第82話 ゆめりの試練4

「何だ元気じゃん花ガッキー」


 俺の精神状態を推し量る側面もあったのか、揶揄からかい上手の藤宮は唇に明るい笑みを乗せた。

 何だか疲れた溜息が出てしまう俺を気にもせず、藤宮は音が鳴った自らのスマホに意識を向け画面をいじると「おっまこまこ画像アップしてる」との独り言を呟いた。

 そういやまこまここと久保田さんとは一週間くらい前にちょいやり取りしたっけ。これでも俺の中では頻繁な方だ。


「なあ、久保田さんと結構連絡取ってんの?」

「うん。そりゃもう。うちら今やのびちゃんとその心の友ジャイちゃんみたいなもんだし」

「どっちがどっちだよ」

「花ガッキーはどうかしたのホントに。さては新たな恋の悩みか~?」


 何とも返答し辛い問い掛けに俺が言葉に詰まる前に、藤宮は自分で言っておいて取り消した。


「なーんて花ガッキーは一生緑川さん一筋だから、なわけないか」

「は……はいい!?」


 情報屋藤宮は古風な探偵のように仮想の口髭を引っ張った。


「ふふふ私の情報網をなめないでくれたまえ。学祭で君が密かに彼女と踊った事実は割れているのだよ」

「えっ」

「しかしその後君たちの関係は、流しそうめんがするりと油断した箸の間を抜けて行くくらいにあっさりとしている。違うかね?」

「いやその例えわかんねえよ」

「だって最近さっぱり緑川さんうちの教室来ないし、登下校も別々みたいだし、花ガッキーは目に見えて沈んでるし。あ~原因は緑川さんだなーって」

「そ、そんなわかりやすいか俺?」

「うん」

「そうか……何と言うかまあ、俺が悪いんだ」


 藤宮は意味ありげにふむふむと仮想口髭を撫でる。


「ようやく認めたね。前は変に誤魔化したのに」

「え、あー、そうだな」

「心の友として誤魔化さないでくれて嬉しいよ。まあ一つ言えるとすれば君は何らかの行動あるのみだよ。演劇部のいざこざも耳に入ってるし」

「さすがは新聞部」

「そうだろうそうだろう、スクープと果報は寝て待ってても普通はこないからね」


 藤宮は最後にヒヒッと悪い魔女の笑みを浮かべると「それじゃ~ね」とひらりと手を振ってどこかの掃除当番なのか鞄を置いて教室を出て行った。

 俺を見兼ねて彼女なりに励ましてくれたんだろう。

 でもそんなに酷え顔してたのか俺。


「行動あるのみ、か」


 ぐっと掌を握った。

 その日早速、前日同様空き教室で一人練習しているだろう奴に物申そうと出向いた。

 だがしかし、そこは何と天照あまてらす大神おおみかみが籠ったという開かずの天の岩戸になっておった。

 鍵閉めてやがりましたよ……。

 扉の窓にも紙が貼られてた。

 絶対俺対策だろ。

 だが俺は、へこたれない。


「おいゆめり、中に居るんだろ」


 返答はない。


「ちゃんと通し稽古に出ろよ」


 少し待って耳をそばだててみても誰もいないかのように物音もしない。

 しかーし、中に居るのは確実だ。

 俺が諦めて帰るのを待ってるんだろうがお生憎様。俺はにやりと片頬を吊り上げた。


「おいゆめりここ開けろーいるのはわかってんだからなーここ開けろ開けろ開けろ開けろケロロ開ーけーろー!」


 ドンドンドンドンドンドン!


「ゆめりー! ゆめりゆめりゆめりさんー! 開ーけーてーくーれー!」


 ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドン!


「ゆーめーりーさーーーーん!!」


 質の悪い借金取りのように扉をしつこくかつ五月蠅く叩きまくる。


「ゆ、めりーさん、今あなたのいる教室前に居る…」

「――うるっさいわね!!」


 勢いよく教室の戸が開き、中からジャージにポニーな怒り顔の天照大神がお出ましになった。

 騒音を聞き付けた他の部のやつやもちろん演劇部の一部の面子も顔を覗かせていて、廊下の俺たちは言うまでもなく注目の的になっている。


「ふう、やっと出てきたな」

「とりあえず入って!」

「入るのはここじゃねえよ」

「は?」


 体裁を気にして俺の手を引っ張る奴を逆に引っ張り、手首を掴み直して廊下を進む。

 向かったのはすぐそこの演劇部の教室だ。


「ちょっと何、用事なら口で言って!」


 直前までの苛立ちを忘れ俺の強引な行動に戸惑ったような声を上げていた奴も、さすがに部室の前で立ち止まった俺を見て閉口した。ただその眼差しには狼狽の色がある。


「あんた一体何を……」


 遠慮もなくガラッと戸を開け放った俺は、道場破りにも似た堂々たる態度で演劇部内に乗り込んだ。

 部員たちは元より昨日見た意地悪先輩ズが目を瞠った。

 きっと無意識にだろう、ゆめりは集まる視線に怯んだように俺の陰に寄った。

 ……何でお前が引き下がるんだよ。


「ふざけんな」


 俺の出方を窺うように誰一人喋らない教室内。


「こいつも入れて練習してもらっていいですか?」


 やや上からな俺の申し出に、後ろで奴が息を呑んだのはわかった。握った手首からでさえ緊張が伝わってくる。

 あからさまに嫌な顔をしたのは問題の先輩たち、微妙な面持ちになったのは事情を知りつつ知らないふりをしていたらしい一部。

 俺はそいつらを完全無視してちょうどいた男性顧問へと目を向ける。

 その近くで台本と筆記具を持っている女子生徒は部長か副部長辺りだろうか。

 ゆめりを皆の前に押し出すと、顧問は「ああ、ちょうど良かった」と破顔した。

 見た感じどうやら部内の確執は知らないようだった。部員でさえ全く気付いてないのがいるって話だから、まあそれも、さもありなんか。


「そろそろ一緒にとは思っていたんだよ。個人練習をしたいという緑川くんの意思を尊重していたが、さすがにもう一緒にやりながらでないと厳しいな。わかったかな緑川くん?」

「……わ、かりました」


 少々歯切れは悪いが、奴は頷いた。


「じゃあ部長そういう事でいいかな? 何か疑問があればその都度訊きに来るように」

「はい。じゃあ緑川さん、次のシーンからもう入ってもらえる? 第二幕の埠頭のシーンからなんだけど」


 顧問が確認すると、マジに部長だったらしい女子生徒は了解して奴へとすぐさま指示を出した。

 きっと生徒主体の指導方針なんだろう。自身で考えさせ行動させる事で得るものは確かにあるからな。

 了承するゆめりはゆめりでもう思考を切り替えたのか、きゅっとあごを上げ演技に臨む顔付きになって足を踏み出した。


「ところで緑川さん、台本はいいの?」

「暗記しているので平気です」


 俺のせいで持って来てなかったが、そんな心配は無用だったらしい。

 にしてもマジかこいつ……。


「お前すげーな」


 手放しで感心すると、奴は一度振り返って無言で俺を睨んだ。

 例のお先輩方も俺を忌々しげにガン見してくる。

 だがその他は好意的というか、本来当然の練習風景だろうしな、別段不審には思わなかったようだ。

 部長や顧問のお墨付きも得たし、目論見通りこれでもう余計な横やりは入れられないだろう。

 ただ、俺は酷な事を強いているのかもしれない。

 これで俺の株は地の底の底に落ちて、奴は二度と見向きもしないかもしれない。

 それでも俺はこのお節介を後悔はしないつもりだ。


「当日、楽しみにしてるからな」


 教室を出がけに聞こえないよう小さく期待の言葉を呟けば、耳聡く聞き付けた奴はこっちを見て満更でもなさそうに口元を不遜に緩めた……気がした。

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