第79話 ゆめりの試練1

「――フェア・ウォーニング!!」


 オペラ歌手のような渋い美声と、台座に叩き落ろされる木槌の小気味いい音が会場内に高らかに響いた。

 続いてワッという歓声と拍手が鳴り響く。

 高級なスーツに身を包み、欧米のベテラン俳優を思わせる熟練のやり手オークショニアは、深い笑みで自らも競りの出来に頷き満足げだ。

 俺は何の疑問も持たずにこの競売方式の美術品アートオークションに参加していた。

 たった今競り落とされたのは俺の作品だ。

 まさか会員制のこの海外オークションに出品できる日が来ようとは、と感慨もひとしおに高額で落札された自分の絵に目を向ける。


 ……ん? そういえば、俺は何の絵を出品したんだっけ?


 何人もの美術商やコレクター、またはその代理人が着席する高級木材感漂う会場内。その前方中央には、絵画を際立たせる絶妙な額に入れられた一枚の大きな油絵がある。

 俺はそれに目をやった。


「……え?」


 自分の咽と頬が引き攣るのを感じた。

 それは、人物画だった。

 幼馴染み――緑川ゆめりの。

 肩越しに見るもの全てを睨んでいるという、奴らしい表情をした絵だった。

 無論ちゃんと服は着ている。何故か学祭の白雪姫ドレスを。


「は? 何で……俺、あんなの描いた覚えは……」


 その睥睨へいげいは俺を驚かせ、同時に悟る。

 見るもの全てにじゃない。

 あれは、俺だけに向けられた責めと詰りと憤怒の目だ。

 すると奇妙にもその絵が動き出した。

 油絵のタッチそのままの奴がくるりと正面を向き何と額の中から抜け出して俺を無言で睨みつけてくる。


「は? 何だこれ?」


 意識がどこか一層別の所にあるような心地の俺へ、奴は突然感情を削ぎ落としたような無表情になって背を向けた。

 ああ、きっとあれは無関心の表れだ。

 俺は見限られたんだっけ。

 そう思えば去っていく背中に絶望すら感じて咄嗟に手を伸ばした。


「待っ……――ゆめりっ!」


 ハッと目を開けた俺の視界に映るのは、豪華なオークション会場じゃなく見慣れた天井だった。

 現実感が持てず、ベッドに横になったまま暫し呆ける。

 遮光カーテンの隙間からは雀の声と白く薄い明かりが漏れている。いつもなら清々しい気分を覚えただろうこんな朝も、今はやけに深刻に打ち響く自分の心音に支配されていた。

 夢落ちだったが、ゆめりだけは夢とは思えないリアルさを伴っていて気持ちが酷く沈んだ。





「何かさー、カノジョがメザイクしたいって言うんだよ」


 夢見の悪さのせいか眠い目を擦って登校したとある初冬の昼休み、腹休めの会話中、岡田の言葉に俺は首を傾げた。


「モザイクって、お前の彼女大丈夫か? どこにモザイクかけて人前出るんだよ?」


 同席している佐藤が微苦笑を浮かべた。


「いやいやルカが言ってるのはモザイクじゃなくてメザイク。一重まぶたに専用ののり付けて二重にしたりとか、女子が目元によくやってるだろ。あれのことだよ」

「へえーメイク関係か。詳しいな」

「北都先輩が女子にレクチャーしてたの見てたから」

「え!? オネヤンってメイクも出来んの!?」

「ああ。手際も良かったっけな」

「へえ、そもそも何で佐藤がオネヤンのメザイクレクチャーにいたんだよ?」


 俺の疑惑の目に全く気付かないお気楽佐藤は、飲み干したパック牛乳を丁寧に潰しながら問いに答えた。


「少し前から小学生の弟たちが北都先輩のとこの道場に通い始めて、その関係で親しくなった」

「へえ、そんな接点ができたのか」


 俺はてっきり直接「お友達からお願いします!」って言いにでも行ったのかと……。こいつならしそうだし。


「何か女子に頼まれてメイク講座しなきゃいけないとか言ってたけど、その話をどこから聞き付けたのかすぐ下の妹から聞いてこいってせがまれて仕方がなくな。あ、そういやレクチャーに演劇部の子たちも来てたぞ。緑川さんはいなかったけど」


 急に思い出したように佐藤がポンと手槌を打った。


「まあ演じる上でメイクは不可欠だろうしな」

「だねー。習っておいて損はないよね」

「まあなあ。皆真剣に聞いてたよ」


 俺と岡田がふんふんと相槌を打ちここで話は終わりかと思いきや、佐藤は俺を真面目な顔で見つめてきた。


「松、あのな……その……俺さ……」


 そして何故か珍しくも発言に躊躇ためらいをみせた。

 俺は閃くものがあった。


「よ、よく考えろ佐藤。俺たちは理解して応援するが、教室でカミングアウトしていいのか?」


 机に身を乗り出し説得するように窘めれば、佐藤は男らしい眉を寄せてやや怪訝けげんな顔をする。そこには幾分非難めいた色が混ざり込んでいた。


「理解して応援するって……松は俺の言おうとしてる事をわかってて言ってるのか?」

「え? プライバシーに関わる話だろ?」

「そうだ」

「で、嗜好というか性格的なものの話だろ」

「そうだな」

「お前の」

「……はあ。松はちゃんと最後まで人の話を聞くように。何で俺の話になるんだよ」

「違うのか?」


 佐藤はやれやれと息を吐き出すと、俺へとまたもやふざける要素の欠片もない双眸そうぼうを向けてくる。


「レクチャーの合間にたまたま聞こえたんだけど、演劇部内で緑川さん孤立してるみたいだ」

「……え?」


 初耳だった。


「あいつが? 佐藤の勘違いじゃねえの?」

「松こそ、――何か聞いてないのか?」


 佐藤から逆に問われ、俺は密かにぐっと咽元を力ませた。


「や、今じゃほとんど話さんから」


 佐藤にも岡田にも奴とのぎくしゃくとすらしなかった関係の乖離かいりは告げてある。

 散々顔を見せていたあいつがこのクラスに来なくなったのも、登下校が俺一人なのも、二人にはいち早く察知されていたからだ。


「あー……何だよ。そこまで話さないとは思わなかった。まあ、仮に元のままだったとしても緑川さんは松には言わなかったかもしれないけど」

「何でだよ」

「だって松が彼女の立場だったら嫌だろ。大事な相手に部内トラブル知られるの」

「そりゃまあ」


 俺が今も大事な相手かはさておき、きっとあいつは俺にだけでなく他の誰にも言ってない気がする。

 一人で気丈にも抱え込んで我慢して……。だってそういう奴だ。


「佐藤、もっと具体的な話も知ってるのか?」

「まあな」


 腹の底にヒリ付くような不安定な感情がわだかまる。

 あいつの事を他人の口から知らされる。

 しかも良くない話を。

 俺を気遣う佐藤の声を聞きながら、それがこんなにも苦く悔しいとは思わなかった。


 佐藤によれば、演劇部は部での冬季定期公演――通称クリスマス公演に向けて練習中らしい。


 そして奴はその定期公演の助演。

 演技は学祭きりだと思っていたから、正直ゆめりが引き受けたのは意外だった。

 演劇部内は三年が引退して今は一、二年だけだ。

 主演は二年の先輩らしいが、例年は助演も二年がやるところを今年は一年のあいつが抜擢されたらしい。学祭での活躍が評価されたんだろう。

 しかしそれが反感を買った。

 話を聞き終えた俺は、まだ心のどこかであいつに限ってんな状況に陥るわけねえよと思っていた。

 佐藤には悪いが、まずはもっときちんと真偽を確かめるべきだと思った。

 そんなわけで岡田へと真面目な目を向けた。


「岡田に頼みがある」

「僕? いいよ、僕で力になれるなら喜んで協力する」

「サンキューな。じゃあ早速だが」

「うんうん」


 快い友人へと感謝する俺は深く息を吸い込んだ。


「犬になってくれ」

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