第60話 道化とステージ1
「あれ? 松っちゃん委員の仕事じゃないの?」
教室に戻ると、ちょうど下げた食器を手にホールから引っ込んだ岡田が不思議そうな顔をしてきた。
「いやさ、今顧問が来て美術部のステージ代役で俺が出る事になった。だから委員の仕事は時間変更になったんだよ」
「何時からだっけ美術部?」
「二時半」
「やった! その時間なら非番だから観に行けるよ!」
「別に来なくていいって」
すると岡田は深くショックを受けた奥様のように、両目をぱかっと見開いた。
一時停止画みたいな感覚に陥りかけたが、お盆に載ったグラスが滑り落ちそうになったので錯覚だとわかる。
「わあっと危ない危ない~」
今日クラスで一番危ないやつは間違いなく岡田だが、こいつは神懸かった反射神経でグラスをキャッチ。脇にある洗い物入れに回した。
そして俺から視線を逸らし、どことなく儚げに笑む。
「ねえ松っちゃん、今僕友情の危機を感じてるよ……」
「え、いや観に来てくれんならそれはそれで嬉しいって。気恥ずかしかったんだよ」
すると岡田は美白ライトを当てられた美容関連の奥様モニターのように、ぱああっと顔を明るくすると、星を
「松っちゃん……!! 僕今とっても実感してるよ!」
「へ? 美白を?」
「僕たちの間に恥じらいなんて要らないって事をだよ! 僕、松っちゃんの与えてくれる刺激的な時間を楽しみにしてるからね!」
「え、いやそんなに期待するなよ、俺もその、初めてだし……。まあ俺なりに頑張るけどな」
「あ~何か照れてる~。松っちゃんって案外可愛いとこあるよね」
「うるさいっての」
声だけは筒抜けだったらしく、また一つ、新たなコスプレ喫茶BLが語られる羽目になった。
時間になったので体育館へ行くと、吹奏楽部の演目が終わり観客の入れ替えも兼ねての休憩時間が始まっていた。
裏手から今は幕が下りている舞台に上がれば、既に顧問と美術部員たちの姿がある。
「おお来た来た。急だったのに済まんな」
「いえ、これも学祭を盛り上げるための実行委員の仕事の一つと思えば」
「わはは感心だな」
何故かこの場いた道化姿のやつも、代打の到着にどこかほっとしたような様子を見せた。
っつか何で道化?
よく見れば、肩に掛けたタヌキいやいやタスキにわかり易く「司会」と書かれている。
そうか、この人司会か。
美術部員たちと段取りの確認をしていたらしい。某ハンバーガーショップのマスコットキャラよろしく顔を白く塗ったくってまで徹底した道化メイクを施し、ダボついたカラフルな衣装を着た司会者は、俺のすぐ傍に来た。
「え、な、何か?」
「花垣君、代役を受けてくれてありがとう」
「あ、はあ」
うーむ、司会って確かうちの部長様じゃなかったか?
でも何だかこの道化の声に聞き覚えがある気がする。
わたくしがよくよくお姿を拝見致しますと、その高貴なお顔立ち、そして少々奇天烈なお衣装では到底隠し切れない洗練されたスタイルが滲み出ておりました。
「……――ぶ、部長おおお~!?」
指紋認証、瞳認証、遺伝子鑑定なんてしなくとも、間違いなく我らが部長様だった。
「あらやだわからなかった?」
「ま、まあそのメイクじゃさすがに……」
「やっぱりそうなのかしら。司会だって言ってあるのに私から教えないと誰も気付いてくれなかったのよね」
デーモン様とまでは言わんが、部長様の面影一切ないもんな。
彼女は時間を気にしたようにスマホを確認すると、セッティングが終了しつつある長方形の大きな白いキャンバス(この場合は適した厚紙)とスプレー缶の入った段ボールを示した。
それが全部で三組あって、俺が促された場所は真ん中。
「あの俺、端でいいんで」
「わはは遠慮するな花垣。ピンチヒッターには特等席だ」
「先生、マジでそれは遠慮したいんですけど、先輩達だって真ん中で描きたいだ…」
「僕は端で、いや究極に隅っこでいい!」
「私も! 目立つの苦手だし!」
出演する三年男子と二年女子の先輩が食い気味に主張してきた。
おいおいじゃあ何で出演しようなんて思っ……ああ、合同打ち上げのためか。
後輩たる俺が渋々受け入れると、部長様が会話を引き継いだ。
「手短に説明するわね。キャンバスは縦横好きな方で使って。スプレーと一緒にマスクやビニール手袋なんかも入れてあるから、そこは付ける付けないは自由にして頂戴。あ、でもエプロンは使った方が無難かもしれないわね。それから仁科君が用意してたステンシルも入ってるから、それも好きに使ってね」
「わかりました」
スプレーアートではステンシルを使うと綺麗に楽に形が取れる。幸い、仁科は修道院の形をトレースしてくりぬいたものなど、幾つかの使えそうなステンシルを用意していた。部長様に良いとこ見せようって張り切ってたからなーあいつ。
汚れ防止のため周囲にはブルーシートの黒バージョン、ブラックシートが敷いてあった。ブルーだと汚れも目立つし照明映えも考えて黒にしたんだろうな。
「お題はあるけれど、鳥や花なんかを入れてアレンジしてもいいから、そこは花垣君の自由にしてね。あとこれ、一応モン・サン・ミシェルの写真ね」
「あ、はい、ありがとうございます」
部長様ピエロは小脇に抱えていたファイルから一枚の紙を取り出して俺に手渡してくれた。おそらくネット画像をプリントアウトした物だ。
正直、海の上の茶色い城みたいな漠然としたイメージだったから助かった。
少し雲がかかった薄青の空の下、古い薄茶の石造りの建物や尖がり屋根が不規則に林立している。潮の満ちている時刻に撮られた孤島は、あたかも現世に顕現した海上の異世界のようだった。そこには、一度実際に行ってみたいと思わせる歴史と文化と不思議という魅力が詰まっている。
「他に何か訊きたいことはない?」
「多分大丈夫です」
「そ? リラックスして伸び伸びやってね。だけど……無理はしないでいいから」
「えーと? まあ、はい」
無理? 何だか意味深な言い方だな。
部長は他の出演者にも同様の声掛けをして、スタンバイOKになったステージを一度眺めた。
「描いてる間は演奏もあるし、後半は演劇部の子たちが袖から出て来るから、驚かないようにね。じゃあそろそろ始まるし、あとはよろしく」
皆に向けてそう言って、俺の前を通り過ぎた部長はふと肩越しに一瞥してきた。
「――あ、先に私だって気付いてくれたのは花垣君が初めてだったわよ」
「へ?」
声量を落としてくすっとして透明感ある吐息で笑った道化な彼女は、舞台袖へ颯爽と去って行った。
……どんな恰好でもホント華があるな、あの人。
やはりどこまで行っても部長様は部長様なのでありました。
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