関係論1

 翌日の公演では、ゆめりは助演ながら主役に引けを取らない存在感を醸していた……と思うのは俺の贔屓ひいき目かもしれないが、とにかく俺はずっと舞台の上の幼馴染みを目で追っていた。

 次の団体の演目を申し訳程度に見てから会場を後にして、一人街中を歩いた。

 時間はまだ午後の二時三時。

 俺の目には、クリスマスの飾り付けや昼間から点灯している店頭のイルミネーションは勿論、巷のカップルたちがやけに眩しく映る。

 ゆめりはきっと打ち上げで遅くなるよな。

 俺に用があるのか時間を作れと言っていたし、昨日の今日だし、さすがに心配掛けるような時間まで外ほっつき歩いたりはしないだろうが。


 俺はあいつの笑顔に曇り一つも浮かんで欲しくない。


 だから、俺じゃ駄目なんだ。


 仲の良い幼馴染みとしてやっていくのが俺たちの理想的な最善なんだと思う。


 クリスマスも冬休みも目前の浮き立つ世間の空気とは裏腹に、俺の心はいまいち晴れない。このキラキラしい街中に居れば居るだけ、俺だけが一人世界からベール一枚分違う次元に剥離はくりされた気分になってくる。

 仲睦まじいカップルから細めた目を逸らす俺の胸には、羨望と憂鬱が渦巻いている。

 世の中両想いでも恋人にならなかった例なんてどこにでも転がっている。

 救いを求めるように天を仰げども、晴れた冬空程度では生憎俺の心は救われない。

 一人往来を辛気臭い顔をして最寄りの駅へと向かう俺は、


「早いとこ帰って絵を描くか」


 一人呟いてもう一度無意味に天を仰いだ。





 その日の夜、八時過ぎ。

 打ち上げでもう少し遅くなるかと思っていた我がジャイアン様は、意外にもお早いご帰還だった。


 ――公園で待ってるから。


 夕食を終えて少しテレビ観賞してから自室に戻ると、スマホにそんな短文が入っていた。

 奴の着信から二十分も経ってから気付いた俺は「マジかよ」とやや気まずい思いで返信する。


 ――悪い今見た。寒いし家じゃ駄目か?


 すぐに返事はあって、


 ――二人だけで話したいから。


 これはあれか、花垣家限定ことわざ「壁に耳あり障子に目あり、ドアの向こうに母ときどき姉貴あり」のせいか。何だかんだでゆめりも気にはしていたらしいな。

 そんなわけで、俺の外出は確定した。

 急いだ昨日の公園には、当然ずっと待っていたんだろう奴が昨日と同じベンチに腰かけていた。

 コートとマフラーで温かくしているとはいえ、外でじっとしていると冷えるのは必至。


「ゆめり、悪い!」


 白い息を吐きながら駆け足で近付くと、スマホをいじっていた奴は顔を上げてベンチから腰を浮かせたが、思い直したのかすとんと戻した。


「遅いわよ」


 寒さで潤んだ上目遣いで睨んでくる。

 真上の外灯の光が反射して、黒目がより煌めき眼差しが艶さえ孕んで見えた。鼻の頭が少し赤いのも俺の内心を動揺させるのには一役買っていた。


「俺は肌身離さず電話持ち歩くタイプじゃねえから仕方ないだろ。外出るにしても約束してからにしろよ。これでも急いできたんだぞ」

「あらそうですかー」


 俺の内心も知らない奴は反論はしなかったが、息切れする様を同情的な目で見てくる。


「もうちょっと体力付けたら?」

「はいそこいきなり呼び出されて一生懸命走ってきた相手に掛ける言葉かな?」

「そうね……ありがと」

「へ?」


 俺は純粋に恐れ慄いた。


「もしかしてこの世界は終焉が近いのか? 天使がラッパを吹いちゃったのか!?」

「は?」

「お前が俺にそんな殊勝な態度取るからだろ。何があった? 打ち上げで何か嫌な事でもあったのか? 例えばあの先輩たちからまた何かとか」

「失礼ね。何もないどころか、和解したわ。あたしの演技を舞台袖で見てて思う所があったみたいで、謝られた」

「おおっマジか、それは良かったな。単なる意地悪な先輩かと思いきや、それだけでもなかったのか」

「うん。あたしに嫉妬するくらい演技が好きみたい。まあでもこの先何の屈託もなく仲良くできるかって言われたら、正直わからないけど、少なくともあたしを理解してもらう努力はしたいと思ってる」

「そうか」

「松くんのおかげよ」

「いや……そうか、良かった」


 奴がごく自然に表情を和らげるから、俺も嬉しい気持ちが込み上げた。


「ところで突っ立ってないで座ったら?」


 手でポンポンと隣を示されたので、促しに従って腰を落ちつける。

 布越しとは言え冷えたベンチにじわじわと太腿裏の体温を奪われブルルと震える俺は、忘れないうちにと口を開いた。


「今日の舞台思ってた以上に凄かった。主役に全然引けを取ってなかった。正直お前がお前じゃないみたいだった。さすらいの一匹狼役カッコ良かったぞ」

「ふふっ、じゃああたしは上手に役になり切れてたのかしらね」

「ずっと言えてなかったが、学祭の時もお前すっげ輝いてたよ」

「……そっか」


 俺の感想に嬉しそうな顔をするゆめり。

 こいつが今日ここで一体何の話をしたいのかは知らない。いや薄々もしかしたらとは思っている。幼馴染みさんは俺の思考を察したのか、静かに長く息を吐いた。冬場の空気に呼気が白く染まる。


「昨日は息を切らして捜してくれて、本気の励ましくれて、心から嬉しかった」

「なら良かったよ。ちゃんと上手く励ませたのか自分じゃよくわからなかったからな」

「でも……」


 謙遜するでもなく感謝に少し得意になっていた俺は逆接の言葉に思考を止める。

 ゆめりはまるで暴れそうになる感情を呑み込むように、一度深呼吸した。


「でもどうしてあそこまで思ってくれてるのに、あたしとは恋人になれないのよって憎たらしくも思ったわ」

「それ、は……」

「理由は訊かないって言ったから訊かない。だけどあんたの薄っぺらい決心なんて吹いて飛ばしてやるって思ってる」


 奴は勢いよくベンチから腰を上げ、俺を見下ろすと不遜に顎を上げた。


「ここからは昨日の話の続き。これまであんたを避けてたのは、自分が魅力不足なのを痛感して一人で勝手に拗ねてたのが一つ。それから、あたしがもうあんたを好きじゃないとか、あんた本人から勝手に決め付けられて、ムカついてたのが一つ」


 何だやっぱ怒ってたんじゃないか、という言葉は口から出て来なかった。


「それともう一つ、顔を見るとあんたを叩いて蹴り飛ばしたくなるからだし」

「きゃーッ暴力反対ですう!」


 ぶりっ子メイドさんになった俺はギョッとしてベンチの上で身を引いたが、向こうは動きの自由度の優位をそのままに俺の頬を両手で挟んだ。

 小童こわっぱめ逃がさん、という鋭い目をしなすっている。

 本能が訴える。――逃げるな危険!


「壊滅的に鈍くて察しの悪いあんたを追い詰めて押し倒してあんたがその気になるくらいにあたしの気持ちをわからせてやりたいって思うのを我慢するためよっ」

「なっ」

「近くに居たら学校だろうと家だろうと場所も考えず壁ドンでも何でもしてあたしの気持ちわかれーってやりそうだったから!」

「ななな何言って……!?」


 怒濤の台詞を浴びせられ仰天する俺を、怪獣でジャイアンさんで俺様な俺の恋する女の子は、言葉の強さとは裏腹にその絶対優位が揺らぐような不安そうな眼差しでいた。思いもかけないギャップに動揺する。


「そう、思ってたの。今でもそう思うの。だけど、いざあんたを前にしたら強気も揺らぐの。どうして駄目なのよ。あたしはこれ以上どう頑張ればいいの……?」

「……そ、んなに俺が好きかよ?」

「好きよ」


 弱い自分を隠すように俯いて、それでもゆめりは俺から手を放さない。

 俺の中から狼狽は消え去り、ただただ苦い思いが胸中を席巻する。

 俺がこいつのためだと思っている事は単なる俺の愚かなエゴなのかも知れないと、初めて思い至った。

 好きだけど恋人は無理なんていう矛盾しかない態度がこいつを傷付けたのは確かだ。


「ゆめり、ごめん、俺は……」


 拒絶の気配でも感じたのか小さく震えた掌に、俺は俺の手を重ねた。


「――話すから、聞いてくれ」


 ついに俺は俺のなけなしの屁みたいなプライドを捨て去った。

 こいつのためだとか歪な建て前でこいつを傷付け続けるより、正直な俺で見限られた方がいいんだってようやく思えた。

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