第61話 道化とステージ2

 予期せぬ形で立つ運びとなったライブペインティングのステージ。

 だが俺は自分でも意外に感じるが、前向きだった。いつもはじっくり孤独に仕上げていくから、賑やかにも観衆の前で即席とは言え自分の生の作品を披露できる機会なんてそうそうない。貴重な経験になる。

 さっきまでステージの主だった吹奏楽部はステージ下に移動している。

 下りた小豆色の幕の向こう、会場からは絶えずがやがやとした喧騒が漏れ聞こえてくる。

 この幕が上がる頃にはもう三人だけだと思えば、部長様のおかげで少し和らいだ緊張がぶり返した。一方顧問は俺の心を知ってか知らずか、親指を立てニッと太い笑みを浮かべた。


「ま、気楽に行け気楽に。失敗は成功のもと!」


 いやさあ俺たちの成功を信じてッ! それ何かやらかした後のフォローですよね!?

 俺も先輩二人も片頬がヒク付いた。


「僕がいつかそのバンダナの下のアフロを美しくむしってそして、芸術に昇華させてやる」


 三年の先輩が高尚な理想をボソッと呟いた。大いに賛成賛成。

 とまあ、新たに残酷で斬新な野望が生まれたとも知らない顧問は、時間だからと他の部員を引き連れて去って行く。

 照明がやや落とされたステージ上で俺はそわそわとしつつ心臓の辺りを押さえた。

 バクバクバクバク。

 先輩達を見ると、彼らも似たような様子だった。汗ばんだ掌を服に擦り付けたりしている。


「おっ待たっせしました~。ただ今から美術部によるライブペインティングを行いまあ~す!」


 マイクがキーンとなりそうでならない絶妙ハイテンションなアナウンスが流れ、幕の向こうの観客たちが静まるのがわかった。

 てかあれ? 部長の声じゃないな。

 音もなく上がっていく幕と引き換えに、客席は次第に暗くなった。

 ステージに程近い客席横の司会席が、パッとスポットライトで照らし出された。そこには空気中の小さな塵さえ照らす強い光を浴びながら、マイクを持った道化部長様が佇んでいる。

 え、あれ、部長しか居ないぞ。じゃあさっきのアニメ声は誰が?

 と、ステージ上の俺たちにも一斉にスポットライトが当てられた。

 眩しいのは当然だが、案外ライトの下っつーのは熱を感じるんだと知った。


「この三人が美術部代表でパフォーマンスを見せてくれま~っす! さてさて紹介しておきますと~、ステージ一番左が三年の――……」

「は……?」


 道化が出演者の紹介をしながら壇上に上がって来た。思わず小さく呟いた俺は俺で呆然とその肉声を聞いていた。

 だってさあ、この声部長様のお声なのおおお!?

 知っているはずなのにまるで知らないコミカルな高い声色に、俺は驚嘆を通り越して戦慄した。何か使い所が違う気もするが、化粧一つで女ってこんな変わるのか……。

 学年順なのか紹介された先輩方は自己アピール。つっても頑張りますとかだが。俺も無難にそれで行こう。


「さて最後に美術部期待の星、一年の花垣君で~す」


 ぶ、部長おぉ~っ、期待の星とか、無駄にハードル上げないでっ!

 俺はちょっと照明が眩しかったフリをして少しだけ顔を俯けた。

 視界にぬっとマイクが現れる。内心やや驚いて顔を上げると目の前には道化がいて、目も口もにんまりさせている。


「花垣君、意気込みの程は~?」

「が、頑張ります」

「その意気だよ~。さてさて彼らには二枚描いてもらいます。一枚目はそれぞれ左から富士山、モン・サン・ミシェル、万里の長城ってお題で~っす。制限時間は五分。その間吹奏楽部が演奏してくれるので、耳はそちらの方、目はステージへとお願いしまあ~す」


 プレッシャーを感じないとは言わないが、よっしゃ一丁気合い入れてやるか。


「では~始め!」


 吹奏楽部の演奏曲は、剣の舞。

 その選曲、何でだよ……。

 よりにもよって無駄に人を焦らせる速いテンポの曲って。しかも短い曲だから二度も演奏された。

 だがまあ究極に急かされ集中と言うか夢中で描いた五分が終わってみれば、縦長に使ったキャンバスの中には一応モン・サン・ミシェルに見えるもんが出来ていたからホッとした。ステンシルとフリーハンドの塗りを俺の感覚で重ねた一作だ。

 部長が観客からのコメントを拾っての嬉し恥ずかしミニ品評会を経て、後半突入だ。


「え~、次は楽しいゲストの登場で~っす! では皆さんお願いしま~す!」


 部長の合図と演奏と共に演劇部員たちが登場した。

 王子や小人、森の動物たち、悪い魔女などなど、メイク済みの役者たちがステージに並ぶと、色取り取りの個性にひときわ会場が沸いた。この盛り上がりだと次の演劇部の公演にいい感じで繋げられそうだ。

 ん? 白雪姫だけいないな。あいつもしかしてこの前座には出ないのか?

 何だか残念なようなホッとしたようなよくわからない気分でいると、整列していた演劇部の列が左右に割れた。


「――それでは、お題の登場で~す!」


 道化が一際大きな声で宣言する。


 お題の……登場?


 開いた列の中央を通って一人の美しい少女が姿を現した。

 雪のような白い肌、銀河の果てのような黒い髪、その銀河をちりばめたような瞳、林檎のように赤く色づく唇とそれよりは淡い頬。

 注目しないわけにはいかない華やかなドレス。

 演劇部に根付くジンクスが一瞬俺の脳裏を過ぎった。

 観衆の誰かが感嘆を込めて「白雪姫だあ」と声に出したのが聞こえた。主役のお姫様の登場にまたもや会場内は盛り上がる。


「ゆめり……」


 無意識に名を口にする俺の視線の先には、紛れもなくよく知る幼馴染みがいる。

 背中に下ろした長髪はコテでちょっと巻いたのか緩やかな内巻きでふわっとした仕上がりになっている。

 好意的な衆目を一身に集める彼女は宣伝も兼ねて誇らしげに微笑むでもなく、まず初めに俺の姿を見て表情を曇らせた。

 と言っても傍目にはそれほど露骨な変化はない。あ、少し表情固いかなくらいにしか思われないだろう。俺たちの間だからこそ気付くものだった。

 その目には何故か案じる色がある。

 驚いた様子はなかったから、急な代役が俺だって既に知っていたんだろう。

 だがそこまで心配か? 杞憂だぞ。きちんと一枚目を完成させた今のこの俺に不足はないぜ。


 そんな俺はお気楽にも「お題の登場」の意味を考えていなかった。


「三人には本日演劇部が上演する劇、白雪姫から――白雪姫を描いてもらいま~っす!」


 ……え?

 今、何て?


 一瞬にして呼気が引き攣った俺は、呆然として部長様の能天気な声を聞いた。


 白雪姫を、描く。


 それはつまりドレス姿の奴を――緑川ゆめりを描くって事だ。


 何でよりにもよって?


 俺が描くとその相手は死ぬかもしれないのに?


 いやいやそんな馬鹿げた話を俺自身信じてはいない。

 だが俺は動けず立ち尽くしている。指先が冷たくなっていく。描き始めてもいないのに耳の奥で砂嵐のようなノイズが聞こえ始める。強い上昇気流にどこまでも地面から舞い上がる砂埃みたいに、俺の思考も現実から乖離かいりして行くようだった。

 ああ、だから部長様は無理はしなくていいって言ってたのか。部長同士の打ち合わせか何かで、内容を知ってたんだろう。部活中も俺が人物画を描かないって薄々気付いていて、けれど今まで何も詮索はしてこなかった。

 まあ俺にミジンコ程の興味もなかったってだけですけどね!


「冗談じゃ…ねえ……」


 呻きが漏れた、弱音と拒絶と混乱がない交ぜの。

 背中にじわりと嫌な汗が滲む。

 奴は本気で心配そうにやや眉尻を下げ「松くん」と口の中で呟いたように見えた。


 ……何でお前がんな顔するんだよ。


「さあ、それでは制限時間は五分。いざ、開始~!!」


 見事に道化になり切っている部長が、とんでもなく明るい声で宣言した。

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