第76話 卑怯者のキス

 予算の関係もあるのか長くはない花火が終わると、校庭の人影はそれぞれにゆっくり動き出し散っていった。

 校庭中央の電飾はまだ点いているが、音楽はもう流れていないしじきに消灯されるだろう。


「綺麗だったわね」

「そうだな」


 三階の窓辺から校庭を見下ろし月並みな台詞しか返せない俺の横で、ゆめりは名残り惜しそうに煙の薄れる夜空を眺めている。


「俺ゴミ拾いとかの委員の仕事残ってるし、そろそろ行くわ」

「もう? そんなに急がないといけないの?」


 隣を離れようとすると、奴は引き留めるように俺の腕を掴んだ。


「まだ何かあるのか? ならせめて電気点けさして」


 例の件を切り出されるんじゃ……なんてヒヤヒヤしつつ平静を装うと、奴は承諾の意なのか手を離し、自らツカツカと美術室入口近くのスイッチの前まで行ってあっさり点けるや、トンと入口の柱に手を突いて俺が出て行けないようにした。

 う……。出入り口はもう一か所あるがそっちに行く気も失せる精神的拘束力の強さ。

 袋のねずみ気分を味わっていると奴は明るい室内灯の下、俺を試すように見据えてきた。


「ねえ、もしもあたしに秘密があったら、どうする?」

「は? 秘密?」


 唐突に思惑外の質問をされ怪訝けげんにする俺の脳内に、閃きの稲妻が走った。


「ま、まさかお前、行方不明のメシエ天体M一〇二を発見したのか!?」

「話を逸らさないで」

「すいません」


 前に星空を描きたくて参考に眺めた宇宙関連本によれば、メシエ天体ってのはフランスの天文学者シャルル・メシエが観測して位置などを記した星団や銀河のことだ。そのリストはメシエカタログと呼ばれ各天体には番号が振られている。

 その中のM一〇二天体は何故か表記されている位置に該当の天体がないという、何ともミステリアスな天体番号だったりする。

 一応その有力候補の銀河はあるみたいだが、行方知れずの天体とはいやはや好奇心をくすぐられる。

 そういえば中学の美術室にあった裸婦画のご婦人も、俺が三年に上がる頃にはいつの間にか姿をお見かけしなくなっていたっけ。どこに行ったのやら。ミステリーだ。

 察しの良いジャイアンさんが何だか殺気立って来たので、俺はちょっとピンク方面にシフトしかけた思考を軌道修正する。


 うーむ、こいつの秘密か。


 興味はある。

 だがしかし、興味本位で覗けばその深淵は俺を間違いなくメキョッと闇に葬っちゃうね埋めちゃうね!!


「お前の秘密なら、下手に手は出さねえよ」


 眉を撥ね上げた奴は、次にはその大きな目でキッと睨んできた。


「わかったわ。じゃあ次」

「次? 何だよ?」

「追及」


 ひいっ端的すぎて怖さ倍増!


「あんたはどうして人物画を描けないの?」

「――ッ!」


 描かない、ではなく、描けない。


 似て非なる言葉を選んだゆめり。

 ステージ上でのやり取りもあって、最早下手な言い逃れは通用しないだろう。

 中一の頃から今日の今日まで、そうと気づかれないよう誤魔化してきたのに。

 俺は両手を握り締めた。


「見ただろ。描こうとすると異常をきたすのを」

「ええ見てたわ。でもあの事信じてないのに描けないなんておかしいわよ」


 チクリと、胸の奥が痛んだ。


「そうなる理由はあるんでしょ。ステージでも何か言いかけてたわよね。あたしのせい?」

「……違う。別にいいだろ理由なんて。俺自身が拒絶してるから描けない、それだけだ」

「何ではぐらかすの? やっぱりあたしに関わるんだ。それに、そういうのって認識して向き合わなきゃ良くならないって聞くし」

「いいんだよ本当に」


 ゆめりは埒が明かないと思ってか嘆息した。

 このままここは諦めて引き下がってくれる……かと思いきや違った。


「やっぱりあたしのためよね。あんたはあたしを好きだから」

「は……はああ!? ちょッおまッ自意識過剰じゃねえ!? お、俺はお前を振っただろ!」

「でも好きじゃない。とぼけても無駄なレベルで」

「ぬぅ……っ」

「そんなのは実はずっと前からわかってたわ。現在進行形であんたはあたしを好きで、あたしもあんたが好き。これがあたしの秘密よ、あたしが持つあんたに関しての秘密」

「……」


 これ以上ない動揺の余り明確な否定の言葉も出て来ない。


「でもあんたはあたしとは付き合えないんでしょ。その理由がわからないのよ。心当たりなんて一つもないのに」


 一個もないはずあるかあああーッ!! 一体今まで俺の尊厳がどれだけ踏みにじられてきたかっ……と叫びたかったが叫ばなかった。


「そこだって何か理由があるんでしょ? もしかして描けない事とも関係があるの?」


 きゃー鋭いですぅ!

 ごくりと咽を鳴らした俺の様子にゆめりは両目をゆっくりと細くした。


「……あるのね」

「も、もうこの話はいいだろ。俺ホントに行かないと」

「駄目よ。そうやって逃げないで言ってよ。どんな酷い内容でも怒らないから。あたしが悪いなら改善するし」

「お、俺の心の問題であってお前に関係ないんだって!」

「なら言いなさいよ! 言わないと、おば様に言うわよ」

「な、お前……! 勝手な真似やめろよな」


 卑怯にも痛い所を突いてきた幼馴染みに俺も俺でついつい感情的になる。


「いいでしょ。あたしの勝手よ。ずるくても何でも知りたいのよ。好きだから」


 真っ直ぐな言葉に心が大きく揺れた。


「……しつこい。好きだからって何でも許されると思ってんのかよ。親とかに話したら怒るぞ。それにホントお前が悪いとかじゃないし……」

「ああもう往生際が悪いし嘘も下手ね。あたしのせいなんでしょ。そもそも言わないのがそうだって言ってるのと同義なのよ!」


 ああ何て気が強い女だよ。

 しかもその強権発動は俺限定と来ている。

 トラウマの原因は俺の弱さと依存の結果だ。

 そんな姿を知られたいわけないだろ。

 男として。


「一人で抱え込まないでよ!」


 カッコ良く思われたいだろ。

 大事な奴には。


「お前がどう思おうと描く気はねえんだって!」

「嘘よ! 時々物凄く描きたそうな目であたしを見てるじゃない!」

「なっ……」


 恋愛的な衝動を見透かされるよりも余程強烈な羞恥を覚えた。心の底に仕舞ってあった描き手としての欲望を無理やりさらけ出されたようで、言い様のない猛烈な屈託が込み上げカッと顔が火を噴く。

 俺には俺だけの絶対的に誰にも見せない部分があって、それがゆめりを描きたいって創作欲だった。まさか本人に見破られるとは思わなかった。


「おおっお前もう喋んなっ。ホントマジでもういいだろっ!」

「黙らないわ! 今日きちんと説明してもらうってば!」

「いい加減にしろ。何度も言わせんな。これは俺の問題なんだよ」

「あんたこそ観念しなさいよ。あたしを好きで描きたいくせに!」

「う、うるせえな! 本当にもう黙れっ!」

「だったら口でも塞いで黙らせてみたらいいのよ!」

「は」


 ゆめりはやけに真剣な目をしていた。


「ここであたしにキスしたら、もうこの件には触れないであげるわ」

「はッ!?」

「理由を死守したいなら、キスして」


 思わず唖然としてしまった。

 何てめちゃくちゃ過ぎる要求だ。

 まさかこいつの口からこんな台詞が飛び出すなんて思いもしなかった。

 ゆめりは一度目を伏せ、しかとまぶたを持ち上げた。


「好きよ、松くん」


 ドクンと、鼓動が跳ねた。

 その言葉が嬉しい半面憎らしい。

 見つめてくる良く知る瞳が俺を試している。

 思考のどこかで男を魅了する女悪魔サキュバスはきっとこいつみたいなんだろうなって思った。

 俺がお前を傷付けないって信じてるんだな。

 だが、理由を話せばこいつは要らない自責に駆られるに決まっている。

 傷付くに決まっている。

 だけど、キスをしても傷付けるだけだ。


「俺は……」


 ――知られたくない。


 距離を詰め、手を伸ばす。

 閉まったままの美術室の扉に手を突いて、俺との間にゆめりを閉じ込めた。


「理由はやっぱ話したくない」

「松く…」

「――ごめん」


 どっちにしろ傷付けるなら……。

 ブレーキや冷静な判断が鈍るくらいにいつになく動揺していた俺は、ゆめりのためだと自分に言い聞かせ、ゴミ屑みたいなプライドを選んだ。

 見開かれる双眸。

 触れた瞬間にどちらのものか、唇が微かに震えた。

 俺の中では後悔と歓喜と自己嫌悪がぐるぐると渦巻いた。

 ゆめりは抵抗しなかった。

 言い出した手前できなかったのかもしれない。

 揺れる瞳を伏せ、俺の選択を受け入れた。


 ともかく俺は、最低なキスをした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る