第80話 ゆめりの試練2
コーンフレークは、元はトラブルで放置し過ぎたパン生地が発端で発明されたらしい。
だが放置の結果、それが後に画期的朝食として大進化を遂げるなんて幸運は稀だ。
だって人間、日常生活で放置し過ぎていい例なんてあまりない。
食料にせよ、勉学にせよ、人間関係にせよ、大体カビが生えるだろう。
俺はゆめりへの態度を決めかねたままずるずると過ごし現状を招いた。
だから今回は後悔してもしなくても、思い立ったが吉日だ。
「へ? 犬?」
「ああ。なーに簡単な事だって」
案の定岡田は不可解な顔つきになった。
そりゃーダチに犬になれだなんて鬼畜以外の何物でもない。
岡田はハッとして自らの頬を手で押さえると叫んだ。
「ま、まさか裸に犬耳付けさせて羞恥に染まる僕にご奉仕させる気!?」
「松、お前……?」
「変態か俺はっ!! 佐藤もそこ真に受けないでくれますかね! 岡田のその高いコミュ力を生かして、演劇部の人間から話聞いてきてほしいんだよ!」
「「あー何だそういうこと」」
「ええ、ええそういうことですともっ。でも内密に頼むな」
時々何気に俺の扱いが酷い二人の納得顔を傷心気味に見据えながら、慎重に動くよう念を押す。もしもジャイアンさんが俺に知られたくないんなら、探ってるってバレるのはまずいだろ。
そんなこんなでスパイを頼んだわけだが、岡田の才能は上々だった。
やっぱりゆめりは部内で上手くいってないらしい。
ただ、全員が奴の孤立をそうと感じているわけでもないようだった。
――たぶんだけど、当事者たちは周囲にはそれを悟られないようにしてるんじゃないの?
――俺もルカの意見に一票。松はどう見る?
「……二人に同じだな」
風呂上がりに自分のベッドに横になって佐藤と岡田とグループラインをしながら、打った文字と同じ言葉を吐き出した。
ここまで数日が経過している。
その間にも奴が孤独を感じているのかもしれないと思えば、すぐ隣に乗り込んででも問い質したい衝動に駆られた。
だがそれをしないのは、石のように頑固にも耐えている奴の矜持だったり意地だったりを、俺の勝手なエゴで踏みつけるようで躊躇われたからだ。
もう一つ、奴から関係ないと拒絶されるのを恐れているってのも否定はしない。
……自分はそう言ったくせにな。
「けど、時機を逸するのはもう御免だ」
二人に「明日こっそり見に行ってみる」と打って、俺はさっさとスマホを机に置いた。
佐藤のメッセージが寝落ち暗号文に移行する前に手を打ったと思ってくれてもいい。
翌日の放課後。
偽装のためにスケッチブックを小脇に抱え向かった演劇部前の廊下。
演劇部員たちはクリスマス公演の練習に励んでいる。
クリスマス公演っつっても休日に行われるから、二十五日当日ぴったりって年もあれば、それより日にちが前の年もある。今年のカレンダーを思い出してみれば、クリスマスは平日だったから公演日時は休日に少し前倒しのはずだ。
場所は演劇ホールもしくは小さめのコンサート会場なんかを借りて、その近隣地域も含めた学校や団体が集まって順に演じるらしい。大会とは違って順位付けもなく少し肩の力を抜いてできる上、舞台経験を積むには絶好の機会。演劇部同士の交流にもなるので毎年有意義なものになるんだとか。
後期中間テストも終わってとっくに十二月に入っているから練習も大詰め、細かく区切ったシーンごとの立ち稽古の段階を経て、一幕ごとか全体かは知らないが通し稽古をする段階に入っているらしい。
チワワ探偵岡田によれば、我が幼馴染み殿は主役並みに台詞のある役どころで、主人公のライバル的な役回り。
さすがは助演。
役柄は、孤独を愛する一匹狼な旅人だそうだ。
――緑川さんは、自分から進んで一人別の教室で練習してるみたいだよ。
岡田からの情報を思い出し、俺はそっと演劇部教室を素通りして二つ隣の空き教室に向かった。
そこが奴の練習場所らしい。
扉のガラス越しに中が見えた。
集中しているのか廊下の俺には全く気付かない。
普段から練習を見に来る事もなかった俺としては、ジャージにポニーテール姿がちょっと新鮮だったりする。
途中何度も動きを止め確認し、つっかえると悔しそうに息を吐き、熱心に何度も何度も何度も同じ演技を繰り返している。
ついつい見惚れていると、演劇部の方の扉が開いて俺は内心飛び上がった。
だって今の俺って不審人物だよね?
しかしここは大根役者花垣松三朗の腕の見せ所だ。何食わぬ顔で通り掛かりを装った。出てきた部員たちは俺を気にする素振りもなく傍を通り過ぎると、奴のいる空き教室に入っていく。
……ふう、危ねえ~。でも何で奴のとこに?
俺はそいつら――靴の色からして二年の女子三人の動向が気になって、扉のすぐ横に忍ぶとそっと中の会話に聞き耳を立てた。
「どう? 降りる決心はついた?」
「毎年二年がやってた役なのよ? 一年は裏方やった方が良いと思うけど」
「そうそう、運動神経を買われた学祭の時とは違って今度のは演技だけだから、音楽での誤魔化しなんて出来ないのよ。私なら台詞も全部覚えてるから安心して任せて」
こいつらが当事者か。
典型的な年功序列。
確かに正味三年間もない各部活にそういう風潮が決してないとは言わん。
だが我が校の演劇部は実績もあって一人一人の実力が物を言うはずだ。
廊下に俺がいるのも知らずに、女子三人は好き放題御託を並べる。
対照的にゆめりは無言を貫いている。
抗議に乗り込んで行きたいが、部外者がしゃしゃり出ても何の解決にもならない上に、火に油だ。
脇に挟んだスケッチブックがメコッと歪んだ。
――唐突に扉が開いた。
あ。
やべ。
悶々としていた俺は、教室から三人の女子が出てくるまでうっかりその場に留まっていた。だがスケッチブックを持っていたおかげか、女子生徒たちはやや不審そうな表情は浮かべたものの、美術部員が題材を探してたまたまいたとでも思ったのか、廊下を戻っていった。
はー、助かった。
とりあえず覗き見の現行犯の難は脱した……わきゃなかった。
――背後に強大な存在が降臨なすった。
「何でここにいるの? 花垣君?」
大魔王様じゃあああっ……とかふざける気分にはならない。
「ハハハ、た、たまたま?」
そう答える俺は一ミリも振り返れない。
今の俺が神話に出てくるオルフェウスなら、絶対に一度も振り返らずに冥界から妻エウリュディケを連れ帰っちゃえるね! るねるね!
「冗談でしょ? 美術部の花垣君がたまたまここにいるわけがないわよね? どうして居たの?」
「だ、だから偶然…」
「ど・う・し・て・居・た・の?」
ああもう何だよ、久しぶりの長めの会話がこれかよ……。
慄きゆっくりと振り返る俺は、しばし無言での睨みつけとその圧力に耐えていたが結局は白旗を上げた。
近頃じゃこいつの目を近くでちゃんと見て話すなんてなかったからか、やけに緊張した。
だがここで怖気付いても良いことなんて一つもない。
本当の目的は言えないが、さあ言え本音を、この機を逃すな。
「――お前と話したくて来たんだよ」
奴は言葉もなく目を見開いた。それくらい予想外だったんだろう。黒目がちな目を丸くして見てくる顔が子狸みたいで、思わず苦笑が漏れる。
笑われて気を悪くしたのか、奴が目を据わらせた。
その眼差しすらもいつもに戻ったみたいで安堵してしまう俺は、今だけはマゾと言われても文句は言えないな。
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