第77話 不器用な口先

 ややあってどちらともなく離れた。

 向こうからしてきた時とは違って唇を押さえて微かな恥じらいを見せるゆめりは、まさか俺がこんなクズ野郎だとは思いもしなかったに違いない。きっと小さくない失望を抱いただろう。

 ゆめりはしばらく俺の顔をちょっと睨むように凝視したまま無言だった。

 俺も、先に何かを言う資格がないかのように口を噤んでいた。


「言った通り、もう訊かないわ」


 ようやくしての静かな声に苦さを抱く俺がうんともすんとも言えず後味の悪さを感じていれば、奴は徐に入口の扉を開けた。


「委員の仕事あるんでしょ。あたしは先に帰ってるわ」

「……わかった。正直、怒るかと思った」

「怒ってるわよ。でも、自分から言い出した結果だから我慢してるの」


 にこりともしないゆめり。俺は目を逸らして廊下に出た。


「じゃあ行くから。気を付けて帰れよ」

「そっちもね」


 どこか消化不良のような気分のまま美術室を後にする。

 今度はもう止められはしなかった。

 奴の視線を背中に感じつつ廊下を少し歩いた所で、俺はふと足を止めた。


「劇の感想、言い忘れてたな」


 ご機嫌取りじゃないが、本当に良かったと伝えたかった。

 周知の童話がベースとは言え、あいつは自分の台本に役柄を理解する上での書き込みが、台詞と台詞、台詞とト書きの間にびっしりしてあった。

 あの、奴なりの解釈や感情を織り交ぜた世界に一つのオリジナルな台本を見ていたから、演劇に必要な筋トレや基礎が大事な発声練習に励んでいた姿を知っていたから、奴の努力を一番近くで見ていたからこそ、俺は感動を伝えたかった。

 こういうのは早い方がいい。

 しかし、だが、今戻る勇気が出ない。

 意気地のなさが災いして迷っていると、開いている窓から一迅の強い風が吹き込んで俺の髪や制服の襟を揺らした。

 上空の大気が不安定で急激に天気が崩れそうになっているのか、湿った少し涼しい風だった。


「予報だと明日って言ってたのに」


 と、スマホに着信が入り、それが久保田さんからの「今どこ?」メッセージだとわかる。

 よくよく時間を確認すれば、集合時間をやや過ぎていた。


「やべっ」


 さすがに焦る。俺はこの都合の良い義務にかこつけて、引き返さず急いで集合場所へと向かった。


 きれいに花火が打ち上がっていたのが嘘のように、その夜は本降りになった。

 委員の仕事を終えてから帰路に就いた俺は降り始めの雨に少し当たったが、先に帰ったゆめりはたぶん降る前に帰宅しただろう。

 それでも気になって大丈夫だったかラインを送ったら、すぐさま平気だったと返信があった。

 加えて、明日は別々に行こうとも。

 正直、何となく顔を見るのが気まずいのもあって、俺も俺で微かな安堵と共に了解の旨を返した。


 俺たちは見事なまでに両片想いだ。

 歪で不格好な相愛だ。

 だが恋人同士じゃない。ならない。

 かと言って恋人未満でもない。

 または、ただの幼馴染みでももうなかった。





 翌日、学祭二日目。


 未明のうちに雨が止んだもののまだ雲が広がる空を見上げ、俺は早朝の自宅玄関を後にする。

 苦労なくチャリを漕いで一人登校すると、クラス前の廊下で久保田さんと出くわした。

 一日目同様俺よりも早く来て諸々の準備をしていたらしい彼女は、ほうきと塵取りを手にちょうど廊下に出て来たところだった。

 昨日の花火終了後の実行委員総出のゴミ拾い時は、俺は集合時間に遅刻してしまったというのもあって、久保田さんとは最後の解散時にしか会えずろくに話もしていなかった。

 本人に直接友達とどうなったか訊いてみたかったものの、一緒にいたという証言を得ていたし、部外者の俺がこれ以上首を突っ込むのも気が引けた。

 加えて昨日恋人予約を口にした彼女にどういう態度を取っていいのかもわからない。

 だが俺の心配を余所に、久保田さんは至って普通だった。


「おはよう松三朗君。昨日はお互いにお疲れ様だったね。あと色々とありがとう」

「お、おう、おはよう」


 傍から見れば俺だけ一人妙にギクシャクとしたものになっていたに違いない。


「もう、変な顔しないでよ」

「ああいや、悪い」

「まあしょうがないか。そうだ、友達とは大丈夫だった。松三朗君にはホントのホントーに感謝してるからね!」

「いてっ」


 ばしりと二の腕を叩かれ摩りつつ彼女を見やれば、俺の視線に気付いてにこっと微笑んだ。


「昨日の提案は先の話だし、今は気になるだろうけど気にしないでほしいな」

「いやそういうわけには……」


 何故なら俺の答えは出ていた。

 ただこの場で言うべき内容でもないので、どう言葉を切り出せばいいのか悩んでいると、それすら見越した久保田さんは一歩引いた。


「さてと、込み入った話は後でね。今日もお互い頑張ろうね」

「あ、おう……」


 箒ごと右手を軽く持ち上げて俺にエールを送るとひらりと回れ右をする。

 そのままクラス前の廊下の掃除を始めたので、俺も荷物を置くと彼女に倣って備品の確認に勤しんだ。


 その日実行委員では受付をやったり、クラスの手伝いをしたりモブ男を見習っての美術部展示の留守番をしたりした。

 終了後はクラスの後片付けをしてから再度部活の方に顔を出した。

 夜までやっていた一日目よりも終了時刻が午後三時と随分早いのは、片付け時間を設けるためだろう。朝と帰りとクラスの点呼もあった。勿論片付けはHR解散の後だ。

 クラスの片付けを済ませると部活の片付けにも入った。

 ここまできてようやく、今日俺はゆめりと一度も顔を合わせていないのに気付いた。

 珍しい事もあるもんだ。

 部員たちの展示作品を回収して仕舞い、セットしたパネルや間仕切りなんかを運びながらそんな事をぼんやり考える。

 同じ一年男子部員の仁科にしなと二人で間仕切りを運んでいると、その仁科が言った。


「なあ花垣知ってたか? 部長様の彼氏が書道部部長だって」


 この日一番の驚きと覚醒に、俺は思わず間仕切りを放り出しそうになった。

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