第78話 不完全なる日常回帰
昨日暴飲暴食の末に腹痛で帰ったこのアホ仁科は、けろりとした顔で復活していた……のはまあどうでもいいとして、部長様の件はどうでもよくない。
「いやいや嘘つけえ~」
「マジだって。彼氏がいたのは前から知ってたけど、誰かは今日知った」
「お前後で冗談だっぴょーんとか古いギャグっぽく言うんだろどうせ。書道部部長って確か危ねえやつって有名じゃん。誰かが好きなものはって訊いたら『変態かな?』とか答えたらしいし。本人は自分でも疑問だけど変態が好きなんだろ?」
「花垣それヘンタイ違いだ」
「……他にも変態がいるのか。やべえだろ書道部」
「いやだから露出狂とかの変態じゃなくて」
仁科は一緒に運んでいた間仕切りを一旦下ろすように言ってから、ポケットのスマホを取り出して、文字を打った画面を俺の方に向けてよこした。
「ヘンタイはヘンタイでもこっち」
「
表示された文字をじっと見つめ困惑声で読み上げた俺の疑問に、仁科はあっさりと答えてくれた。
「書道の書体」
「へえ。んなもんがあるのか」
「俺も最初は彼氏がヘンタイ好きで放っておかれて腹立つとか聞いて、そんな男より俺が幸せにしてやるって思ってたんだけどさ、書道の書体だってわかったし、今日その彼氏が作ったとても綺麗な料紙を見て、こんなん作れる男には敵わないなって……」
これも仁科の説明をもらったが、料紙とは書道で使う紙で、自分で淡く色付けしたり模様を付けたりもでき、その紙に書く事によって作品を一層個性的かつ魅力的にも仕上げられるものらしい。
書道も日々華やかな芸術として進化してるってわけだ。
実際今回の学祭じゃ書道部はアクション・ペインティングにも似た書道と格闘・ダンスの融合ステージで評判は上々だったらしい。だから余計にうちの部長は張り切ってたのかもな。
「そう簡単に諦めて、仁科はそれでいいのか?」
「俺だって、俺だってなあぁ……」
本気で部長様をお慕いしていたらしい仁科が、がっくりと肩を落として涙ぐむ。
俺は見えた彼のつむじを指先でぐっと押してやった。
「何するんだよ花垣!」
「いや、何となく。励まし?」
仁科、失恋か。
……失恋。
――恋を、失う。
その言葉にやけに落ち着かない気分になって、何故だか無性にゆめりの顔を見たくなった。
大教室を借りての打ち上げは、終始開放的な雰囲気に包まれていた。
初めの乾杯が終わると、皆早速と好きな食べ物を抓んだり、絶好の機会だと交友関係を広げてるやつなんかもいた。仁科はヤケ食いに走るも教訓を生かして食べる種類を絞っていたようだ。
部長様はご満悦そうに各部の部長と談笑し、俺の隣には何故か顧問が着席し、彼の出た学祭ステージの親父バンドが意外にも盛況だったと上機嫌。ついでっぽく俺たちのステージも緊迫の演出が効いていて良かったとか何とか感想を言っていたが、俺は聞き流していた。
奇しくも俺と共に緊迫のステージを担った白雪ひょっとこ姫は、見た感じ周囲と普通に喋っている。
だが一度もこっちを見ない。
そりゃそうだ、用もないのに無意味にこっちを見るかってんだ。
そんなしょうもない自分の思考にがっくりしていると、スマホに着信が入った。
ゆめりからの短いメッセージだった。
直接言えばいいのにと思い画面から顔を上げれば、制服のポケットにスマホを仕舞った奴はちょうど話しかけられて応じたところだった。
俺は再度手元を見下ろした。
――帰りも別々で。
スマホ画面にはそんな文言が表示されていた。
そしてその日以来、期末テストの勉強があるだとか、クラスの当番や演劇部の多忙な練習日程だとか、何かと毎日用件があるらしく、ろくに顔も合わせない日々が続いた。
その間ラインのやり取りだけはあったが、果たしてこの文字の向こうにいるあいつが今まで通りの緑川ゆめりなのかはわからなかった。
「ねえ松三朗、最近ゆめりちゃん朝も夜も来ないわねー? 喧嘩でもしたの?」
「……別に」
挙句は、母さんから勘繰られ、そっけなく返したら無慈悲に小遣いを減らされたりしながら、気付けばほとんど接触のないまま半月一月と時間だけが過ぎていた。
話は逸れるが、久保田さんはテスト明けに慌ただしく、かつ無事に転校していった。
彼女には折を見て、俺の明確な答えを伝えていた。
久保田さんは「そっか」とだけ短く頷いて小さく苦笑すると、次にはもういつもの彼女らしい気さくさで顔を上げるや「だけど私たち、これからも友達だからね」なんて言ってくれた。
そんなわけで友人としてメッセージのやり取りはするようになって、送られてきた近況を読めば、向こうでも楽しくやっているらしいとわかって安心した。
季節はあれよあれよと冬。
十二月初旬。
ジャイアンさんと疎遠になってから二月と少し。
奴とは偶然学校ですれ違った時に「おう」とか「どーも」なんて浅い挨拶を交わすだけになっていた。
最近じゃメッセージのやり取りもほとんどなく、それなくしても今はもう暗黙の了解で登下校も別々だ。
ぶっちゃけ学祭が終わってしばらくは、顔を合わせないのは単なる偶然の重なりだと思っていた。
だが先日、風も冷たくなった晩秋のある朝、ちょうど互いの家から出る時間が被った際、奴が何でもない顔をしたまま「おはよう」と言ってバス停へと歩き去っていった背中を目の当たりにして、俺はようやく現実を悟った。
呼び止めて「後ろに乗ってくか?」とは訊けなかった。
あたかも見えない何かで隔てられているように奴の姿を遠くに感じた。
やっぱり俺への怒りと失望は大きかったんだろう。
無理にでも会う時間をねじ込んで、俺は奴に言うべきだった。
俺の謝罪を。
隠した本音を。
だが、しなかった。
だからとうとう見限られ、ただの幼馴染みの花垣君になったって事なんだろう。
気持ちも距離も宙ぶらりん。
スマホでやり取りしてる分、遠くにいる久保田さんの方が今は親しいくらいだ。
俺は家の前の路上に突っ立って、そんな苦くやるせない衝撃を味わったのを覚えている。
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