第63話 道化とステージ4

 シュールなひょっとこ姫の出現に会場もマジで静かになった。

 部長様も依然貼り付けたような道化スマイル全開でじっと俺たちの方を見ている。

 ……もしかして仲間見つけたとか思ってないですよね?

 そのうち、観客や演劇部員の中には徐々に口元を押さえて肩を震わす人間が出始めた。

 俺にもその気持ちは理解できる。

 まさかゆめりはこのステージを笑いに転化させようと?


「お前、何考えてんだよ」


 溜息のような言葉だった。込み上げた可笑しさは確かにある。だがそれよりも苛立ちとも困惑ともつかないもやもやした感情が渦巻いていた。

 ひょっとこ様になろうが何だろうがその姿をキャンバスに写し取る作業は、緑川ゆめりを描くってのと同義だ。


「だって見てられなかったのよ」

「だからってんなフォローまで必要ねえだろ」


 俺の失態なんて放っといてよかったんだ。

 段取りにない動きしてお前まで前座台無しにしてどうすんだよ。

 言いたい言葉を我慢して、さも迷惑そうな言い方になったせいか、奴は荒い動作でお面を外す。


「何もしないでハイ五分~なんて勿体ないじゃない。五分あったら英単語二十個は暗記できるわよ」

「二十!? 出来ねえよ! 記憶力選手権出場常連なのかお前は?」

「何にせよ、出し物のステージなのに黙って立ってるわけにもいかないでしょ」


 そう言われたら何も言い返せない。


「……前座を台無しにして悪かったな」

「はあ? 逆でしょ。前座が貴重なあんたのステージを台無しにしたのよ」

「…………」

「何も起きないわ。だから怖気付いてないで人物描きなさいよ。まだ時間はあるし」


 ゆめりは適当に一本スプレー缶を手に取るとそれを差し出してきた。

 俺が一歩を踏み出す勇気をくれようとしている。

 ……怖気付く、か。

 あながち間違ってないが、根本的な解釈が違う。

 別に三流ホラー的な何かを不安視しているわけじゃない。

 ライトの下の白雪姫は無理強いするでもなく手を差し伸べてくれている。


「お前は本当にいいのかよ? 俺がお前を描いても……?」

「いいからこうしてるのよ。あたしはあんたになら……いいわ」


 どこか恥ずかしそうな、全てを受け入れる笑みが目の前にある。

 こいつは本当に怖くないと、嫌じゃないと、達観したんだろうか。

 俺は俺の無様なトラウマを克服できるのか?

 人前での大事な前座でここまでしてくれて、冗談や嘘には思えない。

 見えない何かに導かれるように俺は右手を持ち上げて――……。


「……っ」


 缶まであと僅か数センチ、と言う所でその動きが止まった。

 いや、止めざるを得なかった。

 俺が俺の意思――人物を描くつもり、と認識した途端、震えが襲ってきたからだ。

 やっぱ、そうか。

 無意識下では、俺は未だにこいつを信じられないらしい。


「悪いけど、描かねえよ」


 最初の震えを前動作と見せかけて、奴の手にあるスプレー缶を上から押し下げるようにして掴んだ。不自然に見えなかっただろうか。俺は引き攣った表情を隠すためにも深く俯いて顔を逸らした。


「描いて」

「描かん」


 ゆめりの気配が尖る。


「描いて」

「描きません」

「描きなさい」

「描かない」

「描け!」

「描かねえ!」


 会場内は突如として始まった描き手とモデルの幼稚な口論に呆気に取られたようだった。皆それが一つの演目の佳境とでも言うように注目し、俺たちの台詞の一つも聞き逃さないように耳を欹てている。

 俺も奴もすっかり周囲を忘れ、言い合いをヒートアップさせていた。


「いいから描きなさいよ。五分過ぎるわよ」


 一向に動かない状況に業を煮やしたのか、ゆめりは別の色のスプレー缶を手に取ると押し付けてきた。いやいや色の問題じゃねえから!

 一方、触れた金属の冷たさに俺は思わずその手を振り払った。


 明確な拒絶に大きく目を見開いたゆめりと目が合う。


 ハッとしたと同時に、中身がほぼ満タンのスプレー缶がゴトリとやや重い音を立ててブラックシートの上に転がった。

 俺の足にも奴の足にも落ちなかったのは幸いだ。

 会場は水を打ったような静けさが続いている。

 注目される中、ようやく我に返った俺は奥歯を噛みしめた。最悪だ。


「強引にして悪かったわ」


 やってしまった暴挙。いつもなら真っ先に何らかの鉄拳制裁が飛んで来そうだが、予想に反してゆめりは自分に非があるというような様子でいた。

 な……、そんなしおらしさ反則だ。いつもの唯我独尊様はどこ行ったよ。

 先に謝られ、自身の過剰反応を謝る機会すら逸した俺は立つ瀬がないような気持ちになった。


「だけどあんた昔から迷信とか怖がるようなタイプじゃないでしょ。中学の時だってあれ以来自画像描いてたじゃない。今もちゃんと生きてて全然平気だし、意地張ってないでほら」

「あれは自分だったから、描けたんだよ」

「……描けた?」


 あの件からこっち、描かなくなった人物画の例外として俺は自画像を完成させている。

 美術の授業の課題だったんだから仕方がない。

 何か違和感があったのか、奴は急に神妙な顔つきになった。


「今の、どういう意味? 描けたって言い方、どういう論点での可能不可能の話なの?」


 しまった。

 言葉の選択と言うか話の方向を間違えた。

 他のやつならスルーしたというか気にも留めなかった微妙なニュアンスを、奴は嗅ぎ取ったに違いない。


「……単なる言い方の問題だよ」

「――嘘だわ」

「……ああそうかもな」

「なっ」


 俺はゆめりを無視して腕を上げた。噴射されるスプレー音が上がる。

 ここで何を言った所で、足掻けば足掻くだけ奴の前では墓穴を掘るだけだとわかっていたからだ。


 だって、知られたくない。


 俺は傍から見たら鼻で嗤われるくらいの些細な失望でこんな風になった。

 心の弱い男だと憐れまれるのは御免だった。

 それに、原因を知ったらこいつはきっと気にする。

 知られないためには半分現状を見せるしかないと、そう思った。


「そうやって誤魔化すのは何か理由があるからよね。あたしに関わること?」


 さすがに鋭い。


「ゆめりには関係ない」


 奴は一瞬言葉に詰まったようにぐっと咽を鳴らした。


「関係ない? そうやって逃げようとしないでよ。あんたがどう思おうとあたしはあんたの問題に関わりたいのよ! ……諦めないって決めたから」


 何を、とは言っていないがわかった。

 諦めない、と口にした時だけ奴は頼みの綱のようにドレスをキュッと握り締めた。

 両想いのジンクス持ちのそれを。

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