第75話 踊れない王子様

 ガラス越しに校庭から響いてくる音楽と賑わいは、暗い美術室内にも充分に伝わってきた。

 スピーカーから何曲流されたのかは知らないが、終われば次は締めの花火だ。

 俺を窓際まで引っ張った幼馴染みさんは、適温で冷房の効いている教室の窓をわざわざ開け放った。

 頬をくすぐる夜気に、今日だけは日常とは違う何かが含まれている気がした。


「お前なあ、びっくりすんだろ」

「あら、暗い方が花火綺麗に見えるでしょ。始まってからより前もって目を慣らしといて悪い事ないじゃない」

「まだ早えだろ。それにそういうのは事前に言えって。コケるとこだったぞ」

「にぶっ……」

「くっ、運動神経をお前基準で語んな」


 ダンスはまだ終わらない。

 あともう少しだとは思うが、スピーカーは音楽を奏でている。

 何とはなしに耳を傾け、ようやく暗さに目が慣れたところで、奴がじっとこっちを見ているのに気付いた。

 俺の手元辺りを。

 何で手元?


「あんた、手、どうかしたの?」

「手?」

「さっきからずっと右の手首触ってるから」


 あー……。ついつい気になって触っちまってたよ。

 暗いのに目敏めざといな。


「や、さっきちょっと痛めてだな」

「利き手じゃない。ちょっとー、絵を描く人間が気を付けなさいよね?」

「だよな。気を付ける」


 今後は誰かを殴るなんて経験がない事を願いたい。

 奴が案じるように、更には探るように見てくる。


「……ねえまさか、屋上で?」

「え」


 んとにこいつはエスパーか! 敢えて詳しい言及を避けたのによ。だが不意打ちにぎくりとした俺も俺だ。

 奴の眼差しが俺の反応を怪しむように細められる。


「本当に委員の見回りだけで屋上にいたわけ?」

「そ、それは……」


 ぎゃひぃっ鋭い! 久保田さんの告白とかちゅーとか、追跡者藤宮24時!とか、秘められしオネヤンのフォースとか、ヤンキーズとの攻防とか、屋上では短い時間で事件がてんこ盛りだった。

 何も知らない奴に仔細を告げる気はないが、ここで下手に何もないと誤魔化すのは至難の業。


「ヤ、ヤンキーの先輩たちとの話し合いの場を設けてた」

「ヤンキーて、夏の?」

「ああ」

「はああ!? あんたまだあの類人猿たちに関わってたの!?」

「類人猿? ……いや、話せば拳語が通じたって」

「それで痛めたって事なの?」

「いやそのー……」

「んとにもうっ、実行委員が喧嘩してどうするのよ。しかも風紀を見回る担当者が。委員失格よ!」

「だっだから違うって、それに未遂だ未遂。二人共チョロヤンだったし、オネヤンとか藤宮のおかげで和解できたし」

「……二人も一緒にいたのね」

「そう、だからこそ無事に生還できたんだよ。今後はもうちょっかい掛けられる心配もねえと思う」

「ふうん! そうなの! 良かったわね!」


 何だか不機嫌さに拍車が掛かったようだが、過ぎた事に文句を言っても今更無意味とでも思ったのか、矛を収めたようだった。


「手はホントに平気なの?」

「まあな」

「ならいいけど。動作に違和感があるなら病院行くのよ」

「わかったよ」

「じゃあ、はい」


 お小言を収めたジャイアンさんは、何を思ったか俺の方へと掌を突き出す。


「何だよ? 生憎アメちゃんは持ってねえぞ?」


 残念ながら佐藤からもらった分は消費したしな。


「違うわよ」

「ハッまさか金銭の要求か!?」

「もっと違うわよ!」

「じゃあ何か? 女医さんのふりしたお前が俺の手首診るっつーお医者さんごっこか?」

「馬っ鹿じゃないの? 何歳よあんた」

「十六ですが何か?」


 暗順応した事で奴の表情も大体見えるもんで、地味にイラッときたのか目元をヒク付かせたのがわかった。


「ハハハ冗談だ冗談。だから俺がドクターXYZになって今からお前を診察してあげうぼへへぼ」


 ハイ両方のほっぺに見事なゆめり万力装着でーす。


「わざとらしくはしゃがなくたっていいわよ。日中の件、あたしから色々と追及されるのが嫌なんでしょ。不自然なテンションされてるとこっちが疲れるから、いつも通りにしてほしいんだけど」

「……」


 何だよ、お見通しかよ。

 自分の間抜けさに思わず溜息が漏れる。

 こいつの慧眼けいがんにはホント参る。ぶっちゃけどんな顔をしてこいつに会ったらいいのか、花火見物の約束をしていいのかって躊躇いはあった。

 ただ俺が気にし過ぎてんのか一見した所ゆめりはいつも通りだ。


「まあいいわ」


 バツが悪いそんな俺を眺めつつ、奴は気を取り直したようにまたもや掌で何かを催促してくる。

 俺は本気でわからず、悩んだようにその手を見つめた。


「いや、わかんねえんだが、何なんだよその手?」

「――踊るの」

「は?」

「だから、踊るのよ。まだ音楽鳴ってるし、ついでだし、いいじゃない」

「いやその理屈無理やりだろ。俺はダンスは苦手だっつの」

「どうせ誰も見てないから壊滅的に下手くそでも恥ずかしくないわよ」

「そこはちょっと励まして!? それに確実に一人は目の前にいるし」

「あたしならいいじゃない。嫌なわけないわよね」

「何故にいだけるその自信……! 進んでみっともない姿晒すなんて嫌に決まってんだろうが」

「あんたのこれ以上どこをどうみっともなくできるのよ? いいからほら手」


 全く天上天下てんじょうてんげ唯我独尊ゆいがどくそんだな。

 改名したらいいんじゃないか? ゆいがど くそん……とかに。


「いでででででっ」


 いつもの如く俺の無礼千万思考の察知スキルを発動させたジャイアンさんは、手を取りぎりぎりぎりと強く握り込んでくる。ついさっき大事にしろって言ったのはどなた!?


「花垣君一曲いかが?」

「台詞と行動のちぐはぐさ! 俺は踊んねえぞ」

「ああほら、もう音楽終わっちゃうじゃない」

「いやだから、え、ちょっ」


 挙句は両手を取られ音楽に合わせ引っ張られる。いつになく強気な奴の調子に巻き込まれて、危なっかしいステップを踏まされる。右に左に前に後ろに、よろけそうになりながらも動くしかない。


「いや待てってマジ待って待って足踏むっ足踏むから……!」

「ぶふっ、あんたのそれ全っ然踊りじゃないわよね」

「お前がやらせてんだろーがあああっ」


 自分でもダンスになってるとは思ってない。

 羞恥で顔が熱くなる。

 だがカラコロ何か楽しげに笑うから、怒るにも怒れず仕方がなく様にならない動きで付き合ってやった。

 足をもつれさせて一緒に床に倒れ込みラッキースケベでドキッ!……なんつー神展開は欠片もなく、暗闇の美術室、ダンスをろくに踊れない俺に不満も見せず、マイペースな幼馴染みは俺を物心両面で振り回しあそばしている。

 ほほ、ふざけた展開ですこと。

 だがまあいいか。

 適度に体を動かしているせいか段々俺もどこか楽しくなってきて、小さい頃ならまだしもこの頃じゃ絶対やらないような馴れ合いに興じた。

 どんな童話にだって出てこないような、不格好なダンスを。

 とは言えものの数分で音楽は終わって外は静かになる。


「終わっちゃった」


 満足したのか、そう言ってあっさり手を離した奴は、窓辺から夜空を見上げた。

 花火を今か今かと待ちわびる無邪気な子供のような上機嫌な横顔に、思わず苦笑が零れる。

 普段怪獣過ぎてついつい忘れがちになるが、ツンとしてたり虐げてきたり虐げてきたり虐げてくるこいつも、こういう部分じゃ普通の女の子なんだよな。

 その横顔がパッと上空の光に照らされた。

 すぐ近くなので花火玉の破裂音も遅れることなく同時に聞こえる。


「おー、始まったな」

「うん。綺麗ね」

「だな」

「ね」


 夏祭り程には大きな花火じゃなかったが、距離も近いし十分だった。

 日中は残暑がまだ厳しいが夜風は相対的に少し涼しい秋口の今日この頃、薄ら白や赤や緑に色づく俺たちは、揃って束の間の夏の風物詩を味わっていた。

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