第81話 ゆめりの試練3

 宣言したはいいものの、それ以上の言葉が浮かばない俺と無言のジャイアンさん。

 しばしの間、俺たちの上には沈黙以外の言葉はなかった。


「……話すんじゃないの?」

「へ?」


 いつまでも黙り込んでいるのを時間の無駄とでも思ったのか、ゆめりが不機嫌声で口を開いた。


「あたしと話したいんでしょ」

「いやその、そういう意味だがそうじゃなくて、俺はこんな状態が続くのは嫌なんだよ」


 奴は盛大に溜息をついた。

 ……そりゃ、調子のいい事言ってる自覚はある。


「その話は後でしましょ。……で? 今の、先輩たちとの話聞いてたんでしょ」

「ああ。全部聞いてた。けどお前何で何も言い返さなかったんだよ?」

「ああいう理性よりも感情優先で突っかかって来る相手って、反論するだけ逆撫でするでしょ。まずは言いたい事吐き出させて気持ちを少し落ち着けてもらおうと思ったのよ。それから話そうと思ってたけど、その前に出てっちゃったわね」

「それはまあある程度有効かもだが、優先すべきもんが違うだろ。さっきの先輩たちなんて無視して全体練習に出ろよ」


 すると奴は不機嫌そうな表情の中に微かな陰りを滲ませた。


「いいのよ。練習じゃあたしの代わりをさっきの先輩がやってるもの」

「何だよそれ! んなもん向こうの思うつぼじゃねえか。俺はお前より断然素人だが、舞台の雰囲気とか共演者との呼吸とかってのは、一緒に練習積んだ分だけ培われてくもんじゃねえのか?」

「ホントいいのよ」

「良くねえだろ」

「いいんだってば」

「意地張るなって」

「いいの」

「ゆめり!」

「あたしだって出来るならそうしたいわよ!」


 奴はハッとしてから苦い顔になって口を噤んだ。

 だよな。

 こいつだって俺様なのは俺限定なんだろうから、他の人間の前じゃ思うように動けないのかもしれない。


「全く、あんたにはこんな面倒を知られたくなかったのに。どこで聞いてきたか知らないけど首突っ込んで来ないでよ。あたし個人の問題なんだから放っておいて」


 最後のとことか、何かどっかで聞いたような台詞だな。

 ……はいはーい、俺ですー。

 俺は内心で大いなる溜息を吐き出していた。

 無論、自分に。


「ほっとくなんて無理だろ普通に」

「どうしてよ。ぼっちになって可哀想とか思ってるわけ? そんな同情いらないわ」

「何で俺がお前を憐れむんだよ。可哀想ってんならいつもお前に足蹴にされてるこっちの方がよっぽど可哀想だろ!」

「何ですって!?」

「あっいやっ俺のはどうでもいいです。それよりも俺はもどかしいんだよ。お前の苦境に何の力にもなれない自分が。強がって突き放す真似すんな」

「――っ、あんたにだけは言われたくない!」


 痛い所を突かれた。


 そうだよ、わかってる。部外者みたいに言われて、ようやくゆめりももどかしい思いをしてたんだって理解できた。

 しかも俺の場合は関係ないと突き放した挙句……めちゃくちゃな理由でキスなんてした。

 ゆめりは涙こそ見せないが、泣かれるよりも堪えるような我慢の表情でこっちを睨みつけている。


「あの時のお前にはやっぱ謝る。ごめん!」

「今更何よ」

「お前が失望して俺を避けるのも理解できる」

「……」

「でもこんな俺は、俺の最低さを棚に上げてでもお前の力になりたい。彼女じゃなくてもゆめりは大切な存在だから」


 ややあっても反応はない。

 俺の言葉をどう捉えるべきか思案しているのかもしれない。

 ただし、その目は俺に注がれたままだ。


「お前が不遇な目に遭ってるのが我慢ならないんだよ」


 瞬いた奴の目に軟化と素直さが垣間見えた気がした。


「もう――お前が俺を何とも思ってなくても、俺はさ」


 一拍の間。


「――――帰って」


 伸ばしかけた手を急激に引っ込められたような拒絶を感じた。

 いつにない強い口調の語尾がわなわなと震えるようだったから、奴が腹を立てているのを悟った。

 えーと、え……? 今の俺のどこにまずい点があったよ?


「そりゃ帰るのは帰るが……あ、たまに一緒に帰るか?」

「あんたって、ホントもう、ムカつく。そういうの、いいから、もう、帰って!」


 区切りごとに人差し指で何度も胸をド突かれて、俺は後退するしかなくとうとう廊下の反対側の壁際にまで下がらされた。

 向こうの強めの口調には明らかな俺への憤りが宿っていて、俺はただただ困惑するしかない。


「噂聞いてこそこそ勝手に探ったのは悪い。でも俺はお前が心配で」

「いいから帰れ!!」


 最後に俺を大迷惑と言わんばかりの三白眼で睨んでから、奴はピシャリと扉を閉めた。

 え……これって完っ全に拒絶された?

 呆然とすらしてしばらくその場に立ち尽くしてから、下手なマリオネットみたいにトボトボと廊下を歩き出す。校内のいくつかあるルートのどこをどう通って美術室に戻ったのかとか、その後部活終了まで何してたとか、酷く集中力を欠いていておぼろげだった。


「何だよ……そうか、俺はホントに詰んだのか」


 緑川ゆめりとの関係が。

 一人ぼっちの帰り道、気付けばやるせなさに苛まれ、そう呟いていた。





 俺には何も出来る事ってないんだろうか。

 一晩そんな自問を延々と繰り返し、次の日は寝不足になった。

 登校して席に着くとそのまま背を丸めて机上に頬を押し当てた。ひんやりする。


「おっはよー松っちゃん……ってあれ? どうしたの、今日は朝一から随分テンション低くない? あ、もしかして緑川さんに彼氏でもできた?」

「……ちげえよ」

「おはよう松。こらこらルカ、何があったにせよえぐるなって。松はたとえ緑川さんに彼氏が出来ても耐える男だぞ」

「なるほどそっか。僕だったらもう三日三晩寝込むね」

「ルカは繊細だな。まあ俺も初カノと別れた時はゾンビ化するかと思った……」

「……おい。姉貴との過去でのマジ凹みはよしてくれ、よしこさん」

「「よしこって?」」

「ハハハ……」


 俺は相手をする気にもなれず授業をまともに聞く気にもなれず、机に突っ伏して過ごした。眠気が取れず爆睡して怒られた授業もあった。

 放課後、掃除のない佐藤が俺の肩に手を置いて「松、今夜な」と意味深とも取れる発言をして部活へと去って行った。

 要は相談に乗るという意味なんだが、一部の女子は何かを誤解したようにひそひそと囁き合った。彼女らの間じゃコスプレ喫茶珍事がまだ尾を引いているらしい。


「花ガッキー今日ずっとダレてたけど、どしたの? 何か動物園にいるナマケモノみたいだったよ~。ぼーっとしてた顔はカピバラだったし」


 席替えもあって藤宮はもう隣じゃないが、何かあると俺の所に来て話をしていく。

 俺の様子を気にしてくれたそんな心優しき藤宮まこさんは、掃除前に俺の所に足をお運びなすったってわけだった。


「カピバラか。ふっ可愛いじゃないか俺」

「いやいや~カピバラ顔で人間の体だとキツイって~、ひひっ」

「……反論のしようもねえな」

「病んだカピバラ発見!ってインスタに挙げてもいい?」

さらすのは止めてッ」


 平凡な俺の非凡な顔晒すとか、勘弁だよ。

 和むカピバラどころかやる気ゼロなバーバラ(誰だよ)みたいな顔を向けると藤宮はやや心配そうにする。

 その際にさらりとした明るい色の長い髪を掻き上げ眼鏡の位置を直す。

 周囲にシャンプーなのか香水なのか仄かにいい匂いが広がって、俺以外の近くに居た男子たちが一度ちらっとこっちに目を向けた。

 無駄に色気を振りまくな。このお色気担当。


「花ガッキー具合悪くて実は体がだるいとか? ――つわりで」

「なるか!」


 思わず反射で突っ込んだら藤宮はまた「ひひひっ」と笑った。

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