第59話 思わぬ依頼
コスプレ喫茶はクラスの皆でローテーションを組んで運営している。食べたい物や見に行きたい演目なんかが各自あるだろうからな。
今は昼過ぎで、もうあと十分もすれば十三時だ。
俺は自クラスの喫茶店で昼飯を済ませていた。売り上げに貢献ってわけだ。
演劇部のステージは十五時開始。
今からその直前まで実行委員の当番がある。警備の厳しい昨今、校門横で当番の教師と共に来場者のチケット確認と学祭のパンフレットを手渡すのも実行委員の仕事の一つだった。
同じ受付当番の久保田さんとは現地集合の約束をしてある。彼女はそれまでクラスの方も非番なので、友達と色々見て楽しんでいるに違いない。
クラスメイトに声を掛け教室を出ようとしたところ、俺は意外な来訪者に声を掛けられた。
「ああ良かったここにいた。花垣ちょっといいか」
美術部顧問だった。
「え、どうかしたんですか? 展示に何か問題が?」
「ああいや、そっちは問題ない。予想以上に盛況だよ」
中年の男性美術教師は嬉しそうに笑った。それは重畳。
でもじゃあ一体何の用かと、見当もつかずに俺はキョトンとする。
「いや~実はな、
仁科っつうのは同じ美術部の一年だ。
クラスは違うが部長様を崇拝する同志として、互いに手堅い友情を感じている。
先生は休めの姿勢で腕を組み、苦笑いを浮かべて顎を撫でた。
「……あいつがどうかしたんですか?」
月に
順調に進んでいた学祭の歯車が、やや狂い出したのかもしれなかった。
「――腹痛で出れない、ですか」
「そうなんだよ。友人と大食い競争して屋台のメニューを片っ端から食べまくったらしくてな。ちょうど来てた親御さんと一緒に帰らせた」
小学生かよ仁科……。
俺を廊下へ連れ出すとそんなプチハプニングの報告をくれた顧問は、普段見せている芸術的なアフロをきっちりバンダナに押し込めて図々しくも普通人然としている。頭でツバメを飼ってるって噂もあったが、ぎゅっと押し潰されてるところを見るとガセだったようだ。
服装は半袖シャツにジーパンとラフな格好だ。
教師連中で固めたバンドに出るらしい。音楽も
「――そこでだ花垣、お前に彼の代役を頼みたい」
説明もそこそこに切り出された本題。
腹痛話をされた時点で薄々予想していたが、案の定。
今日の美術部の舞台に立つ一人が、
「俺……ですか? いやでもその時間は委員の当番が。もう行かないといけないですし」
演劇部の方は辛うじて時間を作ったが、その一つ前の美術部ステージは捨て置いていた。我ながら酷いやつだとは思うが、ゆめりのステージと天秤にかけるまでもなかった。
「委員の関係は先に了承を得てある。他の時間帯の者と交代という形になるそうだ。おそらくもう交代要員が向かったはずだ。ああでも安心しろ、演劇部の時間帯にも被らないように調整付けてもらったからな!」
台詞の後半を、顧問は何故かドヤ顔で言った。おそらくは、毎度毎度帰りに美術室に迎えに来るゆめりとのやり取りを準備室かどこかで聞いてたんだろう。
でもなあ、んな忖度要らねえよ!
「わはは可愛い幼馴染みは大事にしろよ? 欲しくたって簡単に手に入るもんじゃないんだからな! 天から与えられた恵みも同然なんだからな!!」
「……」
両肩をしかと掴まれ唾を飛ばされ嫉妬心丸出しのように力説された。俺はこの人が何で超美人外国人妻をゲットできたのか心底疑問だよ。
写真で見たがお子さんはめちゃ可愛い双子だった。お目目くりくり!
「俺の場合はな、回避不可の押しかけ女房だった。ふっ、まあ遠い昔の話だ。訊くな」
「いやあのそんな言い方されると逆に気になるんですけど」
「もう過去だ……今は流れに逆らう事を諦めたよ。くっ、先生は川のシャケ以下だな……っ」
き、恐妻家なのか。これ以上の深入りはやめよ。しかも自虐も独特だし。
「とにかく頼む花垣!」
廊下に出ているとは言え、そこそこ人目がある中でのピンチヒッター要請。
この断りづらい雰囲気も計算のうちなのか?
先生は今度は俺の両手を握りしめてくる。み、妙にあったけ~。これが大人の男の抱擁力の片鱗なのか?変な髪形のくせにずりいよ先生。
「先生はな、お前なら適任だと思ったからこうして打診に来たんだ」
「先生……」
俺を買ってくれているのは素直に嬉しい。だが人前だなんて、恥ずかしいものは恥ずかしい。
そんな渋る俺の脳裏に、ふと部長様の嬉しそうな顔が浮かんだ。部の士気を高め常に俺たちを牽引してくれた女神の御尊顔が。
「無理か? なら苦肉の策として――制服着て俺が出るしかな…」
「――わかりました俺やります」
「おおっそう言ってくれると信じていたぞ! 良かった良かった本当に助かったよ」
自分高校生で通用すると思ってんのか? ふざけたアフロ教師め。
まあいい、部長様の良い思い出作りのためにも崇拝者として一肌脱ぐか。
「えーと、今回は一枚五分以内に描くんですよね。お題って何でしたっけ?」
「前半の方は世界遺産関連で、仁科のは確かー……モン・サン・ミシェルだ」
モン・サン・ミシェルってのはフランスの海上にあるお城っつか修道院だ。
数分で描くにはレベル高えなおいっ!
「後半に描く演劇部からのお題はわからないが、花垣なら何が来ても余裕だろ!」
「いや、自信はないですよ。それでなくても俺スプレーアートって初めてですし」
部内討議ではペンキや絵の具も候補に挙がったが、結局は持ち運びや片付けの観点から画材はスプレーに決めたらしかった。ステンシルの使用も可だ。そういや仁科も事前に準備していたな。
「あまり気負わなくて大丈夫だ。ステージには一度に三人立つから視線も分散するだろう。それにな、仮に失敗しても楽しくこなしてくれればそれでいいさ。そこから学ぶ事は多いだろうからな」
「それはまあ、そうですね」
「ああ、仁科の用意していたステンシルは自由に使ってくれて構わない」
「わかりました」
「吹奏楽部の公演の後に小休憩が入ってるから、その時までに舞台袖に来てくれ。んじゃよろしく頼むな!」
わははと笑う顧問は数回俺の肩を叩いて激励してくれると背を向けて去っていった。それを少し見送って、廊下の壁に背中を預ける。
「まさかの事態だな。委員の仕事後回しで人前で描く羽目になるとは。あ~、何かもう緊張してきた」
心拍数が少し上昇している。きっと本番前はバクバクだ。
出番前のゆめりもこんな気分なのかもしれない。
「無様なとこは見せらんねえよなあ」
場を白けさせる展開はもってのほかだ。次の演劇部のテンションにも関わる。そう思えば、腕の腕章に触れながら俺は一人気合いを入れるのだった。
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